彼は噂の問題児。
学校へ着くと、僕は下駄箱の上に張り出されたクラス分けの一覧表に目を向けた。知らない名前も多いけど、同じ小学校だったひとも居るから、知っている名前もいくつかあった。
(えっと、宮野くんは……)
思わず、公園で出会った彼の名前を探してしまった。そして、その名を僕と同じ四組のところで見つけた。
「宮野……昂」
「誠也!」
「?」
後方から声がした。振り向くと、そこには小さいときからの馴染みである、背丈は僕よりちょっとだけ高い、少年の姿があった。一重で、目は細くて近視用の眼鏡をかけている。
「敬くん。どうしたの?」
楠井敬。三人兄弟の末っ子。高校生のお兄ちゃん、中学生のお姉ちゃんがいる。
「どうしたって、俺たち同じクラスだぜ!」
「えっ、本当?」
慣れない生活に、知らない名前が多いと、やっぱり不安だって抱くもの。でも、こころ許せる親友も一緒のクラスだと分かると、一瞬でそんな不安はかき消された。僕は、笑顔を浮かべた。
「やったな、誠也。今年も一年、楽しくやろうな!」
「うん。そうだね」
「あ、誠也。お前、知ってるか? 鈴蓮第二小学校の問題児」
「第二? 隣町の小学校だね。問題児って?」
僕たちが通っていたのは、第一小学校だった。第二小学校と、そこまで離れてはいないから、有名な顔ぶれは割と知っているつもりだったけど、そんな問題児のことなんかは、耳にしたことがなかった。興味がなかったことも、理由としてあげられるかもしれない。
「なんでも、喧嘩っぱやくておっそろしー奴らしい」
「へぇ。で、それがどうかしたの?」
敬くんは、こけっと身体を倒した。そして、眼鏡をかけなおして、僕の顔をじっと見て来た。何事かと、僕は眉間にしわをよせた。
「平和な奴だなぁ、誠也は。そいつが、中学から同じになるんだよ」
「へぇ」
「……反応が薄いなぁ」
敬くんは、どんな反応を期待していたんだろうかと、僕は不思議に思った。だって、その問題児ってひと、僕は面識もないし、実際に何かをされたワケでもないんだから。怖がろうにも、想像が出来ないし、そういう差別的な視線をはじめから持ちたくないって思ったんだ。
「怖くないのか?」
「だって、僕は知らないもん」
「平和な奴」
眼鏡の奥の瞳を細め、敬くんは僕の腕を引っ張った。
「まぁ、いいや。早くクラス行こうぜ? 下駄箱、四組は一番奥だった」
「そうなんだね。クラス、四クラスしかないって、少子化かなぁ?」
「は?」
敬くんが不思議そうな顔をするものだから、僕はそのまま後を続けた。
「パパが子どもの頃はね? 十クラスあったらしいよ?」
「そんなに!? 先生も大変だなぁ」
「そうだね」
そして、僕は何も考えなしにパパの言葉を思い出して口にしたけれども、思い返せば朝、パパに苛立ちを覚えて出て来たことが、今さら頭の中に戻って来た。思い出すと、やっぱりムっとするものである。
「誠也の家。入学式って誰か来るの?」
「……」
「ぁ、わりぃ……」
目に見えてしゅん……とする僕を前に、敬くんは悟ってくれた。だけど、落ち込んだところで結果が変わるワケじゃないし、僕は頭をブンブンと横に振って、その嫌な気持ちをかき消した。
「敬くんの家は、誰か来る?」
「あ、あぁ。母さんが来るとか言ってたけど」
「そっかぁ。お母さんかぁ……」
ドツボにはまりそうだった。ママのことを思うと、何だか苦しくなる。
ただ、みんなにそんな気を遣わせるほうがイヤだったし、別に、ママはまだ死んじゃったワケでもなかったから。あまりにも悲壮ぶるのは、ダメだって思った。寂しいのは本当のことだけど、僕は、不幸なワケじゃない。
「誠也のママさん。最近、調子はどうなんだ?」
「うん。この間ね、パパと七海と三人でお花見に行ったから、その写真を見せにいってきたよ? 喜んでた」
「そっか。元気そうならよかった。早く、退院できるといいのにな」
「そうだね。ママの手料理、恋しくなってきちゃった」
あはは……って笑うと、敬くんは僕の頭をぽんぽんと撫でてくれた。
「あんま、無理すんなよ? なんかあれば、いつでも言ってくれ。出来ることはするからさ」
「……うん」
僕はちょっとだけ照れた。こんなにも友達思いな親友がいるって、幸せなことだなぁ……って。しみじみしちゃったんだ。
(そういえば、七海はちゃんと保育園にいったのかなぁ。パパの朝ごはん、食べずに来ちゃって悪かったなぁ……)
僕は、パパが帰ってきたら謝ろうって決めた。パパだって、好きで忘れていたワケじゃないんだし、この前だって、パパはちゃんとお花見の約束、果たしてくれている。いつも、いつも、僕を優先するわけにはいかないんだ。
大人には、大人の事情がある。
僕は、大人じゃないから、それを全てわかってあげることは出来ない。
でも、分かろうとしなきゃいけないんだって……思った。
「先生、美人だといいなぁ」
「僕は、優しいひとなら性別はどっちでもいいよ?」
にこにこと、会話しながら教室へ向かった。先生の発表は、まだ。この後、体育館へ向かってから、分かることになっている。
教室に入ると、黒板に席順表が白チョークで書かれていた。何を基準に決められたのかは分からない。名前順っていうワケでもなく、男女別というワケでもなく。不思議な配列だった。
「俺、廊下側かぁ。窓がよかったなぁ」
「僕、窓側だよ! 外が見える!」
うきうきと、カバンを置くと僕は校庭の様子を窓から覗き込んだ。小学校の頃よりも、校舎は小さくなっていて、その代わりグラウンドは広くなっているように感じた。
「敬くん! バスケットゴールがあるよ!」
「小学校は、体育館にしかなかったのになぁ」
「そういえば、敬くんのお姉ちゃんって三年生だっけ? 僕、あんまり面識ないから」
「姉貴、ここの三年だな。だけど、運動はからっきしダメだから」
「ふーん」
敬くんは、割と運動って得意な方だったから、お姉ちゃんもそうなんだろうなって、勝手に思い込んでいた。だけど見た目は確かに、スポーツマンっていう雰囲気ではなかったかもしれないと、僕は思い出していた。
「げっ……」
「?」
いきなり、敬くんは変な声を出した。教室の入り口の方を見ている。僕はつられてそっちを見てみた。
「あ……」
大人びた容貌の、背丈の高い少年。くっきりとした二重の目を細め、その少年は僕と視線をぶつけた。
「片瀬」
「宮野くん。先に出て行ったのに、今着いたの?」
「なんか、文句でもあんの?」
「えっ……な、ないけど」
どうしてそう、突っかかった物言いをするんだろうって、僕は不思議に思った。この、大人びた風貌の少年は、教室をじろりと一望した。その様子を見て、何故だかみんな、身体を強張らせているように見えた。
(なに? この違和感……)
みんなが、いつものみんなに見えなかった。それは、小学校までの知った顔ばかりではないからとか、そういう理由ではないと、僕は感じていた。そして、それを一番強く感じ取っているのは、この視線の先に居る少年、宮野くんなんだって思えた。
宮野くんの席は、廊下側の一番後ろの席だった。そこに乱雑にカバンを置くと、まるで居づらそうにしているのか、すぐにこの教室から出て行ってしまった。方向的には、体育館へ向かったと推測できる。
「お、おい。誠也……」
「なに?」
敬くんの様子も、相変わらず変だった。何だか、嫌なものを見たような顔で僕の目を見てくる。
「お前、宮野と顔見知りだったのか?」
「……?」
僕は、ぽかんと口を開けた。
「敬くんこそ。宮野くんのこと、知ってたの?」
「知ってたも何も……さっき、話してたじゃないか。問題児のこと」
「あぁ、第二の?」
僕はこのとき、ようやく敬くんが何を言おうとしていたのか。みんなが、どうして宮野くんを冷たい目で見ていたのか。理解することが出来た。
「それ、宮野くんのことだったの?」
「そうだぜ? 第二の宮野っていったら、有名すぎる名前だぞ?」
「僕、知らないもん」
公園で話しかけられたとき、彼を「悪いひと」だとは思わなかった。ただ、不思議なひとだとは思ったし、やけに大人びているとも思った。でも、それだけで、問題児にはとても思えなかったんだ。
(宮野くん……傷ついているんじゃないかな)
僕は、彼の寂しげな後ろ姿が頭に残って、離れなかった。
「俺たちも、そろそろ体育館へ行くか?」
「え、あぁ……そうだね」
僕は、あの寂しげな背中を引きずっていた。
「親御さん、たくさん来てるなぁ」
「そうだね」
ざわめく体育館には、大きく「入学式」と書かれた垂れ幕が飾ってあった。在校生はすでに並んでいて僕たち新入生が揃うのを待っていた。
「ドキドキするね!」
僕は、再びるんるん気分を取り戻していた。子どもの胸の内なんて、結構単純なものだ。きょろきょろと辺りを見渡していると、親御さんの列の中に敬くんのお母さんの姿を見つけた。
「敬くんのお母さん。ちゃんと来てるよ!」
「そ、そうだな」
そういって、敬くんはちょっとだけ照れていた。やっぱり、誰かが来てくれるって嬉しいものなんだなぁ……って、思った。だからこそ、僕はあるはずのない「パパ」の姿を探してしまった。
(あるわけ、ないか……)
惨めになる前に、僕はそれをやめた。ちょこんと体育館の四組の列に並んで座った。
「おい」
「え?」
不意に後ろから声を掛けられて、僕は振り返った。すると、そこには大人びた少年の姿があった。
「宮野くん」
「ここ、座っていい?」
「うん」
僕はこくりと頷く。すると、彼は軽く頭を下げると、僕の後ろに陣取って座った。
「本当に同じクラスだったな」
「そうだね」
にこっと微笑みかけると、宮野くんは不思議そうな目をした。どうして彼がこんな顔をするのか、僕にはわからなくて、「なに?」と、問いかけた。
「噂。聞いただろ?」
「問題児?」
「……ストレートに言う奴だな、お前」
「あ、ごめん」
それを気にしていたんだ……って、僕は初めて実感した。だからこそ、あの寂しい背中があったんだ。クラス中を無視しているようだったから、そこまで傷ついていないと勝手に解釈しちゃっていたけど、彼だって僕と同い年の子どもなんだ。あんなにも冷たい視線を送られて、平気なワケがないじゃないか。
「ねぇねぇ、宮野くん。聞いてもいい?」
「いいけど、もうじき式がはじまるぞ。後にしたら?」
「そ、そっか。そうだね」
僕はいそいそと正面を向き直った。宮野くんも、おとなしく体操座りをしている。敬くんは、もっと後ろの方に座っていた。とりあえず、今日のところの順番は決まっていなくて、整列されていたら良いらしい。
「宮野くんの家は、誰か来るの?」
僕はこそこそっと、小声で話しかけた。すると宮野くんは、つまらなさそうに返事した。
「来ねぇよ。だって、知らせてねぇから」
「えっ!?」
「な、なんだよ……」
「どうして!? せっかくの入学式なのに!?」
「たかが中学のじゃねぇかよ。こんなもんに、価値はねぇ」
「……そんなこと、ないよ」
どうしてだろう。僕がこんなにも胸が痛むのは、なぜ? 分からなかった。ただ、宮野くんは僕よりもきっと、色々なものを我慢して、無理やり大人びた風貌をしてみせているんだって、感じた。
「お前さ、ガキ? 親が居なきゃ、何も出来ないって奴?」
「そういう言い方、やめてよ!」
「図星か」
「……っ!」
僕はこのとき、宮野くんは苦手かもしれないって、思ってしまった。また、宮野くんも僕みたいなタイプは、好きじゃないんだろうなと感じた。
程なくして、式がはじまった。校長先生の挨拶は、どこもそうなのか。なんだか長くて、途中から何を言っていたのか覚えていない。そんなことよりも、僕は宮野くんの言葉は気になって仕方なくて。どこか、上の空だった。