大人はずるい。
砂の山は、作り上げる過程も楽しくて。
完成したら、完成したで、それで嬉しくなるもの。
僕のこの人生っていうものは、この、砂の山のようなものかもしれない。
「にぃにぃ、おやまなの!」
「そうだね」
砂まみれになりながら、僕たちは時間を忘れるくらい、何度も砂の山を作っては崩し、作っては崩してを繰り返す。そこに、無限の楽しさを生み出していた。七海なんて、にこにこが止まらない。僕の家には、あまり広いとは言えない庭が、少しあるだけで、そこには洗濯物を干す竿があるから、遊び場は見込めない。こうして、広い公園が近くにあることは、子どもである七海や僕たちにとって、救いの場とも言える。
「あ……」
僕はふと、頭上高くにある時計台を見た。もう、四時を軽く回ってしまっていた。確かに、夕日が傾きはじめている。僕と七海は、この砂遊びに夢中になりすぎてしまっていたようだ。
「七海。そろそろ帰ろう? パパも、もうすぐ帰ってくるよ」
「やや。まだあそぶー!」
七海は、ずさっと音を立てて、砂場に寝転んだ。砂まみれになる七海を前に、僕は「あぁ、また服が汚れた」と、肩をおろす。
「また、明日にしよう? 七海。パパ、もう少ししたら帰ってくるんだから。今日は残業ないだろうし。帰ろう? ね」
「うー……」
とても、納得しているようには思えない七海の対応を前にしても、僕は譲らなかった。仕事から帰ってきて、部屋の中がガランとしていたら。それはやっぱり、寂しいと僕は思うから。自分がされて嫌なことは、したくないし、その相手が大切なパパだったとしたら、やっぱり、してはいけないって思うんだ。そこは七海にも、いくら子どもだって言っても、少しずつでも分かってもらう必要性があると感じた。
僕たちは、少しずつでも大人にならなくてはいけない。
その「大人」のことを、今は「ずるい」存在だと思っていたとしても……。
「七海、お兄ちゃんは行くよ?」
そういって、僕は立ち上がる。強制終了の合図だ。七海は、僕に置いていかれるとでも思ったのか。いそいそと立ち上がると、目に涙を浮かべながら、僕の足にガシっとしがみついてきた。
「ななもかえるー!」
「うん」
僕はにっこり微笑むと、七海の頭を優しく撫でた。こうやって、覚えて行けばいいんだと感じながら、僕はお兄ちゃん役をいつだって、演じている。
「今日の夕飯は、なんだろうね?」
僕は、七海のすずらん保育園の肩掛けカバンを手に持ちながら、とてとて歩く七海の歩幅に合わせて、自宅へと足を進めた。
幾らか歩いて、自宅の前まで来ると、ちょうどそこには、玄関に向かって歩く男のひとの姿が見えた。ドアノブをガチャガチャっと回してみて、鍵がかかっていることから、中にはひとが居ないということを確認すると、自分のカバンの中から黒色のキーケースを取り出して、そこから自宅の鍵をひとつ取り出し、鍵穴に差し込む。左へ回すと、カチャっという音がして、鍵が外れる音がする。外開きの玄関の扉を開くと、男のひとは、「ただいま」と声を掛けていた。そこから、返ってくる言葉はない。そのことに、怪訝そうな顔をしつつも、中に入っていったところまで、確認する。
「あ、パパだよ。今日は、すごく早く終わったんだね、会社」
僕は七海の手をつないだままの状態で、自宅の真ん前まで来ると、門を開き、玄関先まで向かった。
「パパ!」
そう、勢いよく声をかけると、パパは少し驚いた顔をして、玄関で革靴を脱いでいるところだった。背広姿で、青いネクタイをしめている。ひげはもとより薄い方だけど、サラリーマンのマナーとして、毎朝きちんと剃っているから、綺麗な顔立ちがより際立つ。
「誠也、七海。こんな時間まで、外に居たのか?」
パパは、靴を脱ぐ作業を途中でやめると、僕と七海の顔を交互に見やった。玄関には、何やらお土産らしき箱が置いてある。
「うん。七海とね、公園で遊んでいたんだ。遅くなってごめんね?」
「いや、まだ日も暮れていないし。パパが早く終わっただけだから。誠也は悪くないよ」
すると、パパは靴を脱ぎ終わって、玄関先に並んでいるスリッパをはいた。それから、そのお土産らしきものを僕に渡してくれる。
「誠也。今日は本当に悪かった。せっかくの入学式だったのに……こんなもので、償えるとは思ってないけど、ケーキを買ってきたから、夕飯のあとで食べよう?」
「……っ」
僕は、ぱっと明るい表情をしてみせた。こころの底から、うれしいって感情が沸き起こる。これは、パパなりのけじめなんだってことは、すぐに分かった。
仕方がないことだったのに。パパは、こうしてお土産まで買ってきてくれた。いつまでも、腹を立てていても仕方がないことくらい、僕も分かっている。僕はもう、中学生なんだ。
「ありがとう、パパ!」
笑って、パパにお礼を伝えると、パパはどこかほっとしたように、笑みを浮かべていた。後ろめたさがあったのだということを、僕は改めて感じた。
「誠也。次にまた、学校で行事があったら教えて欲しい。次こそは、予定を空けておくから」
その言葉に、僕は少し躊躇いを覚えた。来て欲しいに決まってる。だけど、パパには「仕事」という大人の役目があるんだ。僕の希望ばかりを述べていて、いいものかと思ったんだ。
「無理しなくていいよ?」
宮野くんの言葉じゃないけれども、僕は、固執しすぎていたのかもしれない。さすがに、宮野くんほど淡泊にはなれなくて、「意味がない」とまでは思えないけれども、毎回、毎回、パパにおねだりするのも、よくないのかもしれないって、思うようになってきたんだ。
たったの一日で、ここまで変化を見せるっていうのは、びっくりする。先生の伝えてくれた「希望」という名のメッセージ。そして、新しい友達「宮野くん」という存在。ふたりは、これまでの小学校までの友達「敬くん」とはまた、違ったこころの形成をしていると感じた。
だからこそ、僕もまだまだ、これから成長していけると、変わっていくのだと、感じることが出来た。
「無理じゃない。パパも、出来うる限りは参加したいんだよ? 大切な息子の成長は、目に焼き付けていきたい」
僕は、黙ってパパの言葉を聞いていた。
「それが、親というものだよ。誠也」
僕がパパくらいの年齢になるまでは、もっともっと、長い年月が必要になる。だから、今、「親」というものを語られても、ピンとは来ない。ただ、僕には小さな弟「七海」が居る。七海の成長を、うれしく思ったり。見守りたいって思う気持ちはある。きっと、それよりも、もっと大きくて、深いものが「親」からの「愛」であるのだと、悟った。
「分かった。じゃあ、今度はまた、分かったら早めにパパに言うから」
「あぁ」
パパは再び、にこっと笑った。
「今日の夕飯は、何がいいかなぁ。ナスでも焼くか。ヤマメもあったな。グリルで塩焼きにするか」
僕は、パパが作ってくれるのなら、なんだってよかった。いつものように、エプロンをつけて「主夫」の姿となったパパの横で、テーブルを拭いたり、箸の準備をしたり、僕はパパのお手伝いをはじめた。
「サラダ、買ってこればよかったなぁ。ま、いいか。トマトがあったな。誠也、切ってくれるか?」
「うん、いいよ?」
こうして、男飯は作られていく。七海は、公園で遊び疲れたのか。静かだった。察するに、居間に転がって眠ってるんだと思う。
「あのね?」
「ん?」
僕は、トマトとキュウリに包丁を入れながら、パパに話しかけた。
「新しい友達が出来たよ」
「そうか、それはいい。どんな子なんだ?」
パパは、僕の話に耳を傾けてくれた。だから僕は、後を続ける。
「ちょっとね、変わってる子。大人びているっていうのかな。でも、悪い子じゃなかったよ?」
「大人びているのか。その子の家族背景や、取り巻く環境に、何かあるのかもしれないな」
「えっ?」
僕は、パパの言葉を聞いて、目をまるくした。そんなところまで、憶測って飛ぶものなのかな、と。僕は単に、「変わってる子」で片づけようとしていたけれども、パパは宮野くんという人となりの背景にまで、関心を向けていた。流石はパパだとも、思った。
「子どもっていうのは、敏感だから。誠也だって、何も知らない同級生よりは、大人びて見えていると思うぞ?」
「そ、そうなのかな?」
僕は思わず、手を止めた。みんなから見た僕。僕から見た僕には、違いってあるのだろうか。
「そうだと、パパは思うけど。まぁ、そこを気にしすぎていたら、ガチガチになっちゃうからな。誠也は、誠也の思うように生きればいいんじゃないかな」
「……うん」
僕は、ややうつむき加減で答えた。
「ねぇ、パパ?」
「なんだ?」
「僕ね、ママにも学生服姿を見せたいんだ」
唐突に、話題がそちらへ向かうと、パパはきょとんとした顔を一瞬して見せた。でも、すぐにまた「パパ」の姿になって、川魚の内臓を取り出し、洗って、塩を振ってグリルに入れてから、火をつけるとそのまま言葉を発した。
「確かに、そうだな。ママも、見たがってると思うし」
「……パパ」
「ん?」
この際だから、僕は胸につっかえているものを全て、吐き出してしまおうと思った。
「ママの病気。そんなに悪いの? もう、治らないの?」
「……」
それを聞いて、パパは眉を寄せて目を伏せた。それから、しばらくは声を発しない。いや、言葉を選んでいるのかもしれない。即答はしてくれなかった。別に、それを望んだ訳じゃないから、いいんだけど……即答で、「そんなことはない」と、否定できないほどには、悪い状況なんだってことは、読み取れた。
「分からないんだ」
パパは、正直に答えてくれた。
「ただ、パパは諦めていない。ママだって、諦めてないよ。だから、誠也と七海には、肩身の狭い思いをさせてしまっている」
それは、どういう意味かが僕には分からない。肩身が狭いとは、感じたことはなかったし。僕が思うのはただ、僕と七海も、自由にママのところへ行きたいという願望だけであった。
「ママに、会いたいよ」
「この前、花見の写真を見せにいっただろう?」
「もっと!」
僕は、声の調子を強めて続ける。
「もっと、もっと、自由に行き来したいんだ。七海だって、ママを恋しがってるはずだよ」
「……うん」
パパは、短く答えるだけで、少し困った表情を浮かべた。
「そりゃあ、そうだよな。ごめん」
「じゃあ……」
「ダメだ」
応えは、変わらなかった。
「もう少し。待ってほしい、誠也。ママの容体は、安定していないんだ。だから、もし万一、悪い菌がママにうつってしまったら、大変なことになる。パパは、それを懸念しているんだよ」
「パパばかり、ずるいよ。パパだって、僕だって、同じじゃないの?」
僕は噛みついた。それでも、パパはやっぱり返答を変えるつもりはなかったようだ。
「ごめん」
そういうだけで、この話題は切り捨てられた。
やっぱり、大人はずるい。
子どもが、大人には勝てないことを知っていて。
逃げるタイミングも上手で。
僕はいつだって、置いてけぼりだ。
七海くらい、明らかに子どもだったならば、どれだけ楽だっただろう。
「希望」
先生の言葉が、僕の頭の中をぐるぐるとしはじめていた。
本当に、この先には「希望」はあるのかな。
僕たち家族にも、明るい未来は待っているのかな。
それが、誰の手にかかっているのかなんて、それは、分からないことだった。