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リユニオン、青い海辺

作者: なつ
掲載日:2015/09/01

 煌くイルミネーション。星々は弱まり、エネルギーが紡ぎだす洪水に、世界は溺れていく。わたしもその一人。不味いギムレットとチープなミュージックがわたしを舐めまわし、わたしもその快楽に身を委ねる。偽者ぶったポピーの香りがわたしの鼻腔を刺激し、ああ、このまますべてが消えてしまえばいいのに。

 カランとグラスのアイスが音を立てる。

「そろそろ控えたほうがよろしいのでは?」

 さっとわたしのグラスに掛けられた手をわたしは睨む。わたしの右手に比べて黒く太い。その先は白く黒く視線を進めると、肩を過ぎて顔がある。けれど、顔は歪みもはや形をなしていない。

「いいえ、飲み足りないくらいだわ。もっと強いのを」

「ロザリアさま、すでにあなたの顔は色を失っていますよ」

「足りないのよ、お願い」

 その口が作り出すサウンドは高く、わたしをやさしく叩く。彼が作り出すチープで不味いアルコールとは違い、彼自体は高級でわたしには届かない。恐れ多く、それだけで肌が収縮してしまう。

「仕方のないお方ですね、ロザリアさま、可愛い人。それでは、次のカクテルで最後とさせていただきますが、その前にわたしの話を聞いてください」

「なぁに?」

「ただの時間稼ぎです」

「意地悪な人ね、マスター。わたしを弄ばないで。わたしはもう何もかも忘れてしまいたいの」

「トリップする方法は様々にございます、ロザリアさま。ポピーやギムレットよりも後味のよい手段もございます」

「それは初耳だわ、マスター、素敵な人」

 ゆらゆらと揺れる視界に、わたしの手も、彼の手もすべてが溶けている。サウンドも捻くれ、十分にわたしはすでに失われている。それなら、彼の美しいヴォイスに犯されるのも悪いことではない。





 ええ、これはもう昔の話です。ちょうど今のあなたのように、よく白の似合う少女の話です。そうですね、彼女のことをロザリーと呼びましょう。ロザリーが西国の島国に出かけたときの話です。父と母に連れられて、ロザリーは愚人の国、日本へ向かいました。

「パパ」ロザリーは船を下りる折に、呼びかけました。「あたし、嫌だわ。この国に降りたくない」

「わがままを言うんじゃないよ、ローズ。それに、お前はこの国のことを知らないだろう」

「知ってるもの、習ったわ」

「パパが子供の頃、この国のことなど習わなかったが」

「野蛮な国だって。本に載ってたもの」

「本当かい?」

「本当よ」

「本当に野蛮なのか。パパが知る限り、勤勉な人種だがね。それにもう引き返すことはできない」

「分かってるわ」

「それでは行こうか」

 反抗してみたものの、ロザリーは効果がないことをよく知っていました。ですから、素直に父と母の手を取って日本に降り立ちました。

 他の旅行者にまぎれることなく、彼らは入国の検査を終えるとすぐにタクシーに乗り込みました。父が地図を渡すと、運転手は何かを発しましたが、ロザリーには何を言っているのか分かりませんでした。ですが父は、それでいいと答えました。ロザリーは船旅で疲れていたこともあり、そこで眠ってしまいました。

 起きたとき、すでにロザリーは布団の中にいました。どこだろうとロザリーは思い、上半身を起こすと辺りを見渡します。狭い部屋でした。野草を火で焼いたようなにおいが立ち込め、また、木でできた壁に、窓は白い紙でした。ガタガタと、その白い窓がいびつな音を立てて開けられると、そこに少年が立っていました。

「――――――――――」

 黒い、というのがロザリーの第一印象です。髪も黒く、瞳も黒く、肌も黒く。もちろん、国にいるインディオに比べればまだ肌は明るかったのですが、それでも薄汚れて見えました。着ているものも、安そうな一枚の白いシャツだけです。

「――――――――」

 少年の口から言葉が発せられているのですが、ロザリーには何と言っているのか分かりません。白い窓を完全に開けると、少年はロザリーの方に歩いてきました。

「こ、来ないで」

 そう叫びましたが、少年は止まりません。

「―――――、――――――――」

 少年はロザリーのすぐ隣に座りました。

「―――――、――――――――、ロザリー」

「あなたは誰なの、パパは、ママは?」

 けれど少年は微笑むだけです。それからはたと気がついたような表情をすると、少年は自分の顔を指してゆっくりと三つの音を刻みました。

「ツ・ク・モ」

 次にロザリーを指差すと、再びゆっくりと発音します。

「ロ・ザ・リィ」

 それを二度、三度繰り返すうちに、ロザリーはツクモというのが少年の名前なのだと理解しました。

「それで、ツクモ、わたしのパパとママは?」

 ロザリーの言葉が分かったはずないのですが、ツクモは立ち上がると白い窓から飛び出し、先に伸びた廊下を走っていきました。待ってよという言葉むなしく、ロザリーはそこに残されたのですが、少しすると再び足音が聞こえ、ロザリーの母が部屋にやってきました。

「おはよう。船旅が疲れていたみたいね」

「ママ、ここはどこなの?」

「あらあら、寝ぼけちゃっているのかしら、可愛い子、もう日本に着いているのよ」

「それは覚えてるわ」

「今日から一年、ここでお世話になるのよ。早速ツクモくんと仲良くなったみたいで、ママも安心だわ」

「知らないわ。だって何言ってるか分からないんだもの」

「ママもぜんぜん分からない。パパはちょっと分かるらしいけど。でも、ロザリーならきっと一月もあれば、日本の言葉を覚えられるんじゃないかしら、だってまだ若いんだもの。ママには無理」

「ううう、こんな枯れ木くさいところで一年も過ごすの?」

「すぐに慣れるわ」

 母の言葉通り、家屋の香りには次第に慣れました。


 一月ほどが過ぎ、ロザリーはツクモと二人で外を歩いていました。ロザリーの故郷とは違い、左右に林が続く山道です。

「ねえ、これどこまで続くの?」ロザリーは前を行くツクモを見やりました。「あたし疲れてきた。帰りもここを歩かないといけないの?」

「うみ――すこし―――――しいところ――」

「あと少しってこと? どんなところだって?」

「―――しい」

「まあいいわ。もう少しならがんばってみようかしら」

 ふと視界が開けると、ツクモのいう海が見えました。水平線が彼方にあり、この大地が球であることを示しているかのように、ひどく湾曲していました。ツクモはロザリーの手を引くと、海岸へと続く獣道を降りていきます。

「ちょっと、ツクモ、早いよ、早い、分かる?」

「―――しい?」

「何、分かんない?」

 ロザリーは、目の先に広がる海に目をやることなく、足元の凹凸の激しい道に気をつけながらツクモについていきます。やがて道が平坦になると、すぐ先に海岸が広がっていました。白く輝く砂浜は美しく、季節が夏であれば人々に溢れていそうなほどの見栄えがありました。

「―――しいよ」

「よく分からない。どういう意味?」

 ツクモはゆっくり進むと波打ち際に立ちました。けれど何も答えず、ただ海を見つめています。ロザリーもつられるように海を見ました。優しい波音が繰り返され、キラキラと水面は輝き、はるか果ては空と重なっているように見えました。

「きれいなところね。ツクモは好きなの?」

「愛してる。―――しい、母みたい」

「もう、分からないわ、ツクモ。この海をわたしに見せたかったの?」

 頬を膨らませてロザリーがツクモを見上げると、彼は一瞬表情を曇らせるとすぐにロザリーに振り返りました。それからさらにゆっくりと前に進むと、足先を波に委ねます。

「濡れちゃう」

「ロザリー、一緒に行こう?」

「もう、どういう意味?」

 ツクモは自分の思いが通じていないことに気がついたのか、再び表情を曇らせると、小さくごめんと呟きました。


 それからまた数ヶ月が経ちました。その間、ツクモは何度もロザリーをこの海岸へとつれてきました。季節は真冬を過ぎ、どう考えても凍るような冷たさの海水にも関わらず、ツクモはいつもその海に足を遊ばせていました。

 ロザリーはそんなある日、ただ一人でその海に行きました。いつもツクモと一緒にいたものですが、その日は用事があるとロザリーの父と一緒に出かけた日のことでした。

 春の暖かさがわずかに感じられるとはいえ、まだまだ海岸には冷たい風が吹いています。厚手の服を着ていても、身を刺すような冷たさを防ぐことができません。ふと、ロザリーは知らない人が遠くに同じように海を見ている姿を発見しました。驚いたのですが、相手もこちらに気がついたようで、一度大きくお辞儀をしました。

 ロザリーもすぐにお辞儀を返すと、そちらに向かって歩きました。大人の男の人のようです。ロザリーの父に比べてだいぶ老けているように思えました。

「こんにちは、可愛いお嬢さん。言葉は、分かりますか?」

「少し、なら」

「それはよかった。お嬢さん、こんなところで何を?」

「わたしは友達とよく来ます。あなたは初めて見ました。あなたは何を?」

「おじさんも、時々来るよ。なんだかね、いい所だろ、ここは」

「優しいところだと思います。でも友達は―――しいと」

「―――しい、か。うん、そうだね、そう考える人もいる。だけど、お嬢さん、あなたの国には―――しいという表現はないのかもしれないね。ウォントとか、ミスとか、ロスとか、近いかもしれないけど少し違う」

「分からないの」

「ホームとかグッドオールドデイとか、これも少し違うかな」

「どうして海が―――しいの?」

「ウームの中のような。欠けていないけど自分の一部であるような、かつて一部であったような、それを恋しく思ってしまうんだよ。こんな大きな海を見ているとね。その友達は大人だね」

「いいえ、わたしと同じくらい」

「そう、それは危険だ。そのまま海に入ってしまうかもしれない」

「よくあるわ」

「……その友達は、ツクモくん?」

「はい。あなたは知ってるの?」

「ああ、よく知っているよ」

「お願い、ツクモのことを教えて。わたし、まだよく彼のことが分からないの」

「そうだね。でも、おじさんが話すべきではないかもしれない。本人からいつか聞いたほうがいいかもしれない」

「わたし、もうすぐ帰らないといけないから」

「そうか。ならば、おじさんが知っているツクモの話をしてあげよう」


 ツクモはね、もともとあの家の子どもではないんだよ。ツクモはちょうどこの場所で拾われたんだ。まだ、赤ん坊のときだったはずだよ。子どもに恵まれなかった二人は、それを神の恵みと思い大切に育てたそうなんだ。

 ツクモという名前は、赤ん坊が被せられていた布に書かれていた。

 ツクモというのがどういう意味が、お嬢さんは知っているかい? 日本の言葉というのはひどく厄介でね。意味と音が離れているんだよ。漢字で書くと九十九と書く、分かるかな。それは百から一を引いた数なんだ。百から一を引くと、残るのは白。まあ、言葉遊びのようなものだね。白というのは、とても純粋な色なんだ。これからいかようにも染まれるからね。ほら、ウエディングドレスが白いのと同じことなんだ。

 そしてね、もう一つ意味がある。これを意図してつけたのか分からないけれど、百に一つ足りないということから、人ではないもの、という意味もあるんだ。

 この母なる海が生んだ私生児かもしれない。ああ、そんなことありえないって顔をしている。だけど、この国ではよくあることなんだよ。万物に神が宿っていると考える国だからね。

 だから、彼はね、あの家で愛されて育ちはしたが、過去にさまざまないじめを受けた。それに、いついなくなってしまうか知れないからね。うん、ここのところ彼の表情が輝いて見えたのは、お嬢さんのおかげかもしれない。


「そんなことないわ」

「いやいや、的を得ていると思うよ、お嬢さん。おや、どうやら時間のようだ、お迎えが来たようだよ」

 ロザリーが彼に言われて振り返ると、遠くにツクモが立って手を振っているのが見えました。ロザリーも立ち上がると、同じように手を振って返します。それから振り返ると、驚いたことに彼の姿はすでにありませんでした。



 それからまた数ヶ月が経ち、初めに日本に着てからちょうど一年が経ちました。父の仕事も一段落して、明日には国に帰ることになっています。ロザリーはツクモを探しました。今日はお別れのパーティーの日だというのに、彼の姿が見当たらないのです。あたりはすでに暗くなっていましたが、まさかと思いロザリーは海岸へ向かいました。

 暗い波打ち際に二人の姿が見えました。一人はツクモと、もう一人はあのときの老人のようでした。声をかけようか迷っていると、ふと影が動いたかと思うと、老人の姿は見えなくなりました。ロザリーは驚いて、急いでツクモのそばに駆け寄りました。

「今の、誰?」

「ロザリー、今日で最後だね、って、話してたんだ」

「誰と?」

「父さんと」

「あれが、あなたのパパなの?」

「うん。いつか、ロザリーも会ったことがあるでしょ。その話をしてたんだ」

「でも、いないわ」

「そうだよ。もういないんだ。とうの昔に」

「―――しいの?」

「うん。ここにくると、二人のぬくもりを感じる。好きなんだ、ここが」

「でも、危険だわ。このまま海に入っちゃうんじゃないかって」

「もうそれはないよ。母さんが厳しくてね、それを許してくれないんだ。お前は、わたしの子だけど、一人で生きていけって」

「よく分からないわ」

「ロザリー、本当にアメリカに帰っちゃうの?」

「そうよ。パパの仕事が終わったみたいだから」

「そう、だよね」





「ひどい人ね、マスター、そんな話いまさらわたしに聞かせてどうしようというの?」

「それでね、ツクモとロザリーはそこで別れてしまったんだ」

「知ってるわよ。そんな話、もう昔のことじゃない」

「ロザリアさま、ですが忘れていたでしょう。懐かしくありませんか?」

「そうね、今ならその懐かしいという感覚も分かるわ、マスター、でも、どうしていまさらそんな話をわたしに聞かせるの?」

「そうですね、ロザリアさま、可愛い人。あなたにとっては、過去の話かもしれませんが、まだこの話には続きがあるのですよ」

「何もないわ、こちらに帰ってきて、それでおしまい」

「彼はそう思わなかった、というお話です。そうでなければ、ロザリアさま、わたしがこんな話を知ってるなんておかしなことでしょう?」

「ええそうね、マスター、おかしなことだわ」

 意地悪なマスターは、けれど、そこで言葉を切る。彼の手がウインドのように動くと、さっとグラスを持つ。いくつかのアルコールをあわせ、軽くシェイク。薄いブルーのカクテルができあがる。

「どうぞ、最後のカクテルになります、ロザリアさま。リユニオン、青い海辺です」

「本当に、素敵なトリップだと思うわ、マスター。でも、それだけじゃない?」

「これで終わりではありませんよ、可愛い人。何のための時間稼ぎだと思いましたか?」

「なぁに?」

「彼のご到着です」

 彼は一礼した。わたしは驚いて振り返ると、カランと音がしてドアが閉まる。そこに懐かしいダークヘアーの、顔があった。



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