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継がれる想い


 オイルと鉄錆の匂いが染み付いたハンガーデッキ。

 エースは無言で、自身の愛機であるピースウォーカーの膝関節を整備していた。

 スパナを握る手には豆ができ、指先は油で黒ずんでいる。ここ数週間、彼は憑かれたように整備とトレーニングに没頭していた。

「……ここ、摩耗が早いな」

 独り言が、がらんとした空間に虚しく響く。

 25歳。もう子供ではない。傭兵として、人の死には慣れているはずだった。

 だが、ふとした拍子に、例えば整備用オイルの透き通った琥珀色を見た瞬間などにあの少女の笑顔がフラッシュバックする。

 『エースさん』と呼ぶ声。最後に流した涙。そして、都市の灯火の一部となって消えた命。

 ガッ!

 エースは苛立ちに任せて、スパナを工具箱に投げ入れた。大きな金属音が響き、彼は荒い息を吐いて額の汗を拭った。

「……何やってんだ、俺は」

 守れなかった無力感。生き残ってしまった罪悪感。

 それらを「仕事」という義務感で無理やり蓋をして、彼は辛うじて立っていた。

「精が出るね、エース」

 背後から、嗄れた声がかかった。リリーナだ。

 彼女は極太の葉巻をくゆらせながら、複雑そうな表情で若き部下を見上げていた。

「……隊長。機体の調整は順調です。次の任務、いつでも行けます」

「そうかい。働き者なのは結構だがね……少しは休んだらどうだい? 顔色が土気色だよ」

「平気です。……休んでると、余計なことを考えちまうんで」

 エースは視線を逸らし、強がって見せた。

 リリーナは短く溜息をつき、煙を吐き出した。彼女にはお見通しなのだ。この若者が、大人として振る舞おうと必死に虚勢を張っていることが。

「ま、いいさ。……今日は新しい仲間を紹介しに来たんだ」

「仲間? バレットさんがまた誰かスカウトしたんですか?」

「いや、私さ。……優秀なオペレーターが必要だろ? 特に、お前さんがそんな調子じゃあね」

 リリーナが入り口に向かって顎をしゃくった。

 エースが顔を上げると、逆光の中に一人の人影が立っていた。

2

 ハッチをくぐり、その「仲間」が姿を現した瞬間、エースの心臓が早鐘を打った。

「はじめまして。今日からアヴァランチに配属されました、アンジです」

 透き通るような声。しなやかで女性的なボディライン。人間と見紛うほど精巧な人工皮膚。

 それは、間違いなくTYPE.S(愛玩型)の特徴だった。あの日失った、エリスと同じ。

 だが、違和感もあった。

 彼女の側頭部には、無骨な軍用通信ユニットが埋め込まれ、瞳の奥では戦術データを示す青い光が常に流れている。

 TYPE.Sのボディに、TYPE.A(軍用強襲型)の頭脳パーツを移植したキメラ個体。

「エースさんですね。お噂はかねがね」

 アンジは優雅に、しかし軍人のように背筋を伸ばして一礼した。

 その顔が上がった時、彼女は微笑んだ。

 花が咲くような、柔らかく、献身的な微笑み。

 ――エースさん、私、頑張りますね。

 記憶の中のエリスの笑顔と、目の前のアンジの笑顔が完全に重なった。

「ッ……!」

 エースは反射的に後退り、作業台に腰をぶつけた。

 工具が落ちて大きな音を立てる。

「エースさん? 大丈夫ですか?」

 アンジが心配そうに駆け寄ろうとする。その仕草、その声のトーン、全てが残酷なほどに「彼女」を連想させた。

「……来るな」

 エースの口から、拒絶の言葉が漏れた。

「え?」

「俺に……近寄るな」

 彼は顔を背け、逃げるようにその場を離れた。

 これ以上見ていられなかった。その笑顔を見るたびに、自分が殺したも同然の少女の幻影に責められている気がしたからだ。

「エース……」

 バレットが諌めようとするのを、リリーナが手で制した。

 残されたアンジは、困惑したように立ち尽くしていたが、やがて悲しげに眉を下げた。彼女の高度な演算回路は、エースの拒絶が「嫌悪」ではなく、深い「悲哀」に起因することを瞬時に理解していた。


 数日後。

 アヴァランチは、次の目的地へ向けて荒野を移動していた。

 アンジの加入は、部隊の戦術行動を劇的に向上させていた。

『前方12キロ地点、砂嵐による視界不良エリアです。ルートを修正、迂回経路をメインモニターに転送します』

 通信車からのアンジの声は、冷静かつ的確だった。

 彼女はTYPE.Aのパーツによる並列演算で、気象データ、地形、敵の予測出現ポイントを瞬時に解析し、最適な指示を飛ばしてくる。

「ほう、こいつは助かる。俺が計算するより30秒は早い」

「優秀だねぇ。もっと早く雇えばよかったよ」

 バレットとリリーナは、彼女の能力を高く評価していた。

 TYPE.Sの柔軟な思考と、TYPE.Aの処理能力。まさに理想的なオペレーターだ。

 だが、エースだけは沈黙を守っていた。

 コクピットの中で、彼はアンジの声をヘッドセット越しに聞くたびに、奥歯を噛み締めていた。

 優秀であればあるほど、辛かった。

 エリスも、もし生きていれば……こんな風に笑い、役に立つことを喜んだのだろうか。そんな「もしも」が頭を離れない。


 休憩時間。トレーラーの食堂車にて。

 エースが一人、冷めた缶詰をつついていると、アンジがやってきた。

 手には湯気を立てるマグカップが二つ。

「お疲れ様です、エースさん。……少し、顔色が優れませんね」

 彼女は向かいの席に座るのではなく、控えめにエースの斜め後ろに立った。距離感を測っているのだ。

「これ、よかったらどうぞ。貴重なコーヒー豆、リリーナさんに許可を頂いて淹れてみました」

 差し出されたコーヒー。

 それは完璧な温度と香りだった。TYPE.Sとしての機能、人間の体調や好みを分析し、最適な奉仕を行う機能が遺憾なく発揮されている。

「……いらない」

 エースはカップを見ようともしなかった。

「水分補給は済ませた。カフェインは今の俺には必要ない」

「でも、睡眠不足のデータが出ています。リラックス効果のあるハーブも少しブレンドしてあるんです」

 彼女の甲斐甲斐しさが、エースの神経を逆撫でする。

 まるで腫れ物を扱うような優しさ。それが、今の彼には自分を惨めにする刃でしかなかった。

「気を使わないでくれって言ってるだろ!」

 エースは声を荒らげ、立ち上がった。

 椅子が倒れる。

 周囲の空気が凍りついた。

 アンジは驚いたように目を見開き、カップを持ったまま身を強張らせた。

「俺は……俺は、優しくされる資格なんてないんだよ……!」

 吐き捨てるように言い残し、エースは食堂車を出て行った。

 残されたアンジは、エースの背中が消えた扉をじっと見つめていた。

 彼女の琥珀色の瞳、エリスと同じ色の瞳が、悲しげに揺れる。

「……資格がない、ですか」

 彼女はそっと、手の中のコーヒーを見つめた。

 彼女のデータベースには、エースの過去の任務記録がある。「カナン」での出来事も。

 彼女は理解していた。彼が拒絶しているのは自分アンジではなく、過去の自分自身なのだと。

「不器用な方……」

 アンジは倒れた椅子を直した。

 その表情には、オペレーターとしての冷静さと、母のような深い慈愛が混在していた。

 彼女もまた、誓っていたのだ。

 この傷ついた若き戦士の心を、いつか必ず癒やしてみせると。それが、新しい「仲間」としての自分の役割なのだと。


補給のために立ち寄った「サンライズ・ヴィレッジ」は、この荒廃した世界において、蜃気楼のように非現実的な場所だった。

 高い防壁の内側には、汚染されていない土壌による畑が広がり、黄金色の小麦が風に揺れている。

 そして何よりエースを打ちのめしたのは、そこで営まれている「日常」だった。

「おーい、TYPE.E! そっちの用水路の整備頼む!」

「了解だよ、親方。すぐに取り掛かるから、そっちのバルブを閉めておいてくれ」

「終わったら一杯やろうぜ。いいオイルが入ったんだ」

「おっ、気が利くねぇ。楽しみにしてるよ」

 人間とアンドロイドが、肩を並べて汗を流し、軽口を叩き合っている。

 主従ではない。道具でもない。互いに背中を預け、笑い合うパートナーとしての姿。

 そこには、エースが……そして恐らくはエリスが夢見ていたであろう「理想郷」があった。

「……ッ」

 エースは嘔吐感を覚え、口元を押さえた。

 平和な笑い声が、耳鳴りのように響く。

 どうして、ここはこんなに明るいんだ。

 どうして、あの子はあんな冷たい地下で、手足をもがれて永遠の闇にいるのに。

 どうして、俺だけがのうのうと、この陽だまりの中に立っているんだ。

 罪悪感が、どろりとしたタールのように胸の奥から溢れ出してくる。

 カナンでの記憶。

 『エースさんを守れました』という最期の言葉。

 その言葉が、今は呪いのように彼を縛り付けていた。自分は彼女の犠牲の上に生きている。その事実が、息をすることさえ罪深い行為のように思わせた。

「エース? どうした、顔色が悪いぞ」

 バレットの声がかかるが、エースは返事すらできなかった。

 これ以上、ここにいてはいけない。自分の汚れた魂が、この平和な場所を汚してしまう気がした。

「……すいません。少し、外の空気を吸ってきます」

 エースは逃げるようにその場を離れた。

 リリーナが何か言いかけたが、それを振り切って、彼は集落の外れにある丘へと走った。


 丘の上からは、沈みゆく夕日が荒野をあかく染め上げているのが見えた。

 美しい景色だ。

 だが、今のエースには、その赤色がエリスの流した冷却液の色に、あるいは自分の心臓から滴る血の色に見えて仕方がなかった。

 彼は岩場に腰を下ろし、震える手で煙草を取り出した。

 火を点けるが、煙の味はしない。ただ苦いだけだ。

「……俺は、何をしてるんだろうな」

 煙を吐き出しながら、自嘲する。

 25歳。もう若造と甘えられる歳じゃない。

 守るべきものを守れず、自分の無力さを嘆いて塞ぎ込み、新しい仲間には八つ当たりをする。

 最低だ。男としても、戦士としても、人間としても。

「……綺麗な夕日ですね」

 背後から、鈴を転がすような声がした。

 振り返らなくても分かる。アンジだ。

 彼女はエースの隣に静かに立った。夕風が彼女の髪を揺らし、TYPE.S特有の甘い香りが微かに漂う。

「……俺を笑いに来たのか」

 エースは膝を抱えたまま、投げやりな口調で言った。

「こんな場所で一人、感傷に浸ってる情けない男を」

「いいえ。……心配だったんです。貴方が、今にも消えてしまいそうな顔をしていたから」

 アンジはゆっくりと腰を下ろし、エースと同じ目線になった。

 その瞳は、琥珀色に輝いている。エリスと同じ色。けれど、そこにあるのは無垢な憧れではなく、もっと深く、全てを見通すような慈愛だった。

「エースさん。……何が、貴方をそこまで苦しめているのですか?」

 彼女の問いかけは、閉ざしていた心の扉をノックする音のように優しかった。

 拒絶しようとした。いつものように、「関係ない」と突き放そうとした。

 だが、夕日の赤さと、彼女の真っ直ぐな視線が、エースの仮面を剥がしていった。

「……殺したんだ」

 言葉が、堰を切ったように溢れ出した。

「俺が殺した。エリスという、君と同じTYPE.Sの子を」

 エースは語った。カナンでの出来事を。

 彼女がどれほど純粋で、生きることを望んでいたか。

 それを、大人の理屈と、自分たちの生存のために、都市の炉心いけにえとして捧げたことを。

 そして最後には、彼女自身に庇われ、生き延びてしまったことを。

「……俺は、彼女を『部品』にする片棒を担いだんだ。彼女の手を離した、あの瞬間の感触が……まだ残ってるんだよ!」

 エースは自分の手を見つめ、爪が食い込むほど強く握りしめた。

「俺は最低な男だ……。こんな奴が、君の優しさに触れていいわけがない。幸せになる資格なんて、どこにもないんだ……!」

 嗚咽混じりの告白。

 それは、誰にも言えずに膿んでいた傷口を、自ら抉り出すような痛みを伴っていた。


 アンジは、静かに聞いていた。

 TYPE.Aの演算回路が、エースの言葉の裏にある情報を分析する。

 生存者罪悪感サバイバーズ・ギルト。重度のPTSD。

 だが、TYPE.Sの感情回路が導き出した答えは、医学的な診断ではなかった。

 この人は、優しすぎるのだ。

 誰よりも責任感が強く、だからこそ、許せないのだ。自分自身を。

 アンジは動いた。

 エースの震える肩に、そっと手を回す。

「……っ、やめろ……触るな……!」

 エースは身を捩って拒絶しようとした。自分が触れれば、彼女まで汚れてしまう気がしたからだ。

 だが、アンジは離さなかった。

 華奢に見えるその腕には、軍用機並みの確固たる意志と力が込められていた。

 彼女は強引に、しかし包み込むように、エースの頭を自身の胸へと引き寄せた。

「いいえ、離しません」

 柔らかい感触。

 トクトクと脈打つEfリアクターの鼓動。

 そして、人肌よりも少し高い、アンドロイド特有の温もり。

「エースさん。貴方は罪人なんかじゃありません」

 アンジの声が、頭上から降り注ぐ。

「貴方が手を離したんじゃない。……彼女が、貴方の手を握り返してくれたんです。貴方に生きていてほしかったから」

「でも……っ!」

「彼女が守った命を、貴方自身が否定しないでください。……それは、彼女の最期の願いを、貴方が踏みにじることになってしまいます」

 その言葉は、鋭い楔となってエースの胸に突き刺さり、そして同時に、凍り付いていた呪縛を砕いた。


「生きていて、いいんです」

 アンジは、エースの背中を、赤子をあやすように一定のリズムで叩いた。

「苦しかったですね。辛かったですね。……一人で、よく耐えましたね」

 肯定。

 絶対的な肯定。

 誰かに言ってほしかった言葉。責めるのではなく、許すのでもなく、ただ「そこにいていい」と認めてくれる言葉。

「男の人は、泣いてはいけないなんて決まりはありません。……今は、ただの『エース』に戻っていいんです」

「あ……あぁ……ぅ……!」

 エースの喉から、獣のような唸り声が漏れた。

 張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。

 視界が涙で滲み、アンジの服を濡らしていく。

「ごめん……ごめん、エリス……! 守ってやれなくて……ごめん……!」

 彼は子供のように声を上げて泣いた。

 25歳の男のプライドも、傭兵としての仮面も、すべてかなぐり捨てて。

 アンジの胸の中で、溜め込んでいた泥のような感情を、涙と共にすべて吐き出した。

 アンジは何も言わず、ただ抱きしめ続けた。

 彼女はエリスではない。彼の過去を変えることもできない。

 だが、彼の痛みを半分引き受け、冷え切った心を温めることはできる。

 それが、彼女がこの部隊に来た意味であり、彼女自身の「意志」だった。

 夕日が沈み、一番星が輝き始めるまで。

 二人の影は、丘の上で一つに重なっていた。


感傷的な時間は、無粋なサイレンの音によって引き裂かれた。

 ウゥゥゥゥン……!

 集落全体に響き渡る警報音。それは、この平和な場所には最も似つかわしくない「死」の宣告だった。

「敵襲! 北側ゲート、突破されました! 機械軍です!」

 監視塔からの悲鳴のような通信。

 エースとアンジは顔を見合わせた。エースの頬にはまだ涙の跡が残っていたが、その瞳にはすでに戦士の光が戻っていた。

「行くぞ、アンジ! 通信車へ戻れ!」

「はい、エースさん!」

 二人は丘を駆け下りた。

 集落の中央広場には、すでに砂煙と共に巨大な影が躍り込んでいた。

 ズゥゥゥン……!

 地響きと共に現れたのは、通常のピースウォーカー(8m級)ではない。

 全高15メートル。倍近い巨躯を持つ、和風の鎧武者を模した重装甲機動兵器。

 機械軍指揮官機、壱拾肆式甲型 南部大剣。

 その背には、機体身長に匹敵するほどの長大な実体剣を背負っている。

「なんだ、あのデカブツは……!」

「あれは……南部大剣! 機械軍の中でも特に危険な近接特化型です!」

 アンジが走りながら叫ぶ。

 南部大剣のセンサーアイが赤く明滅し、腹に響くような重低音の音声を発した。

「……ここか。人間と鉄屑が馴れ合う、反吐が出る場所は」

 流暢な、しかし絶対的な侮蔑を含んだ声音。

 彼は背中の大剣を抜き放ち、一振りした。

 ゴォッ!!

 風圧だけで民家が吹き飛び、瓦礫が舞う。

「掃除の時間だ。……一匹残らずスクラップにしてやる」


「させるかよ、デカブツ!」

 リリーナのホワイトロータスと、バレットの指揮官機が側面から銃撃を開始する。

 だが、南部大剣の重積層装甲は厚い。アサルトライフルの弾丸は、火花を散らして弾かれるだけだ。

「硬いねぇ! まるで動く城壁だ!」

「隊長、正面からは通りません! 囲んで足を止めるしか!」

 苦戦する仲間たち。

 エースはハンガーデッキに飛び込み、愛機ピースウォーカーのコクピットへと滑り込んだ。

 エンジン始動。Efリアクターが唸りを上げ、システムが覚醒する。

 モニターに、通信車に座るアンジの顔が表示された。先ほどまでの慈愛に満ちた母の顔ではない。軍用ヘルメットを装着し、冷徹な戦術家の顔だ。

『エースさん、聞こえますか。敵の装甲データ解析完了。関節部の駆動系に0.5秒のラグがあります。そこを狙ってください』

「了解だ。……アンジ、サポート頼むぞ」

『お任せください。……貴方の目は、私が務めます』

 エース機が出撃する。

 迷いはない。彼の中にあるのは、恐怖ではなく、静かな闘志だけだった。


 アンジのオペレーションは完璧だった。

 彼女はTYPE.Aの演算能力をフル稼働させ、戦場全体の情報をリアルタイムで処理していた。

『右翼より敵増援、3機。バレットさん、グレネードで牽制を。リリーナさん、南部大剣が左足を軸に旋回します。その瞬間に右脇へ!』

 彼女の声に従い、アヴァランチは有機的な連携を見せた。

 リリーナが懐に飛び込み、バレットが雑魚を散らし、エースが関節を狙撃する。

 圧倒的な性能差があるはずの南部大剣が、徐々に追い詰められていく。

「……小賢しい。チョコマカと!」

 南部大剣が苛立ちを露わにし、大剣を振り回す。だが、その軌道さえもアンジには読めていた。

『バックステップ、3メートル! ……今です、カウンターを!』

 エースたちは攻撃を紙一重で回避し、確実にダメージを蓄積させていく。

 15mの巨人が、8mの小人たちに翻弄されている。

 南部大剣のAIが、その原因を特定した。

「……なるほど。前衛の鼠どもではない。後ろでさえずっている『目』か」

 指揮官機のモノアイが、戦場の後方、アンジの乗る非武装の通信車トレーラーを捉えた。

「指揮系統を潰せば、貴様らはただの烏合の衆だ」


 殺気。

 アンジのセンサーが、自分に向けられた膨大な敵意を感知した。

『ッ……!?』

 南部大剣が、アヴァランチの包囲網を無視して突進を開始した。

 背中のブースターが火を噴く。15mの巨体とは思えない加速。

 狙いは一つ。アンジだ。

「しまっ……! 奴の狙いはアンジかい!?」

 リリーナが叫ぶが、体勢を崩しており追撃が遅れる。

 バレットも雑魚に足止めされている。

 通信車のフロントガラス越しに、迫りくる鋼鉄の死神が見える。

 アンジは息を呑んだ。逃げられない。

「終わりだ、人形」

 南部大剣が目前まで迫り、その巨大な実体剣を振りかぶった。

 鉄塊の質量攻撃。直撃すれば、トレーラーごとぺしゃんこだ。

 怖い。

 エリスが最期に感じた恐怖は、これだったのか。

 アンジは目を閉じた。

 だが、衝撃は来なかった。

 ガギィィィィィィィン!!

 耳をつんざくような金属音と共に、火花が散った。

 アンジが恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景があった。

 一機のピースウォーカーが、通信車の前に立ちはだかり、その身を呈して巨大な剣を受け止めていたのだ。

『エ……エース、さん……?』

 エース機だった。

 彼は自身の腕部装甲を盾にし、限界までスラスターを噴射して、倍近い体格差のある敵の攻撃を押し留めていた。

 フレームが悲鳴を上げ、膝が地面にめり込む。

 コクピット内ではアラートが鳴り響き、エースの口端から血が流れる。

 それでも、彼は退かなかった。

「……二度と、俺の前で誰かを奪わせるかァッ!!」

 エースの絶叫が通信機越しに響く。

 カナンでの後悔。離してしまった手の感触。

 それを二度と繰り返さないという、血を吐くような決意。

「そこを退け、羽虫が! 」

 南部大剣が力を込める。ミシミシと装甲がひしゃげる音。

 だが、エースの瞳は燃えていた。

「アンジには……指一本、触れさせねぇェェッ!!」

 その気迫が、物理法則を超えて巨人を押し返した。


 エースが巨剣を食い止めた、数秒間。

 それは、戦場の均衡を崩すには十分すぎる時間だった。

「……よく耐えたね、エース! 褒めてやるよ!」

 リリーナの声と共に、純白の影が舞った。

 ホワイトロータスが、無防備になった南部大剣の懐へと滑り込む。

「覚悟はいいかい、デカブツ! 私の部下を泣かせた代償は高くつくよ!」

 右腕のパイルバンカーが唸る。

 狙うは一点。装甲の薄い脇腹、動力炉ジェネレーター直上。

「貰ったァッ!」

 ドゴォォォォォン!!

 炸裂音。

 巨大な鉄杭が深々と突き刺さり、内部で炸薬が爆発した。

 南部大剣の巨体が内側から膨れ上がり、黒煙と炎を噴き出す。

「ぐ、おぉぉ……ッ! 馬鹿な、人間ごとき、に……!」

 巨人は断末魔を上げ、ゆっくりと後ろへ倒れた。

 ズズ……ン。

 地響きと共に、脅威は沈黙した。


 静寂が戻った。

 エースのピースウォーカーは、左腕の装甲が砕け散り、ボロボロになっていた。だが、背後の通信車には傷一つ付いていなかった。

 プシュウ……。

 コクピットハッチが開き、エースがふらつきながら降りてきた。

 通信車からも、アンジが飛び出してくる。

「エースさん!」

 彼女は駆け寄り、エースの体を確認するように触れた。

「無茶です! あんな攻撃を受け止めるなんて……死んでしまっていたかもしれませんよ!」

「……あぁ、そうだな」

 エースは額の汗を拭い、痛む腕をさすりながら、しかし晴れやかに笑った。

「でも、守れた」

「え……?」

「今度は、守れたんだ。……君を」

 その言葉に、アンジの瞳が揺れた。

 エースはもう、泣いていなかった。その顔つきは、数時間前の迷える青年ではなく、責任と覚悟を背負った一人の男のものだった。

 少し離れた場所で、リリーナがホワイトロータスから降り立ち、その様子を眺めていた。

 彼女は新しい葉巻を取り出し、バレットに火を借りた。

「……フン。いつの間にか、男の背中になったじゃないか」

「ええ。エースの奴、一皮むけましたね」

 バレットも嬉しそうに笑う。

 紫煙をくゆらせながら、リリーナは空を見上げた。

「エリスも……草葉の陰で笑ってるだろうよ。『私のエースさんは強いでしょう』ってね」


 夕日が、荒野を黄金色に染め上げていた。

 戦闘の後始末を終え、アヴァランチのトレーラーが出発の準備を整えている。

 エースとアンジは、並んで丘の上に立っていた。

 さっきエースが泣いていた場所だ。だが今は、空気の味が違って感じられた。

「……ありがとう、エースさん。私、貴方に救われました」

 アンジが、そっとエースの腕に寄り添った。

 彼女の体温が伝わってくる。それはエリスの思い出を呼び起こすが、もう痛みは伴わなかった。代わりに、温かい勇気が湧いてくる。

 エースは自然な仕草で、アンジの肩に手を回した。

 抱きしめるのでも、突き放すのでもない。

 互いに支え合い、並んで歩くための距離感。

「礼を言うのは俺の方だ。……君がいてくれたから、俺は立ち直れた」

 エースは地平線を見つめ、力強く誓った。

「俺は強くなる。もっと、もっとだ。……もう二度と、悲しい別れは繰り返さない。君も、この部隊のみんなも、俺が守ってみせる」

「はい。信じています……」

 アンジはエースを見上げ、信頼に満ちた微笑みを向けた。

「私のヒーロー」


「おーい! 置いてくぞ、お熱い二人さん!」

 下からバレットのからかうような声が飛んできた。

 エースは苦笑いし、アンジの手を引いて歩き出した。

「行こう、アンジ。俺たちの戦場へ」

「はい、エースさん!」

 二人の影が夕日に長く伸び、やがて一つに重なっていく。

 過去の悲しみは消えない。傷跡も残るだろう。

 だが、それを糧にして人は強くなれる。

 継がれた想いは、鋼の誓いとなって、彼らを明日へと導いていく。

 アヴァランチのトレーラーが、砂煙を上げて走り出した。

 その車輪の音は、以前よりも力強く、希望に満ちているように聞こえた。




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