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鋼鉄の巡礼者



 世界は乾いていた。

 空は白茶けて澱み、大地はひび割れた皮膚のように無限に続いている。かつて文明と呼ばれた残骸が、風化して砂に還るのを待つだけの場所。それがこの荒野の姿だった。

 大型トレーラーのタイヤが、砂利を噛んで乾いた音を立てる。

 振動がシートを通して背骨に伝わる。その不快だが単調なリズムに身を委ねながら、リリーナ・シュトルムは助手席で目を細めていた。

 口にくわえた葉巻は、もう短くなっている。紫煙がエアコンの効かない車内に充満し、オイルと汗の匂いと混じり合って、独特の生活臭を醸し出していた。

「……暑いね」

 リリーナが独り言のように漏らす。

 少女の姿をしたその唇から紡がれるのは、老婆のような嗄れた声だった。

 彼女の身体は作り物だ。成長することのない有機人工皮膚と、強化樹脂の骨格。そして心臓部には、通常の人間には耐えられない高出力のEfリアクターが埋め込まれている。暑さ寒さを「不快」と感じるセンサーはあるが、実際に熱中症で倒れることはない。

 それでも、「暑い」と口にすることで、彼女は自分がまだ人間であることを確認しているのかもしれなかった。

「気温42度。地表温度は60度を超えてますよ、隊長」

 ハンドルを握る副長のバレットが、顔の汗を腕で拭いながら答えた。

 彼のような巨漢にとって、このトレーラーのキャビンは狭すぎる。

「エース、水温計はどうだ?」

「安定してます! ……でも、僕の方がオーバーヒートしそうです……」

 後部座席で機材のチェックをしていた新人のエースが、死にそうな声で呻く。

 平和だ、とリリーナは思った。

 飢えと渇き、そして機械軍の脅威が日常にあるこの世界で、退屈な移動時間こそが唯一の安息だ。

 だが、その安息は唐突に破られた。

 ピ、ピ、ピ……。

 ダッシュボードに増設されたレーダーモニターが、不吉な電子音を奏で始めた。

 リリーナの目が、瞬時に戦士の色へと変わる。

「……感あり。距離、3000。真正面だ」

「機械軍ですか? 偵察機?」

「いや……」

 リリーナはモニターの波形を凝視し、眉をひそめた。

 通常、機械軍やアンドロイドの動力炉であるEfリアクターは、独特のパルス波形を示す。規則正しく、人工的な波形だ。

 だが、今映し出されているそれは、まるで違っていた。

 もっと重く、禍々しく、それでいて静寂を湛えた深海のような……桁違いのエネルギー反応。

「なんだ、このデタラメな出力は。戦艦クラスのリアクターか? いや、それにしては熱源が小さすぎる」

「歩兵サイズ……いや、ピースウォーカー級です。単機で接近中!」

 バレットが声を張り上げる。

 砂塵の向こう、陽炎が揺らめく地平線に、黒い点が現れた。

「総員、第一種戦闘配置! エース、機銃座へ! バレットはいつでも回避できるようにしな!」

 リリーナは助手席の窓を蹴り開け、身を乗り出した。

 双眼鏡を構える。レンズ越しに、その「黒い点」が急速に拡大される。

 息を呑んだ。

 それは確かに、SAA-1873 "ピースウォーカー"だった。

 全高8メートル。かつて人類がその叡智を結集して作り上げ、そして人類に牙を剥いた鋼鉄の巨人。

 だが、その姿は異様だった。

 武装がない。

 両手のガトリングガンも、肩のミサイルポッドも。兵器としての爪牙が、すべて取り外されている。

 代わりにその巨体には、どこかの廃墟で拾ったのだろうか、巨大な防水シートのようなボロボロの布が、マントのように巻き付けられていた。

 そして何より異質なのは、胸部だ。

 装甲が内側から膨れ上がるように変形し、溶接痕が生々しく残っている。その隙間から、紫色の不気味な光が漏れ出していた。

「……おいおい。ありゃ一体、何の冗談だ?」

 武装を持たないピースウォーカーが、たった一機で、砂嵐の中を歩いてくる。

 まるで巡礼者のように。一歩、また一歩と。

「隊長、撃ちますか!?」

「待て!」

 エースの叫びを、リリーナは制した。

 殺気がない。

 戦場を80年生きてきたリリーナの直感が告げている。あの巨体からは、敵意や害意といったものが一切感じられない。ただ、圧倒的な「孤独」だけが漂っている。

 トレーラーが停止する。

 リリーナたちは降り立ち、銃を構えてその巨人を待ち受けた。

 距離、100メートル。

 巨人は立ち止まった。風が吹き抜け、まとった布がバタバタと音を立てる。

「……止まりな。そこから一歩でも動けば、コクピットをぶち抜くよ」

 リリーナが拡声器で警告する。

 沈黙。

 永遠とも思える数秒の後。巨人の外部スピーカーから、ノイズ混じりの、しかし驚くほど鮮明な音声が響いた。

『……警戒しなくていい。敵対する意思はない』

 その声に、エースがぎょっとして後ずさる。

 合成音声ではない。抑揚があり、感情すら滲ませる、流暢な男の声。まるで中に人間が乗っているかのような、知性ある響きだった。

『私は、個体識別番号10251。……ただ、探しているだけだ』

「探している? 何をだ」

 リリーナは銃口を下ろさずに問い返す。

 巨人は、そのモノアイをゆっくりとリリーナたちに向け、静かに答えた。

『生きる意味を』


 その言葉は、熱砂の荒野にはあまりに不似合いで、詩的ですらあった。

 機械が、生きる意味を探す?

 悪い冗談だ。だが、リリーナは引き金を引くことができなかった。目の前の巨人が放つ圧倒的な存在感と、相反する静謐さが、彼女を縛り付けていた。

「……バレット、エース。銃を下ろしな」

「隊長!? 正気ですか!?」

「あんな図体だ。やる気ならとっくに撃ってきてるさ。それに……」

 リリーナは10251の胸部を見上げた。

 膨れ上がった装甲の隙間から漏れる紫光。ガイガーカウンターは反応していない。放射能ではない。だが、肌が粟立つようなプレッシャーを感じる。

「……面白い拾い物をしたかもしれない」

 リリーナは歩み寄った。8メートルの巨人の足元まで。

 見上げると、10251が膝をついた。地面が揺れる。モノアイのカメラが、リリーナの視線の高さに合う。

「10251。お前、自分が何だか分かってるのかい? 機械軍の兵隊だろ」

『かつてはそうだった。だが、今の私はただの器だ』

 10251は静かに語り出した。

 自分が戦場で目覚めたこと。命令に従い人間を殺すことに、エラー(疑問)を感じたこと。そして、ある廃都で「それ」を見つけ、取り込んだこと。

『この胸にあるのは、かつて一つの都市を死の街へと変えた、高濃度の毒……汚染エネルギーの塊だ』

 バレットが息を呑む音が聞こえた。

 毒。エネルギー資源の成れの果て。触れれば生物を即死させる劇毒。

『私はこれを自身の動力炉として取り込んだ。私の機体構造がフィルターとなり、毒は中和され、安定している。……その結果、私は皮肉にも「無限」に近い活動時間を得てしまった』

 無限のエネルギー。

 それは、この枯渇した世界における神の力にも等しい。

 だが、10251の声に歓喜の色はない。あるのは、終わりのない時間を突きつけられた者の困惑だけだった。

『戦うための機能を捨て、無限の命を得た。……だが、私は分からない。なぜ私はここに在るのか。この永遠に近い時間を、何に費やせばいいのか』

 彼はリリーナを、人間たちを見つめた。

『人間よ。教えてほしい。貴方達は弱く、脆く、すぐに壊れる。なのに、なぜ歩き続ける? なぜ、その先に何があるかも分からないまま、明日を望む?』

 純粋な問い。

 それは、哲学者が一生をかけても辿り着けない問いだ。

 リリーナは短くなった葉巻を砂に捨て、靴底で踏み消した。

「……さあね。私にも分からんよ」

『貴方にも、分からないのか』

「ああ。だがね……」

 リリーナはニヤリと笑った。

「歩いてみなきゃ見つからないものもある。少なくとも、ここで膝をついて錆び付くのを待つよりはマシだ」

 彼女は踵を返し、トレーラーへと戻りながら手を振った。

「私たちは西の集落へ向かう。ついて来たいなら来な。……ただし、食い扶持は自分で稼ぐんだね。燃料代はいらなそうだけどさ」

 10251は一瞬、演算するように沈黙し、そして立ち上がった。

 その動作には、先ほどまでの重苦しい停滞感はなく、微かな意志が宿っているように見えた。

『……感謝する。リリーナ・シュトルム』

 こうして、奇妙な道連れを加えた旅が始まった。


 それは、荒野を行くキャラバンの中でも、異様な光景だっただろう。

 砂煙を上げて走る旧式のトレーラー。その横を、巨大なロボットが並走しているのだ。

 10251は走る必要すらなかった。

 その一歩が大きく、かつ内蔵された高出力アクチュエーターが、巨体を羽毛のように軽々と運ぶ。時速60キロでの巡航など、彼にとっては散歩のようなものだった。

 日が落ち、砂漠に急速な冷気が満ち始める頃。

 アヴァランチの一行は、岩陰にキャンプを張った。

 焚き火が爆ぜる音。

 スープの煮える香り。

 人間たちが食事の準備をする傍らで、10251は少し離れた場所に直立し、彫像のように動かなかった。彼は食事も睡眠も必要としない。

 だが、そのカメラアイは、焚き火の炎をじっと見つめていた。

「……食べるかい? と言っても、お前さんの口には合わないだろうけど」

 エースが冗談めかして、栄養ブロックの欠片を差し出した。

 10251はゆっくりと首を振る(それは人間を真似た動作だった)。

『私に摂取機能はない。……だが、その行為には興味がある。有機生命体は、他者の命を取り込むことでしか自己を維持できない。それは、ごうとは思わないか?』

「ご、業……?」

 エースは言葉に詰まる。

 10251の言葉は、いつも根本的すぎて、返答に窮するのだ。

『私の体には毒がある。かつて世界を害したエネルギーだ。私はそれを抱え、何も摂取せず、何も排出せずに稼働し続ける。……自己完結した存在だ。それに比べれば、人間はあまりに不完全で、他者に依存しすぎている』

「……不完全、か。違いねぇ」

 カップに入ったコーヒーを啜りながら、リリーナが会話に割って入った。

 彼女は焚き火の近く、10251の巨大な足元に座り込んだ。

「人間ってのは欠陥だらけさ。腹は減るし、すぐ病気になるし、考え方もバラバラだ。お互いに奪い合い、殺し合う。お前さんの言う通り、毒を抱えて生きてるようなもんさ」

『ならば、なぜ自滅しない? なぜ、その毒に侵されながらも、個体数を増やし、社会を築く?』

 10251の声には、真摯な疑問が込められていた。

 無限のエネルギーを持ち、自己完結してしまった彼には、「足りないからこそ求める」という渇望が理解できないのだ。

「毒も使いようさ」

 リリーナは夜空を見上げた。満天の星。かつて人類が手を伸ばし、今は遠すぎて届かない光。

「欲があるから、前に進める。誰かが憎いから強くなれる。死ぬのが怖いから、必死に生きる。……そのドロドロした『毒』を、私たちは『意地』や『誇り』なんて綺麗な言葉で包んで、原動力にしてるんだよ」

『意地……誇り……』

「ああ。泥水を啜ってでも明日を見たいという執着だ。……お前さんには、それがない。満たされすぎているからね」

 10251は沈黙した。

 胸の動力炉が、呼吸するように明滅する。

 満たされている。確かにエネルギーは無限だ。だが、彼の内面にある空洞は、どんなエネルギーでも埋まらない。

『私は……羨ましいと思うのかもしれない』

 ぽつりと、10251が漏らした。

『不完全であることが。何かを求めなければ生きられないという欠落が。……私には、欠落さえもない』

 その言葉はあまりに寂しく、エースは何も言えずに俯いた。


 翌日、トラブルが起きた。

 砂嵐によって視界が悪化し、トレーラーの前輪が深い流砂の穴(アリ地獄)にはまってしまったのだ。

 バレットがアクセルをふかすが、タイヤは空転し、車体は沈んでいくばかりだ。

「くそっ、ダメだ! シャーシが底についちまう!」

「ウインチを使おうにも、支点になる岩がないぞ!」

 エースとバレットが焦る中、リリーナが10251を見上げた。

「おい、デカブツ! 賃金分の働きをする気はあるかい?」

『……何をすればいい?』

「こいつを引っ張り上げてくれ。力仕事は得意だろ?」

 10251は頷くと、流砂の中へ平然と足を踏み入れた。

 ズブズブと自身の脚も沈んでいくが、彼は構わない。トレーラーのバンパーフレームを、巨大なマニピュレーターで掴む。

『出力調整……引くぞ』

 唸りを上げるモーター音。胸の紫光が強まる。

 グググ……と金属が軋む音がした次の瞬間。

 数トンの重量があるトレーラーが、まるで玩具のように軽々と宙に浮き、固い地面へと引き上げられた。

「うわぁ……」

 エースが口を開けて呆然とする。

 Efリアクター搭載機でもここまでのパワーは出せない。まさに桁違い。毒の塊が生み出す、禁断の怪力だ。

「すげえパワーだ……! 助かったよ、10251! ありがとう!」

 エースが駆け寄り、10251の汚れた装甲を叩いて感謝を伝えた。

 バレットもサムズアップを送る。

 10251は、自分の手を見つめていた。ただ重い物を動かしただけ。物理的な作業だ。だが、そこには明確な結果があった。人間たちが笑っている。

『……感謝、か』

 彼はエースを見下ろした。

『私はただ、エネルギーを運動量に変換しただけだ。だが……君たちのその表情パラメータを見ると、回路に奇妙なノイズが走る』

「ノイズ?」

『不快ではない。……暖かいノイズだ』

「そいつはな、『嬉しい』って言うんだよ」

 リリーナがニカっと笑った。

「誰かの役に立つ。誰かと繋がる。それが『生きる』ってことの第一歩さ。……どうだい、少しは答えに近づいたかい?」

『……分からない。だが、悪くはない感覚だ』

 10251は、ぎこちなくエースの頭を指先で撫でようとしてその巨大さと力加減の難しさに気づき、空中で止めた。

 その不器用な優しさに、アヴァランチの面々は笑った。

 この時、彼らの間には確かに、種族を超えた絆が芽生え始めていた。

 彼が抱える「毒」が、やがて来る悲劇の種であることも知らずに。


数日の旅を経て、アヴァランチの一行は目的地である集落「オアシス・ベータ」へと到着した。

 そこは、崩壊した旧時代のショッピングモールを外壁として利用し、スクラップのバリケードで周囲を固めた、荒野の要塞と呼ぶに相応しい場所だった。

 高い監視塔からはサーチライトが油断なく周囲を照らし、武装した歩哨(人間とアンドロイドの混成部隊)が目を光らせている。

「……ここから先は、君たちの領域だ」

 集落を遠望できる砂丘の陰で、10251は足を止めた。

 ボロボロのマントが風に煽られ、その巨体を隠すように舞う。

「一緒に行かないのかい? コーヒーくらいは飲める店があるかもしれないよ」

 リリーナの誘いに、10251は首を横に振った。

「私のこの巨体と外見(識別信号)は、彼らにとって恐怖の対象でしかない。……無用な混乱を招きたくはないんだ」

 その声は穏やかだったが、どこか諦念を含んでいた。彼は自分が「何者」であるかを、痛いほど理解していた。機械軍の兵士。人類を虐殺するために作られた殺戮機械の姿。それがどれほど人々に忌み嫌われているかを。

「分かった。補給が済み次第、戻ってくる。……エース、あいつに土産話でも用意してやりな」

「了解です! 10251、待っててくれよ!」

 アヴァランチのトレーラーが集落のゲートへと向かう。

 10251はそれを、モノアイの輝きを落として静かに見送っていた。

 独りになると、砂漠の静寂が重くのしかかってくる。だが、以前の空虚な孤独とは違う。彼の中には「戻ってくる仲間を待つ」という、微かな温かみがあった。

 しかし、その温もりは長くは続かなかった。


 集落のゲート付近が、にわかに騒がしくなった。

 サイレンが鳴り響き、赤い回転灯が激しく明滅し始める。

 監視塔のサーチライトが、一斉にアヴァランチのトレーラーではなく砂丘の陰に潜む10251へと向けられた。

『警告! 警告! 機械軍識別信号コードを確認!』

『距離800! ピースウォーカー級、敵性体一機! 内部に極大エネルギー反応あり!』

 拡声器からの怒号が、風に乗って聞こえてくる。

 10251は身じろぎした。隠れているつもりだったが、集落のセンサーは彼の存在を見逃さなかったのだ。さらに悪いことに、彼の動力炉、規格外のエネルギーの塊が、彼らにとっては「移動する巨大爆弾」のように映ってしまった。

「……誤解だ」

 10251は身を隠すのをやめ、ゆっくりと両手を挙げて姿を現した。敵意がないことを示すための、世界共通のポーズだ。

「私は攻撃しない。ただ待っているだけだ」

 内蔵スピーカーから音声を送る。

 だが、恐怖に支配された集団心理に、理屈は通じない。

「出たぞ! 化け物だ!」

「アヴァランチの連中、機械軍のスパイだったのか!?」

「あの胸を見ろ! 自爆する気だぞ! 撃てッ、近づけるな!」

 ゲートが開いたかと思うと、武装した民兵や警備用アンドロイドが雪崩を打ってきた。彼らの目は血走り、恐怖で焦点が定まっていない。

 

 バゥン、バゥン!

 威嚇射撃ではない。殺意の籠もった銃弾が、10251の足元の地面を抉り、装甲を叩いた。

「やめろッ! そいつは敵じゃない!」

 ゲート付近で、リリーナが民兵の一人を取り押さえながら叫んでいるのが見えた。

 だが、住民たちは彼女を突き飛ばし、罵声を浴びせる。

「黙れ! 機械軍を連れ込むなんて、貴様らも同罪だ!」

「この裏切り者め!」

「出て行け! 俺たちの街から失せろ!」

 石が飛んでくる。火炎瓶が投げられる。

 ガラス瓶が10251の装甲に当たって砕け、燃え盛る燃料がへばりつく。

 熱い。

 センサーが熱量過多を警告する。だが、10251は一歩も動かなかった。反撃もしなかった。炎に包まれながら、彼はただ悲しげに、自分を拒絶する人々を見つめていた。

「……なぜだ」

 問いは、虚空に消える。

 彼は理解していた。人間は弱い。だからこそ、異質なものを恐れ、排除しようとする。それは生存本能だ。

 だが、理解していても回路の奥底が軋むような「痛み」を感じずにはいられなかった。

 共に旅をした数日間。エースの笑顔。リリーナの言葉。それらで埋まりかけていた心の穴が、再び冷たい現実で満たされていく。

「私は……君たちの敵では……ない……」

 彼の言葉は、燃え盛る炎と罵声にかき消された。


 混沌は、さらなる混沌を呼ぶ。

 集落の住民たちが、恐怖に駆られて10251への攻撃に夢中になっていたその時。

 北側の稜線から、無機質な駆動音が響いてきた。

 ズゥゥン……ズゥゥン……。

 今度は本物だった。

 無塗装の冷たい鋼鉄色。感情のないセンサーアイ。

 正規の機械軍所属、SAA-1873 ピースウォーカーの小隊(3機)が、集落の騒ぎを聞きつけて現れたのだ。

『人間勢力居住区ヲ確認。殲滅対象、多数』

浄化パージを開始スル』

 機械的な電子音声と共に、両肩のミサイルポッドが開く。

「き、機械軍だ! 本物が来たぞ!」

「挟み撃ちかよ! やっぱりあのデカブツが手引きしやがったんだ!」

 最悪のタイミングだった。

 住民たちのパニックは頂点に達した。彼らにとって、目の前で炎に包まれている10251も、稜線から現れた機械軍も、同じ「殺戮者」にしか見えない。

「撃て! どっちも近づけるな! 全員殺せぇッ!」

 集落の防衛砲火が、デタラメにばら撒かれる。

 10251にも、機械軍にも。

「ちくしょう! 滅茶苦茶だ!」

 バレットが叫びながら、ホワイトロータスに飛び乗ろうとするリリーナを援護する。アヴァランチもまた、住民たちから銃口を向けられていた。

「隊長! 10251が!」

 エースの悲鳴。

 視線の先、機械軍の放ったロケット弾の一発が、軌道を逸れて逃げ遅れた住民の一団、母親と子供がいる場所へと吸い込まれていく。

 距離が近すぎる。リリーナの反応速度でも、迎撃は間に合わない。

「しまっ……!」

 誰もが、その親子の死を確信した瞬間だった。


 大気が燃えた。

 ロケット弾が着弾する寸前、巨大な影が、閃光のような速さで親子の前に割り込んだのだ。

 ドォォォォォン!!

 爆炎が吹き荒れる。

 衝撃波が砂塵を巻き上げ、視界を奪う。

 母親は子供を抱きしめ、死を覚悟して目を閉じた。……だが、痛みは来なかった。熱風さえも届かなかった。

「……え?」

 恐る恐る目を開けた母親の前に、それは立っていた。

 燃え盛るマントをなびかせた、鋼鉄の巨人。

 10251だ。

 彼は両腕を広げ、背中でロケット弾の爆発を完全に受け止めていた。背面の装甲はひしゃげ、黒煙を上げているが、その足は一歩も退いていない。

「……怪我は、ないか」

 10251が振り返り、流暢な言葉で問いかけた。

 そのモノアイは、先ほどまで彼に石を投げていた人間たちを、慈しむように見つめていた。

「あ、あぁ……」

 母親は腰を抜かしたまま、声にならない声を漏らす。

 化け物だと思っていた。敵だと思っていた。

 だが、目の前にいるのは、傷つきながらも自分たちを守ってくれた守護者だった。

『対象、破壊不能。……高エネルギー反応ヲ検知』

 機械軍のピースウォーカーたちが、動きを止める。10251の動力炉が一瞬だけ出力を上げ、その余波がシールドとなって物理的な衝撃を相殺したのだ。

「……去れ」

 10251が機械軍に向き直る。

 武装はない。だが、その全身から立ち上る紫色のオーラ、かつて毒と呼ばれた無限のエネルギーが、圧倒的な威圧感となって空間を歪ませた。

「この人々は、私が守る。……同族であろうと、容赦はしない」

 それは静かな、しかし絶対的な宣言だった。

 機械軍のAIが「脅威度測定不能」と判断し、後退りする。

「……今のうちだ!」

 その隙を見逃さず、リリーナが動いた。

 ホワイトロータスが集落と機械軍の間に割り込み、発煙弾スモークディスチャージャーを一斉発射する。

 プシュシュシュッ!

 濃密な白煙があたりを包み込む。

「10251、行くよ! 呆っとしてるんじゃない!」

「……あぁ」

 リリーナの叱咤に、10251は我に返ったように頷いた。

 彼は最後にもう一度だけ、自分が助けた親子を見た。子供が、恐怖と、そして少しの好奇心を含んだ目で彼を見返している。

 それだけで十分だった。

「ごめんよ……ありがとう……」

 煙の中で、誰かの小さな呟きが聞こえた気がした。

 10251は背中の痛みを忘れ、アヴァランチのトレーラーと共に、戦場からの離脱を開始した。


集落から数十キロ離れた、風化した岩山が点在する荒野。

 夕闇が迫り、空が血のような赤紫色に染まり始めていた。

 アヴァランチのトレーラーが停止し、エンジンが切られる。

 静寂が戻ってきた。砂嵐の音だけが、遠くでヒューヒューと鳴いている。

「……ここまで来れば、もう追ってはこないだろう」

 リリーナがホワイトロータスのハッチを開け、地面に飛び降りた。

 彼女は真っ先に、トレーラーの後方に佇む巨体へと歩み寄った。

「おい、デカブツ。……大丈夫かい」

 10251は、岩山に背を預けるようにして座り込んでいた。

 その惨状に、後から降りてきたエースが息を呑む。

 背中の装甲はロケット弾の直撃でひしゃげ、黒く焦げ付いている。マント代わりの布は焼け落ち、剥き出しになった金属の骨格からは、微かに煙が上がっていた。

 だが、胸部の動力炉だけは無傷で、変わらず神秘的な紫光を脈打たせている。

「……あぁ。機能に支障はない」

 10251がゆっくりと顔を上げた。その動作は酷く緩慢で、まるで老人のようだった。物理的なダメージ以上に、精神的な消耗が見て取れた。

「すまない……。俺たちのせいで、酷い目に……」

 エースが悔しげに拳を握りしめる。

 だが、10251は静かに首を振った。

「謝らないでくれ、エース。……私は、自分の意志で動いただけだ」

 彼は自分の手を見つめた。

 煤で汚れた、鋼鉄のマニピュレーター。先ほど、確かに人間の親子を守った手だ。

「……不思議な感覚だった」

 10251が独り言のように呟く。

「石を投げられ、罵声を浴びせられた時……私の思考回路は、彼らへの『恐怖』と『悲しみ』で埋め尽くされた。人間と同じように」

「当たり前さ。誰だって傷つくのは怖い」

「だが……あのロケット弾が見えた瞬間、恐怖は消えた。体が勝手に動いていた。……『守らなければ』という命令コマンドではない。もっと熱い、衝動のようなものが、私の体を突き動かしたんだ」

 彼は胸の動力炉に手を当てた。

「これが……君の言っていた、『毒』を『誇り』に変えるということなのかもしれないな」

 リリーナは黙って煙草を取り出し、火を点けた。

 紫煙を深く吸い込み、そして吐き出す。

「……ああ、そうだよ。お前さんは立派にやり遂げた。あの親子が生きてるのは、お前さんのおかげだ」

「そうか……。なら、よかった」

 10251のモノアイが、安堵したように細められた。

 その光は、かつてないほど優しく、そして人間らしかった。


 少しの沈黙の後、10251は軋む音を立てて立ち上がった。

 その巨体が夕日を遮り、長い影を落とす。

「……ここでお別れだ、リリーナ。そして、アヴァランチの諸君」

 唐突な別れの言葉に、エースが弾かれたように顔を上げる。

「えっ……待ってくれよ! 一緒に行こうぜ! 誤解なんて、いつか解けるさ! お前はこんなにいい奴なのに……」

「ありがとう、エース。君の言葉は、どんな整備ドックよりも私の心を癒やしてくれる」

 10251は寂しげに笑ったように見えた。

「だが、理解してしまったんだ。……私の存在そのものが、人々の平穏を乱す『毒』なのだと」

 彼は自分の胸、無限のエネルギーを秘めた動力炉を示した。

「この力は強すぎる。ここに在るだけで、機械軍を引き寄せ、人間に恐怖を与える。……君たちと一緒にいれば、いつか君たち自身をも傷つけてしまうだろう」

 エースは反論しようと口を開きかけ、そして閉じた。

 今日の出来事が、その証明だったからだ。彼の善意がどれほど本物でも、世界はその強大さを許容できない。

「……行くのかい」

 リリーナが問いかける。引き止めはしない。彼女もまた、プロの傭兵として、彼の判断の正しさを理解していたからだ。

「あぁ。人がいない場所へ。……このエネルギーが尽きることはないかもしれないが、その使い道を探しながら、歩き続けるよ」

 10251は、アヴァランチの一人一人に視線を巡らせた。

 バレットには深く頷き、エースには優しく手を挙げ、そして最後にリリーナを見下ろした。

「リリーナ。君との対話は、私に『魂』の在り処を教えてくれた。……私はもう、ただのプログラムの集合体ではないと思える」

「……へっ、買いかぶりすぎだよ」

 リリーナは照れ隠しに帽子を目深に被り直した。

「答えが見つかったら、また教えに来な。……その時は、極上のコーヒーを奢ってやる」

「……あぁ。楽しみにしている」

 約束。

 果てしなく遠い、再会の約束。

 10251は背を向けた。

 ボロボロの装甲を引きずり、彼は夕日が沈む西の荒野へと歩き出した。

 振り返ることはしなかった。その背中は孤独だったが、以前のような空虚さは微塵もなかった。そこには、自らの意志で道を選び取った者だけが持つ、気高い「覚悟」があった。


 巨影が地平線の彼方に消えるまで、アヴァランチの面々は動かなかった。

 完全に夜が訪れ、満天の星空が広がっていた。

 かつて10251が見上げ、羨んだ星空だ。

「……行っちまいましたね」

 エースが涙声で呟く。

「あいつ、一人ぼっちで……これからどうするんでしょうか。ずっと、あの荒野を彷徨うのかな」

「さあね。……だが、一人じゃないさ」

 リリーナは吸殻を指先で弾き飛ばした。火の粉が暗闇に舞う。

「あいつの中には、私たちがいる。あいつが守った親子の記憶がある。……『心』を持っちまった機械は、もうただの鉄屑じゃない」

 彼女はため息をつき、夜空を睨みつけた。

「それにしても、皮肉なもんだねぇ」

「え?」

「人間ってのは、恐怖や欲望のために簡単に心を捨てちまう。今日の集落の連中みたいにね。……なのに、殺すために作られた機械の方が、よっぽど人間らしい『心』を持っちまうなんてさ」

 リリーナの脳裏に、身を挺して親子を守った10251の姿が焼き付いていた。

 あの瞬間の彼は、どんな英雄よりも人間らしかった。

「……世知辛い世界だよ、本当に」

 彼女は踵を返し、トレーラーのドアを開けた。

 湿っぽさは似合わない。生きていれば、また会えることもあるだろう。この腐った世界でも、奇跡の一つくらいは起こるはずだ。

「野郎ども、出るよ! 感傷に浸ってる暇があったら、次の仕事を探すんだ!」

「了解!」

「へいへい、人使いが荒いこって」

 エンジンが唸りを上げる。

 アヴァランチのトレーラーは、10251が向かったのとは違う道へと走り出した。

 荒野に刻まれた二つのわだち

 それらは二度と交わらないかもしれない。

 だが、同じ星空の下、彼らは確かに「生きて」いた。

 鋼鉄の巡礼者の旅路に、幸多からんことを。

 リリーナは心の中でそう祈り、夜の闇へとアクセルを踏み込んだ。



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