ロスト・ルーツ
ニューヨークに赴任しないか、と上司から内示を受けたのは数週間前だった。
その日は初夏にしてはとても暑く、そんな日に出社して早々
「今日、終業後にちょっと私の席まで来てくれ」
と言われた私は、ああまたお小言か、とげんなりした。
社内では業績に見合った一定の評価を受けているという自信はあるが、
仕入先との価格交渉がメインとなる購買という職種柄、どうしても社内と社外の板挟みに
なることが多く、双方から謂れのない誹りを受けることも少なくない。
今抱えている仕事に落ち度は見当たらないが、大方コスト管理について
また叱責を受けるのだろう、と憂鬱な気持ちで一日を過ごした。
なので、席からわざわざ立ち上がって私を出迎えた上司の表情が殊の外
にこやかだったことに肩透かしを食らった気分になった。
そうして進められるまま来客用のソファに腰を下ろした私に、彼は内示を下したのだった。
しないか、と疑問形になってはいるが、実際の所自分に拒否権があるのかどうかは疑わしい。
これは栄転だよ、君を見込んでのことだ、と目尻に皺を寄せて笑う上司に
勿体ないお話を有難うございます、と返しながら、正直戸惑いを覚えている自分に気付く。
元々、海外への志向は強かった。一年間の留学経験があることもあり、将来は世界という
広大なフィールドで活躍できる仕事に就きたいと考え、機械メーカーで購買の仕事を得た。
希望通り、先進国や石油原産国の社会情勢、景気変動など世界の動きを生で感じる日々。
二十七歳の女性としては充実したキャリアを積んでいると言って良かった。
しかし毎日世界に触れながらも日本に両足を付けて暮らす日々の中で
私は着実に日本社会に「根」を下ろし、張り巡らせていた。
例えば家族。キャリア志向の一人娘に誇りを感じながらもそろそろ身を固めることを
視野に入れ始めても良いのではないかと両親が考えていることは手に取るように分かる。
とりわけ少し時代錯誤な思考回路を持つ母は、密かに娘の「嫁き遅れ」を
心配しているらしい。尤も私に直接そのような物言いをすることは無いが。
他にもそう、友人知人とのネットワーク。勿論二十代も後半に差しかかった現在では
学生時代から付き合いのある友人達の人生は多様化している。家庭に生きる専業主婦。
家計を支える派遣社員。そして私のような所謂キャリアウーマンの仲間達。
別方向に分岐した生活を営むにつれて疎遠になってしまった子も多い。
しかし中にはそれでも途切れない縁や、仕事に生きる中で新しく生まれた輪もある。
大学時代の部活仲間とは年に一回国内旅行に出掛けるし
三カ月に一度は購買職の女性が集まる交流会が企画されている。
そういった幾つもの繋がりが私の生活の主要部を構築していることは疑いも無い。
そして恋人。美容師という職業柄か自由で束縛の無い人だから
一緒になろうと直接言われたことは無い。しかし彼が漠然と、何時かはそうなる時が
来るだろうと考えているであろうことが時々どうしようもないほど透けて見えるのだ。
例えば朝食に供した味噌汁について
「合わせ味噌って旨いよな。実家のは赤味噌だけどしょっぱくて」
と軽い口調で告げてくる時とか。彼の家に行く途中の買い出しで私の分の替えの歯ブラシを
籠に放り込んでいるのを見た時とか。そうした何ということもない日常のふとした瞬間
密かに、しかし着実に彼との間に固い「根」が張り巡らされていくのを感じることがある。
それは決して不快な感覚ではなく、むしろ心地良かった。
自分が根なし草ではないという実感は心に平安を齎すものだ。
更に言えば、私も心の奥底では無意識に「何時かは」と考えていたのかもしれない。
そんな日々の中で、海外赴任辞令という現実が自分のすぐ傍らにあり、ともすれば
明日にも自分の元に舞い込んでくるなんてことは私の脳内から締め出されていた。
取引相手国への栄転出向は部署内ではそう珍しくないので、冷静に考えれば
自分に出されても何ら不思議ではない辞令だ。また会社の期待を背負い
世界を股にかけて働くというビジョンの壮大さにはやはり憧れる気持ちがある。
それこそ入社したての頃には、同期や先輩と海外赴任への展望を熱く語り合ったものだ。
しかし日本に足をつけて生活してきたこの5年間で知らず知らずのうちにそれを
「対岸での出来事」と考えるようになっていた自分がいる。
そういう意味では近年母から遠まわしにせっつかれている結婚に対する認識と
似たようなものだったのかもしれない。つまり、その可能性を認めながらも現実的な
自分の問題として置き換えられてはいなかったということだ。とてもお気楽なことに。
結局その日は即答出来なかった。私の言動の奥底に見え隠れする躊躇いに気付いたのか
はたまた最初からすぐに応えは出ないだろうと踏んでいたのか定かではないが、
「まぁ、じっくり考えてみてくれ、前向きにな。
また近いうちに気持ちを固めて報告してもらいたい」
期待しているよ、と上司は私の肩を叩き、その日は帰宅の途に付いたのだった。
日本のメーカーの大多数がそうであるように私の会社は土日休が規定となっているので
週末は恋人、孝志と共に過ごすことが多い。といってもサービス業の筆頭たる美容院は
当然のごとく土日開業なので、会えるのは早朝と夜だけだ。大抵の場合、土曜の朝に
孝志の部屋を訪ねてそのまま日曜の夜まで居座る。といってもあくまで
そこを拠点にするだけで彼のいない日中は、同僚とバーゲンに繰り出したり
友達と新しいケーキ屋を開拓したりあるいは単身街をぶらついたりと
かなり好き勝手に遊び歩いていた。時々気が向いた時にはリビングに掃除機をかけたり
溜まった洗濯物を片づけたりといった主婦の真似事をすることもある。
しかし孝志が「女は男の世話を焼くもの」という考えを一欠も持っていないことに加え
そこそこ器用で綺麗好きな彼が平日休みに家事の大半を片づけてしまっているが為に
あまり私がヘルプする必要は無いのだ。
そんな孝志が私に唯一求めるのが、帰宅してすぐに食べられる出来立ての手料理なので
火急の予定が入らない限り滞在時の夕食は手作りするようにしている。
今日のメインは鰤大根。今まで出したことのないメニューだが
母直伝のこっくりとした味付けには自信があった。
とはいえ帰宅早々テーブルについて食べ始めた彼が
「わ、これすげぇ旨い。やっぱ彩音、和食得意なんだ」
と口に出して大仰に喜んでくれるとやはり安心する。
「あー、今日はヤなことあったけど、夕飯が旨いと良い一日だったって思えるな」
「仕事で何かあったの」
常に飄々としている孝志がそんなことを言うのは珍しいので驚いて聞き返すと
彼はむうと眉を寄せた。
「…チーフが最近俺のカットに自分のセンス押し付けてくるようになってさ。
客が帰った後にバックヤードで駄目出ししてくるんだよ。ほら、あの人ちょっと前に
フランスへ技術研修に行ったろ。どうやらあれで西洋かぶれしちゃったみたいなんだよな」
「そうなの、上が自分の意見を押し付けてくるタイプだと色々と面倒よね」
「そうなんだよ。自分の施術は好きにしたらいいけどさ、俺だって客とカウンセリングして
意向も聞いた上でカットしてんのに、終わってからぐちぐち言われてもなぁ」
滅多に無い愚痴なので今日は彼の気の済むまで聞いてあげようと決めた私は
カラになった二人のコップにビールを注ぐ。一昨日受けた内示の件は自分の気持ちが
固まるまで伝えない方がいいだろうと考えてはいたが、この調子ではどちらにしろ
今晩は話題に上げるタイミングが無さそうだ。
「あーあ、やっぱり独立しかないかなぁ。
思い通り自由にしたきゃ自分の店でやるしかないもんなぁ」
一頻り不平不満をぶちまけて一気にグラスを煽った後、酔いで縁が赤くなった目で
天井を見るとも無しに見上げた孝志は独りごちた。その横顔を見つめながら
私は妙に冷静に考える。どこまで真剣なんだろう、と。
孝志はもう随分前から時に茶化して、また時にはこうして心の底を覗かせるように
しみじみと、独立願望を口にしている。美容師という職業に就いた以上
自分の店を持つことを目標にするのは理解出来る。
しかし彼が本当にそれを真剣に考えているのかが私にはいまいち疑わしかった。
なぜなら孝志が独立に向けて具体的に語り、現実的に動いているのを
一度たりとも見たことが無いからだ。ただ子供がクリスマスのプレゼントを強請るように
「独立したい、店が欲しい」と口にするだけ。彼にとっての独立は
私にとっての海外赴任に通じるものがあるのかもしれないと
安定した日々の中で陽炎と化していたその目標が突然リアルなものになって
眼前にぶら下がっている今の私には感じられた。
孝志が動けないのも、彼が知らぬうちに周りへ固く張り巡らせた「根」の所為なのだろうか。
それは私にも絡みついているのか。私の「根」は孝志の動きを封じたりしていないか。
絡み合った「根」でお互いに雁字搦めになった私達二人のイメージが脳裏を掠めた。
次の水曜日に有給休暇を取ったのは内示について検討する為では無い。
故郷に帰るのが目的だ。久方ぶりに親戚一同が会する祖母の七回忌。
その日だけでもいいから戻ってらっしゃいと母親に強く求められ、
また祖母と仲が良かった自分としても是非出席したかったので都合を付けた。
東京から新幹線で下ってJRに乗り継ぎ、更にローカル鉄道の鈍行で終着駅まで。
私の郷里は三重県の片田舎だ。車窓からの景色は、田、田、田、時々、山。
ここには高層ビルも高速道路も無い。
空を見上げても飛んでいるのは飛行機ではなく、野生の鳶だ。
法事は恙無く進んだ。七回忌ともなると、食事の席では祖母を悼む話よりも
親戚同士の近況報告がメインになる。
「彩ちゃんは東京でオーエルさんやもんなァ。高村家の出世頭や」
お酒の入った赤ら顔で叔父さんが楽しそうに言う。
OLの怪しい発音や三重独特の関西風の訛りを聴くと、ああ帰ってきたなと実感する。
「そういうけどな、彩音ももうじき30やろ。そろそろ仕事だけやなくて
女としての幸せも考えんとなぁ」
「義姉さんは欲張り過ぎよォ。よぅく勉強して東京で良い会社入って外国の人らと仕事して
生活面でもお金の面でも自立してるなんてこれ以上無い親孝行やないの。
流石、中学でいっつも一番やった子やわ」
母の苦言に叔母さんがやんわりとフォローを入れてくれる。
気を使われているのが見え見えで若干申し訳無くなった。同時に母の「女としての幸せ」
という言葉の響きがあまりにも旧石器時代のものに感じて、胃の奥が冷えた。
何となくその場にいるのが気づまりだった所に、七年前祖母に取り残された祖父が
煙草が切れたと騒ぎ始めた。一人身になってからというもの何とか
周囲の関心を惹きたいらしく、我侭が増えて困ってるのよと以前母が愚痴っていた。
祖母が生きていた頃は皆の様子を黙って見守る寡黙な性格の祖父だったので
そのギャップには帰省する度に驚かされる。子供みたいだわ、とは
母の言だが、人は一定まで年を重ねると叙々にまた幼少期へと退化していくのだろうか。
「お祖父ちゃん、私買ってくるよ」
「おおそうか。済まんなァ、彩音」
帰省している私を使い走りにするのはと気を使ってくれたのか、
三重で実家暮らしをしている従兄弟が、俺が行くよと申し出てくれたが
「ううん、久しぶりに外をちょっと歩きたいし」
と立ち上がる。席を立つ口実が出来た上に祖父にも「滅多に会えない孫が自分の世話を
焼いてくれる」という満足感を与えることが出来るなんて、最良の選択に思えた。
煙草売場は住宅地を抜けて田畑を越えた先にある。近頃は電子煙草なんて洒落たものも
登場しているが、この田舎にそんなものが導入されている筈もなかった。母に確認した所
昔と変わりない場所に煙草屋さんがあって、昔通り小さな窓口で購入するらしい。
その店まで行く途中、田畑に入る道とちょうど反対側の獣道に目が止まった。
草が伸び放題で、碌に舗装されず荒れ果てた一本道。
農家の人が山を抜ける際使うためだけに作られたものだ。
懐かしい。
反射的にそう感じた。子供の頃、この道でよく遊んだ。
年の近い従兄弟、学校の友達、もっと小さい時には母や祖父とも。
中学生になってからは、一人でこの道に入った。その頃の私はこの土地の田舎臭さが
堪らなく嫌で早く都会に出たいと心の底から思っていた。人間関係にも疲れていた。
閉鎖的な土地の狭く濃い人間関係。小さな中学校は学校の生徒全員が顔見知りで
誰かと揉めれば噂はあっという間に学校中を駆け回った。試験の結果が1番だったことを
尋ねられるがまま正直に答えたり、同級生が懸想していたらしい男子生徒から
告白されたことを知られただけで、女生徒全体から白い目で見られる。
兎に角面倒の一言に尽きた。
都会に憧れる私が田舎の象徴のようなこの獣道で過ごしたというのは
理解されにくいことかもしれない。しかしこの道は私とって安息の場所だった。
中学生ともなると野山で遊びに興じることは少なくなる。
男の子は野球だのサッカ―だのといった部活に力を注ぎ、女の子は身なりを着飾ったり
噂話を好むようになる。遊ぶ場所もこんな田舎ではなく、ショッピングセンターや
アミューズメント施設のある津市周辺まで電車で出ていく子が大半だった。
そういう訳で中学生にもなると、この獣道にやってくる同世代の子供は殆どいなかったのだ。
時々農作業着姿の夫婦が通ったり、もっと幼くて無邪気な子供達が駆け鬼しているだけで。
そんな人々の姿を横目にゆっくりとこの道を歩く。
個人所有の開けた土地に出て行き止まりになるまで。行き止まり地点からは
下の景色が一望出来るので、そこに体育座りして気が済むまでぼんやりと
町の姿や日が沈むのを眺めることが、私の密やかな楽しみであり息抜きでもあった。
そのことを知ったらしい従兄弟は
「なあ、今日暇ならボーリング行こうや。女の子もいてるし」
などと気を効かせて度々クラスメイト達との遊びに誘ってくれたが
面倒だという思いが先に立ってしまい、結局一度もそれに乗ることは無かった。
客観的にはあまり幸せな青春時代とは言えないのかもしれないが
こうして十数年の時を越えて思い返してみると懐かしいという感情しか
湧いてこないのだから、時の流れというのは偉大だと思う。
煙草屋さんは代変わりしていた。記憶に合った皺くちゃの老婆では無く
中年女性が何にしましょう、と愛想笑いを浮かべている。ハイライトを1カートン
纏めて注文した後、場を持たせる為に老婆のことを尋ねた。
「もうすっかりボケちゃってねェ…お店は任せられんようになって」
ため息混じりに紡がれる中年女性の話に相槌を打ちながら
この煙草屋さんも変わっていくんだなと感慨深くなる。
そう遠くない将来、電子煙草が導入されることもあるのかもしれない。
そうなったらこの窓口自体が無くなるんだろうと、古びて立て付けの悪くなった硝子窓や
掠れてしまった「たばこ」の看板文字を眺めながら想像する。
何となく物寂しい気持ちになったことが、あの獣道に足を向けた理由だったのかもしれない。
黒のストッキングが雑草で電線しないよう注意を払いながら緩い坂を上っていく。
ヒールのあるパンプスでは未舗装の坂道を歩き辛く、道の小石やらに足を取られて
何度か転びそうになった。中学の頃にあれほど軽々登れたのは
体力があったからだけではなくいつも運動靴だったことも大きいのだろう。
道脇には木が群生していて、この季節は青々と茂った葉で日陰が出来る。
その下は日向に比べてずっと涼やかなのだ。
昔と同じように道の右脇に寄り、日陰の中を歩いた。
この道を最後に歩いたのは、東京に発つ前日だった。
中学を卒業し、高校は津市の進学校に通った。東京に出たかったからだ。
両親から、ある程度偏差値のある大学で無ければわざわざ東京で一人暮らしなどさせない
と言われたので懸命に勉強した。興味の強かった英語を学ぼうと、一流とは言わないが
それなりのレベルである外国語大学の合格を勝ち取った。進学後すぐに準備を進め
二年生の一年間はアメリカへの交換留学も実現させた。
兎に角外に、広い所に出て行きたかった。あの頃は閉塞感への恐怖が常に付き纏っていた。
就職して忙しい日々に追われているうちにそんな感覚は忘れてしまっていたけれども。
最後に歩いた日のことは良く覚えている。時刻は日暮れ頃で、空は赤く染まっていた。
小学校の下校チャイムの音が聞こえて、農作業を終えたらしき人と何度か擦れ違った。
いつも通り坂道を上り切ってから行き止まりまで歩き、立ち止まって下を見降ろすと
すぐ近くに小学校、その陰に重なるようにして中学校の校舎が見えた。
鈍行列車が鈍い汽笛の音を鳴らして通り過ぎて行く。
春先の日暮れ時特有の冷たい空気。小学校のチャイム。汽笛の音。
雑草がざわざわ揺れたり私有地に砂埃が起こる様を見ていたら突然鼻がつぅんと痛くなった。
こんなにも、名残惜しいものかと驚いた。
私はこの土地を捨てていくのに、この閉鎖空間から脱出することを
何年も願ってきたというのに、何故こんなにも寂しいと感じるのだろう。
訳の分からぬ寂寥感に突き動かされて、十八歳の私は少しだけ泣いた。
後から冷静になってみると、こうして時々は帰省出来る訳だし
何をそうノスタルジックな思いに浸っていたのかと不思議に思う。
でも理屈では無かったのだろう。どれだけ嫌悪しようとも、私は十八年間の歳月で
この故郷にしっかりと「根」を張っていたということだ。無自覚のままで。
この「根」ほど厄介なものは、なかなか無い。知らず知らずのうちに張り巡らされ
強固なものになっている。気付くと簡単に抜けない位に成長してしまっている所なんか
この雑草にそっくりだ。
物思いに耽りながら坂の上に辿りつき、一息ついて歩き始めようとした所で私は思わず
あっと声を上げた。
道が無かった。正確には獣道が。
荒れ放題だった一本道は綺麗に舗装され、雑草は一本残らず駆逐されている。
木々は通行の邪魔にならぬよう枝を剪定され避暑の役目を果たすことは出来なくなっていた。
平らで滑らかなコンクリートと綺麗に惹かれた白い線を周囲の背景と同化させることが
どうしても出来ずに、私は暫しそこに佇んでしまう。
昔のままの獣道と舗装された道路の境目には急ごしらえの看板が立っていて
「工期 六月一五日から七月二四日 期間中通行禁止」の文字が掲げられていた。
今しがた歩いてきたこの坂道も、近いうちに同じ運命を辿るらしい。
舗装済みの道路をゆっくりと歩いてみた。一つの小石も無い平らかな道は
パンプスでもスムーズに歩けた。こつこつと規則正しいヒールの音が響く。
東京での日常を象徴するようなその歩行音と故郷の獣道という組み合わせを
何とも奇妙なものに感じた。
コンクリートの照り返しが体感温度を上げているらしく身体がじっとりと汗ばんでいく。
行き止まりまで到達すると、昔は更地だった私有地には新しい家が建ち始めていた。
誰かが新居を建てているのだろうか。何も無かった土地に木材やら足場用の鉄筋やらが
犇めいていることに、妙な圧迫感を覚える。
下を見降ろすと十八歳のあの日と全く同じ構図で二つの母校が見えた。
しかし校舎は二つとも酷く老朽化した印象を受ける。同じなのに違う、と思った。
学校だけではない。
一見した感じは記憶に沿った景観に思えるが、細部は確実に異なっている。
山が減り、家が増え、遠目には大型スーパーらしき看板が見えた。
軽快な音を立てて走り去った鈍行列車は車両が新しいものに換えられていて
汽笛の音は澄んで鮮やかなものになっている。
高校まで毎日乗車していた錆びた連結音のするあの車両は
恐らくもう廃棄処分されたのだろう。
変わってしまったのだ、と強く感じた。変わっていかなければならないのだ、とも。
舗装された獣道。ここから見下ろす街の姿。古くなった校舎。透き通る汽笛の音。
煙草屋の店員。愚痴の増えた母親。少し我侭になった祖父。そして私。
十八歳の私はこの地との名残りを惜しんで泣いた。あの風景を捨てて行くのが
不思議なくらいに切なくて。
でも離れていったのは、変わっていったのは私だけではなかった。
故郷の方も私を離れつつあったのだ。私の知っているこの町はどんどん姿を変えていく。
記憶通りのあの獣道はもう戻ってこないのだ、永遠に。
こんな自明のことにどうして今まで気付かなかったのだろう。
どんなに強固に「根」を張ってもいつかは綻び始める時が来る。
全てのものは変わらずにはいられないから。
絡みついたそれを解いて離れていくのは私かもしれないし、相手かもしれない。
あるいは両方が。
それでも「根」を張り続けるんだな、と思う。生きることは結合と乖離の連続なのだ。
そんな根拠の無い確信が五月の風に乗り、私の中にすとんと落ちて収まった。
明日からの私はふとした瞬間にこの舗装道路を思い出すだろう。
そして叙々に、惜別した獣道の記憶と重なって混ざり合い、「私の故郷」の情景となる。
あの獣道が既に永遠に失われたことを、そしてやがて私の記憶の中でも変質していくことを
ごく自然に受け入れたと同時に、九年前に似た寂寞の情が込み上げてきた。
が、二十七歳の私はもう泣かなかった。
アメリカに二年行く。と断定系で告げると孝志は存外あっさりと
「そっか。…それならメールは毎日だな。時差関係ないし今って本当便利だよなぁ」
と二人の「根」を引き千切らない方向に話を進めてくれたので
修羅場になることを覚悟していた私は肩の力を抜いた。
親の説得よりも大変かもしれないと危惧していたが、どうやら杞憂だったようだ。
「アメリカっていいよな、でかくて広くて自由でさ。知ってるか、あの国、
日本の三倍しか人いないのに土地は二十五倍もあるんだってさ。そりゃあ豪勢な家も建つよ」
反対されたり況や別れ話にならなかったばかりか、脳天気な表情で
思っていたのと全く違う話を振ってくる孝志に気が抜けて思わず笑ってしまう。
「あんた、いつから地理に詳しくなったのよ」
「ホントの話だぜ。なんせ不動産屋でプロから聞いたんだからさ」
言いながら孝志は手に持っていた重そうな紙袋を床に置いた。テレビコマーシャルで見知った
大手不動産企業のロゴマークが印字されている。自重で横倒れになった袋から
貸しテナントの情報誌がいくつか顔を除かせた。
結局、内示を受けることにした。有難く向かわせて頂きますと告げると
上司はほっとしたように力強く、そうか、と頷いた。
期間は二年間。形は出向だが待遇は上昇する。ビザの取得や身の回りの整理、
友人親戚への挨拶など準備は目まぐるしく進んだ。その合間を縫って孝志とは出来る限り
会う時間を作るようにした。残された時間を一時も余したくないなどという
激情に駆られた訳では無く、二人の繋がりを固くしようという意図からでもない。
海外生活に向けて変化していく私の姿を確認してもらうために、
そして私を見送ろうとしている彼のささいな変化を見逃さないように、だ。
変わるのが自分だけではないからこそ、それを恐れるのは止めようと思った。
私がどんなにあの獣道に、18歳のあの日見た情景に固執した所で
全てはいつか変わってしまう。
立ち止まっていても「根」が解けていく可能性があるのなら、
自分が行きたいと思う方へ歩いていけばいい。
「二年かあ、以外とあっという間かもしれない。俺もその間に、自分の店持てるように
もちっと気合い入れるかな」
最後の荷造りをする私を横目に、不動産屋からごっそり貰ってきたテナント情報誌を
めくりながら孝志がそう言った。帰ってきた時に「店長」のプレートを下げた孝志が
出迎えてくれる、なんて未来もあり得るのかもしれない。
その時結婚を申し込まれたら、私はどう答えるのだろう。
「そうして。…ねぇ、もし二年間で私が様変わりしてたらどうする」
衣類を圧縮しながら冗談めかして私が問うと
様変わりってどんな風にさ、激太りは嫌だよ、とにやにやしながら返された。
「体系維持には気を使うけど、そうじゃなくて…例えばセレブみたいな
格好になってたりとか、口調がアメリカナイズされてたりとかさ」
「セレブな彩音なんて想像できないよ、どう見てもセクレタリー系だろ。
…でもそうだな、もしそうなったら」
俺もスーツ着て、ハリウッドスターみたいな髪型にするかな、自前のカットでさ。
そうすりゃ並んでてもおかしくないだろ。
と、冗談なのか本気なのか分からない至極自然体な口調で言われた。
…案外、皆そんな風にして上手くやっていくのかもしれない。
カンヌ映画祭に参加するかのような格好の私達を想像した所でせいぜい素人演劇か
コスチュームプレイにしか思えなかったけれど、
出立前夜に一度乖離してまた結合した二人の未来について
孝志とあれこれ冗談を言い合うのは悪くなかった。
東海岸行きの航空機に乗り込んですぐ、リラックスするためにパンプスを脱ぎ捨てて
備え付けのスリッパに替えた。先日の帰省にも履いて行ったお気に入りだ。
痛まぬようきちんとしまっておこうと拾い上げて、踵に傷が出来ているのに気付く。
恐らく、まだ舗装されていなかったあの坂道を歩いた時に
小石か小枝に引っ掻けて出来たものだろう。
都会ではまずあり得ない傷を撫でながら苦笑する。ニューヨークでホテル入りしてから
一番に行く場所が決まったなと考えながら、収納スペースに殊更丁寧に仕舞った。
帰国したら、またこのパンプスを履いてあの道を歩こう。今度はこんな傷なんて
付きようもないくらい綺麗に舗装された坂道が出迎えてくれるに違いない。
そうだ、その時は孝志にも一緒に来てと頼んでみてもいいかもしれない。
二人であの道を歩きながら、私の十八歳の、二十七歳の故郷のこと
離れていた二年間のこと、そして二人のこれからのことを沢山話そう。
小型ノートパソコンの電源を入れ、滞在ホテルから一番近い
シューズリペアーショップを検索しながら、そんなことを思った。
最後までお読み下さってありがとうございました。
尚、私の出身は三重県ではありませんので、作中描写に不自然な部分等
あるかもしれませんが、フィクションとして大目に見て頂ければ幸いです。