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竜の世界にとりっぷ!

竜の世界にとりっぷ! 8

作者: こころ 

こちらは、「動物の世界にとりっぷ!」作品たちと同じ世界観のもとで、書かれています。詳しくは、まとめサイトさま(http://www22.atwiki.jp/animaltrip/pages/1.html)へどうぞ。


 *蛇の描写について嫌悪を抱かれる方は見ないほうがよいかもしれません。

 *また新しい竜族限定設定ならびに(捏造)郵便設定などが生じています。ご了承ください。 

 *「兎の世界にとりっぷ!」よりキャラがいらしています。作者である汐井さまには了解のうえで投稿しております。

 *知らない間に1万文字超えちゃってるんですが、それでもよろしければご賞味ください。



 以上に了解された方から、スクロールどうぞ!


 拝啓 我が愛する師よ



 お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか?

 私は相も変わらずです。

 今日もお仕事、明日もお仕事、竜族の長であるバランさまの逃走衝動はおよそ一日に平均5回はあるのでお仕事の手は休められません。最高回数はいつだかの12回でした。どちらにしても、一日3回はある郵便物の到着回数に合わせて逃走未遂がおこりますので、いっそのことバランさまの机のまえに夫人であるイオさまとミランダさまの絵姿を張りだそうかとさえ思います。ああ、ですがそれだと別の意味で仕事にならなくなる可能性がありますか。リアル絵姿女房(執務放棄)はごめんです。

 一年前、私がこの《動物が人へと転化する世界》へと落ちてきたときに私を庇護してくださった竜族のリアディからは今でも手紙が贈られてきます。変わらぬ緑の文は私の文箱のなかに重ねられるばかり。いくら返事を求める赤の文や青の文ではないといえども捨てることはできませんもの。

 封を開ける勇気もないために文箱の中身は嵩張ってとても厄介です。

 師よ、――私の祖父にして22年間の武道の師であった貴方に言われたことは正しかったと、私はひどく痛感するばかりです。

 私は、いつでも―― 。








 帰りたいの。







                                敬具

 


 心だけが焦る異世界にて                貴方の唯一の家族である 佳永かなより














 糸が一つだけある。―――それは歩んできた道であり、それは今の自分にとっての彼我の境界線であり、先を進むための意思でもあった。


 振り返った道には、もはや戻れぬ過去にあった出来事が軛のように埋め込まれている。



 いくつも残されたままのその軛を見つめて思う。




 始まりのそれは、いつ埋め込まれたのだろうかと。













         ◆◇



「―――そういえば、逃げられたそうですね?」

 予測通りとはいえど。


「……ルイ殿」  

 たしなめる声でメイムがそれに反応した。

 がやがやと騒がしい商館の一室では、今終えたばかりの商人の集いに出席していたものたちが退室しようとする時分だった。

「なかなか優秀な人材だと思っておりましたので、できることなら兎の群れの方へ逃げてきてくださると助かるのですがね。商売ビジネスの部下は優秀なほうが助かりますし。―――― 代わりに、庇護でも養護でも、…なんなら二人目の嫁にでもしてさしあげてもよろし…」

「 黙れ 」

 ふざけたことを言ってきた兎族の商人であるルイの言葉を遮った。

「あれは俺のものだ」

 独占欲だと言えば云え。

 本人の前で同じことを言うともう一度鉄槌を下されそうで言えないが、それでも他のものに奪われるなど言葉の上での遊びだとしても許せるはずもなかった。

【………(本人の前で言えばいいものを)】 

 メイムが若干呆れた気配を滲ませていたが、今はそんなことは後回しだ。

 ぴりぴりと苛立ちと威嚇を込めてルイを睨みつけた。

「――――― もちろん、冗句ですよ」

 部下にならしたい気もありますが、私の嫁候補は一人で間にあっていますので。

 皮肉気にルイは肩を透かして見せた。軽く上げられた口角が苛つかせる。

「…ルイ。おまえの人を試すような態度を気に喰わないというつもりはないが。――― 竜の尾を踏むような愚か者だったとは俺は思ってはいなかったんだがな」

 それとも、宗旨替えでもしたのか?

 挑発には挑発で返してやる。

 普段の状態であれば、他者に何を言われようとも己のしたいことを貫くためならどうでもいいと流したことだろう。

 だが、佳永アレのことだけは譲る気はない。

「……なにを言われようと、おちうど一人留めることさえできぬ男に何を遠慮することがありますか? ―――正直いうのであれば、いまの現状は実に面白い」

 己が道をゆくことを常によしとする傲慢な竜が打ちひしがれたさまをみるのは、実に楽しいものです。

「ルイ…っ!!!」

 ぎりりと握りしめる手の奥で、竜の爪が伸びようとしているのを感じる。

 怒りが、本態である竜の姿への転化を促しているのだ。

「私は言った筈です。そちらの貴方の忠実なメイムどのにね。―――彼女たちを甘く見ない方がいい、と」

 落人たちは常に故郷への思いを抱えている。――帰る方法も判らずとも逃げ出そうとするくらいには。

 草食の獣であるはずの兎族のルイは、無表情にそう言いのけた。

 その精神の頑強なことは認めよう。

 草食肉食の別をよしとせず、その巨大な姿形をもってして恐れられる竜族へと本気で喧嘩を売ったのだから。

 生き難ささえも含むだろう、その精神の強さには心から敬意を払うことは出来るだろう。

 だが、それはもしも自分が冷静な時であったならだ。

 己が何よりも愛しいと思った存在を奪われた今でさえなかったなら、その発言の奥にある真意を読みとることもできたかもしれない。

 けれど、そのときのリアディには。


「―――黙れ! おまえなどに言われなくても俺だって知っていた!! あれの願いを、あれの悲しみを、あれの思いを!! ――――【触れるな】と俺に願い続けていたカナの願いなぞずっと前から知っていたさ!!!!」


 冷静さなどあるはずもなかった。





 触れる。

 ふれる。――――知覚する。


【おはようございます、ご主人さま】(また夢のような日が始まる)


 見上げれば、その顔は笑顔だった。


【今日のお仕事です。―――かかった時間はおよそ4時間。以前に比べれば手慣れてきたのでしょう。お客さまも初見の方ではありませんでしたし、前回の資料もよい参照になったと思います】

(竜のうろこにもカビが生えるとは。さすがファンタジー、なんでもありですね)

 

【…聴勁の利用法ですか? そうですねえ。―――…小鳥を一羽、用意してもらえますか?】

(目でもなく鼻でもなく、膚で知覚するのだとおじいさまが言ったのはいつのことだったろうか? まだおばあさまが元気なころだった気がする。―――どうしているのだろうか、あの人はいま)



 知覚する。

 認識する。――――― 帰りたいと願うその思いを。




「全ての言葉の奥に、異世界が潜んでいた。そこに住むものたちに繋がっていた――― 俺のいない、カナだけの世界に繋がる想いを知らされた」


 ぎしりと掴んだ拳を乗せていた机が軋んだ音がした。

 目の前が真の暗闇に繋がっている気がした。




 先ほどまでの部屋の喧騒はすでに消失していた。

 聴こえてくる気配の数は、3つ。

 己と。

 メイムと。

 ――――兎族のルイ。




「喪いたくなくて、手に入れようとした。―――弱ったあれを捕まえて捕食して、―――印を刻みこみたかった。俺だけの所有印をつけて、安心したかった」


 だけど、ソレは失敗した。

【―――恋人扱いはしないでくださいね】

 当然のように云い放たれた。

 あとはそのまま、なし崩しだ。

 チェイサの戯れはいつのまにか、リアディにとっての名付け親と呼ぶべき【導きの手】でもあるファンリーへまで、落人かなの存在を伝えるまでに至っていた。

 一度開けて顔をしかめた城からの召喚状には、落人をつれてこいという最悪の文章が連なられていて、返事を曖昧にしておいても何度も何度も同じ文面が送りつけられてきた。

 こうなったら一度腰を据えて話をまとめるべきかと思って邸へと帰れば、今度は龍の小娘がいともたやすく己のためらいから告げずにいたヨウコとエンの存在までもを彼女に教えていた。

 ヨウコ――――先の世に大蛇のエンさまのもとへと落ちてきた人の存在。

 故郷である異世界へ帰れなかった、落人の存在を彼女に伝えることはよいことなのかわるいことなのか、その判別はつかなかった。

 帰りたいと願う彼女に、帰らなかった人の存在を伝えることの残酷さ。

 離別の苦しみを背負う日が来るというのなら、せめて少しでも遠い日であればいいと思っていた。

【―――その落人の方は、元の世界へ帰ることは出来ましたか?】

 震える口唇はそれでも訊きたいと思う真実を望んだ。

 望まれたならば答えるのが商人の誠実さだ。

【いいや。―――彼女は亡くなる日までこの世界で生きておられたよ】

 告げれば、彼女の心は叫んだ。


 ――――― 帰らせてください、故郷へ、と。













「……だから?」

 だから、なんだというのですか?

 呆れた表情で、そう告げたのは兎族のルイ。

「思っていた以上に愚かですね、竜族のリアディ」

 正直、見誤っていました。

 心からの蔑みを感じさせるような声で、奴は続けた。

「もちろん、言葉の奥にひそむ感情を読みとることは我ら上位種にはよくあること。けれど、だからどうだというのですか。――― 貴方が知っていると傲慢に述べる彼女の願いはどこかで言葉に変わりましたか?」

 彼女自身の言葉で、その望郷の想いとやらは告げられたのかと聞いているのです。

 ルイの言葉に、過去を振り返る。

「いいや…。――聞いたことはない」

 カナはその言葉を発したことはなかった。

 常に仕事の雇い主であるリアディを立て、仲間たちを気遣い、ときおりちいさきものたちと遊んで生活しているだけのように見えた。

 この世界にあることに適応したように見えた。

「愚かな。―――― ご存じか、愚かな竜族のリアディ。人は心を停められぬ。ふいに生まれ訪れて変化する情動の動きを治めることは出来ない。常に思いは巡る。―――それは決して誰にも制限されることはなく、制限されてもいけない、唯一のもの」

 それが精神の自由。

 怒りにも等しい感情を向けてルイは続けた。

「全ての言葉の奥に、異世界の、己の知らぬ相手の世界が広がっていた? あたりまえでしょう、それが彼女の世界だ。―――――彼女を育んだ世界そのものなのだから」

 それらを否定することは、彼女自身の過去を、魂を否定することにもつながるでしょう。

「言葉にならぬ思いや感情が感じられたからと言って、それが相手の選んだ意思と等しいだなどと何処のバカが思うというのですか。ましてや商人が。―――駆け引きという言葉の武器を扱うものが、欲する結果を得るためだけに心にもない言葉さえも発する我らが、そんな真正直さで生きていけるはずなどないでしょうに」

 おまえはバカだと告げられたことがわかった。

「貴方は商人でしょう? 聖も悪もない。ただあるのは、生と精のみ。―――生きるための精進を、量り、示唆し、売る。それが商売というものです。意思ある言葉は力になる」

 逆にいうのであれば、力のない言葉には意思はないのですよ。

 兎族の商人はそう告げた。

「もう一度確認しましょう。愚かな竜族のリアディ。―――貴方は、彼女の意思を確認したのですか?」


 意思。――――指向性をもつ、人の心。未来へと向かう覚悟。


 カナのその言葉いしを、―――選ぼうとしている未来を、俺は確認しようとしたことがあっただろうか。



 否定しか浮かばぬ内省の言葉は、ルイの問いに値する答えを持たなかった。



「貴方がしてきたことはただの一人遊びだ。――― 相手の心を透かし見て、己の心を守ろうとしてきた。――――恋愛などですらない、ただの保身行動でしょう」



 兎族のルイに告げられた言葉は、誰よりも辛辣で、誰よりも本当のことをつきつけてくれた。








 カナ。

 カナ。

 ―――――― カナ。




 お前に、逢いたい。











 かつん。

 あきれ果てた醜態を果たしてくれた竜族のリアディを置いて、次の仕事へと移動しようとした兎族のルイへ声がかった。

「―― ルイ さん 」

 見上げれば、そこには忠実なリアディの部下である蛇族のメイムがいた。

 狭い階段を下りてきたメイムの表情は、いつもの無表情のままではあったがどこかで感謝の色を呈していたように思えた。

「……毎度毎度、よくもあのような主人に付き従えるものですね」

 いつぞやのときだったかも不在のリアディの不足を補っていたのは、当時リアディのもとで働いていた落人のカナと、この蛇族のメイムであったはずだった。

「――――ご主人さま、ですから」

 静かに告げる相手の返答に、ぴくりと眉をはね上げたルイは戯れに以前から気になっていた疑問を彼へと問いかけた。

 訊きたくもなかった竜族のリアディのコイバナなぞを相手させられたのだから、それくらいの遊びは許していただきたいものだと思う。

 時間も貴重な財産の一つだ。

 いつもだったら、手持ちの懐中時計を頼りに秒刻みの仕事をこなすルイなのだから、予定外の時間を提供してやった見返りくらいは得させていただこう。

「蛇族のメイム。大蛇の実子よ。――――これは私の好奇心ですが、是非教えていただきたいことがあります」

「…なんでしょうか?」

 どうやら、警戒されたらしい。

 少しばかり構えた様子で応えは返された。


「――何故、あなたは竜族の里で生きておられるのですか? 誰よりも竜族を憎んでいる貴方が」


 視線さえもそらすことなく、頭を上げる相手へ誠意さえもこめてルイは問いかける。



「竜に父を殺された貴方が、なぜあれらと共におられるのです?」








 答えは随分の時間をかけて返された。

 貴重な時間をかけて得た答えではあったが、ルイとしてはまずまずの答えだと思ったものだ。

 これからも商売のうえで顔をあわせるだろう強敵の心の内を一つでもうかがえたことは十分な戦果でもある。

 笑顔で哂う兎族のルイは、嫁候補と呼ぶに値するユーナに「鬼畜眼鏡」の認定を受けている。

 彼の心はひどく複雑に入り組んでいて、誠実なのか巧妙なのか善であるのか悪であるのかそれさえも余人にははかりしれない。

 もしかしたなら、それは彼本人でさえも定義は出来てはいないのかもしれない。

 手にした懐中時計を見つめた後、ルイは再び歩き出す。

 彼が生きていく場所へと戻るために。




『 憎んでいるからこそ、私は共にあろうとしたのです 』



 彼の問いに答えた無表情な蛇族の一人もまた――― 己の選んだ場所で生きている。













          ◇◆◇



「ふ。ふ。ふ。ふふふふふふふふ」

「…………」

 今日は晴天。風は殆ど吹いてはおらず、これから行う作業には最良の天候の模様。

 目の前には、不気味に笑うバランさま。―――竜族の長であり、現在の佳永わたしの雇い主でもあります。

 現在の彼の精神状態は、やや高揚ぎみ。

 さきほど本日2度目の郵便物が届いたため、同じく本日二度目のバランさまの逃走衝動を防ぐというお仕事をこなした佳永にとっては、まあお疲れ様というところだった。

「…バランさま。本当にこの作業終わったら仕事戻ってくださいね?」

「任せなさい、カナくん。僕は嘘はつきません!」

 きらりと輝く笑みでこちらへと笑ったバランさまは、―――上位種らしく美形と呼べる面の中年男性だった。

 ―― そうかなあ?

 嘘ではなくとも、毎回毎回仕事のたびに逃走しようとする姿を見ていると、嘘つきじゃありませんなどといわれてもちょっと素直に肯定してあげられませんなどと悩む佳永だった。














「今日はお客さんが来ますよ?」

 のほほんと笑顔で朝一番にバランさまに言われました。

 なにしろ、仕事前のことでしたのでバランさまは穏やかでほんわかとした基本人格のままでした。

 仕事に入るにつれて、彼の方の人格は変容されますので誰ですかあなたといいたくなるような最終形態人格(ストレス重複による逃走切望人格)に辿り着くまではほんわかさせてはいただけるんです。ほんわかと。

 でも、出来ればいきなり性格変えるの止めてほしいです。

 付き合うこちらがびっくりします。

「お客さんですか?」

「ええ、そうです。――――ですから、不要なごみは中庭に出しておけるように仕分けしておいてくださいね?」

「………お客さんがくるとゴミの話になるんですか」

「なるんです」

 呆気にとられてたずねたところ、うきうきした様子でバランさまは笑顔で言われました。

 どんな話の進め方ですか、バランさま。


 そんな会話のあった朝の午後。

「ちわっす! お久しぶりです、バランさま」

 軽快な調子で右手を上げて挨拶してきた人形は、やはり美形でした。

 そうかそんなに美形が好きか、貴様ら。

 ここまできたら美形嫌悪症にでもなってやろうかなどと心で虚ろに呟いた私でした。

「あれ? 初めて見る娘さんだねえ。―――俺と遊ばない?」

 ばちんとウインクしてきた相手を見て、しっかりと心の中で「はい、アウト」などと評価するのは当然だと思いませんか。

 私の好みは、あくまでも渋い武人です。

 軽調不薄な輩など放置ですよ。

「―――お茶を入れてきます」

 席を外そうとしたところ、人の手を握りしめてきたのは相手が悪いでしょう?

 引かれた手に抵抗することなく応じたあとで、その勢いを利用して今度はくるりと身体を返して背を向けます。

「――いっ!?」

 彼の側とは斜め反対の方向へと身体を倒すと同時に、自然相手の懐へと入っていた身を利用して足払いをかけました。

 いまだ私の手を握りしめている相手の腕ごと遠方へと自らの手を投げやりながら。

 軽く屈んだ私の背の上を舞うようにして、相手の身体は弧を描いて地へと落ちました。

「いいいいったああああああああああ」

 叫ぶ男の姿など放置ですよ、そんなもの。

「…では、バランさまはいつものお茶でよろしいですか?」

「ええ。そこのバカな男にはお冷やで十分だとおもいますよ?」

「もとよりそのつもりです」

 痛みに声を失くした相手は放置して、メイドさんを呼ぶベルを鳴らしました。

 残念ながら手持ちのお湯はもう冷めておりましたので。




「えっとね、これは一応成人した竜族の一人でね。竜族のサラエ。―――サラエくんっていうんですよ」

 ほっかほかのお茶はとても身体が温まります。

 ぬくぬくした身体でバランさまによるお客様紹介は始まりました。

「サラエさんですか。初めまして」

 礼儀に応じて挨拶を交わしました。

「…うん。なんか挨拶のまえに手ひどい歓迎をして頂けた気もするけど。―――初めまして、カナさん」

 ずきずきしているらしい首のあたりを先ほどお渡ししたお冷やのコップで冷やしていらっしゃるご様子のサラエさんでした。

 ちなみに、先ほどの行為は完全に自己防衛だと思っております。

 私としては、挨拶するまえに女子の身体を抱きしめようとする輩は痴漢だと思っておりますので防衛行動は間違っていないと思っているのですよ。

「まあ、見ればわかるだろうけど、こいつは竜族竜形種の一人なんだけど、ちょっと変わっててね」

 バランさま自身も華麗にサラエさんの密かな苦情をスル―してらっしゃいます。

 ので、私も喜んでそうしようと思っています。

「変わってる、とは?」

 性格が、ということでしょうか?

「うん、あのねこいつ。――水竜じゃなくて火竜なんですよ」

「―――――――――― は?」 

 火の竜ですって????

「―――なにもそんなに珍種を見るような目線じゃなくてもよくないか!!?」

 バランさまに泣きついたサラエさんは、やはりへたれにしか見えませんでした。


 さて、ここで一つ竜族についての豆知識を思い出してみましょう。

 竜族と呼ばれる存在は、主にその形態や種としてのありようから三種へと分類されています。

 竜形種、龍形種、羽ある蛇形種、です。

 竜族の主流となるのは竜形種。いわゆる西洋におけるドラゴンの体格を持つ竜族を指します。彼等の多くは、水に親しみをもつため水を操ることが出来ると言われています。まあ、実際には個体差が目立つ能力であるようですが。

 龍形種は蛇族より派生した突然変異の種。いわゆる東洋の竜、日本における水神の姿をしています。その優美な姿は、竜族のなかで最も美しいと称されております。個体数は少なく、私が出会ったことのある龍形種といえば御老体のファンリーさまやお城勤めをしているユインさんぐらいしかおりません。彼らは蛇族より生じたためかは不明ですが、暑さや寒さに弱いともいわれております。

 そして、最後の羽ある蛇形種。―――正直、こちらの種族につきましては私も詳しいことは知りません。 なんというか、都市伝説かと思うような話ばかりでしてよく分かっていないのですよ。その姿は美しくもグロテスクだとか、羽がなくても空を飛べるとか、頭が9つあるとか、もはや神のごとき力をもつとか、妖怪扱いのような説話ばかりがあるようでして。その生態は不明。私自身もお会いしたことはありません。

 竜族の分類法として形態や生態をもとに分けたものがいま説明した3つの種族です。

 そして、今から説明することは――そう、属性による区別だと理解して頂きたいのです。

 竜族の卵―――竜卵には一つの特徴があります。

 卵が孵化するまでの生長期間の間、卵の外気に存在するオドを吸収しているというものです。

 結果として、その竜卵から生まれる竜族は一つの気を自らの体内に保持する存在へとなります。その内包する気の種類こそが、竜たちの属性と呼ばれるものになるのです。

 属性の種類は、水、火、土、風、木。―――時折、金と呼ばれるものをその属性のなかに入れる方もいらっしゃいますが、まあ正直私には詳しいことはわかりませんので、そのことは無視してもよろしいでしょう。

 5つの属性があるなら素直に5つ平等数が存在するんじゃないかと考えるでしょう? ですが、何故かその比率は均一ではありません。竜族において最も多い属性は水、そして土なのです。

 多くの竜族は水の属性を内包しています。以前私が竜族の大老であるチェイサさまにやられた時を思い出していただけると助かりますが、彼等は水への親和性を多く持ちます。他者の身体のなかの水分まで扱えるほどの能力を持ってるのはさすがにそんなに多くはいませんがね。

 理由は不明ではありますが、どうやら竜の種族特性そのものが水への親和性を持っているかららしいのです。それゆえに彼ら竜族のおよそ7割は水の属性を持ちます。

 二番目に多い属性は土になります。これは不思議とは思いもしませんが。―――地球の伝説の一角に、竜は岩山に潜み宝を守護しているという説話が多く在ります。実際、野生の竜のなかには岩山で住まうもの達もおり、そのような彼らをみていると土の属性を持つものが凡そ竜族の2割ほどいるのも当然なのかなと思います。

 残りの一割に含まれるその他の属性を持つ竜族とやらが火竜、風竜、木竜となります。個体数は少なく、その能力がいかなるものであるかということも確かとはされてはおりませんがそれでも彼等は存在するのです。

「彼が火の竜、ですか」 

「そう。――貴重な珍種でしょう?」

 にっこりと告げるのは、いつのまにやら中庭へ来ていたファンリー様でした。―――気配を消さないでください、ファンリーさま。

「珍種っていうな!!」

 涙目で中庭の中央に立っていたサラエさんが反論していました。

 地獄耳ですか、あなた。

「ほほほ。なにかいいまして? サラエさん?」

「…………いえ、なんでも」

 美しい笑みで威嚇して見せたファンリーさまに、すごすごと中庭に集められたゴミの山へと戻っていくサラエさんを見て思うのです。

 ――― なんでこんなにへたれが多いんだ。竜族。

 最初のご主人さまであるリアディさまといい、バランさまといい、サラエさんといい、へたれしかいないのか。

「ほれ、はよせい、サラエ。酒の方が先に終わるだろうが」

「………」

 そういえば、一部に厄介な御老体がいましたね。――――― というか、酒の肴扱いされる火の竜っていったい。

 真っ昼間から酒を片手に宴会を始めた竜族の大老――チェイサさまが居りました。

 フリーダムすぎます、御老体。

「うううう。これだから、竜の里は嫌いだ」

 どいつもこいつも、俺のことをネタ扱いしやがる。

 泣いている私よりも少し年上くらいの姿のサラエさんは、それでもやることはやろうと決めたようでした。うん、頑張れ、男の子。 

「はああ、あとのフォローは頼みましたよ、皆さん」

 ため息つきつつ、サラエさんが言いました。

「はいはい」

「つまらん、はよやれ」

「いざとなったら、サラエごと流しますから安心しなさい」

 さて、誰の発言かわかりましたか? まあなんとなく読みとってください。

 誰であっても、サラエさんの立場がもろ弱いということだけが判れば十分だと思いますので。

「―――行くよっ!!!!」

 叫んだサラエさんの肩は震えていました。

 イイ年した男が簡単に泣いてんじゃないですよ。いじめたくなるから、やめなさい。

 幼馴染兼弟弟子だった童顔親父をそうやってよく泣かしていたのは私の高校時代までの日課でしたが、なにか間違っていましたか?

 ちなみに、その童顔親父をしつける日課は高校時代になってからは童顔親父の彼女のものになりましたので、成人後は泣かしてはいなかったのですけども。

 どうもあの幼馴染をほうふつとさせてくれるキャラですね、このサラエさんって。

 中庭の中央には人抱えほどの燃えるごみの類がどんと置いてあります。

 しっかりとごみをいれる穴まで掘って用意しておいたらしいです。……あの、そこまで楽しみにしてたんですか? サラエさんがくるの。

 突っ込む勇気はありませんでした。

 ぱちり。

「…?」

 いま、なにかが聴こえた気がしたのですが、―――なにも周囲に変わりはありませんね。

 不思議な顔で、あたりを見回しました。

 聴こえたと思った中庭の中央――ゴミの山から音は聞こえた気がしたのですが。

「ああ、始まるわね」

「うむ」

「危ないよ、佳永くん。もうちょっと離れようか」

 にこにこしながら、バランさまがお云いになりました。

 ぱち。ぱち、…ぱり。

 音が大きくなりました。

「何の音…ですか?」

「うん。――― 熱が動く音だよ」

 疑問に答えてくれたのはバランさまでした。

 ぱち。ぱち。――ぱちり。

「――――― いいかげんに、とっとと芽を出せ」

 低い声で呟いたサラエさんの言葉に、炎は瞬時に現れました。―――燃料もなければ、煙さえも出てはいなかった場所へ突如火は発生したのです。

「…え?」

 どこかにあった火を利用するわけでもなく、火は生じました。―――火の竜とは。

「……… そこにある火を操るだけが火竜の能力ではなかったのですか?」

 呆然と見守る私のまえで、火は踊ります。

 赤く燃える火の穂や青く燃える火の穂がときに混じりあうように、酸素を含んでは燃えあがっているのです。

「もちろん、それも火の竜の能力だよ。だけど、それだけでもないんだなあ」

 ぱしん。

 空気を割るような小さな音が、時折耳に辿り着きます。

「ほれ、サラエ。前座はいいから、はよ芸をみせろ。―――おひねりいるか?」

「あらあら、チェイサどの。あんまり若者をいじめるものじゃありませんわよ。ほほほ、一応褒めておかないと」

 あとでこき使えなくなるじゃありませんの。

 声になってない本音が聞こえた気がしました。ファンリーさまの。

 御老体の本音を見た気がします。―――どこもこんなんばかりですか、ご高齢の方々は。

「―――――っっっ!!」

 唇をかみしめているサラエ氏にはあとでせめてお茶の一つでも入れてあげようと思います。少しはやさしくしてあげるべきでしょう、これは。

「――――実れ、焔」

 ぱちりと燃えた火が小さな火花となって、宙に跳ねました。

「……花…火?」

「とも言うね、落人たちは」

 まあ、実際は全然違うんだけどね。

 炎色反応を利用して夜空に浮かぶ大輪の花をつくることに技を競ったのは、日本の花火職人たちでしたが。

 不思議と昼の明るいお城の中庭で、浮かんでは散ってゆく火の小花たちは綺麗でした。

 中庭の濃い緑をバックに、サラエさんの操る焔は含んだ酸素を燃やしつくすと自然に消えていきました。

 10分ほどもしたでしょうか、昼の火花の宴は無事に終了いたしました。

 不思議な幻想のような光景が、これは夢かとおもわせてくれる時間を提供して。














「はい、サラエくんの今日の点数は?」

「4点」

「6点」

「5.2」

 …いきなりの点数評価が始まりました。

 もちろん、対象は先ほどのサラエさんが行っていた焔舞えんぶです。

「うん、じゃあサラエの業務評価は合計13.7点ということで」

 さらりとバランさまが総括していました。

「待て。なんで点数減ってんの!!」

 必死に突っ込んだサラエさんが哀れでした。どうやら、この点数によって彼のお給料や仕事のランクが変わるのだそうです。…必死にもなりますね。

「うん、だって僕のマイナス1.5点も加算したから」

「むしろ減算ですよね、それって」

 つい素で突っ込んでしまいました。なんという呆け力の高さですか、バランさま。―――これが長のカリスマというやつなのでしょうか。

「っていうか、なんで減算されなきゃなんねえの!! 実焔も炎躁も完璧出来てたじゃねえかよ」

 悲鳴にも等しい、サラエさん当人からの意義が上がっておりました。

「うん。―――― なんとなく、減らしたくなったんで」

 笑顔でバランさまは答えました。

「ノリで減らすな!!」

 必死なサラエさんがこれほどに哀れと思えたことはなかったです。――――今日のおやつをそっとお土産にもたせてあげることにしましょうか。

 そういえば。

「――――いつの間に、トラオムさまが来てたんですか?」

「うん、なんか楽しそうだから来てみた」

 バランさまの長男であるトラオム・バランさまがちゃっかりとチェイサさまやファンリーさまの間に腰かけていました。

 そこはかとなくバランさまとの血の繋がりをひしひしと感じさせる返答でした。

 可愛い盛りと生意気盛りの狭間にいる16歳のトラオムさまと、父であるバランさまとの共通点を否応なく実感させてくれました。

 少数点までつけて答えるんじゃありません、そこまで細かい点数にする意味がどこにあったというんですか。

「ははは。じゃあ今季のサラエはどさ廻りの仕事オンリーで」

 ついでに基本給はマイナス10%減。

「待て。いや、待ってくださいお願いマジで待って」

 見た目でいったら兄弟か従兄弟かというような歳の差の二人が離れた場所で遊んでいます。(いえ、片方は本気で真っ青ですけども)

「ああ。―――― こうやってへたれは作成されるんですかねえ」

 しみじみと呟いてしまった私の横では、酒を噴き出して笑死寸前のチェイサさまがトラオムさまに逃げられて「おんじ、汚ない」などと言われる小芝居がありました。

 もちろん、ファンリーさまは笑顔でチェイサさまの息が止まりそうになっているのを見つめておりましたよ?

 墓場まで黙って見つめる姿勢でした。

 

 ―――――― この二人って仲悪かったんでしたっけ?




















            ◇◆◇



「え? マジでカナちゃんってあの守銭奴のところに落ちてきたの?」

 うっそ、なにソレ。あの男、ずるくねえ?

 用意して差し上げたお茶を手にしながらそう言ったのはサラエさんでした。

 …なにがずるいんですか?

 つい確認したくなりました。

 しかし、ようやく仕事へ戻ってくれたバランさまを逃がすわけにはいかないので、あえて触れずに放置しました。

 そう、約束通りにお仕事へと復帰させたバランさまのお姿はしっかりと腰から足までぐるぐると椅子に括りつけたお姿でした。

 だって、逃走しようとするんですもの。

「―――俺さあ、いまなんか上には上がいるんだなあってことがすごく実感できたよ」

 頬をひくつかせてそんなバランさまを見つめて呟くへたれ候補生は、サラエさんでした。

 弱肉強食の動物世界です。―――理解しておいて正解だとおもいますよ、そこは。 

「カナくん。―――腰が痛いです、カナくん」

「そうですか、そこの書類仕事のお返事が全て終わったらミランダさまにマッサージして頂けるようにお願いして差し上げますね。運がよかったらして頂けると思いますよ」

「うん。ソレは是非通って欲しいお願いですね。でも、いま痛いです」

「そうですか、おかしいですね。―――じゃあいっそベッドにでもころがりますか? お仕事は口ペンで書いてもらうことにしましょう」

 もちろん、今度は肩から足までベッドにくくりつけてさしあげますよ。

「……クッションとってもらえますか、サラエくん」

「……どうぞ、長どの」

 憐れんだサラエくんが長どのの腰の後ろにクッションを差し込んでいました。

 よかったですね、バランさま。

「そういえば、わたし水属性と土属性の方以外の属性の方は、サラエさんが初めてになりますねえ」

「……まじ?」

「はい」

 水属性はチェイサさまやファンリーさま。他にも城勤めのユインさんやアライアさんなど、ほとんどのかたがそうでしたので比べるまでもありませんが、土属性の方にお逢いしたのは以前のお仕事で出張して出会った竜族の御老体ラッセンさんお一人だけです。

 半ボケしてる御老体のお身体を洗うのは、いつも以上の命の危険が感じられましたよ。ほんとうに予測の外の行動してくれますからね。

「―――カナちゃんって、リアディんところにいたんだよね?」

「ええ、そうですが?」

「ふーん。――――― バカじゃねえの、あの男」

「…?」

 言葉の後半が聞こえなかったんですが、なんだったんですかね?

 再確認しようにもいい笑顔でバランさまとサラエさんが頷き合っていましたので、無視することにしました。

 男ってたまに女にはわからない部分で一致団結しますからねえ。答えてくれないことは放置したほうが合理的なことがあるんですよ。

 ―――女ってつまんない。

 武道館時代に、男同士の猥談から省かれていた佳永の本音だった。









 夕方、本日最後の郵便物が届きました。

 トイレくらいは行かせてくださいというバランさまの要望に応じて縛り付けることは止めた私でしたが、ふいにあがったその声には驚かされました。

「カナくん、これボクあてじゃないよ」

「え?」

 だって、全部執務室宛のものでしたよ?

 宛先を確認した筈の手紙の一つを持って、バランさまがそう言われたのです。

「ほら」

「そんな…。――――― これ、は…」

 にこりと笑って差し出されたその手紙のあて先は、「カナ どの」と書かれていました。

 何度も見慣れた手跡で。

「カナくんあてだよ?」

 返した手紙の蜜蝋には、黄色の貝殻を砕いたものが混じっていました。―――黄の文、……『認知・閲覧』を求める文、でした。

「……バラン、さま」

 どうしてと戸惑う思いが声に顕れていることを自覚していました。

「キミのものだよ」

 そんな私の思いなど、きっとバランさまは知った上でそう呟かれたのだろうと思ったのは後の話です。

 私が、全ての過去を思い出すとき。


 ――― この手紙を封印した日。



「カナくん。―――君は君の答えを出さなくちゃいけないよ? 」


 それが彼への誠意です。



 穏やかな表情でそう言ってくれたバランさまの表情は、責任ある長のものそのものでした。











 竜族のリアディから届いた初めての黄の文には、たった一言だけが書かれていました。





『 


   カナ ――――――――――   おまえを、奪いに行く。


                                             』

 




 手紙と呼ぶことさえも躊躇うような一筆箋。

 けれど、今までのどんな手紙よりも意思を告げてくるその手紙は。


 ――――私に 逃げるな と告げていました。




















     ◆◇


 わたしの父母は交通事故でこの世を去りました。


『おじいちゃん、おかあさんとおとうさんは何処?』

 死を理解していなかった当時の私は尋ねてばかりいたらしいです。

 両親とよく行った動物園へ行っては、父母を探していたとのこと。

 そんな私に忍耐がきれたのはある意味予測通りの我が祖父であったとか。

『だああああああああああ、じゃかましい』

 そんなに探したいなら存分に探せ!!

 切れたクソジジイは究極の極論に走りました。

 …何をしたかですって?

 5歳の幼女を夜中の動物園に放置したのですよ、あのクソジジイは。

 今の時代だったら確実に児童虐待ネグレクトですよ、判ってんのかあの爺は。


『――誰かいないの? ぱぱ? まま? おじいちゃん?』


 真っ暗な夜の動物園には、眠る大型動物の気配や夜行性の動物たちのかさこそ動く音。

 夜闇に光る動物たちの眼が生物としての恐怖を思い出させたというトラウマ形成もばっちりきなさいというかのような状況だったそうです。

 ちなみに、そのことを覚えていたのはわたしではありません。流石に5歳のときじゃ、いくらなんでも覚えてませんよ。

 そのときの夜の動物園の様子を覚えていたのは、わがクソジジイにむかしむかしの弱みを握られていたために放置された私の監視をするようにと命令された可哀想な当時の動物園のアルバイターでした。

 どんな弱みを握られてたんですかと聞いたところ、小学校の帰り道にあぜ道に埋まって動けなくなっていたのを助けられたんだと彼は遠い目で語りました。

 ………そんなことで利用されるとはついてない人ですねと思ったものです。

『なんというか、大物クソジジイの孫は大物くせものだなあと思いましたよ、俺は』

 疲れた表情で彼はそのときの感想を述べました。

 彼曰く、一人夜の動物園に放置された私は、灯りらしい灯りもないのに走り出して夜の動物園を探し始めたのだそうです。

 昼の動物園ではなく、夜の真っ暗な暗闇の動物園です。通常の幼児だったら泣きだすもんでしょう、と彼は既に成人していた私に対して説教なんだか愚痴なんだかを言い出しました。

 そんなことを言われても、私は覚えてはいないんですってば。

『ぱぱ? まま? どこ?』

何度も何度も幼児だった私は叫び、その声は人のいない夜闇の動物園に高く響いていたそうです。

『ぱぱ?』

 と言っては、虎の寝床を覗き込み、

『まま?』

 と言っては、ぺんぎんの住む氷の家を覗き込んでいたそうです。

 おかげでいつ檻の中に入っていくのか、氷のプールに落ちるのかと生きた心地がしなかったですよとも愚痴られましたね、そういえば。

 幼児の足は小さく、広い動物園を走るのには時間もかかったでしょうし、疲れたこともあったのでしょう。

 いつか疲れて眠った少女は、結局一度も泣くことなく夜を過ごしました。





「―――起きたか、佳永」

 朝日のなかで目覚めた少女わたしの目の前には、クソジジイ。( とその付き添いだった監視兼報告者 一名)

「…おはよう、おじいちゃん」

 もそっと目覚めた5歳の少女は答えました。

「探し人はみつかったか?」

「いなかった…」

 ぱぱもままもいなかったよ。

 そう告げたとき、ようやく少女は泣いたそうです。

「――――帰るぞ。おまえはこれからわしらと一緒に過ごすんだ」

「ぱぱとままは、帰ってこないの?」

「そうだ」

 軽々と孫を抱き上げた岩倉宗吾は、胸を張ってそう答えた。

「死んでしまえばそこまでだ。―――だから、おまえは生きねばならん」

 それが生まれたものの責務であり権利だ。

 5歳の幼女が判るはずもない言葉を出してきたそのクソジジイには、帰った自宅で最愛の妻からの説教が待っていたのですが、それはまあやってしまった非道な行為への伴侶からの愛の鞭ということで粛々と正座3時間+飯抜きの刑に応じたようでした。






 朝日の中でふりかえった場所には、夜の眠りを守るように頭を上げて直立したままだった白い蛇の姿がありました。

 それが生きていた蛇であったのか、死んではく製にされたあとの蛇であったのかは分かりませんが、その姿は不思議と忘れた筈の5歳の記憶のなかで唯一心に残っていることだけは確かです。


「おじいちゃん。――――佳永、あのコ好きだなあ」


 祖父の背中でうとうとと呟いた言葉が示したものが、まさか蛇のことだったなんてきっと誰も知りはしなかったのでしょうけども。















 頭を上げて。

 胸を張って。


 守り続ける者になりましょう。



 ――― その誓いはきっと私が私であるために必要な軛となって、この魂の芯に埋め込まれている。






                                         了 by 御紋











 


 スクロールお疲れ様です、皆様。よくぞ、この長いお話を読み続けてくださいました。

 心から御礼申し上げます。

 話の展開上、なぜか癒しらしい癒しがトラオム様しかいなかった。(泣)しかも、数行。(泣×2)

 ……バランさまの懐の広さに甘えてつい虐めてしまいましたわ。ありがとう、さすが竜族の長。これからも頼みます。(おい)


 御老体‘Zも隙を見てはちょくちょく本編に喰いこんできていますね。ある意味、リアディさまよりも本編出演回数多いんじゃないんでしょうか。さすがは御老体、ぬかりないです。

 そして、ゲストキャラにまで呆れられるご主人さま。――――へたれのなかのへたれめ。(褒めてない)

 次回は修羅場になるんだろうかと戦々恐々しつつ、あとがきを終了いたします。

 出来れば、次回の「竜とり!9(4月予定)」でもお逢いできますと嬉しいです。お邪魔いたしました。(ぺこり)

 


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