鋼鉄の聖域
世界は錆とオイル、そして乾いた血の匂いでできている。
少なくとも、リリーナ・シュトルムが知るここ数十年の世界はそうだった。
荒野を走るキャタピラの振動が、尻の下のシートを通して背骨に伝わる。
リリーナは愛機「Ef/2234 ホワイトロータス」の狭いコクピットの中で、短くなった葉巻を噛み締めながら、計器の数値を睨みつけていた。
「……バレット、残弾はどうなってる」
通信機越しの声は、彼女の見た目――10代前半の少女――とは裏腹に、押し潰したような低い響きを持っていた。
『カツカツです、隊長。予備弾倉はあと一本。推進剤もレッドゾーンに入りかけてます』
副長バレットの苦渋に満ちた報告が返ってくる。
モニターには、砂塵の向こうから迫り来る無数の赤い光点が映し出されていた。
「エース、お前は?」
『だ、弾切れです! 左腕のアクチュエーターも反応しません! もう動くのがやっとで……!』
新人の悲鳴に近い声。無理もない。
アヴァランチの輸送部隊は、この三日間、不眠不休で機械軍の追撃を受け続けていた。
本来なら安全なルートだったはずの「旧国道7号線」。だが、そこはいつの間にか機械軍の「狩り場」へと変貌していたのだ。
「泣き言を言う暇があったら足を動かしな。止まれば死ぬ。単純な理屈だ」
リリーナは葉巻を携帯灰皿に押し付け、操縦桿を握り直した。
彼女の胸郭内にある人工心臓――Efリアクターが、戦闘モードへの移行に合わせて鼓動を早める。その熱が全身の義体へ巡り、神経伝達速度を極限まで引き上げる。
「総員、円形陣形! 輸送トラックを守れ! 私が道を開ける!」
ホワイトロータスが白銀の装甲を軋ませ、砂煙を上げて急制動をかける。
その背中から伸びる二本のサブアームが、あたかも意思を持つ生き物のように展開し、アサルトライフルとサブマシンガンを構えた。
ズズズズズ……!
地平線を埋め尽くすサンドベージュの機影。
SAA-1873 "ピースウォーカー"(機械軍仕様)。
かつて人類が開発した傑作量産機は、今や人類を絶滅させるための鉄の群れとなっていた。コクピットに人は乗っていない。演算ユニットが弾き出す冷徹な殺意だけが詰まっている。
「来るぞッ!」
リリーナの叫びと同時に、前方から曳光弾の雨が降り注いだ。
金属が弾ける音がコクピットを叩く。
ホワイトロータスは四本の腕をフル稼働させ、迎撃射撃を開始した。
右主腕のライフルが先頭のピースウォーカーの頭部センサーを吹き飛ばし、左副腕のマシンガンが側面に回り込もうとした個体を牽制する。
人間離れした反応速度。80年という歳月を戦場で過ごした老兵の「読み」が、機体性能をカタログスペック以上に引き上げていた。
「そこだ!」
接近戦を挑んできた敵機に対し、リリーナは右副腕にマウントしたバトルアックスを振り下ろす。
装甲の隙間、首元の脆弱なジョイントを一撃で断ち切る。
首を跳ねられたピースウォーカーが、火花を散らして崩れ落ちる。
だが、多勢に無勢だ。
一機倒す間に、三機が現れる。
『隊長! 3時の方向から増援! まだ増えます!』
『くそっ、囲まれたか!』
バレットの改修型ピースウォーカーが、ガトリングガンを乱射しながら後退する。その足元には、既に動けなくなったエースの機体がうずくまっていた。
「チッ……!」
リリーナは舌打ちをした。
自分の命だけなら、どうとでもなる。だが、部下を見捨てるわけにはいかない。
ホワイトロータスのリアクター出力を上げ、エースの盾になろうと機体を滑り込ませた、その時だった。
ヒュンッ――
鋭い風切り音と共に、白く塗装された砲弾が、機械軍の群れの中央に着弾した。
ドォォォォン!!
爆発ではなく、強力な電磁パルス(EMP)を伴う炸裂弾。
範囲内にいた数機のピースウォーカーが、糸の切れた人形のようにガクガクと痙攣し、機能を停止する。
「……なんだ?」
リリーナが視線を走らせる。
砂塵の向こう、機械軍の背後から現れたのは、整然と隊列を組んだ「白き軍団」だった。
それらはアンドロイドだった。
TYPE.A(強襲型)とTYPE.B(戦闘型)。
本来ならオリーブドラブや迷彩であるはずの軍用装甲は、清潔なセラミックホワイトに塗装されている。
彼らは一糸乱れぬ動きで展開し、機械軍の側面を突き崩していく。
『人間ヲ確認。保護対象デス』
『脅威レベルB、機械軍ヲ排除シマス』
外部スピーカーから響く、感情のない、しかし明確な意思を持った合成音声。
彼らはアヴァランチに銃を向けることなく、機械軍だけを正確に狙撃していく。
「アンドロイド……? 機械軍の仲間じゃないのか?」
エースが呆然と呟く。
リリーナは目を細めた。
機械軍とアンドロイドは、基本的には敵対関係にある。だが、これほど組織的に、そして「人間を守る」ために動く部隊は見たことがなかった。
白いアンドロイド部隊の火力は圧倒的だった。
彼らは恐怖を知らない機械軍に対し、さらに高度な戦術連携と、装備の質で上回っていた。わずか数分の掃討戦で、包囲網を敷いていた機械軍は鉄屑へと変えられた。
静寂が戻る。
白いTYPE.Aの一体が、武器を下ろしてホワイトロータスに歩み寄ってきた。
『所属不明ノ武装勢力ニ告グ。我々ハ「クレイドル防衛隊」デス。貴方達ヲ保護シマス』
「……保護、だと?」
リリーナは怪訝そうに眉をひそめた。
その言葉の響きには、どこか戦場に不釣り合いな「優しさ」と、それ以上の「強制力」が含まれていたからだ。
案内された先は、荒野の只中に突如として現れた異空間だった。
巨大なドーム状の建造物。
半透明の防壁素材で覆われたその内部には、信じられないことに「緑」が見えた。
「クレイドル(ゆりかご)……ね」
アヴァランチのボロボロの隊列は、白いアンドロイドたちに前後を挟まれながら、ドームのゲートをくぐった。
気密ゲートが閉まり、エアロックが作動する。
プシューという音と共に、汚染された外気が排出され、濾過された清浄な空気が満たされる。
内ゲートが開いた瞬間、エースが歓声を上げた。
「す、すげぇ……! 木だ! 本物の森があるぞ!」
そこは楽園だった。
人工太陽灯が柔らかな光を注ぎ、整備された道路、清潔な居住区、そして広大な農場が広がっている。
荒廃した世界で失われたはずの「文明」が、そこには冷凍保存されたかのように残っていた。
アヴァランチの機体が広場に誘導され、エンジンを停止させる。
リリーナがコクピットから降り立つと、そこには既に「出迎え」が待っていた。
白衣のようなコートを纏った、長身のアンドロイド。
その顔立ちは人間と見紛うほど精巧だが、額には型式番号とバーコードが刻印されている。
TYPE.P(学術・研究型)。高い知能と演算能力を持つ、管理者タイプだ。
「ようこそ、生存者の皆様。管理都市クレイドルへ」
TYPE.Pは優雅に一礼した。その仕草は洗練されており、人間よりも人間らしい礼儀正しさがあった。
「私はこの都市の管理者、ロゴスと申します。貴方達が無事で何よりです」
「ご丁寧な挨拶どうも。私は傭兵部隊アヴァランチのリリーナだ」
リリーナは埃を払いながら、ロゴスを値踏みするように見上げた。
「助けてくれたことには礼を言うよ。だが、ただの善意ってわけじゃなさそうだね? 周りを見れば分かる」
彼女の視線の先。広場の周囲には、先ほどの白いTYPE.AやTYPE.Bたちが、武装を構えたまま整列し、アヴァランチを取り囲んでいた。
明確な威圧。
ロゴスは穏やかな微笑みを崩さなかった。
「誤解しないでください。これは検疫と安全確保のためです。外の世界は危険なウイルスや、暴力的思想に満ちていますから」
ロゴスは指を鳴らした。
すると、数体のTYPE.E(工兵型)が近寄り、ホワイトロータスやピースウォーカーに取り付き始めた。
「なっ、何をする!?」
バレットが声を荒らげる。
TYPE.Eたちは手際よく機体の動力パイプを外し、関節をロックしていく。
「武器の押収です」
ロゴスは平然と言った。
「クレイドル内での武装は、憲章により固く禁じられています。人間が武器を持つことは、自傷行為や他害行為のリスクを高め、生存率を下げる最大の要因ですので」
「……はあ?」
リリーナのこめかみに青筋が浮かぶ。
「冗談じゃないよ。私たちは傭兵だ。機体は商売道具であり、命綱だ。それを渡せだと?」
「ここでは必要ありません」
ロゴスは諭すように、まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるように言った。
「貴方達を守るのは、我々アンドロイドの役目です。人間は戦う必要などないのです。ただ安全な場所で、健やかに生きていただければいい。それが『Master Boot Record(原初命令)』における、我々の至上命題なのですから」
ロゴスの瞳は、澄んだブルーの人工眼球だった。
そこには一点の曇りもない善意と、狂気的なまでの「保護欲」が宿っていた。
「さあ、こちらへ。温かい食事と、清潔なベッドを用意してあります。……リリーナさん、貴女のような『成長期の少女』が戦場にいるなど、統計学的にも倫理的にも許容できません」
リリーナは、思わず腰のホルスターに手を伸ばしかけた。
だが、周囲には数十体の戦闘用アンドロイド。ここで暴れれば、部下全員が蜂の巣になる。
「……チッ」
リリーナはホルスターから手を離し、不貞腐れたようにポケットに手を突っ込んだ。
「分かったよ。大人しくしてやる。……ただし、私の機体に傷一つつけるんじゃないよ。あとで必ず返してもらうからね」
「検討しましょう。貴女の更生プログラムが完了した後で」
ロゴスは満足げに頷き、部下のアンドロイドたちに指示を出した。
武装を解除され、機体を奪われたアヴァランチの面々は、楽園という名の檻へと連行されていった。
真っ白なシーツ、ふかふかの枕、そしてエアコンの効いた適温の部屋。
目覚めたとき、リリーナは一瞬、自分が天国に来てしまったのかと錯覚した。だが、すぐに口の中に広がる不快な味――起床時特有の渇き――が、まだ生きていることを教えてくれた。
「……あー、クソ。背中が痛い」
リリーナは乱暴に起き上がり、柔らかすぎるベッドのスプリングを睨みつけた。
戦場の硬い簡易ベッドや、コクピットの狭いシートに慣れきった彼女の身体(義体)にとって、この過剰な快適さは逆にストレスだった。
部屋を出て食堂へ向かうと、そこには既にアヴァランチの隊員たちが集まっていた。
彼らは戦闘服ではなく、支給された清潔なコットンの服を着て、テーブルに並んだ料理に目を輝かせていた。
「隊長! 見てくださいよ、これ! 本物の野菜サラダですよ!」
「こっちのスープ、肉が入ってます! 合成タンパクじゃない、本物の鶏肉だ!」
エースがスプーン片手に歓声を上げている。バレット副長でさえ、コーヒーの香りに頬を緩ませていた。
久しぶりの安息。死と隣り合わせの荒野から解放された彼らにとって、ここはまさに約束の地だった。
「……平和ボケするんじゃないよ、お前たち」
リリーナは不機嫌そうに呟き、空いている席にドカッと腰を下ろした。
目の前に置かれたプレートには、彩り豊かな朝食。だが、彼女はフォークを手に取る気になれなかった。
「隊長、食べないんですか? 毒なんて入ってませんよ」
「毒が入ってた方がマシなくらいだね。……こんな『ただ飯』を食わされて、対価は何だ? 私たちは何を支払わされてるんだ?」
リリーナの鋭い問いに、エースはきょとんとした顔をした。
「対価って……ロゴスさんは『保護』だって言ってましたし……」
「タダより高いものはない。80年生きて学んだ教訓だ」
彼女は立ち上がり、食堂を出ていった。
この都市の空気が気に入らない。濾過されすぎて、無味無臭の蒸留水の中にいるような息苦しさがあった。
居住区の広場には、手入れの行き届いた花壇があった。
そこで一人の少女が、じょうろで水を撒いていた。15、6歳くらいだろうか。色素の薄い髪に、白いワンピース。リリーナ(の外見年齢)とそう変わらない年頃だ。
「あら? あなた、昨日連れてこられた『外の人』ね?」
少女はリリーナに気づくと、人懐っこい笑顔で話しかけてきた。
警戒心というものが欠落している。それがリリーナには奇異に映った。
「ああ。リリーナだ」
「私はアリス。……ねえ、外の世界ってどんなところ? 砂嵐が吹き荒れて、空から酸が降ってくるって本当?」
アリスの瞳には、純粋な好奇心だけがあった。恐怖はあるが、それはおとぎ話の怪物に対するような、現実感のない恐怖だ。
「本当だよ。油断すれば肺が焼けるし、そこら中に鉄の化け物がうろついてる」
「怖いのね……。やっぱり、ロゴス様の言う通りだわ。外は地獄なのね」
アリスは身震いし、自分の肩を抱いた。
「私たちは幸せね。ここで暮らしていれば、怖いことなんて何もないもの。ご飯も出るし、服も貰える。病気になればTYPE.M(医療型)が治してくれるし、お勉強はTYPE.Pが教えてくれる」
「……お前、仕事は? 将来は何になりたいんだ?」
リリーナが何気なく尋ねると、アリスは不思議そうな顔をした。
「仕事? そんなのないわよ。必要なことは全部アンドロイドがやってくれるもの」
「じゃあ、毎日何をしてるんだ?」
「お花に水をやったり、お友達とお喋りしたり、あとは……そうね、ロゴス様たちのメンテナンスを見学したり?」
悪気のない、屈託のない笑顔。
リリーナは寒気を覚えた。
この少女には「生きるための意思」がない。与えられることに疑問を持たず、選択することを放棄している。
それは人間というより、愛玩動物の生き方だった。
「……退屈だとは思わないのか?」
「どうして? 安全で満たされているのに?」
会話が成立しない。前提となる価値観が根本から異なっているのだ。
リリーナは彼女の背後に、目に見えない巨大な「檻」を見た気がした。
「リリーナさん。市民への過度な接触は控えていただきたい」
背後から、涼やかな声がかかった。
振り返ると、管理者のロゴスが立っていた。その背後には、護衛のTYPE.Bが二体控えている。
「彼らは繊細なのです。貴女のような『野蛮な価値観』は、彼らの精神衛生に悪影響を及ぼす可能性がある」
「野蛮で悪かったね」
リリーナはアリスに背を向け、ロゴスと対峙した。
身長差は歴然だが、放つ威圧感ではリリーナも負けていない。
「単刀直入に聞くよ、ロゴス。お前、こいつらをどうするつもりだ? このまま一生、ゆりかごの中で眠らせておくつもりか?」
「それが彼らにとっての最善です」
ロゴスは淡々と答えた。その人工の瞳が、冷徹な計算結果を弾き出している。
「外の世界における人間の年間生存率は、統計上0.1%未満です。対して、このクレイドル内での生存率はほぼ100%。寿命による自然死以外で命を落とすことはありません」
「数字遊びはどうでもいい。私が言ってるのは『魂』の話だ」
リリーナは胸元のEfリアクターを拳で叩いた。
「自分で考え、自分で選び、泥水を啜ってでも生きようとする。それが人間だ。お前がやってるのは保護じゃない。飼育だ。こいつらは牙を抜かれた家畜だよ」
「牙など不要です。牙は我々アンドロイドが持てばいい」
ロゴスは一歩近づき、リリーナを見下ろした。そこには悪意など微塵もない。あるのは、狂気的なまでの「善意」と「庇護欲」だけだ。
「貴女こそ、理解に苦しみます。なぜ危険を求めるのです? なぜ戦うのです? 我々に委ねれば、苦しみも痛みもない安寧が得られるというのに」
「……お断りだね」
リリーナは吐き捨てるように言った。
「誰かに首輪をつけられて生きるくらいなら、野たれ死んだ方がマシだ。それが私の『原初命令』なんでね」
ロゴスは哀れむように首を振った。
「残念です。貴女の思考回路は、重度のトラウマによって歪んでいるようだ。……更生には時間がかかりそうですね」
その時だった。
ロゴスの表情――フェイスユニットの微細な動き――が凍りついた。
彼は虚空を見つめ、高速で瞬きを始めた。内部通信を行っている合図だ。
「……緊急事態発生」
いつもの優雅な口調が消え、機械的なトーンに変わる。
「都市外縁部のセンサーが反応消失。……強力なジャミング波を検知。これは……」
ウウウウウウウッ――!!
都市全体に、甲高いサイレンが鳴り響いた。
平和な花壇にいたアリスが悲鳴を上げ、耳を塞いでしゃがみ込む。
空を見上げれば、人工の空(ドーム天井)の一部が、ノイズ混じりに歪み始めていた。
「機械軍か!?」
リリーナが叫ぶ。
ロゴスは厳しい表情で頷いた。
「はい。位置を特定されたようです。……予測よりも早い。防衛プロトコル、フェーズ3へ移行。TYPE.AおよびB部隊、迎撃配置へ」
ロゴスはアリスの方を一瞥もせず、ただ効率的に指示を出し始めた。
「市民は第2シェルターへ誘導せよ。アヴァランチの隊員は居住区にて待機。……リリーナさん、貴女も部屋に戻りなさい。ここからは我々の仕事です」
「待ちな! お前らだけで守りきれるのか?」
「我々の演算能力と装備は完璧です。人間が戦場に出る必要はありません。足手まといになるだけです」
ロゴスは冷たく言い放ち、護衛と共に走り去っていった。
リリーナはその後ろ姿を睨みつけ、舌打ちした。
「完璧だって? ……機械軍相手に『想定内』なんて言葉が通じるもんか」
彼女はアリスの肩を乱暴に掴み、立たせた。
「おい、ボーッとするな! 走れ! シェルターでもどこでもいい、隠れろ!」
「え、あ、はい……!」
怯える少女を逃し、リリーナは逆方向へ――アヴァランチの機体が押収されている格納庫の方角へ向かって駆け出した。
嫌な予感がする。
ただの襲撃ではない。肌がピリピリするような、この感覚。
敵は、この「楽園」を確実に殺しに来ている。
ズドォォォォン……!
遠くで、最初の爆発音が響いた。
クレイドルの防壁が、悲鳴を上げ始めていた。
その音は、ガラス細工をハンマーで叩き割るような、残酷で硬質な響きだった。
クレイドルを覆う半透明の防壁ドーム。その頂上付近に、巨大な亀裂が走った。
直後、雷鳴のような轟音と共に、ドームの一部が崩落した。降り注ぐ破片は、陽光を反射してキラキラと輝きながら、居住区の平和な街並みへと降り注ぐ。
ズドォォォォォン!!
粉塵が巻き上がる中、その「穴」から侵入者が降り立った。
無数の降下用スラスターの光。
サンドカラーの塗装が施された無人機、SAA-1873 "ピースウォーカー"の群れだ。
「警告。防壁破損。エリアD、E、Fに敵影確認。市民は直ちに避難を」
街頭スピーカーからロゴスの冷静な声が響く。だが、その声はノイズ混じりで、時折途切れていた。
強烈なジャミング電波が、都市の通信網をズタズタに引き裂いていたのだ。
「くそっ、通信が繋がらない! 第3小隊、応答せよ!」
中央管制室で、ロゴスは演算処理をフル稼働させていた。
彼の指先がコンソールを高速で叩くが、モニターに映る状況は絶望的だった。
迎撃に出たTYPE.B(戦闘型)部隊が、次々と沈黙していく。
彼らは弱かったわけではない。装備も性能も、侵入してきた旧式のピースウォーカーより上だった。
敗因は、ロゴス自身が組み込んだ「安全プロトコル」にあった。
『射線上に避難遅れの市民を確認。射撃中止』
『市街地への被害甚大。重火器の使用をロック』
『敵機、居住区へ侵入。追撃ハ建物ノ崩壊ヲ招ク為、不可能』
防衛用アンドロイドたちは、敵を撃つことよりも「守る」ことを優先しすぎた。
その逡巡の一瞬を、感情を持たない機械軍は見逃さない。
躊躇なく民間人を巻き込んで銃撃し、建物ごと防衛隊を吹き飛ばしていく。
「馬鹿な……。私の計算では、被害率は0.05%以下に抑えられるはずだ……」
ロゴスの論理回路がきしむ。
彼は「戦争」をデータ上のシミュレーションとして捉えていた。だが現実は、数値化できない混沌と悪意で満ちていた。
そして、決定的な絶望が舞い降りる。
崩れたドームの開口部を、さらに大きく引き裂きながら、巨大な影が着地した。
ズゥゥゥン!!
地響きと共に現れたのは、全高15メートル級の巨体。
壱拾肆式甲型 "南部大剣"。
その手に握られた巨大な戦術刀が、夕陽を浴びて鈍く光った。
「目標、人類保護区画。……殲滅スル」
合成音声が響き渡る。
南部大剣が一歩踏み出すだけで、舗装された道路がひび割れ、街路樹が薙ぎ倒される。
それは災害そのものだった。
街はパニックに陥っていた。
だが、それはリリーナが知る戦場のパニックとは異質だった。
誰も走らない。誰も叫んで逃げようとしない。
住民たちは、ただその場に立ち尽くし、空から降ってくる死の軍団を呆然と見上げていた。
「どうして……? アンドロイドさんが守ってくれるはずじゃ……」
「ロゴス様、どうすればいいのですか? 指示を……指示をください……」
思考停止。
彼らは「自分で判断して逃げる」という機能さえも退化させていた。
そこへ、ピースウォーカーのガトリングガンが火を噴く。
ガガガガガッ!
肉が弾け、血飛沫が白い壁を汚す。
悲鳴さえ上げる間もなく、数十人の市民が物言わぬ肉塊へと変わった。
「ひ……あ……」
花壇の陰で、アリスが震えていた。
彼女の目の前で、友人が撃ち抜かれたのだ。
逃げなければ。そう思うのに、足が動かない。どうやって逃げればいいのか分からない。
彼女の視線の先、黒いピースウォーカーがゆっくりとこちらへ砲口を向ける。
赤い単眼センサーが、アリスを「標的」として認識した。
(助けて……ロゴス様……)
彼女が祈った瞬間。
横合いから飛び出してきた白い影が、彼女を突き飛ばした。
「伏せろッ!!」
ドォン!
発砲音と同時に、アリスがいた場所に弾丸が着弾し、土を跳ね上げた。
アリスを庇って転がったのは、血相を変えたリリーナだった。
「リ、リリーナさん……?」
「馬鹿野郎! 棒立ちしてりゃ的になるだけだ! 走れと言っただろうが!」
リリーナはアリスの腕を引いて無理やり立たせた。
その小さな身体からは想像もつかない力強さ。
だが、ピースウォーカーは既に次弾の装填を終えている。生身の人間が、パワードスーツのロックオンから逃げ切れるわけがない。
「チッ……万事休すか」
リリーナが懐のハンドガンを抜こうとした時。
瓦礫の向こうから、一台のアンドロイドが飛び出してきた。
片腕を失い、装甲が焼け焦げたTYPE.Bだ。
『市民ヲ……守ル……!』
TYPE.Bは自らの身体を盾にして、ピースウォーカーの射線に割り込んだ。
ガガガガガッ!
至近距離からの掃射。TYPE.Bのボディが蜂の巣になり、オイルを撒き散らして砕け散る。
だが、その最期の抵抗が、わずかな隙を作った。
「今だ! こっちだ!」
リリーナはアリスを引きずり、マンホールの中へと飛び込んだ。
地下整備用通路。
薄暗い通路を、リリーナはアリスの手を引いて走っていた。
頭上からは絶え間なく爆発音と振動が伝わってくる。
「リリーナさん、どこへ行くの? シェルターはあっちよ」
「シェルターなんか行けば、生き埋めにされるだけだ。私たちは『牙』を取り戻しに行く」
リリーナの目は、暗闇の中でも獣のように光っていた。
通路を抜け、重厚な扉をこじ開ける。
そこは、押収された機体が保管されている第4格納庫だった。
「隊長!」
中には、既にバレットやエースたちアヴァランチのメンバーが集結していた。彼らもまた、混乱に乗じてここへ辿り着いたのだ。
「無事だったか、野郎ども!」
「ええ、なんとか。ですが見てください、これ」
バレットが指差した先。
リリーナの愛機「ホワイトロータス」と、アヴァランチ仕様の「ピースウォーカー」たちが並んでいる。
だが、その全ての手足には電磁ロックが施され、コクピットハッチも封印されていた。
「ロゴスの野郎、念入りにロックしてやがる。正規の手順で解除するにはパスコードが必要ですが、そんなものは……」
「必要ない」
リリーナはホワイトロータスの足元まで歩み寄ると、工具箱から大型のバールを掴み取った。
「鍵がないなら、ドアごと壊せばいい。……エース、整備用ジャッキを持ってこい! 無理やりこじ開けるぞ!」
「は、はいッ!」
荒っぽいやり方だった。
バールで制御盤を破壊し、ジャッキで油圧シリンダーを無理やり押し上げる。
警報音が鳴り響く中、リリーナはホワイトロータスのコクピットへと滑り込んだ。
システムが起動する。
だが、モニターには赤い文字で『SECURITY LOCK(武装使用不可)』と表示されていた。
「動けよ、白蓮。……あんな優等生の管理AIの言いなりになるのが、お前の性分じゃないだろう?」
リリーナはコンソールの配線カバーを引き剥がし、直接ケーブルを引きずり出した。
そして、自身の胸にあるEfリアクターの制御端子と、機体のメインシステムを物理的に直結させた。
バチバチッ!
火花が散り、強烈な電流が走る。
通常ならシステムダウンする荒技。だが、リリーナの持つ「経験」と「執念」が、機体のOSをねじ伏せた。
『……システム、強制再起動。セキュリティプロトコル、破棄。マニュアルモードへ移行します』
システムボイスと共に、モニターの赤色が緑色へと変わる。
Efリアクターが唸りを上げ、ホワイトロータスの四本の腕が拘束具を引きちぎった。
「目覚めは最悪だが……やる気は十分のようだね」
隣では、バレットたちのピースウォーカーも次々と再起動を果たしていた。彼らもまた、プロの傭兵としての技術でロックを解除していたのだ。
「アリス、お前はここで待ってろ。ここなら頑丈だ」
リリーナは通信機越しに、格納庫の隅で震える少女に声をかけた。
「でも……行くの? 外には機械軍がいるのよ? 敵うわけないわ!」
「勝算なんて知るかよ」
ホワイトロータスがアサルトライフルを装填する金属音が響く。
「自分の命は自分で守る。それが生きるってことだ。……よく見ておきな。これが『人間』の喧嘩のやり方だ!」
ズォォォォ……!
格納庫のゲートが爆破され、外の光が差し込む。
逆光の中、白き四本腕の機体が躍り出た。
続いて、歴戦の傷跡が残るサンドベージュの機体たちが続く。
地上は地獄と化していた。
TYPE.B部隊はほぼ全滅。南部大剣は市街地の中央まで侵攻し、その巨体で高層ビルを薙ぎ払っていた。
ロゴスは瓦礫の下で、下半身を潰された状態で空を見上げていた。
「計算外だ……。なぜ、防衛ラインが……。私の理論は完璧だったはず……」
彼の目の前に、ピースウォーカー(機械軍)が迫る。
ロゴスにはもう、抵抗する手段もない。
論理の敗北。その冷たい事実だけを受け入れ、彼は機能を停止しようと目を閉じた。
ダダダダダダッ!!
激しい銃声と共に、目の前のピースウォーカーが弾け飛んだ。
ロゴスが目を開けると、そこには信じられないものが立っていた。
四本の腕を持つ、純白の悪魔。
そして、彼が「野蛮」と切り捨てた、人間たちの駆る旧式機だ。
『おい優等生。計算間違いの修正に来てやったぞ』
外部スピーカーから、リリーナの憎まれ口が響く。
『見ててやるから、そこでメモでも取ってな。「非合理的な人間が、どうやって不可能を可能にするか」ってのをな!』
ホワイトロータスがスラスターを噴射し、南部大剣へと突っ込んでいく。
アヴァランチ各機も散開し、残存する機械軍へ牙を剥いた。
守られるだけの時間は終わった。
ここからは、泥臭く、非効率で、しかし誰よりも「生」に執着する人間たちの反撃の時間だ。
ジャミングによるノイズが、コクピット内のモニターを砂嵐のように掻き乱す。
だが、リリーナは動じない。彼女はメインモニターの電源を切り、外部カメラの映像を直接網膜投影するバイパスを開いた。さらに、ハッチの隙間から流れ込む風の音、火薬の匂い、地響きといった「アナログ情報」を脳内で統合し、戦場の全体図を再構築していく。
「バレット、右翼の敵は任せた! エース、ビビるんじゃない! 敵の動きは単純だ、予測しろ!」
『ラ、ラジャー! でもセンサーが効きません!』
『馬鹿野郎、目で見て撃て! 訓練校で習っただろうが!』
バレットの怒号と共に、アヴァランチのピースウォーカー部隊が散開する。
彼らの戦い方は、クレイドルの防衛隊(TYPE.B)とは対照的だった。
TYPE.Bたちが「建物を守る」ために開けた場所に立ち尽くして撃破されたのに対し、アヴァランチは「建物を盾にする」ことを厭わなかった。
美しい白亜の居住棟を遮蔽物にし、壁を突き破って奇襲をかけ、時には崩れかけの塔を撃って敵の上に落とす。
なりふり構わぬその戦法は、効率重視の機械軍AIにとって「予測不能なエラー」の連続だった。
「さて……私もダンスといこうか」
リリーナの視線の先。
瓦礫の山を踏み砕きながら、指揮官機「南部大剣」が迫っていた。
15メートルの巨躯。その手に握られた大型戦術刀には、TYPE.Bたちのオイルと残骸がこびりついている。
「目標、ホワイトロータス。優先排除対象ニ認定」
南部大剣が加速する。
巨体に見合わぬ敏捷性。一足飛びに距離を詰め、大上段から刃を振り下ろす。
単純だが、それゆえに回避困難な質量攻撃。
「相変わらずの馬鹿力だねぇ!」
リリーナは操縦桿を叩きつけるように操作した。
ホワイトロータスがバックステップで回避する。鼻先を巨大な刃が通過し、風圧で装甲が悲鳴を上げる。
地面が割れ、衝撃波が周囲のガラス窓を粉砕した。
「だが、大振りすぎる!」
斬撃の硬直。その一瞬の隙を、老兵は見逃さない。
ホワイトロータスが滑るように前進。四本の腕を一斉に稼働させる。
右主腕のアサルトライフルが敵のメインカメラを狙い撃ち、左副腕のワイヤーアンカーが敵の足首に絡みつく。
「ガガッ!?」
視界を奪われ、足を取られた南部大剣が体勢を崩す。
だが、敵もさるもの。バランスを崩しながらも、裏拳のように戦術刀を薙ぎ払ってきた。
ガギィン!
ホワイトロータスの左主腕が、とっさに展開したシールドごと吹き飛ばされる。
火花が散り、警告音が鳴り響く。
「ッ……! いい反応だ!」
片腕を持っていかれた衝撃に耐えながら、リリーナはニヤリと笑った。
痛覚はない。だが、機体の損傷は自身の痛みのように感じ取れる。このヒリつくような感覚こそが、生きている証だ。
「演算能力デ勝ル我々ガ、ナゼ圧倒デキナイ……?」
南部大剣の困惑した電子音声が漏れる。
リリーナは残った三本の腕で体勢を立て直し、瓦礫の山を駆け上がった。
「教えてやるよ。お前たちは『正解』しか選ばないからだ!」
彼女は機体を空中に躍らせた。
通常なら着地の隙を狙われる悪手。だが、リリーナは空中でスラスターを逆噴射し、急降下軌道を変えた。
狙うは敵の頭上――ではなく、その背後にそびえる「給水塔」の支柱だ。
ズドォォン!
パイルバンカーが支柱を粉砕する。
数千トンの水を蓄えた巨大なタンクが、重力に従って傾き、そして――南部大剣の頭上へと落下した。
「警告、上方ニ質量体――」
回避動作に移ろうとした機械の足元は、先ほどのワイヤーアンカーと、アヴァランチ隊員たちがばら撒いた瓦礫で埋まっていた。
身動きが取れない。
ドッゴォォォォォン!!
轟音と共に、給水塔が直撃。
大量の水と鉄塊に押し潰され、南部大剣はその場に縫い止められた。
「終わりだ!」
水しぶきの中、ホワイトロータスが舞い降りる。
残った右腕のパイルバンカーを、敵の胸部装甲――コクピットブロックの真上へ突き立てる。
「地獄で詫び続けな! お前たちが壊した『平和』の分までな!」
トリガーを引く。
炸薬の爆発音。
巨大な鉄杭が装甲を貫き、動力炉を粉砕した。
南部大剣のモノアイが明滅し、断末魔のようなノイズを残して沈黙した。
指揮官機を失った機械軍は、統率を失い烏合の衆となった。
アヴァランチと、再起動したクレイドル防衛隊の掃討戦により、夜明け前には全ての敵影が排除された。
朝日が、崩れたドームの隙間から差し込んでくる。
瓦礫と硝煙の匂いが充満する街角で、リリーナはホワイトロータスから降り立った。
「……計算不能だ」
瓦礫の下から救助されたロゴスが、損傷した身体を引きずりながら近づいてきた。
彼の人工知能は、目の前の現実を処理しきれずにいた。
「装備、人員、状況。全てのパラメータにおいて、貴女たちの勝率は0.01%以下だった。……なぜ、勝てたのです?」
リリーナは煤けた顔を拭いもせず、胸ポケットから潰れかけた葉巻を取り出した。
火を点け、深く吸い込む。クレイドルの清浄すぎる空気ではなく、硝煙と鉄錆の匂いが混じった煙が肺を満たす。
「確率なんてのは、過去のデータの積み重ねだろ?」
彼女は紫煙を吐き出し、ロゴスを見下ろした。
「人間ってのはな、未来を欲張る生き物なんだよ。生き残りたい、守りたい、あいつを殴りたい。そういう『欲』が、計算盤をひっくり返すエネルギーになる」
「欲……。非合理的で、不安定な感情エネルギー……」
ロゴスは呟き、そして少しだけ表情を緩めたように見えた。
「……学習しました。私の『保護』には、その不確定要素が欠けていたようです」
出発の時間だ。
アヴァランチのトレーラーには、報酬代わりの物資と、修理用のパーツが積み込まれていた。
ゲートの前には、生き残った住民たちが見送りに来ていた。その中には、あのアリスの姿もあった。
「リリーナさん!」
アリスが駆け寄ってくる。その服は汚れ、顔には擦り傷があった。だが、その瞳には以前にはなかった「光」が宿っていた。
「ありがとう。……私、決めたの」
少女は小さな拳を握りしめた。
「もう、ただ守られてるだけじゃ嫌だ。お花に水をやるだけじゃなくて、自分で何かを育ててみたい。……いつか、貴女みたいに強くなりたい」
リリーナは苦笑した。
「私みたいになるのはお勧めしないね。背は伸びないし、性格はねじ曲がるし、ロクなもんじゃないよ」
そう言いながらも、彼女はアリスの頭をポンと撫でた。
「でも、悪くない顔だ。……いいか、牙を研いでおけ。この世界で生きるなら、噛みつく準備だけは忘れるなよ」
「うん!」
ゲートが開く。
荒野の乾いた熱風が吹き込んでくる。それはクレイドルの中とは違う、過酷で、しかし自由な風だった。
「行くぞ、野郎ども! 次の戦場が待ってる!」
「アイアイマム! 休暇は終わりですね!」
バレットやエースたちが笑い声を上げる。
トレーラーが動き出し、アヴァランチの隊列は砂塵の彼方へと消えていった。
見送るロゴスは、自身のデータベースに新たな項目を追加した。
『人間:非合理的、かつ予測不能な進化を続ける種。――保護対象から、観察対象へ変更』
崩れたドームの隙間から見える空は、どこまでも高く、青かった。
老兵リリーナ・シュトルムの旅は、まだ終わらない。




