その5
「君の記憶を奪ったのは、僕だよ」
その言葉が脳に浸透するまで、数秒かかった。突然何を言い出したんだ、こいつは。頭でも打ったのか?
「言いたかったことは、それだけだから。じゃあね」
今度こそ、去るつもりなのだろう。シュナイゼルの服が、穴から見えなくなる。
「ちょっと、待てよ!どういうことだよ?!」
「うーん・・・、説明してる時間は、ないんだよね。・・・・・そうだ!」
愉しくてしょうがない、という声に警戒心を煽られる。絶対に、ろくでもないことを考えたに違いない。しかし、俺が止める間もなくシュナイゼルは続けた。
「君が無事に出てこれたら、君の記憶を返してあげるよ」
「おい!だから、どういうことだよ!俺の記憶を、返すって・・」
「そのままの意味だよ。・・ああ、もう本当に時間がないね。じゃあ僕はもう行くね」
「ちょっ、おい!!」
穴に向かって怒鳴っても、返事は返ってこなかった。どうやら本当に去ったらしい。
どういうことなのか、よくわからない。いや、わかっているけど、信じられない。人の記憶を奪う、なんて可能なのか?嘘であることも考えられるが、今そんな嘘を言う必要はないし・・・。
『・・・爆発まで、あと1分です。爆発まで、あと1分です・・』
「!!?」
大きな警告音が鳴ったと思ったら、感情のない声が聞こえた。
「爆発って・・。ああっ、もう、わからないことだらけだな!!」
連続して警告音が鳴り、止まる気配がない。
爆発って、本当にするのか!?だから、慌ただしかったのか!?というか、シュナイゼルが言っていたのは、本当のことだったのか!!?
混乱する頭を振って、悪い考えを払う。とにかく、今はこの部屋を出ることが先決、だよな。
一度、ベリアスの様子を窺って、壁に向き直る。穴は空いたんだ。あとは、この穴を広げていけば良いだけだ。
『爆発まで、あと30秒です』
「って、30秒で壊すとか、無理だろ!!」
言いながらも、剣を振り上げる。それ以外に俺ができることは、何もなかった。
今までよりも、何倍も速く打つが穴は少ししか広がらない。警告音が、焦りを加速させる。
『爆発まで、あと20秒です』
あと20秒。必死で剣を打ち下ろす。
穴は、まだまだ小さい。
『爆発まで、あと10秒です。9・・・8・・・7・・・』
「・・っ!くそっ、・・・このぉおおお!!」
秒数が減っていく中、掲げた聖剣に全身の力を集中させ、打ち下ろす。それでも、穴は全然大きくならない。
焦り過ぎて、もう、何も考えられない。
『・・・4・・・3・・・』
「っあああああ!!!」
頭の中が真っ白になった。そして、俺の手に確かな手応えが伝わる。
と同時に、『シュトラウス』が折れた。
目の前の壁が、崩れる。
俺は、真ん中で折れた聖剣を握ったまま、一瞬呆然としてしまった。が、すぐに我に返る。
「・・っベリアス!!」
『2・・・1・・・0』
閃光が瞬いた気がした。
***********
畑の続く田舎道を、一台の馬車が走っている。それは、とある農村に向かう馬車で、乗客は、大きな荷物を持つ少女と、黒色のローブを身に付けた青年の2人だけだった。
半袖のワンピースに、動きやすい七分丈のパンツを履いた少女、エリトリカと、いつもと変わらない、何を考えているのかわからない笑みを浮かべた、シュナイゼルだ。
揺れる馬車に乗って、エリトリカは先ほど出発した街で買った新聞に、目を落とした。その新聞の見出し部分を見る。
『商業国の首都『コミューズ』に大地震。
×月×日、首都『コミューズ』を、大きな地震が襲った。その衝撃で、街の地下にあった下水道や地下道が一部崩壊し、地盤沈下や家屋の倒壊が起こり、重軽傷者が多数でた。しかし、幸運なことに死者はでなかった。
この空前の出来事に対し、商業国総取締役であるオーガナイト・フィゼル・アスフィート氏は、「このような事態になり、国民の皆様は恐怖を感じたことと思います。しかし、死者無し、という報告を受けて安心いたしました。我々は、神に愛されている。そう思いました。」
と語り、「しばらくは、街の復興で様々な面での苦労が、我々を襲うでしょうが、恐れることはありません。我々議会を始め、行政各機関が総力を挙げてこの事態にあたりますので・・・」』
そこまで読んで、溜息を吐いて新聞を畳む。そして、顔を上げて、窓の外に広がる畑を眺めた。
地下での出来事は全て秘され、表向きには「大地震が襲った」ということにされた。その記事は、事件から1カ月経っても紙面を賑わしていた。
しかし、当事者たちにとっては只事ではなかった。エリトリカと父オーガナイトとの間も、ぎくしゃくしたままだった。
「全く、父様は反省しているのかしら・・」
小さく呟いて、再び大きく息を吐き出した。何もすることがなく、ただ窓の外を眺めるだけの時間が続く。
時折溜息を吐いては、畳んだ新聞をちらりと見る。そんな仕草を何度も繰り返す。
「・・・ベリアス・・・、・・・・あ、あと、アリト・・」
呟いて、また溜息を吐く。が、今度はすぐに、何かを振り払うように頭を振った。
「駄目よ。いつまでも、こんな落ち込んでちゃ・・!笑顔笑顔」
「そうだよ、お嬢様。落ち込んだって、起こったことは変わらないからね」
一人で励まし、笑顔の練習をするエリトリカに、シュナイゼルは愉しそうに声をかける。そんなシュナイゼルを、エリトリカは睨みつけた。
「何を言っているの?大体、全部貴方が悪いんでしょ」
「そうだっけ?」
「そうよ!私に自爆スイッチを押すように言ったじゃない!」
「違うよ、僕は指差しただけ。押したのは、君の一存だよ」
「・・・・」
「そんな怖い顔しないでよ。僕だって、多少は悪いかなって思ってるんだよ?だから、こうやって道案内を買って出たんだ」
「・・ふんっ・・」
笑うシュナイゼルから大げさに顔を背けて、外の景色を見る。先ほどから変わらない、畑の群れを見るともなしに眺める。
しばらく沈黙が流れ、馬車が走る音だけがした。
「・・・貴方、本当に知ってるの?」
「もちろん」
「どうして?」
「だって、」
不自然に言葉を切ったシュナイゼルに、目を戻す。エリトリカは、爽やかな、けれど、とても胡散臭い笑顔を浮かべたシュナイゼルに、冷たい視線を寄こす。
「だって・・何?」
「だって、面白いから」
心の底から愉しんでいるシュナイゼルは、明らかにエリトリカの反応を待っていた。それに対して、エリトリカは何の反応も返さず、外を見て小さく溜息を洩らす。
「早く、着かないかしら・・」
窓の外の景色は、ゆっくりと過ぎていた。