その1
ここはどこだ。
湿った石の上から頭上へと目線を移動させる。
木々の隙間から、青い青い、今まで見たこともないくらい青い空が見える。
「・・・・今まで・・・?」
おかしい。『今まで』って、今から前って・・どんなだったっけ?
「思い、出せない・・?」
今はわかる。
俺はどっかの川辺にいる。・・どこの川辺かはわからないが。そして多分周りは森だ。木しか見えないからまず間違いないだろう。
「・・・・・・」
で、それ以外は?
「・・・・・・・・・・」
困った。どうしよう。俺っていったい誰で何してたんだ?
いまいち働かない頭を振ってとりあえず川の水に浸かっていた下半身を陸に引き上げる。
ふむ、大地が体にしっくりくるな。どうやら俺は陸上の生物らしい。・・・・・なんで陸上の生物が水に浸かってたのかよくわからないが。
半身浴してたとか。服着たまま。
「あり得ない」
呟いて立ち上がる。少しふらふらするが問題なさそうだ。でもちょっと頭がずきずきする。ふと『記憶喪失』という単語が頭に浮かびあがってきた。
記憶喪失。きっとそれが今の俺の状態だ。
それじゃあ考えたって俺が何者でなんでこんなとこにいるのかとかわかるわけないな。うん、俺は悪くなかった。それがわかればまだ良いだろう。・・何が良いのかと問われたら答えられないが。
「さて、これからどうしよう」
気分転換に声を出してみる。誰も返事をしてくれないのが無性に寂しかった。しかしそれも仕方がない。周りには誰もいないのだから。
「・・・とりあえず服を乾かさないとな」
独り言を言いつつ腰に手を当てる。
「ん?」
硬いものが腰にぶら下がっている。腰から外して顔の前に持ち上げてみた。
剣だ。鞘ごと外したからどんな刀身なのかわからないがどうやら細身の両刃剣らしい。柄を握ってみると、手にしっくりとよく馴染む感触がする。
ひょっとして俺は剣で身を立てるため必死で修業したとか、騎士になりたくて家を飛び出してきたとか、そういう経歴の持ち主ではないだろうか。よくよく手のひらを見てみるとマメがつぶれて固くなっているし、どうやら熱心に剣の稽古に励んでいたようだ。我がことながら一生懸命な人間には好感が持てる。俺は頑張り屋な剣士志望(仮)だということにしておこう。
さて、ではそんな俺がこんなところに居るのはなんでだ?
・・・・考えてもわからないことは考えないに限る。どうしたってどうしようもないんだから。
足元はまだ多少覚束ないが、ここでこうしていても埒が明かない。とにかく一歩でもいいから歩きだすことが大切だ。そう考えて森の中に踏み込んでいく。
前後左右見渡しても木しか見えない。これは本格的に危ない気がする。やや遅い危機感を抱いた俺は少し焦りだした。焦りすぎて、足元を見ないで進んで木の根に引っかかったり、低い枝に頭をぶつけたり、とにかく散々(さんざん)な目に合った。
そのせいか、彼が声をかけてくるまで俺はその存在に全く気が付いていなかった。
「君、そっちに行くと森の奥に入ってしまうよ。人里に出たいなら逆方向だ」
穏やかな声音でそう言ったのは、優しげな微笑みを浮かべた青年だった。