03
お、お待たせしましたっっ
「マルイ様、さきほどのは……?」
「もちろん、本気ですよ?」
「そうなのですか? マルイ様が逃げられた、とあちらこちらで話題になっていますよ」
「あの発言の前に追いかけるべきだったのでは?」
「ご忠告痛み入ります。けれどなにも問題ありませんよ」
続く言葉は扉越しのくぐもった声ではなく、はっきりと通る音として耳に届いた。息をひそめて気配を消していたつもりだったけれど、壁越しにも神官さまにははっきりとわかっていたらしい。
「ほら、サラ様はわたしを待ってくださっていたので。失礼しますね」
待ってなーいと内心、大声で張っ倒したいくらいに突っ込みたい。けれど、ここは多くの権力が集まる王城であり、神官さまと話していた男性らもきっと貴族の坊ちゃんに違いない。こそこそと隠れる様子はすでに良家の子女としてはあるまじき姿。もちろん、わたしは商家の娘であって貴族さまなんてものではないけれど。それでも控えるべきで。
「あぁ、」
「さすがマルイ様というべきか、お邪魔虫は退散するとしましょう」
待って、という言葉を発する前に開かれた扉は無情にも閉められる。唯一の出入り口に神官さま。その表情にぞわりと何かが走る。部屋を見渡し、案内してくれたメイドが説明した紐を引っ張ろうと壁際に歩み寄る。それすらも間違いであることなどわたしにはわからない。とりあえず、逃げたいのだ。
手遅れである、と直感が告げている。外れることがめったにない、直感をこの度ばかりは恨めしい。
「逃げられると追いかけたくなると言ったでしょう?」
手を伸ばして紐を掴んだと思ったのだけど、どんなからくりかわからない。するりと手の中から抜けてしまった。
それどころか、壁と神官さまの両腕の間に挟まれてしまった。
「うーん、そんな趣味はなかったんですけどねぇ。それも悪くないと思うあたり、わたしも一族の血を濃く引いているというべきなのか」
「神官さま、何をおっしゃってるのか」
一人で完結したように話す目の前の神官さま、距離が近いのですけど。抵抗しようと顔に手をやるが、その感触は人の肌ではない。
「触れるけど、触れない……?」
「抵抗されるのも一興、けれど思わぬ一撃をいただきたくありませんからね」
距離があいて、誰もが堕ちてしまうような微笑みを浮かべる。その目から本気であることを悟って思わず身震いする。恐怖、ではない。
「今日はこれくらいにしときましょうか」
逃げ惑ううちにほどけてしまった一房の髪を掬って、ひとこと。
「鬼ごっこも楽しそうですしね」
失礼いたしました、と作法に則った見事な一礼を見せて、神官さまは遠ざかる。
これから始まるであろう、神官さまいわく“鬼ごっこ”の終末を悟ってしまう。神に愛され人ならず力をもつ神官さまと単なる商人の鬼ごっこの結果など見えている。先ほどの貴族の坊ちゃんの意味深な発言とといい、物騒すぎる。
のちに「あれも愛情の一種です、愛を確かめ合うお遊びです」と神官曰く唯一の友に語ったとされることは、だれも知らない。
神官さまが暴走する暴走する。
肩をたたいて宥めても、勝手に突っ走る。
これ以上風呂敷を広げても畳めない。
あとはご想像にお任せしますっっ(逃