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誰もが子どもだったのに。

 ひと気がない静かな家。居間には、たくさんの家族写真が並んでいる。先日桜の花見のときに、周りに居たひとにお願いして撮ってもらった、七海と僕とパパとの三人の写真を中心に、ママとパパが、幼かった頃の僕を抱っこした写真や、七海を抱っこした僕とのツーショットなど、たくさんのものが飾ってある。涙を拭って乾いたすっきりした顔で、僕は鈴蓮のカバンを開けて、加河先生が渡してくれたプリントを取り出した。


 希望。


 僕は、にっこりとしながら、その文字を見つめなおしていた。パパが帰ってきたら、中学校で新しい友達が出来た話や、先生も前向きで、なんだか感じのよさそうなひとだったということを、しゃべりたいと思った。敬くんと、また同じクラスだったということも、伝えたかった。パパも、敬くんのことはよく知っている。

(もうすぐ、七海を迎えに行く時間だなぁ……)

時計を見ると、三時は回っていた。まだ、迎えに行くには早い時間帯だけど、遅い時間でもなかったから、僕は制服から私服へ着替えると、ジーパンに白いシャツを着て、玄関で紫色の運動靴をはいた。紐靴の紐をきゅっと結ぶと、僕は玄関を開けて青空の下、慣れた道を歩きはじめた。

 薄い雲のカーテンが、ほどよく日差しを取り込んでいる。強すぎないその光の強さは、温かくて、居心地がよい。春風はやさしく、たまに僕の髪を撫でた。

 七海は昨年の途中から、保育園へ通い始めている。だから、今日からはじめて保育園へ登校した訳ではなかったけれども、僕が春休みの間は、僕が家でずっと七海の様子を見守って来ていたから、久々の園庭生活だった。

(泣いてないかなぁ。お弁当はちゃんと食べたかなぁ)

七海は、僕がびっくりするほどの泣き虫であった。ちょっとした虫をみかけても、びっくりして泣き出してしまうし、動物も、絵本の中の登場キャラクターなら喜んで見るけれども、パパが実際に動物園へ連れて行ってくれると、本物を見ては泣き出す始末。もちろん、夜はひとりでトイレになんて起きられないし、毎夜、和室で七海と寝ているパパは、七海に起こされては、深夜二時前後にトイレに連れて行っているのを、僕は知っている。足音がするから、それに敏感になっているのか。僕もその頃に一度、目を覚ます体質になっているからだ。

 パパは、立派な主夫になってきていた。ママが居ない分、辛さや寂しさや不便さを僕と七海に感じさせてはいけないと、一生懸命に動いてくれる。だから、どれだけ忙しくても、朝食と夕食は、準備してくれていた。

 それなのに、僕は……変な意地を張ってしまって、パパがせっかく作ってくれた朝食に目もくれないで、学校へ行ってしまったんだ。パパは、どんな思いをしていたんだろう。どんな思いで、僕の昼食チャーハンを作ってくれていたんだろう。

(パパ……)

僕は、足を不意に止めた。

「パパが帰ってきたら、謝る。うん」

僕は、そう自分に言い聞かせた。そして、七海のお迎えに行くために、再び歩き出した。


 二十分ほど歩くと、七海がお世話になっている、すずらん保育園がある。平屋で、園庭がとても広く、大きな砂場が屋外に設けてある。多くの小さな子どもが、まだ外にたくさん出ていて、遊んでいた。ここの保育園は、夜の七時半までは、預かってもらえる施設になっている。

「こんにちは」

僕は、窓口へと向かって声を掛けた。黒髪の長い髪をポニーテールにした保育士さんが、顔を出して、僕を見るなりにっこりと微笑んでくれた。

「あら、誠也くん。七海くんのお迎えかな?」

「はい。七海、どこに居ますか?」

この保育士さんは、割と長く勤めている方で、クラスは受け持っていない、フリーの先生だった。どの子がどの組で、どこで遊んでいるのかを概ね把握されているから、この先生に声を掛けると早いということを僕は知っていた。この先生の名前は、前田先生。下の名前までは、知らない。可愛らしいうさぎのマスコットが付いた、ピンクのエプロンをしている。

「ゆり組さんで、積木あそびをしていたわよ?」

七海の組だ。ちゃんと、良い子にしているみたいだ。ゆり組さんの部屋を僕は知っていたけれども、前田先生がゆり組の南先生のところへ連絡しに行ってくれたから、僕は下駄箱のところで、七海のことを待つことにした。


 しばらくすると、ぽたぱたと足音が聞こえてきた。それが、七海のものだということはすぐに分かった。だって、七海の顔が見えていたから。七海は、にっこりと嬉しそうな顔をして、黄色の帽子を被って、現れた。

「にぃにぃ!」

「七海、おかえり」

僕は七海の背丈に合わせるためにしゃがむと、大きな瞳の七海を見つめ、同じように微笑んだ。この様子だと、今日も一日楽しく過ごしていたみたいだ。給食はなくて、お弁当を持たせているから、南先生は空になったお弁当箱と、今日の七海の着替えで使ったものなどをまとめて入れた、カバンを僕に渡してくれた。それと同時に、連絡ノートという、いわゆる保育園と家庭側での交換日記みたいなものである。

「南先生、今日も一日ありがとうございました」

僕はしゃがんだ状態のまま、顔をあげて南先生を見た。南先生は、髪の毛を栗色に染めて、ちょっとだけ、ゆるいパーマをかけた先生だった。ただし、邪魔にならないよう髪は肩につくかつかないか。それくらいの長さで切ってある。

「誠也くん。今日も七海くんは元気いっぱいだったわよ。大好きな積木で、お城を作ってあそんでいたの、ねー?」

「ねー!」

七海と南先生が、目を合わせてにっこり微笑む。それを見て、なんて優しい先生だろうと思った。

 僕は、保育園育ちじゃなくて、幼稚園に通っていた。ときの幼稚園っていうところで、年中さんから入ったんだけど、やっぱり幼稚園の先生も、優しかったのを覚えている。当時は、まだママが病気じゃなかったし、働いても居なかったから、長い時間僕を、どこかに預ける必要性がなかったんだ。でも、今はこうして誰かに見ていてもらわないと、パパもママも、僕も困ってしまう。

 もちろん、七海を邪魔ものに思ってる訳ではない。だけど、こんな風にしか対応できないことを、僕はこころのどこかで、申し訳なく思っていた。

「連絡ノート。見てみてくれる? 今日も、たくさん書いておいたわ」

「ありがとうございます、先生」

僕は頭を下げると、七海の小さな手をつかんだ。

「さ、七海。帰ろう?」

「かえるー!」

僕は、七海の歩調に合わせながら、ゆったりとこのすずらん保育園を後にした。


「七海、楽しかった?」

「うん!」

僕は、まっすぐに帰宅せずに公園によって、七海と一緒にアイスを食べていた。ちょっとした、安いアイスだ。なんとなく、口が寂しくなって食べはじめ、ベンチに座って今はあたりを見渡しながら、今朝と同じ光景を見ていた。ここで、宮野くんに出会ったのだ。

「ここでね。お兄ちゃん、新しい友達に会ったんだよ」

「ともちゃん?」

「うん、そう。お友達」

宮野くんにとって、僕がどれだけの存在なのかは分からないけれども、僕にとっては、中学という新しい環境を迎えての、最初の出会いであって、新しくできた最初の友達でもある。だから、このご縁は大切にしたいって思ったんだ。

「七海も、お友達たくさん出来てきたね。連絡ノートに書いてあったよ」

南先生の字は、少しまるくて女性らしいものだった。僕はそのノートに書いてあることを見て、七海の成長を感じ取り、なんだか嬉しくなった。

(ママにも見せたいなぁ)

ママなんて、滅多にこういうものを見る機会がないんだ。だから、僕は極力ママにも、暮らしている部屋こそ、病院と家と違うけれども、ひとつの「家族」であるということを、忘れたくなくて、共有したいと思うんだ。


 でも、パパは頑なに僕と七海だけでのママの面会は許してくれない。


 ママの病気は、そんなにも深刻なのかな。


「僕……ママにも、制服姿を見せたいな」

「う?」

パパの言いつけを、破ってはいけないとも思う。だけど、大人たちは何でも自分たちで背負い込むんだ。僕だって、「片瀬家」の家族なのに。僕にだって、できることはきっとあるのに。どうしてパパは、ひとりで背負い込んでしまうんだろう。どうしてパパは、僕たちに任せてくれないんだろう。

 きっと、理由があるんだとは思う。でも、僕は少しだけ、寂しくなった。きっとこれは、恋しくてじゃなくて、僕たち子どもを頼ってくれないということへの、不満だという感情だということに、僕は気づいていた。

「にぃにぃ。おやまつくりたいの」

「おやま? あぁ、砂場でね?」

僕は公園の時計を見てみた。三時三十分。まだ、あと三十分くらいなら、遊んでいても大丈夫そうだ。僕はにこりと微笑むと、七海の頭を撫でた。

「いいよ。一緒に遊ぼうか。でも、ちょっとだけだよ?」

「うん!」

そういって、僕たちは砂場の中に身体を預けた。ずぼずぼと足が砂の中へ埋まっていく。その感触を楽しみながら、さらさらとした小さな砂粒を集めて、僕たちは砂山をつくって遊んでいた。


 大人には、大人の事情がある。


 それはわかるけれども、同じように子どもにだって考えはある。


 それなのに、大人は大人になると、子どものときの感覚を忘れてしまうのかな。


 砂山は、崩れてはつくられ、崩れてはつくられを繰り返していた。



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