太宰と三島の論争
青春は比較できないけれど、同じ物なのですよ。太宰だ三島だの言いながら、ブックバンドに教科書をはさんで学生街を通ったあの感覚は、忘れられませんね。
そういう時代だったのですよ。
だったら論争できない今の若い人は可哀想。何も古典の純文学を読めと言っているのではないのです。
そういう作品がない現状がお気の毒だと言っているのです。
そんな私ですが太宰と三島で論争したわけではないのです。
私は太宰は好きでよく読んでいましたが、三島さんは難しそうで読まなかったのですよ。
百恵ちゃんの映画は観ましたけどね。
職場の同僚が頭のいい人で、大卒でした。なにげなく太宰の話をしたら、三島には美学があるとか言い出して。
あまりにも攻撃するのですが三島さんを読んでいない以上反論のしようがないではないですか。
時々こういう人はいますよね。能力があるのに認められなくて憂いている人が。
いくら私が頭が悪くても読んでいないものに対して論戦は張れませんよ。
だいたい美学ってなんですか。
翌日に八つ当たりしてごめんね。と言われました。正直な人なのでしょうね。
気難しいのはわかっているのですが、つかず離れず付き合ってしまったのはこういう面があったからでしょうね。
だけど彼女のせいで三島恐怖症になってしまいました。
だって読んでみてその美学が理解できなかったらどうするんですか。
先日この小説家になろうで、三島文学に対して画期的なことを書いていた若い人がいました。
触発されて図書館に三島を借りに行こうと思ったのですが、やめました。
だって私の文章、どう考えても美学があるとは思えないのだもの。完