その2
**********
「じゃあ、今から説明するよ?」
笑みを深めたシュナイゼルが、そう言った。しかし俺の中の、シュナイゼルの信用は今や地に落ちている。言うこと為すこと全てが、胡散臭く見えてくる。絶対に良案は出さないと分かり切っている。
「まず、事を起こすのは明日にするよ。今日は警備の目に隙がないから。それと、逆に明日を逃すと、追手に見つかる可能性が上がるからね。ぶっつけ本番で行くことになるけど・・・覚悟の上だよね?」
まあ、それは俺たちの考えと一致しているから、良い。だが肝心の侵入経路は、どうなっているのか。そこが問題だ。
「で、気になる侵入経路だけど、地下からがベストだと思うんだよね。ほら、主要施設も地下にあるし」
やけに、にこやかな顔でそう提案する。愉しそうに笑っていることが既に気がかりだが、そんなところから侵入っていうのは出来るのか?主要施設が地下、ということは、侵入者対策も地下の方が厳しいと考えるべきだろう。
「あ、そうそう。地下からは地下からだけど、君たちには下水道から這入ってもらうから」
「え・・?」
さらりと言われた言葉を、もう一度頭の中で流す。よく吟味し、間違った受け取り方をしていないか考える。例え間違えようのない言葉でも、何度も確認する。
「・・・この俺に、人間どもの汚物が流れる道を行け、と?他に道ぐらい幾らでもあるだろう」
抑えきれない怒りのオーラが、見えるようだ。だが、今回ばかりは俺もベリアスに賛成だ。下水なんて、好き好んで通りたくもない。
「そこは我慢してもらわないと。確かに此処の地下は、何故だかたくさんの道、所謂地下道があるけど、そこは絶対警備が厳重だよ。それに、相手の考えない経路を通るのが一番成功するって、僕は思うけどな」
一理ある。あるけど、出来れば嫌だ。下水道を歩いたことはないと思うが、想像はできる。きっと凄く臭くて、凄く汚い、嫌なところだろう。
「貴様の言うことは正しいかも知れんが、俺はそんなところを通るぐらいなら正面から行く」
「いや、さすがにそれは・・・」
でも、俺も一瞬そっちの方が良いかな、とか思ってしまった。駄目だ。俺まで暴走したら、こいつを止められる者がいなくなる。・・・止められたことなんてないけど、努力はするべきだ。
「そうだな。下水、良いんじゃ、ないか・・?」
「顔が引き攣っているぞ」
いかんいかん。心情が顔に出てしまった。これでは本当に、ベリアスは正面から特攻をしかねない。というか、確実にする。
「下水道が嫌なら、陽動をしてもらうけど?」
「陽動?」
「そう。ちょっとでも成功率を上げたいからね。本命は下水から、陽動は地下道から、それぞれ行く。陽動は派手に罠に引っかかったり、警備の前に出たりして、向こうの目を引くのさ」
他でばたばたやっている裏で、本命である俺たちが下水から侵入を果たす。そういうことらしい。それなら、下水からの方が安全に侵入できそうだ。気持ちの問題が立ちはだかっているけどな。
「・・・・」
「うーん、それでも嫌だって言うなら、魔王陛下は他に良い作戦があるのかな?」
「・・・・・ない」
むすりとした顔で、答える。さっきの怒りはまだ燻っているようだけど、とりあえずは賛成したようだ。というより、反対できなかった。
「じゃあ、勇者様と魔王陛下が本命、つまり下水組で、僕が陽動、で良いよね?」
「下水組は止めろよ、下水組は」
「待て。陽動にバラシオンも加えろ」
俺がどうでもいい抗議の言葉を出した後、無表情に戻ったベリアスが言った。当のバラシオン本人は、一切口を挟む様子がない。変わらず、ベリアスのそばに控えている。
「別に良いけど、どうして?」
「貴様は信用できない」
「えー、酷いなぁ」
もっともな理由に、大げさに肩を竦めたシュナイゼルが、俺を見る。
「勇者様も、それで良い?」
「え?あ、ああ、良いよ」
「良かった」
満面の笑顔だった。爽やかで、裏なんて一切ないようだ。それが余計に、俺の警戒心を刺激する。「また何か、企んでいるんじゃないのか?」という考えが頭に浮かぶ。しかし、俺がその疑いを口にする前に、シュナイゼルは扉の前へ移動してしまった。
「じゃあ、僕はこれで。バラシオン君、地下道の入り口は東西南北に一つずつあるから、明日は東門に集合しよう。・・・それでは、良い夜を」
綺麗な礼を一つして、出て行ってしまう。何か言う暇さえなかった。仕方なく、正面に座るベリアスに目を移す。ベリアスは、まだシュナイゼルが出て行った扉を見ていた。
「・・・って、下水道の入り口は?」
「調べればすぐわかる」
ぼそりと言った俺の問いに、ベリアスが簡潔に答えた。余りに静かな声に、ちょっと不安になった。怒っているこいつと一緒には、居たくない。特に、静かに怒っているときほど怖いものはないのだ。しかし、俺の危惧とは裏腹に、ベリアスは普通だった。普通に無表情だった。普通すぎて、やっぱり怖い。
「あ・・俺、食事に行こうかなぁ・・」
正直腹は減っている。それ以上に、この部屋に居たくなくて逃げるように外へ出た。宿のお婆さんに、自分とエリィの食事を用意してもらう。
部屋に戻ったらまたあの状態のベリアスと顔を会わせることになるのだろうか。考えただけで、気持ちが沈む。もう沈みようがないほど沈んではいるが。
食事中もずっと考えていた憂鬱は、部屋に帰ってからも続き、結局眠気に負けるまで消えなかった。
***********
「というようなことが、昨日あったんだ」
「・・・そう。つまり、こういうことね」
口元と鼻をハンカチで押さえたエリィが、剣呑な光が宿る瞳をこちらに向ける。
「私たちが、こんな目に合っている原因は、そのシュナイゼル、とかいう者の仕業なのね・・?」
普段よりも低い声が、怒りを表している。分からないでもないが。
俺たちは今、謎の液体が流れる水路の脇を歩いていた。漂う強烈な臭気と、足の下が粘つく割に滑りやすい通路は、予想以上に不快だった。湿気もかなりあり、肌に粘つく感じが一層不快感を煽っている。
「そうだな。でも、行くって決めたのはエリィだろ?」
「それは・・、そうだけど・・・」
朝、ベリアスから下水道を歩くことを聞いたエリィは、一度は拒否したのだ。しかし、最終的に付いてきた。自分で選んだからには、責任を持ってもらいたい。このままでは、俺が怒りの餌食になりそうだし。
「だけど、これほどとは思わなかったのよ。気持ち悪くて仕方ないわ」
「そうだな。・・なぁ、ベリアス?まだ着かないのか?」
同意はするが、それ以上はどうしようもない。一刻も早く、此処から抜け出すしか方法はない。先頭を歩くベリアスに、声をかける。ベリアスは、昨日のうちにバラシオンに調べさせた下水道の地図に目を落としていた。
「まだだ。・・次の角は右だ」
「・・・わかった・・」
俺とエリィの口から溜息が零れた。
ベリアス、エリィ、俺の順で狭い通路を進んでいく。時々、進路を指示するベリアスの声以外に聞こえる声はない。ただ、水音と3人が歩く音ばかりが響いている。
「ねぇ、何か話さない?」
「・・いいけど、何かって何だよ?」
しばらく無言で歩いていたエリィが、唐突にそう言った。沈黙に堪えられなくなったのか、不快感を少しでも紛らわしたいのか、とにかく俺としては賛成だ。このままずっと黙っていたら、気がおかしくなりそうだったのだ。
「じゃあ、自分の好きなものについて話しましょ。まずは私。私は、本を読むのが好きなの。自分じゃ体験できないような冒険は、心が躍るわ。・・・ベリアスは、何か好きなもの、ある?」
「そうだな・・。粋がった相手を完膚なきまでに叩き伏せて、身の程を弁えさせることだな。特に、自分は最強だ、などと言っている輩を跪かせるのが、愉しい」
「前々から思ってたけど、お前、空気を読むの苦手だよな」
苦手というか、読むということをしないというか。全然、盛り上がらないんだけど。むしろ、盛り下がったんだけど。口を開く空気じゃなくなってんですけど!
「え・・、ええっと・・・、あ、貴方は?」
どうにか口を開いたエリィが、俺に話を振った。この空気の中、俺の好きなことなんて言って盛り上がる気がしない。気なんか紛れないと思うぞ。しかし、振られたからには答えなければ。
「そうだなぁ、俺の好きなものは・・・」
「・・?好きなものは?」
「えっと・・」
俺の好きなもの?記憶のない俺の、好きなもの?一体なんだ、それは。待て待て、落ち着け。よく思い出せ。記憶を失ってからの、あれやこれやを。きっと何か良いこととか、気に入った物とか、あるはずだ。
「・・・・・」
駄目だ。今までの酷いことしか出てこないぞ。いや、逆転だ。逆転の発想をするべきだ。嫌なことはあるんだから、その逆の出来事ならきっと嬉しいし、好きになれることもあるはずだ。
えっと、まず記憶喪失、の反対だから・・・「記憶を失わない自分」?・・・駄目だ。いろんな意味で駄目だ。
次は・・・、シュナイゼルとの出会いと、『転移』先が魔王城だったってことか。これは、運が悪かったんだろう。シュナイゼルに出会いさえしなければ、この先の展開は一切なかったことになるんだからな。と、すると・・・「運の良さ」?って、好きなことではないだろ、これ。
後は、ベリアスと出会ったこと、か?ベリアスの暴走に付き合わされたり、ベリアスの我儘に付き合わされたり、ベリアスの・・・、えっと、つまりこれも「運」か?
「ねぇ、どうしたの?」
「えっ?いや・・、何でもないよ」
「そう?」
「ああ、何でもないよ、本当に。えっと、俺の好きなもの、だよな・・・」
「そうよ。深く考えなくても良いのよ?」
「うん、わかってる」
好きなもの、好きなもの・・・。駄目だ。思いつかない。こうなったら仕方ない。適当に無難なものを選んで答えよう。
「俺の好きなものは、シチューだよ」
魔王城での食事はおいしかった。流石城の食事だ、と思ったのが遠い出来事のようだ。
「・・・・」
「どうかした?」
「今、食べ物の話をしてほしくは、なかったわ」
言われて気付いた。この嫌な臭いに囲まれた状態で、食事を思い浮かべると、胸がむかむかしてくる。おいしかったはずの食事が、途端に不味く思えてくるのだ。更には、吐き気までもがこみ上げてくる。
「・・・・ごめん」
小さく謝って、顔を上げるとベリアスが立ち止まっているのが見えた。エリィにぶつかる前に、足を止める。
「どうしたんだ?」
「あれだ。あれが、地下施設と近接する壁だ」
「壁?」
壁に出てどうするというのか。そこまで考えて、閃いた。
俺は、地図を見ていないから知らないが、てっきり、施設と繋がる場所があるんだとばかり思っていたのだ。いや、あるかもしれないが、そこは確実に汚水が垂れ流されている場所、となる。ただでさえ嫌がっていたベリアスが、そんなところからの侵入を選ぶはずがなかった。
ゆっくりと右手を上げるベリアスを見て、予想が的中したことを知った。
「ちょ、ちょっと待て・・!」
目の前のエリィが邪魔で、一歩が踏み出せない。その間に、ベリアスが放った魔法が壁をえぐる。舞い上がる砂塵に、とっさにエリィを腕の中に抱え込み庇う。目をつぶった外で、爆風が通り抜ける。
次に目を開けた時は、壁に見事に穴が開いていた。その向こうは、綺麗に整えられた清潔な通路が見えている。
「此処は・・・」
「ふ、・・さあ、行くぞ」
唖然とする俺たちを置いて、ベリアスが白い通路に足を踏み入れた。