自分を変える第一歩。
時計の針が動くたびに、僕たちは少しずつ未来を刻んでいる。
命には、限りがあるから。
学校生活を送れる今は、「今」にしかないことだから。
大切にしたい。
今、パパと七海と……ママと、生きる「今」を。
「誠也も、敬くんや宮野くんと、たくさん外で遊ぶといいよ」
「外で?」
ご飯を食べながら、パパは僕に話しかけて来た。七海を専用の小さな椅子に座らせて、時折、ぼとぼとこぼす七海のテーブルを気にしながら、言葉を続ける。
「僕はゲームなんて持ってないし、それでもいいんだけど。敬くんは塾に入るって前に言っていたし」
「宮野くんは?」
「そこまでの仲じゃないもん、まだ。今日、会ったばかりだよ?」
パパはふむふむと頷きながら、箸をすすめる。久々に食べる川魚は、身がやわらかくて美味しい。塩味も効いていた。
「会った日から、友達だと思えたんだろう? だったら、明日からはもっと、仲良くなれるさ」
「……うん」
生半可な返事になってしまった。問題児だっていう、敬くんや他のみんなの言葉が、蘇ってしまったからだ。ただ、僕には迷惑はかかっていないし、問題児とは思えなかったことが事実。僕は、自分が接してそれは判断しようと決めたんだから、みんなの声に左右されることの方がおかしいことは、分かっている。それでも、まったく気にならないというわけでもなかった。
「何かあるのか?」
パパは、目ざとく僕の異変を察知していた。パパの目からしたら、僕の不安なんて、なんでもお見通しなのかもしれない。
「宮野くんを知る、多くのひとは、宮野くんを問題児だっていうんだもん。なんでかなぁ……って」
「聞けばいいじゃないか」
僕は、一瞬口をぽかんと開けて、言葉を探した。
(誰に? 何を?)
疑問は、こころの中で繰り返される。パパはまるで、魔法使いみたいだ。パパも、悩んだりすることって、あるのかな。子どものころは、悩むこともあったのかな……今の僕みたいに。
「宮野くんを、問題児って呼ぶ子たちに、何がそう言わせるのか。聞いてみたら解決すると思うぞ?」
「そんなこと、直接聞いていいのかな」
パパは真顔で魚をつっついている。七海は、手づかみで魚をつかんでいて、なんだか手が塩まみれになってきている。それを見て、パパは小骨を取ってから、身だけを七海の口に運んであげる。僕の話を、真剣に聞いているようで、実際は七海の魚の方が大切なのかもしれない……なんてことが、頭をよぎった。
「何も聞かずに、偏見の目で宮野くんを見るよりは、ずっといいんじゃないか?」
「うーん……そう、かもしれない」
僕はふむふむと頷きながら、お味噌汁を飲み干した。合わせみそが、僕の家ではよく使われている。
七海の小骨を取りきったパパは、自分の食事に戻る。七海も、没収されていた魚が戻ってきて、嬉しそうにまた手でぐちゃっと握る。
「宮野くんとも、敬くんとも、仲良くなれるといいな」
パパが、お新香をバリバリ食べながら、目を細めて僕にそう告げた。
「うん!」
僕はごはんを食べ終えると、手を合わせる。こういう行儀は、ママからも教わってきたし、パパも大事にしていることだから、子どものうちだけじゃなくて、大人になってからも続けていきたいと思っている。
「ごちそうさま!」
そして、食べ終わった食器をキッチンへ持っていく。パパは、まだ七海のごはんに付き合っている。
「にぃにぃ。あそぶー?」
もぐもぐと口を動かしながらも、遠ざかる僕に七海は引き留めた。
「ごめんね、七海。僕、プリントに目を通したいんだ」
「七海。今日はパパと早めにお風呂に入ろうね? 保育園でたくさん遊んできただろう?」
「あい!」
返事だけはよかった。七海は、ぽとぽとご飯粒を落としながらも、お茶碗を空にするまで食べていた。
そんな様子をしり目にしながら、僕は居間では集中できないと思って、二階にある自室へゆっくり戻りはじめた。
「誠也!」
階段下で、パパが声をあげた。一番上の段に足をかけたところで、僕は振り返る。
「ケーキ、あとで食べような。プリント見たら、またおりてこいよ?」
「うん!」
僕は返事をしてから、自室のドアを閉めた。
「えーっと」
白の肩掛けカバンから、A4サイズのプリントを取り出す。くしゃくしゃにならないように、四つ折りにしてしまっていたそれを、広げてみる。
「学級委員に、委員会に、班長……」
先生は、それを決めると言っていた。小学校のときだって、そういうものはあったから、似たようなものだと思っていた。ただし、小学校で委員会活動がはじまるのは、高学年にあたる「五年生」と「六年生」だけだった。
(中学は、一年のときから委員会活動ってあるんだなぁ……)
ただし、全員がその三つのどこかに属する訳ではないみたいだった。誰もがひとつ、役割を担うみたいだけど、「係」というものがあった。
係は、小学校のときにあった「生き物がかり」とかじゃなくて、「国語係」とか「数学係」とか。各教科ごとにつくものみたい。授業準備の補佐と書いてあった。
算数……ではなく、数学。
児童……ではなく、生徒。
何が違うのか、分からない。
ただ、そこに一歩「大人」へ近づいたという、ときめきが隠れていた。
「僕は、どうしようかなぁ」
特別に、「これ」というものは見つからない。「係」でもいいし、「委員会」に入ってみてもいいし。だけど、僕には「学級委員」とか「班長」とか。そういうものは、向いていない気がした。
(敬くんは、学級委員とか向いてそう……)
敬くんは勉強もできるし、小学生の頃から児童会長とか、そういうものをよくこなしていた。だからきっと、意欲的に活動するんだと思う。僕には出来ないことだから、いつも「すごいなぁ」って思いながら過ごしていた。
(宮野くんは、どうなんだろう?)
宮野くんは僕と違って、鈴蓮第二小学校だったから、今のところ「問題児」だったという噂話しか、耳に入ってきていない。学校を一緒に帰ってきて、公園で話す時間があったんだから、少しでもプリントの話をしてみればよかったと思った。
ただ、宮野くんは「中学」という存在、響きに僕とは違って「期待」をしていない様子だった。どこか距離をおいているというか……冷めている、そんな感じがみてとれた。
(今は、宮野くんを詮索するのはやめて、自分のことを考えよ)
自分に言い聞かせるように、僕は二回頷いた。そして、飲み込むことによって次へと進む。
「未来……可能性、か」
僕は、ある決心をした。
プリントをまた、四つ折にしてカバンに戻すと、僕は一階に戻った。七海と先にお風呂を済ませていたパパが、テレビをミュートにして、電話をしていた。電話先は、どうやらお客さんみたいで、僕に目で合図を送ってきた。七海を見ていて欲しいとのこと。
僕は、七海に「しー」っと口元に人差し指を立てると、七海は僕の真似っこをして、口を閉じた。
パパの電話は、それから五分くらい続いてから、「また、いつでもご連絡ください」と電話を終えた。
「誠也。課題は終わったのか?」
笑顔で僕に声をかけるパパは、携帯をしまった。会社から支給されている、ガラケーだった。僕はまだ、携帯を持っていない。敬くんはガラケーを、六年生の終わりがけに買ってもらっていた。だけど僕は別に、今のところ必要性は感じていなかったから、おねだりすることもなかった。
「課題ってほどじゃないから。あのね、パパ」
「ん? なんだ?」
「僕、学級委員に立候補してみようと思うんだ」
その言葉に、パパは一瞬驚いた顔をしてから、笑みを浮かべた。
「そうか。すごく、いいことだとパパは思うよ。なれるといいな」
「うん!」
敬くんも、学級委員を狙っているかもしれない。
そうなったら、多数決とかになると思う。
多数決で勝てる見込みは「ゼロ」といってもいい。
だけど僕は……新しい自分を、発見したい。
そう、思えたんだ。