新しい世界、新しい自分。
翌朝。
僕は、昨日と同じ時間に家を出た。
七海は、パパが保育園に連れて行ってくれることになった。
だから僕は、また、公園に寄り道して顔を出した。
「あ、いたいた!」
「……?」
僕より大きな背中。だけど、そこまでの差はない、背中。黒色の学ランで、白い肩掛けカバン。鈴蓮中学の校章が刺繍されている。
「片瀬か」
椅子に座って、ソフトミルクパンをかじっていた宮野くんは、振り返って確認した僕の姿を見て、声を発した。
「おはよう、宮野くん」
「あぁ」
短く、端的に答える宮野くんは、僕を後目にパンを食べつづけている。朝食を、家で食べる習慣はないのだろうか。
「ここで朝ごはん?」
「そうだけど。何か問題あったか?」
「ううん。そういうんじゃないんだけど……隣、良い?」
宮野くんは、パンを口に入れながら頷いたので、僕は左隣に座った。僕は、朝食はパパが作ったハムエッグを食べてきたから、お腹はいっぱいだ。
「宮野くん。家では食べないの?」
「ん? そういう習慣はないし……」
「ないし?」
歯切れが悪い宮野くんは、目を伏せた。何か、気まずい話題であることは分かった。だけど、ここで話題を急に変えては、あからさま過ぎるとも思う。僕は、困ってしばらくパンに視線を集めた。
「お前、弟が居るんだったよな?」
先に話題を変え、続けてきたのはパンをもぐもぐとしながら、大人びた目をした宮野くんの方だった。唐突な質問で、僕は一瞬間をおいてから、答えた。
「うん。居るよ? 保育園児だけど……まだまだ、赤ちゃんみたいなものなんだ」
「保育園なら、そうだろうな。俺にも、下が居るんだ」
「へぇ! そうなんだ!」
意外だった。直感的に、宮野くんは一人っ子だとばかり思っていたから、興味深く声をあげた。
小学校のときからの親友、敬くんにはお兄さんとお姉さんが居るけど、下には弟妹がいない。だから、下に弟妹がいるっていう友達と、話してみたいという気持ちは、前々からあった。
お兄ちゃん。
その立場ゆえに、我慢していることがある。
お兄ちゃん。
その立場ゆえに、得られる感覚もある。
それを、共有してみたいと思っていたんだ。
「なんだよ、それ。そんなに意外か?」
「うん、意外!」
「……お前、相変わらず真っすぐな奴」
そういって、宮野くんは「くくっ」……と、声を抑えて笑った。目を細めてそう笑う仕草は、なんだか同い年らしからぬものを感じた。
「……お前から見て、俺はどう映ってるんだ?」
「え? どうって?」
宮野くんは、最後のひとかけらのパンを口に入れてから、右の頬を膨らませてそれを嚙みながら、僕の顔をじっと見ていた。観察しているという訳ではなく、単に目を合わせて話しているだけのようだ。
「俺には、友達とか……なんか、普通の会話できる奴がいないから」
自分を語りだした宮野くんの顔は、また影を落としていた。でも、すごく落ち込んでいるという様子でもない。どこか、「諦め」の表情はうかがえる。
「でも、お前は馴れ馴れしいって言ったら表現が悪いけど。俺を問題児だと知っても、声をかけてくる。それが、俺にはわからないんだ」
僕は、ぽかんと口を開けて、宮野くんの言葉を最後まで聞いた。言葉がすぐに出てこなかったのと、どうして宮野くんはみんなから避けられているのかが、わからないからだ。
宮野くんは、確かに同級生とは違った「空気」を持っていると思う。でも、それが「問題児」の理由にはならないと思う。むしろ、みんなよりも大人びていて、先見の目がありそうっていうくらい、僕はどこか憧れすら抱いきはじめているかもしれない。
「僕は、宮野くんに会ったばかりだし……宮野くんに、いじめられてもいないし」
僕は手を組んで、空を見た。
「だから、僕が宮野くんを蔑視する理由はないもん」
穏やかな風が吹いた。宮野くんは、細い目を僕に向け、ちょっと驚いた顔をした。
「昨日も、そんなこと言ってたっけな」
「うん」
僕はにっこり笑みを浮かべると、宮野くんもどこか満足げな表情をしてみせた。
「今度は僕の番だよ。ねぇねぇ、宮野くんの下の子は、幾つ? 女の子? 男の子?」
「女」
「女の子なんだ! それまた、意外!」
「お前にとっては、なんでも意外なんじゃねぇのか?」
宮野くんは、若干呆れたような顔で頬杖をついて笑った。笑っている顔だけ見ると、同級生だと実感する。
「それで、幾つなの?」
「年子」
「じゃあ、六年生?」
「あぁ」
宮野くんは、きりっとした顔立ちで、男の僕から見ても「恰好いい」と思うから、年子の女の子もきっと、美形なのかなと。勝手に想像した。
「仲いいの?」
「ぜんっぜん。うるせぇだけ」
「ふーん……異性の兄妹だと、衝突とか多いのかな? 敬くんにはね、お兄さんとお姉さんが居るんだけど。お姉さんとは、よく喧嘩しているって言ってた」
「敬?」
僕は、「あぁ」と思って、説明を付け足した。僕もまだ、中学のクラスメイトの顔と名前は全然一致していない。
「昨日、僕と一緒にいた男の子だよ。楠井敬くん。頭がすっごくいいんだ」
「あぁ……あいつか」
名前と顔が一致したらしくて、宮野くんはそっぽを向いた。関心がないことは、目に見えてわかった。
「学級委員とか、似合いそうな奴だったな」
「小学校のとき、児童会長していたんだ」
「へぇ」
興味なさそうな、単調な返答が返ってきた。ただ、話題がこれに変わったことで、僕が昨晩決心したことを、宮野くんに打ち明けるチャンスが巡ってきた。
未だに、自分の中でもびっくりする決心したと思う。まだ、なれると決まった訳じゃないけど、チャレンジすることに意義があると信じたい。
「今日の学活で、委員とか、係決めするでしょ?」
「あぁ、そうだな」
「僕……学級委員に、立候補してみようと決めたんだ」
「へぇ、積極的じゃん。小学校んときから、そういうのやってたのか? お前も」
「ううん。僕は、何もやってこなかったよ。だからこそ……挑戦したいって、思ったんだ」
宮野くんは、少し間をおいた。口を閉じて、何かを考えている様子だった。その時間が、ちょっと長く感じたけど、僕は急かすことなく宮野くんの言葉を待ってみた。
「挑戦、な」
「宮野くんは、何かしてみないの? せっかくの中学生活だもん。新しい自分、発見できるかもしれないよ?」
「俺はパス。そんなの、興味ない」
「えっ?」
どこか、不機嫌になった宮野くんは、すくっと立ち上がるとカバンをかけて、学校の方へと歩き出した。僕は、慌ててその後を追いかけた。でも、何がいけなかったのかが分からない。
「宮野くん、待ってよ!」
足早に立ち去る宮野くんの後を必死に追いかけ、僕もカバンを肩にかけると、公園を後にして学校への道を進んだ。
桜の花が散り、葉桜にはりかけている。
来年、花を咲かせるそのときまで……桜は姿を変え続ける。
僕たちもまた、一年。
姿を変えるように新しい学校生活を送る。