錆びた門の共同戦線
荒野を渡る風には、どこか鉄錆の匂いが混じっている。
トレーラーの助手席で、リリーナ・シュトルムはマグカップから立ち上る湯気を吸い込んだ。先日、亡霊戦艦から回収した「本物のコーヒー」。その香りは、正気を保つための聖なる儀式のようなものだった。
「……美味いね」
一口啜り、熱い液体が喉に落ちていく感覚を楽しむ。
Efリアクター(人工心臓)が規則正しく脈打ち、カフェインが脳を覚醒させていく。
「隊長、そろそろです。『ラスト・ゲート』が見えてきました」
バレットの声に、リリーナは顔を上げた。
赤茶けた大地を巨人が鉈で叩き割ったような、一本の巨大な亀裂。そこが「ラスト・ゲート(錆びた門)」。この先に広がる人間とアンドロイドの生存圏へ続く、唯一の入り口だ。
「……なんだ、ありゃ?」
リリーナは眉をひそめた。
峡谷の入り口で、味方同士が揉み合っているように見える。
「放せ! 放せと言ってるんだ、この鉄屑野郎!」
峡谷の入り口で、怒号が響き渡っていた。
数十人の民兵たちが、バリケードを越えようとしている。だが、その行く手を阻んでいるのは、人型のアンドロイドたちだった。
塗装が剥げ、ツギハギだらけのTYPE.B(戦闘型)。彼らは武器を構えることなく、自らの身体を「壁」として、人間たちを押し留めていた。
「警告する。マスター、ここから先は戦闘区域だ。立ち入りは禁止されている」
「直ちに後方へ退避してくれ。危険だ。死んでしまうぞ」
TYPE.Bたちの声は、以前のような機械的な合成音声ではない。必死さと焦りを含んだ、人間そのものの声だ。
彼らは民兵に殴られても、一切反撃しない。ただ、赤子をあやすような慎重さで、人間たちを後方のトラックへ押し込もうとしている。
「ふざけるな! ここは俺たちの土地だ! 俺たちの家族がいるんだぞ!」
民兵のリーダーが叫ぶ。その前に立ちはだかったのは、一際状態の良いTYPE.A(強襲型)の個体、自警団「鉄の盾」のリーダーだった。
「分かっている。だからこそ、あんたたちは下がるべきなんだ」
TYPE.Aの声は、冷静だが力強かった。
「接近中の機械軍は、師団規模だ。あんたたちの装備と身体能力じゃ、生存確率は0.02%もない。戦いに参加すれば、あんたたちは無駄死にするだけだ。……それは、我々の防衛行動の邪魔になる」
「邪魔だって言うのか! 俺たちが!」
「そうだ。人間は脆く、壊れやすい。守るべき対象が最前線にいては、俺たちは全力を出せないんだよ」
正論だった。だが、それは命懸けで故郷を守ろうとする人間たちの矜持を傷つける言葉でもあった。
民兵リーダーが怒りに震え、TYPE.Aの胸倉を掴んだ、その時。
ズドンッ!!
乾いた銃声と共に、アヴァランチのホワイトロータスが岩の上に降り立った。
「……随分と賑やかだね。機械軍の歓迎パーティーかい?」
「誰だ、お前は!」
「通りすがりの同業者さ」
リリーナはコクピットハッチを開け、身を乗り出した。
「おい爺さん。その石頭(TYPE.A)の言う通りだ。アンタらがそこに出て行っても、機械軍の『掃除機』に吸い込まれて終わりだよ」
「なっ……! ガキに何が分かる!」
「分かるさ。私はアンタより長く生きてるんでね」
リリーナはTYPE.Aの方を向き、ニヤリと笑った。
「そっちのリーダーもだ。過保護なのは結構だがね、『守る』ってのは檻に閉じ込めることじゃない。……このままだと、アンタらが全滅した後、結局こいつらも死ぬことになるぞ?」
「……理解できないな。我々が全滅する確率は、人間が参加する場合よりも低いはずだ」
「計算機だけの頭じゃ、そこが限界か」
リリーナは葉巻に火を点けた。地平線の彼方から、重低音のような地響きが近づいてきている。
「来るぞ。議論してる時間はない。……生き残りたいなら、私の話を聞きな」
峡谷の斜面に設置された簡易テントの中で、緊急の作戦会議が開かれた。
「現状、敵の戦力は推定3,000機。対してこっちは、自警団が500機。民兵が200人。アヴァランチが数機。……まともにぶつかれば、すり潰されて終わりだ」
リリーナが地図上の駒を動かす。
「撤退を推奨する」
TYPE.Aが即座に提案した。その表情には苦渋が滲んでいる。
「人間を優先的に逃がし、俺たちが殿を務める。それが一番被害が少ない」
「逃げる場所なんてねぇよ!」
民兵リーダーが机を叩く。
「この先には村がある! ここを突破されたらおしまいだ!」
「だが、あんたたちが死んだら元も子もないだろう!」
TYPE.Aも声を荒らげる。人間を守りたいアンドロイドと、故郷を守りたい人間。平行線だ。
リリーナはパンと手を叩いた。
「いい加減にしな。……いいかい、勝つ方法は一つしかない。『全員』で戦うんだ」
彼女はTYPE.Aを指差した。
「アンドロイドは頑丈だ。だから『壁』になれ。峡谷の狭い地形を利用して、隙間なく並んで敵を受け止めろ」
「……あぁ、耐久力なら俺たちの得意分野だ」
「問題は攻撃力だ。壁になってる間、アンタらは撃てない。そこを人間が補う」
リリーナは民兵リーダーに向き直った。
「アンタらの銃じゃ、装甲は抜けない。だが、敵の『目』を潰すことはできる。照明弾、信号弾、煙幕弾。持てるだけ持って崖の上に登れ。敵のセンサーを焼き切り、視界を奪い、攪乱しろ」
リリーナの瞳が鋭く光る。
「敵は機械だ。センサー情報に頼り切っている。そこを狂わせれば、ただの鉄屑の行進になる。……アンタらは『戦う』んじゃない。『狩り』のサポートをするんだ」
民兵リーダーはごくりと喉を鳴らした。自分たちの狩猟の知識が、通用するかもしれない。
「そして、敵が混乱して足を止めたところを……私たちが横っ腹から食い破る」
リリーナの提案に、TYPE.Aは黙り込み、高速で思考を巡らせた。
「……被害予測を再計算した。……人間が直接戦闘を回避することで、生存確率は45%まで上昇する、か。……いいだろう。作戦行動として承認する」
「45%か。十分だね」
リリーナはニヤリと笑った。
「よし、配置につけ! 太陽が沈めば奴らが来る。今夜は長い夜になるぞ!」
日が落ち、峡谷が闇に包まれた。
地響きは、肌で感じる震動へと変わっていた。
ズズズズズズ……。
暗闇の中から無数の赤い光点が浮かび上がる。機械軍のセンサーアイだ。
「来るぞ……!!」
誰かの叫びと共に、機械軍の先頭集団が加速した。
砂煙を上げ、殺意の塊となって突っ込んでくる。
「撃てぇッ!!」
民兵リーダーの号令と共に、崖の上から無数の照明弾が放たれた。
シュバッ、シュバッ!
人工の真昼が訪れ、闇に紛れていた機械軍の姿が白日の下に晒される。
「うわっ、眩しッ……! でも、見えるぞ!」
「あいつら、目が眩んでやがる! 今だ、撃て撃てェッ!」
最前線に立つアンドロイドたちが叫ぶ。TYPE.Bたちは、恐怖と興奮がない交ぜになった声を上げながら一斉射撃を開始した。
「よしッ! このまま押し返せるぞ!」
「弾幕を薄くするなよ! 後ろには人間たちがいるんだ、一歩も通すな!」
リーダーのTYPE.Aが叫び、アサルトライフルを撃ちまくる。
「右翼、被弾! 衛生兵、急げ! オイルが漏れすぎてる!」
「痛ぇ……っ! 足が、足が動かねえよぉ!」
悲鳴が上がる。
流れ弾を受けた若い個体のTYPE.Bが、千切れた脚部を押さえて転げ回っていた。その顔は苦痛に歪んでいる。
「……くそっ、なんてザマだ」
崖の上で双眼鏡を覗いていた民兵のリーダーは、その光景に息を呑んだ。
今まで「便利な機械」だと思っていた彼らが、自分たちと同じように痛み、叫び、恐怖と戦っている。
「おい、照明弾切らすなよ! あいつらを暗闇にするんじゃねぇ!」
「わ、分かってるよ! くそっ、頑張れよ鉄屑ども!」
民兵たちが必死に支援を続ける。
即席の、しかし血の通った連携が、機械軍を峡谷の入り口で食い止めていた。
「ハッ、やるじゃないか!」
リリーナのホワイトロータスが、横合いから飛び出し、敵の集団にパイルバンカーを叩き込む。
このまま行ける。誰もがそう思った時だった。
ズゥゥゥン……!
大気が震えた。
砂煙を割り、現れたのは悪夢の具現だった。
全高30メートル。ドーム状の超重装甲に覆われた多脚戦車、移動要塞 グラン・タートル。
「おい……なんだよ、あれ……」
「嘘だろ……あんなデカいのが来るなんて聞いてないぞ……!」
アンドロイドたちが絶望の声を上げる。
直後、グラン・タートルの主砲が火を噴いた。
ドゴォォォォォン!!
最前線のバリケードが消滅した。
直撃を受けたTYPE.Bたちが、悲鳴を上げる間もなく鉄屑へと変わる。
「あ、あぁ……」
「嫌だ、助けて……熱い、身体が熱いよぉ……!」
下半身を失ったアンドロイドが、這いずりながら助けを求める。
グラン・タートルは、そんな彼らの苦しみなど意に介さず、巨大な脚で踏み潰しながら前進してくる。
「ひっ……! に、逃げろ! あんなの勝てるわけない!」
一人のTYPE.Bが恐怖に耐えきれず、武器を捨てて後退りした。
無理もない。死にたくない。彼らも心を持っているのだから。
「……逃げるなッ!!」
血とオイルまみれのTYPE.Aが、震える足で立ち上がり、部下の肩を掴んだ。
「ここを通してみろ! 崖の上の人間たちも、後ろの村も、全部灰にされるぞ!」
「で、でも隊長! 死んじまうよ! 怖いよ!」
「俺だって怖いさ! 痛いし、死にたくねえよ!」
TYPE.Aは叫んだ。その顔には、人間以上の激情があった。
「でもな、俺たちは誓っただろう! 弱い人間たちを守るって! 怖くても前に立つのが、俺たちの『誇り』だろうがッ!!」
その言葉が、崩れかけた戦線を繋ぎ止めた。
恐怖で震えながらも、TYPE.Bたちが再び武器を拾う。彼らは泣きながら、それでも大切なもののために命を捨てようとしていた。
「うおおおおおッ! 来るなァッ! 化け物めェッ!」
死に物狂いの銃撃。だが、グラン・タートルの装甲には傷一つ付かない。
その光景を見ていたリリーナの中で、何かが弾けた。
「……馬鹿野郎共が」
ホワイトロータスのスラスターが青い炎を噴く。
「どいつもこいつも、泣きそうな顔して突っ張ってんじゃないよ! ……見てらんないんだよッ!」
純白の機体が、絶望的な戦場へと割って入る。
第5章:血の通った戦術
「崖の上の人間たち! 聞こえてるね!」
リリーナが通信機越しに叫ぶ。
「あ、ああ! 聞こえてる! だが、どうすりゃいい!?」
「『隠す』んだよ! 煙幕だ! 持ってる発煙筒、全部まとめて峡谷に撃ち込め! あのデカブツの『目』を潰すんだ!」
「煙幕……!? でも、そうしたらお前さんたちも見えなく……」
「構うもんか! このままだと、下の鉄屑どもは全滅だぞ! あいつら、アンタらを守るために死のうとしてるのが分からないのか!」
その言葉が、民兵リーダーの胸に突き刺さった。
彼はずっと、アンドロイドを「冷たい機械」だと思っていた。だが今、目の前で、彼らは人間と同じように悲鳴を上げ、恐怖に震えながら、自分たちの盾となってくれている。
(……馬鹿は、俺たちの方だったか)
民兵リーダーは奥歯を噛み締め、叫んだ。
「野郎ども! 聞いたな! 持ってる煙幕、全部ぶっ放せ! あいつらを死なせるな! 俺たちの『盾』を守るんだ!」
シュポン、シュポン、シュポン!
崖の上から、白い煙を吐き出す弾体が雨のように降り注いだ。
峡谷の底は濃密な白煙に包まれ、視界がゼロになる。
『視界不良……ターゲット、ロスト……』
グラン・タートルの進撃が止まった。
煙の中で、リリーナがアンドロイドたちに指示を飛ばす。
「今だッ! 動ける奴は下がれ! 修理が先だ!」
「す、すまねぇ……助かった……」
「人間たちが、俺たちのために……?」
彼らの口から漏れるのは、安堵と、信じられないものを見るような驚きの声だった。
「礼は後だよ。……さて」
ホワイトロータスが、濃霧のような煙の中で静かに佇む。
「ここからは、人間の時間だ。……デカブツの心臓、抉り出してやる」
視界を奪われたグラン・タートルは、焦りを覚えた獣のように暴れていた。
リリーナはその足元を縫うように接近する。
(どこだ……どこかに隙が……!)
その時、煙の向こうから、散発的な銃声が聞こえた。
「隊長! 俺たちもやるぞ! 人間に助けられたままでたまるかッ!」
片腕を失ったTYPE.Aが、残った部下たちを率いて援護射撃を開始したのだ。
その「羽虫」のような攻撃に苛立ったグラン・タートルが、腹部の排熱ダクトを開放した。
「……そこだァッ!!」
リリーナは跳躍した。
灼熱の熱風が装甲を焦がすが、構わず突っ込む。
ガキィィィン!
四本の腕でハッチをこじ開け、右腕のパイルバンカーを赤熱するダクトの奥へとねじ込む。
「人間を……そして私の戦友たちを、舐めるなぁァッ!!」
ドォォォォン!!
巨大な鉄杭が、動力炉の中枢を貫通した。
グラン・タートルの巨体が痙攣し、内部から誘爆を始める。
「離脱ッ!」
リリーナが跳び退いた直後、グラン・タートルは大爆発を起こし、その巨体を峡谷の底に横たえた。
爆発音が消え、東の空が白み始めていた。
機械軍は撤退し、静寂が戻ってくる。
崖の下では、生き残った民兵たちが、傷ついたアンドロイドの元へ駆け寄っていた。
「おい! じっとしてろ! 今、フレームをこじ開けてやる!」
「人間……? なぜ……? 汚れるぞ……」
「うるせぇ! 俺たちの盾になってくれた馬鹿野郎を見捨てられるか!」
オイルまみれの手と、血まみれの手が重なり合う。
そこにはもう、「主人と道具」という冷たい関係はなかった。
「……やれやれ。随分と仲良くなったもんだ」
ホワイトロータスのハッチに座り、リリーナはコーヒーを飲んでいた。
足元から声がする。TYPE.Aのリーダーだ。
「あんたのおかげだ、傭兵」
「礼には及ばないさ」
「いや。あんたがいなければ、俺たちは全滅していた。……そして、人間たちも」
TYPE.Aは、人間たちがアンドロイドを修理している光景を見つめ、胸に手を当てた。
「……認識を改めるよ。あんたたちは『保護対象』だが……同時に『信頼できるパートナー』でもある、とな」
「へっ、やっと分かったかい。石頭」
そこへ、民兵のリーダーが歩み寄ってきた。彼はTYPE.Aの前に立つと、照れくさそうに無骨な手を差し出した。
「おい、鉄屑大将。……助かった。礼を言う」
「……あぁ。そっちこそ、的確な支援だった」
アンドロイドのマニピュレーターと、人間の手が握手をする。
軋むような金属音。だが、それは確かに温かい音だった。
「仕事は終わった。私たちは行くよ」
リリーナはコーヒーを飲み干し、トレーラーにエンジンをかけた。
民兵たちと、アンドロイドたちが一斉に敬礼を返す。
その姿をバックミラーで眺めながら、リリーナは葉巻に火を点けた。
「隊長、次はどこへ?」
「さあね。風の吹くまま、気の向くままさ」
紫煙を吐き出し、彼女はニヤリと笑った。
「守ったり守られたり、忙しい世の中だ。……でもま、たまにはこういうのも悪くない」
アヴァランチの隊列は、朝日が照らす荒野の彼方へと消えていく。
その背中には、鋼鉄の強さと、人間らしい温もりが宿っていた。




