その1
朝。それは、とても清々しかった。・・・これからすることを考えなければ、だが。
隣では、不機嫌そうなベリアスが身なりを整えている。その周りをバラシオンが忙しく飛び回っている。ブラシで彼の服に付いた埃を取っているのだ。しかし、ベリアスはそれを邪険に追い払った。
同じ部屋に居るのに会話をしないのもどうかと思うので、昨日から思っていたことを口に出してみた。
「な、良いのかよ?」
「何がだ」
「・・・シュナイゼルの言う通りにして、大丈夫なのか?ものすごーく、不安なんだが」
「さあな。俺は、あいつとは昨日初めて会った。どういう男なのか、判断する材料がない」
淡々と答えて、口を閉じる。無駄に喋らない分、腹の中で何を考えているのか分からない。バラシオンもベリアスから離れ、部屋の隅に待機していて、話しかけずらい。
誰も何も言わない。
広くもない部屋に3人(正確には2人と1匹だ)が、いるのに静かすぎる。朝の良い空気が台無しだ。これは、居心地が悪い。さっさと退散しよう。
「俺、ちょっとエリィの様子を見てくるよ」
「うん?エリィ?」
ん?何だこの反応。不機嫌だった表情が、不可解なものに変わった。こっちがよほど不可解だぞ。すると、部屋の隅からバラシオンが飛んできて、ベリアスに耳打ちした。
「ああ・・!居たな、そんな奴も」
「忘れてたのか!?」
昨日あれだけ話してたくせに、よく忘れられるな。いや、きっとちょっと寝惚けてただけだろう。うん、そう思っておこう。
「すっかり忘れていた。もう用済みだったからな」
「・・・・お前・・・」
いや、何も言わないでおこう。言っても無駄だし、理解されることもないだろうからな。
「そう、そのエリィだよ。昨日別れてからは、食事を届けたぐらいでまともに会ってなかったから。そろそろ帰してあげないと、可哀想だろ?」
「ふむ、可哀想だという考えは理解できないが、・・・用済みなものをいつまでも連れていても、仕方ないからな。しかし、今行っても無駄だぞ」
「・・何でだよ?」
用済み用済みと連呼されると、さすがに怒ってしまいそうになる。確かに侵入ルートは別に確保できたから、エリィを引きとめる必要はなくなったけど、言い過ぎだと思う。エリィは、今の状況を何一つ望んでいたわけでもないのに・・。まあ、こいつがこう言うのは予想できてたけどな。
「まだ寝ているからだ」
「そんなの、起こせばいいだろ?」
「魔法で眠っているものを起こすのは、容易ではないぞ」
魔法だって?何だってそんなもんが・・。そもそも誰だよ、そんな魔法をかけたのは。
疑問が顔に出ていたのか、ベリアスが言う。
「あの腹の立つ魔法使いだ。この部屋に入ってくる前にかけていた」
「シュナイゼルが?てか、知ってたなら止めろよ」
「何故だ?話している最中に入って来られても、困るだろう?」
「それは・・そうだけど。・・・あれ?ちょっと待て、でもあの後、俺が夕食を持って行った時は起きてたぞ?」
そうだ。確かに起きていた。話し終わって夕食を持っていったら、「遅いわ!!」って思いっきり怒られたのだ。その後も、「パンが固い」だの「スープが生ぬるい」だの、散々文句を言われた。寝惚けている様子もなかったし・・・一体どういうことだ?
「あいつが帰るときに解いて行った」
「??じゃあ、今は普通に寝てるだけなんじゃ・・?」
「その後、なかなか寝なくてうるさかったから、俺が眠らせた」
「結局お前がやったんじゃないか!!」
「最初に眠らせたのは、あいつだ」
俺が聞きたかったのは、今エリィが寝てる原因だ。やっぱりこいつ寝惚けてるんじゃないか?わざとだったら、それはそれで腹が立つが。
「はぁ・・、じゃあ、さっさと起こしてくれよ。朝食も食べなきゃいけないし、すぐ行くんだろ?」
「わざわざ起こさなくても、もうすぐ起きる。それと・・、すぐには出かけない」
「何でだ?」
正直、さっさと行って、さっさと終わらせてほしい。振り回されるのも、いい加減疲れた。ゆっくり休みたい。
だが、ベリアスは俺の問いに答えず、バラシオンに目を向けた。
「バラシオン」
「はっ」
「わかっているな」
「はい、このバラシオン、必ずや陛下の御力になってみせます」
バラシオンは空中で平伏という、敬っているんだかいないんだかわからないポーズをして、窓から飛び立った。まだ朝早いとはいえ、誰が見てるか分からないのに、堂々と空を飛んでいく。
「良いのか?あれ」
「放っておけ」
良いらしい。・・・まあ、良いか。見られたとしても、どうしようもないだろうし。うん、良いことにしよう。
「さて、用済みを追い出さなければな」
「言ってもしょうがないかもしれないかもしれないが、一応言うぞ。・・お前は、もう少し人の気持ちってもんを学べ」
「そんなものを学んだところで、意味などない」
分かってたけどな。どうせ理解されないって。でも、少しずつでも言っていけばいつか、理解されるかもしれない。かもしれない、だけどな。
「どうした?行くぞ」
「・・ああ・・・」
ベリアスを先頭に、隣の部屋へ行く。ベリアスはノックもしないで入っていく。一応しろよ、ノックぐらい。着替え中だったら、どうする気なんだ。・・・・こいつだったら何もしなさそうだな。気にも留めない可能性大だ。
とりあえず、俺だけでも声をかけてから入るべきだろう。
「お、お邪魔しまーす」
と、言って入るが、エリィはまだ夢の中だった。枕元に立った黒衣のベリアスが、死神みたいに見える。明るい朝に似つかわしくない光景だ。
そんなことを考えつつ、ベリアスの横に立つ。エリィの可愛い寝顔が覗いている。
「うん・・・」
エリィが小さく呻いた。そろそろ起きそうだ。起きて早々こんな死神みたいな男見せるのは、心臓に悪いだろう。ちょっとどかすか。
「おい、もう少し下がれ・・」
「さっさと起きろ」
俺が言うのと同時に、ベリアスが寝ているエリィの頭を無造作に叩いた。良い音がした。じゃなくって!
「何やってんだよ!?」
「起こしている」
「いやいやいやっ!起してるって言わないから、それ!どう見ても虐待しているようにしか見えないから!」
「邪魔をするな」
「邪魔じゃねぇよ!当然のことだから!!」
再び振り上げられた腕を掴んで、怒鳴る。非常識とかってレベルじゃないぞ。本当に何を考えているんだ、こいつは。
「う、・・痛い・・・、ん・・?」
頭を押さえてエリィが起きた。枕元で争う俺たちを見て、驚いたように目を見開く。次いで、慌てたように距離を取った。
「な、な、・・何で、此処に・・。な、何をしちぇいるのっ!?」
錯乱して、舌を噛んでいる。顔を真っ赤にして、俺たちを睨むエリィ。どうしたものか。俺たちの・・、違った、俺の無実を証明しなくては。
「いつまで寝ている。もう朝だ」
よし、こいつは、弁明とかそういうことはしないと思っていた。後は、俺が何もしていないということを証言するだけで良い。
「あ、そ、そんなこと分かっているわ・・!そうではなくて・・」
「そうじゃない?じゃあ、何がそんなに気に食わないのだ」
「そ、それは・・・。・・見たの?」
「何を」
「・・・・・・寝顔」
顔どころか耳まで真っ赤だ。恥ずかしいのだろう。答える声も震えている。ちょっと可愛いかも・・。
「見た。それがどうした」
「うう・・」
「え、えっと、その・・、気にしないで」
恥ずかしさのあまり蹲ってしまったエリィに、声をかける。完全に気休めだが、言わないよりは良いだろう。
「・・頭が痛いのは?」
「叩いたからだな、」
ばっと、エリィが顔を上げた。「ベリアスが」と続けようとしていた俺を睨んでいる。・・・ああ、なんとなく先の展開が読めたぞ。
「叩いた・・?」
「え、うん。こい・・」
「最低だわ!」
「いや、叩いたのは俺じゃなくて、」
「最低男!近寄らないで!」
素早く立ち上がったエリィは、俺と距離を開けた。俺が一歩近づくと、更に距離を開けようと逃げる。およそ予想通りと言って良い展開だった。それでも俺は、諦めずに説得することにした。
「なあ、話を聞いてくれ。誤解なんだよ」
「父様が言っていたわ。変態は「話を聞いてくれ」とか「誤解なんだ」とか言って、油断したところを襲うんだって。私は騙されないわ!」
オーガナイトに初めて殺意が湧いた。しかもさっきまで「最低男」だったのに、いつの間にか「変態」に格下げされている。
何だ?近づいたのが駄目だったのか?それとも声のかけ方を間違えたのか?何にしても、早く誤解を解かないと俺は不名誉な称号を付けられてしまう。それは嫌だ。例え、もう二度と会うことがないだろう人相手でも、それは嫌だ。
「分かった。近寄らないから、指一本触れないから、話を聞いてくれ。叩いたのは、こいつだ。俺じゃない」
「嘘ね」
即答だった。疑問すらなく、嘘だと断じられてしまった。何だ、このベリアスに対する絶対の信頼は。おかしくないか?こいつの何処に、そんな信頼を得られるところがあるって言うんだ。
「そんなことより、そろそろ出るぞ」
「え?出るって?」
「国会議事堂へ行くのね。私もすぐに準備するわ」
いきなりな発言に戸惑う俺を置いて、エリィが察し良く頷く。というか、全然誤解が解けていないんだが・・?そんな俺の心中を察してくれる奴など、当然いない。勝手に話は進んでいく。
「いや、お前はもう用済みだ。何処へでも好きな所へ行け」
「えっ・・?」
せめて、もう少しソフトな表現を心がけて欲しい。まさか本人に「用済み」という言葉を使うとは、思っていなかった俺も悪いのだが。
「用、済みって・・。どういうこと?」
「お前の存在価値がなくなったということだ。俺たちは別の方法で奴に会う」
「ベリアス!言葉に気をつけろよ!」
顔が青ざめていくエリィが居たたまれなくて、つい口を挟んでしまった。しかし、ベリアスは迷惑そうに眉を顰めるだけ、エリィに至ってはこっちを見てもいなかった。
「待って・・。待って!わ、私も一緒に行きたい。貴方たちは国会議事堂へ行くのでしょう?だったら、私も・・・」
「足手まといは一人で十分だ」
足手まとい?ひょっとして、俺のことか?今のはさすがに凹みそうだ。
俺が黙っている間も、エリィは必死で「一緒に連れて行って」と言い募る。それに合わせてベリアスの不機嫌度合いが増していく。
「五月蠅い奴だな・・・」
「や、役立たずじゃなかったら、連れて行ってくれる・・?」
「・・・そうだな。役に立つなら、連れて行ってやっても良い」
「私、私、父様の秘密の部屋に入る方法を知ってるわ・・!」
秘密の部屋?何だそれは。
聞いたことのない話に首を捻る俺と違い、ベリアスは明らかに態度が変わった。口角が上がり、獲物を捕えた狩人のような表情をしている。何だこの顔。今まで見たことがないくらい邪悪そうだぞ。
「そうか。・・なら、連れて行ってやる」
「ほ、本当!?」
「ああ、俺はどこぞの魔法使いと違って、嘘は吐かない」
嘘は吐かないし、本音は隠さないよな。しかし、何だか不安が一気に増したんだが・・・。エリィを連れて行って大丈夫なのか?それに、秘密の部屋って何なんだ?エリィは何でこんなに一緒に来たがっているのかも、分からない。どうも、ベリアスは見当がついているようだから、後で聞いてみよう。
「では、準備をして下に集合しろ」
「分かったわ」
「あ、ああ・・」
俺の疑問は何一つ解決しないまま、部屋を移る。
「何か、言いたいことがある顔をしているな」
「ん、ああ・・。どっから訊けばいいのか、分からないくらいたくさんあるぞ」
「手短に言え」
「えっと、じゃあ・・・、秘密の部屋って何だ?」
「隠されていて、他の人間には中身が分からない部屋だ」
「いや、そうでなくて・・・」
「次」
こいつ本当に、俺の問いに答えるつもりがあるのか?しかし、長々と聞いている時間はないのも確かだ。仕方ない、次の疑問に移ろう。
「本当にエリィを連れていくのか?」
「そうだ。次」
「・・・何で、エリィはあんなに、一緒に行きたがっていたんだ?」
「俺が魔王だからだ。次」
「・・・・」
俺の疑問は一つも氷解していないのは、気のせいか?手短って、手短過ぎて全然分からないし。わざとか?
「何で、お前が魔王だったら、エリィは付いて来ることになるんだよ?」
「あいつは、魔王に対して何らかの感情を抱いているからだ」
「はあ?何でそんなこと、わかるんだよ?」
「本だ」
「本?」
一体何を言いたいのか、伝わらない。段々、イライラしてきた。
俺が、我慢の限界に近いと思ったのか、ベリアスは一度俺を見てから溜息を吐いた。「やれやれ」とでも言いたそうな感じで。
「あいつと初めて会ったとき、変な格好をしていただろう?」
「ああ、あの、両手を挙げた、あれだろ?」
「そうだ。あれは、テーブルに広げられていた、本に描かれた魔王の姿と同じだった。それに、そのページには開き癖が付いていた。何度もあのページを開いて、見ていたのだろう」
テーブルの上にそんなものがあったのか。全然気がつかなかった。まあ、それどころじゃなかったんだが。それにしても、あのポーズのことが、こんなところで分かるとは。
いや、よく考えてみればベリアスの論は少し強引じゃないか?あのとき偶々(偶々あのポーズをするっていうのも変な話だけど)、そうしていただけっていうのも有り得るんじゃないか?何を根拠に、エリィは魔王に思い入れがあるって考えに至ったんだ。
「でも、それだけで、魔王に思い入れがあるって言うのは、無理があるだろ」
「そうだな。だから、此処に着いた時に、俺が魔王であると明かしたのだ。普通の人間なら、笑い飛ばすか敬遠するかのどちらかだ。信じて、尚、共に在ろうとするのは、魔王に対して何らかの感情を持つ証拠だろう」
それは、そうかもしれない。少なくとも、人間は魔王に対して良い感情を持っていない。思い返してみれば、エリィの言動は一般的とは言えないものだった。どちらかと言えば、好意的な言動だ。むしろ勇者である俺の方ばかり、悪役にしたがっていたようにさえ思う。
「理解したか?だったら、行くぞ」
「・・ああ」
黒衣を翻して出ていく背中につられて、部屋を出る。
って、結局、俺の疑問のほとんどに、答えが出てないぞ。しかし訊こうにも、ベリアスは既にエリィと合流してしまっていた。また、疑問を棚上げしなくてはいけなくなった。溜息が洩れる。
「遅いぞ。急げ」
「そうよ、待たせないでよ」
「はいはい、今行くって」
呼ばれるまま宿の外へ出る。朝の柔らかな光が、妙に嬉しかった。一瞬、疑問も何もかもを放り出したくなるような、優しい日差しの中、先を歩く2人が目に入る。
「で、どうやって行くの?」
エリィの疑問にベリアスが、意味深な笑みを返すのが見えた。急に気分が悪くなる。これから『あそこ』を歩かなきゃいけなくなるなんて・・・。気が重い。
質問の答えを聞いたエリィの悲鳴が、俺にまで届いた。