その4
魔王との訓練を開始して1時間弱。俺は早くも限界を迎えていた。
というか、訓練ってレベルじゃないぞ、これ。確実に殺しにきている。
「どうした?早くかかってこい」
そう言うベリアスは、ずっと動いていたというのに汗一つ掻いていない。対する俺は、汗でシャツが張り付き、息も上がっている。その上、打ちのめされた体が鈍い痛みを放っていた。満身創痍、と言ってもいい。
「ち、ちょっと、休憩っ・・・!休憩に、しよう・・」
言っている間に、立っていられなくなった。倒れるように地面に座り込む。そうしたらもう、立ち上がれない。そのまま足を投げ出して、寝転がった。
「・・おい」
ベリアスの、険を含んだ声が聞こえたが・・・無視した。返事をしたくなかった。小言が返ってくることが、分かりきっていたからだ。
そもそも、今までずっと剣を振り回してたんだ。少しくらい休んでもいいじゃないか。俺は勇者だが、超人じゃない。魔族のベリアスとは、体の構造が違うのだ。
とか、心の内で言い訳をして、地面に両手を広げる。所謂大の字だ。そんな、立ち上がる意思を少しも見せない俺に呆れたのか、ベリアスの気配が遠ざかる。
良かった。これでしばらくは休憩できる。
安心して、目の前に広がる青い空を眺めた。目の覚めるような青空を、白い雲がゆっくりと流れていく。日差しも穏やかだ。自分の現状を忘れたくなるほどに。
ふと、顔を動かす。ベリアスがどこに行ったのか、気になったのだ。首を右に傾けたら、見つけた。少し離れた場所に設置されていた四阿屋にいる。どうやら、完全に俺の説得を諦めているようだ。どこから出したのか、重厚な装丁の本を読んでいる。
また空に視線を戻す。が、すぐに起き上がり、体をほぐした。そして、ベリアスのいる四阿屋へ向かう。しかし、俺が正面に座っても目すら向けなかった。しばらくベリアスの持つ、黒い本の表紙を眺めていたが、勇気を出して声をかけてみた。
「なぁ」
「・・休憩はもういいのか?」
次の言葉を言う前に、質問が返ってきた。顔すら上げずに訊いてきているぐらいだから、俺がまだやる気じゃないことをわかった上で、なのだろう。俺はその質問に答えず、ずっと疑問に思っていたことを訊くことにした。
「お前、本当に魔王、なんだよな?」
「そうだが・・・、何故、今更そんなことを確認している?」
ようやく本から上げられたその瞳に、剣呑な光が宿っているのを認める。静かな怒気に晒されて、無意識に喉が鳴った。手のひらに汗が滲む。
正体を疑ったことが気に入らなかったのか、それとも、読書の邪魔をしたことを怒っているのか。あるいはその両方か。しかしそんなことは、今は関係ない。気になることを先に片付けたい。そう思い、口を開く。
「だってお前、魔王のくせに俺と・・勇者と馴れ合っているじゃないか。しかも、いつか戦う相手を鍛えているし・・。お前が魔王だって言うなら、何を考えてそんなことをしているのか。俺は、それが知りたいんだ」
「ふん、くだらん。俺は馴れ合っているつもりなど、毛頭ない。それにな、アリト。俺が貴様を鍛える理由は、既に説明したはずだ。
・・・・全ては、この俺が、完璧な勇者となった貴様を倒すためだ・・とな」
「それが、よくわからないんだけど・・。「完璧な勇者」ってことは・・、今の俺は、まだ勇者じゃないって言いたいのか?」
「そうではない。だが、俺が望んでいた勇者とは違う、ということだ」
そんなこと言われても・・、という心境だった。俺が望み通りじゃないなら、ベリアスも俺の想像とは違った魔王だと言わざる負えない。そもそも、自分が思うような出来事や人物など、そう滅多にあるものじゃない。理想通りにいかないのが現実だ、とも言える。いくら記憶を失った俺であっても、それぐらいはわかる。なので、少し厭味ったらしくコメントを返してやった。
「悪かったなぁ、理想通りの完璧な勇者じゃなくて」
「全くだ。しかし、その点については既に解決策を講じていることだし、許してやろう」
「は?解決策?」
言い方が上から目線なのも気になるが・・・。なんだか嫌な予感がする。こいつがこんな満足そうな顔をしているときは、大概俺にとって良くない内容だ。二日と一緒にいないが、自信を持って言える。
身構えて、ベリアスの次の言葉を待つ。
「今の勇者が完璧でないなら、これから完璧にすればいい・・ということだ」
ほら、やっぱり。というか、何でそこまで「完璧な勇者」とやらに拘っているんだ、こいつ?さっきから、全然目的が見えてこない。ストレートに言えばいいものを、いちいち面倒くさい言い方しやがって・・。はぐらかされてんのか?でもここまで聞いたんだから、訊くだけ訊いてみるか。
「それで?何でそこまでして俺を完璧にしたいんだ?俺を鍛えて、何がしたいんだよ」
「そんなことは決まっている。完璧な勇者を倒し、この世界を俺のものとするためだ」
うん?よくわからん答えが返ってきたぞ・・?つまり・・・どういうことだ?
しばし頭を悩ませる。
・・・・・・・・・・・。
うん、わからない。
「えーっと、ごめん。まだ、よくわからないんだけど・・?」
「頭の悪い奴だな。ふむ・・、戦闘訓練だけでは不十分かもしれんな」
「いや、違う。わからないのは、多分俺のせいじゃないと思うぞ。それと、さり気に俺を頭悪い認定するな」
俺は記憶喪失なだけで、知能自体は悪くない!・・はずだ、多分。
「これでわからないのは、頭が悪いからに決まっているだろう?」
「だ、か、ら、普通それじゃわからないだろ!もっとこう・・、あるだろ?!誰にでも伝わる言い方ってもんが!」
「ふん・・。面倒くさい奴だな。・・・まあ、いい。
いいか?よく聞け。まず、お前は、世界とはどういうものだと思う?」
「・・・は?世界?それに、何の関係があるんだよ」
「いいから答えろ」
鋭い視線で、質問を押さえられた。仕方ない。とにかく今は、こいつの質問に答えることにしよう。
でも、世界って・・。漠然とした質問だな。どういうものって、そんなのわかるわけがない。考えたらわかるってものでもないだろうし、思いついたことをそのまま言うことにしよう。
「ん~・・、俺たちが住んでいるところ?」
「頭の悪い回答だな。
・・・・俺は、王が持つに相応しいものだと思っている」
「王が持つに相応しい・・?ああ、だからお前は、世界を手に入れようとして、宣戦布告した、と」
「そうだ。正確には、主だった国に無条件降伏を勧告したのだ。もっとも、それは即座に拒否されたがな」
「そりゃ、そんなの通るわけないだろ。で?じゃあ攻め込む、とかはしてないんだよな?」
もし、そんなことをしていたら、俺たちはこんなところで悠長に話なんて出来ていないはずだ。
「ああ、その通りだ。
俺が欲しいのは、今ある豊穣の大地であって、戦争によって焼かれた土地ではない。そこで、人間の間に伝わる伝承を利用することにした」
「伝承?」
「そうだ。それは、聖剣に選ばれし『勇者』が、世界に害悪を撒き散らす『魔王』を倒す・・というものだ」
やっと、俺に関係がありそうな話になったな。どこにでもありそうな伝承ではあるけど・・・。まあ、伝承なんてそんなもんか。
「後は簡単だ。俺たち魔族と人間が戦えば、どちらも相当の損害を負うのは自明の理。ならば、リスクの少ない方法を提供すれば、国を預かる者たちは飛びついてくる」
「ふ~ん。それで、伝承通り、聖剣に選ばれた『勇者』である俺を、『魔王』であるお前にぶつけさせるって構図が出来たわけか。
・・・・ちょっと待て。それじゃ、俺を倒した時点でお前の勝ちは決定じゃないか。何で訓練とかしてんだよ?」
話が見えてきた、と思ったら、結局最初の疑問に戻ってきただけだった。今までの話は、一体何だったんだ。
「だから、『勇者』とは世界の命運を背負っている者であり、この俺と・・いいか?この俺と、世界を巡って戦う相手だ。当然、世界で最も強く、最も知恵ある者であるべきなのだ。そして、そんな完璧な『勇者』を倒したその時こそ、この俺は真の意味で、世界を支配した『魔王』となれるのだ!」
力強く断言された。一瞬、冗談なのかと思ったが、この様子を見るに、本気でそう思っているのだろう。なんだか、どっと疲れが出てきた気がする。いや、一応確認するべきだ。俺の解釈が間違っている可能性も、まだ残されているはずだ。
「・・あ~、つまり、その、・・・お前は、真の『魔王』になるために、俺を、完璧になった俺を、倒したい、と?そのために、前段階として、俺を鍛えていると。そういうことか?」
「そうだ。それ以外に理由などあるわけがないだろう?」
「・・・・・はぁ・・・」
思わずため息が出た。なんともコメントしようがない話だな。いや、思うところは多々あるが、言ったところでどうしようもない、というのが正しいか。
目の前の男を見る。自分の思想のために、絶好のチャンスをふいにしたアホは、手にした本を読み耽っていた。世界の覇権云々など、まるで関係ないかのように。
こんなんでいいのか?本来なら、もっと緊迫しているものじゃないのか?そう思うが、今の俺がこいつに手も足も出ないのは事実だ。それに、記憶がないからか、いまいちピンとこない話でもある。
記憶を失う前の俺は、このことを知っていたのだろうか?この、目の前のアホな思想を持った魔王と、世界の覇権を争うことを了承していたのか。でも、記憶を失ったとはいえ、俺は俺だ。今の俺が、この壮大なアホ話を聞いて、脱力したぐらいだから、多分、元の俺は詳しいことは何も知らなかったのだろう。そう思うと、我がことながら哀れに思わなくもない。
「うん?どうかしたのか?」
つらつらと、愚痴めいたことを考えていたら、ベリアスが俺を見ていた。気付かぬうちに、本もしまわれ、今は手ぶらだ。
「え?いや・・」
「そうか。ならば、そろそろ訓練を再開するぞ」
立ち上がったベリアスは、いつの間にか剣を握っていた。こいつが、こんなにやる気な理由がわかってしまったからか、俺の方のやる気は昨夜より無くなっている。だが、断るのは難しそうだ。選択の余地もなく、俺ものろのろと立ち上がる。
と、そこへ、白い塊がすごい速度で飛んできた。ベリアスの前で急停止したそれは、バラシオンだった。
「陛下!大変ですじゃ!!」
「何だ?」
出鼻をくじかれたベリアスは、不機嫌を隠そうともしない。俺としては、訓練と称した虐めが始まらないなら何でもいいが。
「今、人間どもの偵察に出ていた者が、大変な情報を持って帰ってきました!」
「さっさと内容を言え」
「は、はい。それが・・我こそは『世界の覇者』であると、名乗る者が現れたそうです・・!」
「!?」
「・・・・そうか」
さすがに予想していなかった内容で、驚いた。一方、ベリアスは、と言うと・・・意外に冷静だった。むしろそっちの方により驚いた俺は、考えるより先にベリアスの顔を覗き込んでしまった。すぐに後悔した。
ベリアスは、笑っていた。しかし、俺をからかう時とは違い、その目は全然笑っていなかった。それどころか、冷たさが何倍にもなって、それだけで人を殺せそうだった。
「お、おい・・、大丈夫なのかよ・・・?」
「大丈夫?何がだ?問題など、何処にもないだろう?」
「そ、そうか・・」
だから、顔が、てか目が怖いんですけど・・・。でも、とてもそんなことを言える雰囲気じゃなかった。震える俺とバラシオンを尻目に、ベリアスは城に向かって歩き出した。
「おい、何処に行くんだよ?」
「決まっている。『世界の覇者』などと世迷言をほざいている輩を殺しに、だ」
そこで、実は密かに激怒していたらしい魔王が、こちらを振り返った。その顔は表情がなく、出会ったときから変わらない、冷たい目が俺を映していた。
「アリト、お前も一緒に来い。実地訓練だ」
「嫌だ」とはっきり言える度胸が、俺にはなかった。