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「ははっ。まさか、配達まで引き受けることになるとは……」


 苦笑交じりに、リオンは大きなケーキが二箱も入った鞄を片手で持ちながら、指定されたパーティー会場――<記録の地平線>のギルドホールに向かい足を進める。


 当初の話では、<記録の地平線>のメンバーがリオンの家にケーキを取りにくる事になっていたのだが、会場の準備で何かしらのトラブルがあったらしく、その対応に追われてケーキを取りに行くことが出来なくなってしまったらしい。そこで、にゃん太から念話で「誠に申し訳ありませんが……」と頼まれてリオンは配達を引き受けたのだ。


 今回のケーキは、にゃん太の協力なしには作れなかった。そのにゃん太に頼まれてはリオンも嫌とはいえなかった。ただ、リオンはトウヤとミノリに会うつもりはなかったため、アシュリンに頼んで、彼女にパーティーから少しの間抜け出して来てもらい、パーティー会場の前で彼女にケーキを手渡す事にした。


「魔法の鞄に入れておけば、アシュリン一人でもケーキを運んでもらう事ができる。そういう所は便利だな、この世界は。まぁ、電気が使えないから、オーブンや冷蔵庫なんかの管理は大変だけど……」


 この世界で、納得のできるケーキを作るために試行錯誤を続けた日々を振り返り、リオンは苦笑する。


「結局、現実世界でも、この<エルダー・テイル>の世界でも、僕はケーキを作ることしか出来ない。でも、僕自身がケーキ作りが大好きなのだから仕方ないか……」


 ずっと作りたいと、作らなければいけないと思っていた、あの二人の子どもたちに贈る『特別なケーキ』。それがようやく完成し、後はこれをアシュリンに手渡せば、自分の中で一つの区切りをつけることができるはずだ。


「……喜んでくれるかな? トウヤとミノリは……」


 アシュリンには<ハーメルン>に勝てた事で満足だとは言ったものの、リオンも本当は二人がケーキを食べてくれる姿を、喜んでくれる顔を見たいと思っている。けれど、それは望んではいけないことだと自分に言い聞かせ、リオンはその気持ちに蓋をした。


「後は、時間がきっと解決してくれる。この気持ちもきっと癒やされるはずだ」


 歩き続けて、<記録の地平線>のギルドホールの手前の待ち合わせ場所に立っているアシュリンの姿を視認すると、リオンは彼女を心配させないようにと笑顔を作る。


 もっとも、リオンの作り笑顔はアシュリンに見ぬかれてしまうのだが、それでも暗い顔をしているよりはいいだろう。


「リオンさん!」

 リオンが声をかけるよりも早くに、アシュリンがリオンの名前を呼んで駆け寄って来た。


「やぁ、アシュリン。ごめんね、君も今回のパーティーに招かれた側なのに、面倒なことを頼んでしまって。ケーキはこの鞄の中に入っているから、悪いけれど、これを会場のにゃん太さんに届けて上げて欲しいんだ」


「……リオンさん。やっぱり、リオンさんも一緒に……」

 ケーキの入った鞄を受け取ったアシュリンが、そう促すが、リオンは首を横に振る。


「ごめん。それは出来ないよ。……僕はあの子達に会わないほうがいいんだ。昨日も言った様に、僕はあの子達にとって過去の人間で、しかも、二人に辛い思いをさせてしまった人間なんだ。未来を見ているあの子達には僕のことを忘れてもらったほうがいいんだ……」


 本当は会いたい。あの時の約束のケーキだと言って手渡したい。トウヤとミノリの驚く顔を、喜ぶ顔をこの目で見たい。そして、謝りたい。「すまなかった」と。「ごめん」と。そしてもしも叶うのであれば、自分のことを許して欲しい。そんな蓋をしたはずの気持ちが溢れてきそうになるのを懸命に堪えて、リオンはアシュリンを諭す。


「リオンさん……」

「そんな顔しないでくれないかな、アシュリン。……これでいいんだよ、きっと……」


 服の端を摘んで引き留めようとするアシュリンに、リオンが言葉をかけたその時だった。突然別の人物の声が聞こえてきたのは。


「これでいいかどうかを決める権利があるのは、リオンさん、貴方だけではないはずですわ」

 背後から聞こえてきた声に振り返り、リオンは絶句した。


「独り善がりな結論を出す前に、貴方はきちんとこの子達と話をするべきですわ」

 聞こえてきた声はヘンリエッタ一人のものだった。だが、彼女の背後には、リオンが会いたいと願っていた二人の子供が、トウヤとミノリが立っていた。


「……トウヤ……ミノリ……。……どうして……どうして、君たちが……」

 状況が整理できず、リオンは驚愕することしかできない。予定ではすでにパーティーが始まっているはずだ。その主役である二人がこんな所にいるはずがない。


「……あっ、あの、ヘンリエッタさん。いったい、これは……」

 背中から聞こえるアシュリンの驚きの声に、リオンはアシュリンもこの事態を知らなかったことを悟る。……アシュリンが無関係であれば、二人がここにいる理由はひとつしかない。


「あっ、貴方が、この二人を……」

 リオンの怒気のこもった声に、しかしヘンリエッタは毅然として表情一つ変えない。


「ええ。この二人がここにいるのは私の独断ですわ。アシュリンは関係ありません。そして、私はリオンさんの過去を調べて、その内容を全て二人に話しました。貴方がこの二人の知らないところで<ハーメルン>の人間にどんな仕打ちを受け、結果、二人を裏切ってしまった事も、貴方がその時のことを今でも悔やみ続けていて、二人のためのケーキを作ろうとしていた事も、全て」

 全く悪びれた様子もなく、ヘンリエッタはリオンに言い放つ。


「リオンさん、その、俺……」

「リオンさん……」

 沈痛な面持ちで自分の名前を呼ぶ二人の姿に、リオンは胸が張り裂けそうになった。


 こんな悲しげな顔を見たくなかった、させたくなかった。だから、だから二人には会わないでおこうとしていたのに。


「……どうして、どうしてこんなことをするんだ! 僕は、僕はこの子達にこんな顔をさせたくなかったのに……。なのに、どうして!」


 怒気だけでなく、怨嗟さえも込めて、リオンは叫んだが、ヘンリエッタはそれを一笑に付した。


「させたくなかった、ですか。物は言いようですわね。単純に、貴方がこの子達と顔を会わせるのが怖かっただけではありませんの? 裏切ってしまった事への罪悪感と、この子達が自分のことを恨んでいるのではないかと怯えていただけではありませんの?」


「……違う……違う! 僕は……僕は……」

 そう否定の言葉を口にするが、その声にはすでに力がなく、リオンは無意識に後ずさった。


「そうやって逃げ続けても、何も解決はしないでしょうが!」

 そこにヘンリエッタの喝が飛ぶ。


「待ってくれよ、そんな言い方!」

「ヘンリエッタさん、もう止めて!」

 ヘンリエッタのあまりに辛辣な言いように、トウヤとミノリが抗議の声を上げたが、ヘンリエッタは振り返らずに片手を二人の前にやるだけでそれを制した。


「……あなたに……何が分かるんだ……」

 言葉に詰まったリオンは、しかしそれでもヘンリエッタの言葉を認めない。彼女の指摘が事実であることを知っていても、それを認めようとはしない。


「……大したことは分かりませんわ。私は貴方のような境遇に置かれたことはありませんもの。ただ、一つだけ分かるのは、今のように殻に閉じこもっていても、貴方はずっと救われないということですわ」

 不意に、冷淡に話していたヘンリエッタの声色が変わった。


「……先程申し上げたとおり、私は貴方の過去を、<ハーメルン>での出来事を調べました。そして、もしも自分がそのような仕打ちを受けて、大切に思っていた人を裏切ってしまったらと考えてみましたわ。……もっとも、私は人の心を理解することが不得手なので、貴方の苦しみの十分の一も理解できたか分かりませんが。

 でも、それでも……耐えられませんでしたわ。あまりにも、辛くて、苦しくて……。この冷徹な私でもそう思ったんです。それなのに、ずっとこの子たちのことを忘れられずに、心を痛め続けていた優しい貴方が、そんな苦しみを抱えたまま生きていくことなんて、できる訳がないでしょうが!」


 ヘンリエッタの声には怒りが込められていた。先ほどまでの、まるで冷たく凍っているかのようだった彼女の表情にもそれが溢れでていた。だが、その怒りの裏にあるものは、それとは全く別のものだということにリオンは気づいた。


「……貴方の仰ったとおり、未来に向かって行くことも大事なことです。すでに起こってしまった過去は変えられないのですから。でも、過去に決着を付けることも疎かにしてはいけないことですわ。そうしなければ前に進めないことだってあるはずです……。ですから!」


 ヘンリエッタはリオンの目を見据えて、更に言葉を続けた。


「少しだけ勇気を出して下さい。逃げていても何も変わりません。貴方の心のなかにあるその苦しみは癒やされませんわ。この子達が言葉をかけてくれるのを待つのではなく、貴方からこの子達に声を掛けて下さい。伝えたいことも、話したいことも、いっぱいあるはずでしょう?」


「……ヘンリエッタさん、貴方は……」

 リオンはヘンリエッタの名を呼んだが、彼女は振り返ってリオンに背を向けた。


「話すべき相手は、私ではないはずです。……連れ出してきた私が言うのもおこがましいですが、いつまでも今回のパーティーの主役が不在なのは望ましいことではありませんわ。

 ……それに、私はこの子達に全てを話したと申し上げたはずです。それでも、この子達は今ここにいる。その意味はわかるでしょうが……」


 その言葉にリオンは理解した。ヘンリエッタの思いを、彼女の気持ちを。それ故に、リオンは意を決して、会うことを恐れ、けれど何よりも会いたいと願っていた二人に向かい合った。


「……トウヤ、ミノリ……。ごめん……、済まなかった……」

 その姿を見つめる内に、リオンの口からそんな謝罪の言葉が漏れた。すると、堰きを切ったかのように、彼らへの思いと涙が溢れ出てきた。


「……僕が弱かった…から……。君たちに……余計…辛い思いを…させてしまって……。ずっと、ずっと謝りたくて……。でも、でも…僕には、僕には……勇気が……なく…て……」


 溢れ出てくる涙を堪えてリオンは懸命に二人に対する思いを言葉にしていたが、ついには堪え切れずに、両手で顔を抑えて慟哭した。


「リオン…さ…ん……」

 大声でむせび泣くリオンの姿に、アシュリンも釣られて泣き出してしまった。


 どんな言葉よりも雄弁に、リオンのその姿が、彼の抱え続けた苦しみの大きさを表していて、涙を堪えることが出来なかった。


「……リオンさん。違う、違うよ! リオンさんは俺達を何度も助けてくれた! なのに、俺は何も出来なくて、そのせいでリオンさんにこんな辛い思いをさせて……」

 トウヤは号泣するリオンの元に駆け寄り、涙をこらえながら、リオンに自分の気持ちを打ち明ける。


「トウヤの言うとおりです。リオンさんは、私達に優しくしてくれました。なのに、私達は何も出来なくて……しようとさえしなくて……。その上、リオンさんが私達を助けようとしてくれたせいで、<ハーメルン>の人達から酷い事をされたことも、今の今まで知らなくて……。ごめんなさい、リオンさん。ごめんなさい……」

 ミノリも同じように駆け寄って、涙ながらにリオンに何度も謝罪の言葉を繰り返す。


 二人の謝罪の言葉に、リオンは一掃、大きな声を上げて泣いた。


「……こんなに、こんなに泣き叫ぶほどの苦しみ……。こんなものを抱えたまま生きていくなんて、辛すぎるでしょうが……」


 自身も含めた複数の泣き声の中、リオンの耳に、そんなヘンリエッタの声が何故かはっきりと聞こえた。


 だが、リオン達が泣き止む頃には、彼女の姿は消えてしまっていた。





「……終わったみたいやな」

 パーティー会場である<記録の地平線>のギルドホールの外で、一人で立ち尽くすヘンリエッタに、マリエールは声を掛けた。


「見ていたんですの? 招かれた側とは言っても、主賓の貴方が会場から抜け出すのは感心できませんわね」

 こちらに背を向けて、開口一番、ヘンリエッタはそんな批難の言葉を口にするが、マリエールは気にせずに微笑む。


「せやな。感心できることやないな。せやけど、今回の主役が戻って来んことにはパーティーは一時中断したままやからええやないの。……それに、約束やったやろ? やることが終わったら全てを話してくれると言うてたやんか」


 マリエールが、ヘンリエッタ達が何かを画策しているのだと気づいたのは、あのケーキコンテストでの試食の時だった。


 <ハーメルン>のシュレイダが作ったチーズケーキを口にした際に、マリエールは驚き、強い違和感を覚えた。そのケーキが以前食べたものと比べて著しく味が落ちていたのだ。


 しかもそれは、多少の失敗程度の劣化ではなく、不味くて食べられないと言ったレベルでこそなかったが、ケーキを口にした他の審査員達も思わず渋い顔をするほどのお粗末な出来のケーキだった。かつて口にした、リオンのケーキに比肩するチーズケーキとはまるで違っていた。


 だが、その違和感を声にだそうとしたマリエールに、「マリエ」と声を掛け、ヘンリエッタがそれを制した。その行為から、マリエールは今回のケーキコンテストに何か裏があることを理解した。


 コンテストの試食が終わってから、マリエールはヘンリエッタを問い詰めたが、彼女は、今回のことはシロエの考えによるものであり、このことは他言無用にして欲しいと逆に頼まれてしまった。ただ、「やらなければいけないことが終わったら、全てを話しますわ」とヘンリエッタは約束したのだ。


「……そうでしたわね。……分かりました。順を追って話しますわ……」


 マリエールに背を向けたままだったが、ヘンリエッタは話してくれた。マリエールが知らなかった、シロエがケーキコンテスト開催の提案を持ってくるに至った経緯を。


「……そうか。アシュリンがシロ坊に頼んだんか」

「ええ……」

 短い肯定の言葉をヘンリエッタは返す。だが、そこに込められた思いは軽いものではないだろう。


 リオンの過去を知ったあの日、彼への罪悪感でヘンリエッタは追い詰められていた。冷静ではなかった。それ故に無茶をして大怪我を負う事となり、結果、アシュリンがリオンの過去を知ってしまった。アシュリンのためを思って秘密にしていたのに、それが露呈するきっかけを作ってしまったのだ。ヘンリエッタの忸怩たる思いは察するに余りある。


「……次に、アシュリンに頼まれたシロ坊が、更に梅子に協力を依頼したんやな。そして、今回のケーキコンテストを仕組んだというわけや」

「ええ。そのとおりですわ。シロエ様は、『リオンさんを助けてほしい』というアシュリンの依頼を受けたと仰り、今回の計画を私に持ちかけ、協力するように依頼されたのですわ」

 ヘンリエッタは淡々と事実を話す。


「……そうか。……うん。大体話が分かってきたわ。せやけど、なんで最初からそのことをうちに話してくれなかったんや? そな、うちは梅子達みたいに頭は良うないけど、仲間はずれにするんは酷いやんか。うちとアシュリンは二人揃ってすっかり騙されてもうたやないの」


 冗談半分のように尋ねたが、もしも最初から話してくれていたのなら、ヘンリエッタ一人に辛い思いをさせずに済んだのではないかとマリエールは思う。


「騙してはいませんわ。あのコンテストがリオンさんも含めた<三日月同盟>のための企画であったことは間違いないことですし、現状では打つ手が無いと言ったのも、すでに手を撃ち尽くした後だったからですわ。

 それに、あのシュレイダという方がうちのギルドに持って来たチーズケーキを超えるケーキを、にゃん太様が作ることが出来なかったのも事実ですわ。あのチーズケーキは、にゃん太様自身の苦心の作なのですから」

 ヘンリエッタの説明に、マリエールは苦笑するしかなかった。


 なるほど確かにシロエ達は嘘を言っていない。重要な事を全く話していないだけで。


「そうやったんか。にゃん太班長が作ったんか、あのチーズケーキは。……さすがやな。本職のリオンさんを唸らせるほどのケーキを作るなんて、普通の人には出来んことやで」


 思い返してみると、シュレイダと言う男が<三日月同盟>のギルドホールを訪れ、持参したチーズケーキを置いていった際に、自分が作ったケーキだとは一言も言っていなかった。


「当然、あの<ハーメルン>のシュレイダちゅう人が、この<アキバ>の街に戻ってきたんも、シロ坊の仕業なんやな?」

「ええ。シロエ様達は、この<アキバ>の街を追放された<ハーメルン>のメンバーの足取りを探り、今回の計画の適任者を探しまわったそうですわ。

 ……身から出た錆とはいえ、あのシュレイダという方も気の毒ですわね。たまたま<料理人>のサブ職業を有していたせいでシロエ様に目を付けられてしまったのですから。

 シロエ様は、『お願いしたら、快く引き受けてくれました』などと白々しい事をおっしゃっていましたが、どのような悪辣な方法で言うことを聞かせたのか、考えたくもありませんわね」


 冗談めかしたヘンリエッタの言葉。しかし、それにはまるで感情が込められていない。


「……せやな。そんでケーキコンテストに出したケーキは、あのシュレイダ言う人が作ったものやったんやな?」

 マリエールは努めて笑顔で尋ねる。


「ええ。もっとも、あれでもずいぶんとましになったそうですわ。シロエ様が言うには、かなり厳しく、にゃん太様にケーキ作りを叩きこまれたらしいですから」

 コンテストの際に、シュレイダが酷く疲れた顔をしていたのは、おそらくそのせいだったのだろうとマリエールは理解した。


「ですが、シュレイダという方にとっても、あのコンテストに出場したのは悪いことではなかったのかもしれませんわ。コンテストで自分の作ったケーキに散々な評価をされて、悔しがっていたそうですから。

 ……きっと、ことが料理なだけに、にゃん太様も中途半端な教え方はしなかったのでしょうね。だからこそ、シュレイダという方も悔しいと思ったのだと思いますわ。後は、その気持ちがいい方向に向かってくれれば良いのですが……」


 ヘンリエッタはそう言い終えると、小さく息を吐いた。 


「話を戻しますわね。マリエ、貴方はどうして最初から今回の計画を自分に教えなかったのかと尋ねましたわね? その答えは至極簡単ですわ。教えるわけには行かなかったからです。貴方とアシュリンがこの事実を知らないということが、何よりも重要なことだったのですわ」

「えっ、なんでや? どうしてうちとアシュリンが知らないことが重要なん?」

 ヘンリエッタの言わんとしていることが、マリエールには理解できない。


「シロエ様の発案で、リオンさんの得意分野であるケーキのコンテストが行われる事になりました。そして、そのコンテストに、この街を追放されたはずの<ハーメルン>の人間が何故か突然参加をし、<三日月同盟>に危機が迫りました。そして、それを救うことができる人間はリオンさんだけです。……というこの展開。冷静に考えてみると、あまりにも都合が良すぎると思いませんか?」

「えっ? あっ……。うん、せやな。言われてみれば、確かに……」


 思いもかけない出来事の対処だけで精一杯だったので分からなかったが、改めて思い返してみると、結果的に物事が自分たちの都合のいい方向に進みすぎている。マリエールは今更ながらそのことに気づいた。


「ですが、今回のシロエ様の計画は、ケーキコンテストでリオンさんが、仇敵である<ハーメルン>のメンバーを自分の力で打ち破ることによって、自信を持ってもらい、彼の過去のトラウマを払拭することが狙いでした。そのため、どうしてもリオンさんにケーキコンテストへ参加してもらわなければいけなかった。

 けれど、アシュリンの頼みでもリオンさんはケーキコンテストへの参加を拒否しました。……そこで私がシロエ様に話を持ちかけて、……マリエ。貴方とアシュリンを利用させてもらったのですわ……」


「利用したって、どういう事なん?」

 未だに意味がわからず、マリエールは更に詳しい説明を求める。


「古典的な詐欺の手口ですわ。人は、他人一人が荒唐無稽な事を言い出しても、ある程度は冷静にその内容を判断することが出来ますわ。けれど、それが二人に増えると、ありえないと判断した事柄でも気を惹かれてしまうものなのです。特にその話をするのが、心を許した、信頼できる人物ならばなおさらのことですわ」

 今までと同じような素っ気ない口調で言うヘンリエッタだったが、微かだがその声に感情が込められていることにマリエールは気づく。


「リオンさんはアシュリンに心を許していましたし、貴方も人から好かれ易い人間ですからね。あなた達二人が『<ハーメルン>の復活』という与太話を鵜呑みにし、リオンさんに助けを求めてくれることが重要だったのです。

 結果として、私の思惑通りに事は進みましたわ。リオンさんはあなた達の話を信用し、ケーキコンテストに出場したのですから。……まぁ、当然ですわよね。あなた達が困り果てていた事は事実だったのですから。そんな貴方達の姿を見れば、どんなに無茶な話でもリオンさんは信じざるを得なかったということですわ」


 ヘンリエッタはそこまで言うと、静かに振り返り、マリエールに顔を向けた。


「そして、見事にリオンさんはコンテストで優勝してくれましたわ。これも当然ですわ。あれほどの腕を持った職人など稀有な存在です。この<アキバ>の街にそんな人が数多く居るはずがありませんもの。

 そして、自信を得たリオンさんを少々後押しして、リオンさんの言う『特別なケーキ』を作り上げてもらい、トウヤ君とミノリちゃんにそれを食べてもらう。そうすれば、リオンさんのなかで<ハーメルン>での出来事に、一つの区切りをつけることが出来るはず、と。それがシロエ様の計画ですわ。

 ふふっ。まったく、あまりにも順調に事が進みすぎて、返って不安になるほどでしたわ」


 ヘンリエッタは口元に皮肉めいた笑みを浮かべ、そう告げたが、


「そうか。梅子、それでシロ坊の計画は終わりなんか?」


 マリエールは優しい笑みを絶やさず、静かにヘンリエッタに尋ねる。


「ええ。これが全てですわ。……マリエ。どうして、笑っているんですの? 私は貴方達を……」

「そうか、やっぱりそうなんやな……」


 困惑するヘンリエッタの問に答えず、マリエールは一人で納得し、


「優しいな、梅子は……」


 そう言って、満面の笑みを浮かべた。


「……何を言っているんですの? 私は、貴方達を……」

「それしか方法がなかったんやろ? リオンさんを助けるためには。梅子が好き好んでそんな方法を取るわけがないやろが。……今回のリオンさんの一件を解決するんがどれほど大変なのかは分かっとるつもりや。これでも、うちも足りん頭で打開策を考え続けていたんやで。結局何も思いつかんかったんやけどな……」


 マリエールもずっと考え続けていた。リオンとヘンリエッタ、そしてアシュリンを助ける方法を。けれど、いくら考えても具体策は何も浮かばなかった。


「それに、梅子はシロ坊を庇っているやろ? 梅子は、うちとアシュリンを利用する方法を、自分がシロ坊に話を持ちかけたと言うとったけど、『腹ぐろ眼鏡』なんて呼ばれとるシロ坊がその方法を考えていなかったとは思えんわ。……まぁ、シロ坊もええ子やから、出来れば使いたくないと思っていたんやろうけどな。……まったく、うちが不甲斐ないばかりに、二人に嫌なことを押し付けてもうたな……」


 マリエールは憂いの表情を浮かべて小さく嘆息したが、再び笑顔をヘンリエッタに向ける。


「…………」

 ヘンリエッタは何も答えない。だがそれは、マリエールの話を肯定するのと同義だった。


「梅子は、リオンさんに『特別なケーキ』を作ってもらって、それをトウヤとミノリに食べてもらうんがシロ坊の計画やと言うたな。だったら、それ以外の行動は、梅子の意思やろ?

 悪い人ぶっても駄目や。うちは、さっき、梅子がリオンさんを説得している姿を見とるんやで。あの必死な梅子の姿を。あれは決して演技なんかやない。それぐらいのことはうちにも分かるで」


「……それは、あの人があまりにも愚かなことをしようとしているのが目に余って……」

 ようやく否定の言葉を口にしたヘンリエッタだったが、マリエールは微笑み、首を横に振る。


「放って置けなかったんやろ? リオンさんが、トウヤとミノリの二人に会うことを避けたままやったら、いつまでもリオンさんは救われない。辛い思いをし続けないといけない。それが我慢ならなかったんやろ?」


 マリエールはヘンリエッタの思いを、素直になれない彼女に変わって代弁する。


「私は、ただ自分のエゴを通したかっただけですわ……。リオンさんの選択も間違いではなかったはずです。それも一つの落とし所だったはずですもの……。

 そして、当初はシロエ様も同じ考えでしたわ。出来ることなら、トウヤ君とミノリちゃんに辛い過去を思い出させたくないと、時間がその傷を癒してくれるのを待ったほうがいいと仰っていましたわ」


 ヘンリエッタは顔を俯け、


「……私は、冷たい人間ですわ。貴方とアシュリンを利用することも否まず、リオンさんの決意を否定して……。そしてトウヤ君とミノリちゃんを傷つける事も厭わず、シロエ様の仲間に対する思いやりも無視して、自分のエゴを通したのですから」


 そう言って口を閉ざした。


「そうか。梅子がシロ坊を説得してくれたんか」

 マリエールは俯いたまま顔をあげようとしないヘンリエッタを、静かに抱きしめる。


「……梅子。本当に冷たい人というんは、無関心なんよ。人がどうしていようと、そのことを気にも留めないもんや。そして、本当に優しい人いうんは、たとえ自分が嫌われても、人のために苦言を呈する事ができる人のことを言うんやよ。……せやからな、梅子は優しいんや。優しすぎるくらいに優しいんよ」


 リオンが過去の傷を癒やすには、彼自身がその過去に向かい合わなければいけない。そこまでに至る方法はわからなくても、マリエールにもその結論は分かっていた。けれど、その事をリオンに言うことはできなかった。


 それは、ヘンリエッタが言っていたように、事の辛さを知らない第三者が、知ったようなことを言うのはあまりにも無責任だと思ったから――だけではない。


 リオンに辛いことを言い、彼が苦しむ姿を見たくないから。そんな事をして彼に恨まれたくなかったから。結局、自分自身が辛いから、恨まれたくないから言わなかった。言えなかった。そんな気持ちも自分の中にあったことをマリエールは理解していた。


 人に優しい言葉を掛けるだけならば容易い。だが、本当に人のことを思いやるのであれば、間違った方向に進もうとしている相手を窘めることも必要だ。しかし、そう頭では分かっていても、それを実行するのは酷く難しい。マリエール自身も不得手な事だ。


「……違いますわ……。私は……」

 でも、ヘンリエッタはそれをやり遂げた。それなのにこの自分に厳しい親友は、自らを悪く見せて糾弾を受けようとする。


「駄目やよ。昨日今日の付き合いやないんやで、うちと梅子の仲は。梅子の気持ちは分かっとる。だからな、梅子。一人でなんもかんも背負わんでええんよ。

 ……それでも、それでも梅子が自分のことを許せないんなら、うちが梅子を許したる。アシュリン達に謝りたいと思っているんやったら、うちが一緒に謝る。だからな、もうそんな風に自分を責めるのは終わりや。終わりにせなあかんよ……」


 ヘンリエッタは少しリオンに似ているとマリエールは思う。あまりにも自分に厳しくて、不器用で、自らの非を許すことができないところが特に。


「…………」

 ただ抱きしめられたまま、ヘンリエッタは何も応えない。マリエールは更に言葉を続けようとしたが、不意に聞こえてきた音にそれを遮られる。そして目の前に、「着信」という文字が現れた。念話での連絡だ。


「あっ、ちょっと待ってや」

 マリエールはヘンリエッタを抱きしめたままそれを受けた。


「……うん。……そうか、わかった。ごめんな。直ぐに向かうわ……」

 短い会話を終了し、マリエールはその内容をヘンリエッタに伝える。


「梅子、直ぐに会場に戻らなあかんで。今、明日架から連絡があったんや。パーティーの主役が戻ってきたそうや。しかも、アシュリンとリオンさんを連れて、一緒に戻ってきたんやて!」


「…………」

 ヘンリエッタは何も言わなかった。だが、小刻みに震える彼女がどんな表情をしているのか、どんな思いでいるのかは明らかだった。


「……ふふっ、やっぱり嘘をついても駄目やで。人のことを想って涙を流せる梅子が、冷たい人のわけないやんか。……よかった、ほんまに。ありがとうな、梅子……」


 自分も堪え切れなくなり、マリエールは涙を流す。そして、懸命に声を上げるのをこらえて泣く親友を優しく抱きしめ続けた。

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