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我らがホームベース


 乾いた風が、荒野の砂塵を巻き上げて吹き抜ける。

 視界を遮る茶色のカーテンの向こう側、蜃気楼のように揺らめく巨大な影があった。

 スクラップの鉄板とコンクリートを幾重にも重ねて築かれた防壁。空を睨むように聳え立つ監視塔。

 それは、死の世界に抗うように存在する、鋼鉄の要塞だった。

 アヴァランチ本拠地、通称「ホームベース」。

 リリーナたちの乗るトレーラーが接近すると、重厚な金属音と共に正門ゲートが左右に開いた。

 エンジンの振動が、安堵の鼓動へと変わる。

 防壁の内側へと滑り込んだ瞬間、コクピット越しに見えた光景に、新入りのアンジは琥珀色の瞳を見開いた。

「……すごい」

 そこには、人の波があった。

 油にまみれたツナギ姿の整備兵、土で汚れた作業着の農耕班、非番でくつろいでいた戦闘員たち。

 総勢100名近い人間たちが、アヴァランチの帰還を待ちわびて整列していたのだ。

「おかえりなさーい! 隊長! 副長!」

「エース! 無事だったか!」

「お土産は! ねぇ、お土産ある!?」

 歓声。口笛。拍手。

 それは軍隊の整然とした敬礼ではない。もっと泥臭く、しかし体温を感じさせる「家族」の出迎えだった。

「……やれやれ。相変わらず騒々しい連中だねぇ」

 ホワイトロータスのハッチを開け、リリーナ・シュトルムが姿を現した。

 小柄な少女の体躯。だが、彼女が装甲車の上に仁王立ちになり、極太の葉巻を一吸いすると、その場の空気がピリッと引き締まった。

 彼女はニヤリと笑い、ドスの効いた声を張り上げた。

「ただいま戻ったよ、野郎ども! 今回は長期滞在だ。腰を据えて、この近辺の平和シマを守るよ!」

 うおぉぉぉーッ!!

 100人の雄叫びが、荒野の空に轟いた。



 熱狂的な歓迎の後、アンジは基地の心臓部であるメインハンガーへと案内された。

 天井の高いドーム状の空間には、アーク溶接の青白い火花が散り、インパクトレンチの音が反響している。

 そして何より圧巻なのは、そこに鎮座する鋼鉄の巨人たちだ。

 ズラリと並ぶ、20機の SAA-1873 "ピースウォーカー"。

 ある機体は装甲を外されてメンテナンスを受け、ある機体は次の出撃に備えて弾薬を補充されている。

「どうだアンジ。ここが俺たちの『牙』を研ぐ場所だ」

 バレットが胸を張る。彼はここに戻ると、面倒見の良い副長から、厳格な現場指揮官の顔へと戻っていた。

「3号機、アクチュエーターの反応が遅いぞ! 油圧を再調整しろ! 7号機はセンサーのキャリブレーションだ、明日までに終わらせろ!」

「へいへい、人使いが荒いこって!」

 整備兵たちが活気よく動き回る。

 アンジはその光景を、TYPE.Aの戦術回路とTYPE.Sの感性で同時に捉えていた。

 一見、雑然としている。だが、そこには熟練した職人たちの阿吽の呼吸があり、無駄のない動線があった。

「……素晴らしいです。全員が、自分の役割に誇りを持っているんですね」

 アンジは近くの端末に接続した。

 彼女の瞳の中で、基地内の膨大な物資データが滝のように流れる。

「バレットさん。物資搬入ルートにボトルネックがあります。第3ゲートを経由するルートに変更すれば、補給効率が20%向上します」

「なっ、20%だと!? 俺たちが一晩かけて計算した物流を、一瞬で……?」

「はい。ついでに、明日の食堂の献立在庫と弾薬庫の温度管理も最適化しておきました」

 アンジが涼しい顔で告げると、周りの事務員たちがどよめいた。

 こうして、美しき新入りオペレーターは、瞬く間にホームベースの「不可欠な頭脳」として受け入れられていった。



「こっちだ、アンジ。見せたいものがある」

 荷解きを終えたエースが、手招きをした。

 彼はアンジを連れて、格納庫の裏手にある巨大なビニールハウスへと向かった。

 二重のエアロックを抜けると、そこには信じられない光景が広がっていた。

 むっとするような湿気と、土の匂い。

 青々と葉を広げる野菜たち。

 そして奥の家畜舎からは、豚や鶏の鳴き声が聞こえてくる。

「これは……」

「俺たちのオアシスさ」

 エースがしゃがみ込み、トマトの苗に触れた。

 地下数百メートルからポンプで汲み上げられた、汚染されていない清冽な水が、パイプを通って滴っている。

「外の世界じゃ、まともな食い物は富裕層の特権だ。でも、ここなら泥水じゃなくて『水』が飲める。合成食料じゃなくて『野菜』が食える」

 エースの表情は穏やかだった。戦場で鬼神のように戦う姿とは違う、土と命を慈しむ青年の顔。

「俺たちが血を流して戦うのは、金のためだけじゃない。……この水と、緑と、ここで暮らす100人の家族を守るためなんだ」

 アンジは、エースの横顔を見つめた。

 彼は知っているのだ。奪い合うことの虚しさと、育て守ることの尊さを。

 エリスが守りたかったもの。エースが守り抜こうとしているもの。その答えが、ここにあった。

「……素敵です、エースさん」

 アンジはそっと、エースの手に自身の手を重ねた。

「貴方が守ってきたものは、こんなにも温かいんですね」



 夜。

 ホームベースの中央広場に、即席の長テーブルが並べられた。

 裸電球の明かりの下、帰還祝いの大宴会が始まる。

「野郎ども! グラスを持てぇ!」

 リリーナがドラム缶の上に立ち、なみなみと注がれたビールのような発泡酒のジョッキを掲げる。

「我らがホームベースと、生きて帰った馬鹿者たちに! ……乾杯ッ!」

「「「乾杯ァァァーーッ!!」」」

 100人のジョッキがぶつかり合う音が響く。

 テーブルに並ぶのは、自家製のローストポーク、採れたての野菜サラダ、そして貴重な卵を使ったオムレツ。

 どれも、外の世界では宝石と同等の価値があるご馳走だ。

「うめぇ! やっぱバレット副長の味付けは最高だぜ!」

「こら、新入り! 肉ばっか食うな、野菜も食え!」

 笑い声、怒号、歌声。

 誰もが肩を組み、今日生きていることを祝い合っている。

 機械軍の脅威も、迫りくる死の影も、今夜だけは忘れ去られていた。


 宴の喧騒から少し離れた場所で、エースとアンジは並んで座っていた。

 エースの皿には山盛りのシチュー、アンジの手にはオイル入りの特製ドリンク。

「ふふ、賑やかですね」

「ああ。……うるさいぐらいだろ? でも、これが俺の家族だ」

 エースはシチューを口に運び、目を細めた。

 血の繋がりはない。過去も生まれもバラバラな流れ者たち。

 けれど、同じ釜の飯を食い、背中を預けて戦う彼らは、どんな血縁よりも深い絆で結ばれていた。

「アンジ。君ももう、この家族の一員だ。……嫌じゃなければ、な」

「嫌なはず、ありません」

 アンジは柔らかく微笑んだ。

 ふと、彼女がエースの顔を覗き込む。

「エースさん、口元にソースがついていますよ」

「え? っと……」

 エースが拭おうとするより早く、アンジがハンカチでそっと拭った。

 ふわりと香る、甘い匂い。

 至近距離で見つめ合う視線。

 エースの顔が赤くなる。

「……あ、ありがとな」

「ふふ。子供扱いしないでください、って顔ですね?」

「う……読まれてる」

 二人は顔を見合わせて笑った。

 そこには、過去の悲しみを乗り越え、新しい時間を積み重ねていく二人の、確かな幸せがあった。



 翌朝。

 けたたましいアラーム音が、隊員宿舎の朝を告げた。

 昨夜の宴の余韻は微塵もない。規律正しい、軍隊の朝だ。

「総員、配置につけ! 本日の哨戒任務を発表する!」

 バレットの怒号が飛ぶ。

 エースも素早く身支度を整え、格納庫へと走る。

 司令室のモニターには、近隣エリアに出現した害獣や、盗賊団の情報が表示されている。

 そしてその奥には機械軍の新型機「P-90」や「センティニアル」と思わしき不穏な影も映っていた。

 平和はまだ遠い。戦いは続くのだ。

「エース、アンジ! お前たちは第1エリアの巡回だ。不審な熱源があれば即座に叩け!」

「了解!」

 エースがピースウォーカーのコクピットに飛び乗る。

 システム起動。リアクターが心地よい唸りを上げる。

 通信回線がつながり、アンジの声がクリアに響いた。

『システムオールグリーン。エースさん、いつでも行けます』

「よし。……行こうか、アンジ」


 巨大なゲートが開き、朝日に照らされた荒野が広がる。

 整備班の班長が、誘導灯を振りながら声をかけた。

「いってらっしゃい、エース! 夕飯までには戻れよ!」

 いってらっしゃい。

 その言葉に、エースはコクピットの中で小さく笑った。

 放浪していた頃にはなかった言葉。

 必ず帰ってくる場所がある。待っていてくれる人がいる。

 それが、どれほど戦う力をくれることか。

「おう! ……行ってきます!」

 エース機がスラスターを噴かし、荒野へと躍り出た。

 その背中を見送るリリーナが、監視塔の上で満足げに煙草を吹かす。

「……行きな、若いの。自分たちの『庭』を守るためにね」

 鋼鉄の要塞、ホームベース。

 荒廃した世界に灯る、小さくとも力強い生命の灯火。

 彼らの戦いは終わらない。だが、その足取りはもう迷わない。

 鋼の誓いと、家族の絆がある限り、アヴァランチは走り続ける。

 地平線の彼方へ。

 まだ見ぬ明日を、その手で掴み取るために。

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