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第28章【十五の衝動、十七の献身(Fifteen's Impulse, Seventeen's Devotion)】



 地下都市の人工太陽が明滅し、朝の訪れを告げる電子チャイムが鳴るよりも早く、僕は目を覚ました。

 体内時計の誤差はコンマ数秒。

 この5年間、ヴィオラによる地獄のような……いや、実戦そのものの訓練を受け続けた結果、僕の身体は思考するよりも先に環境に最適化されるようになっていた。

 僕はベッドから身体を起こし、軽く首を鳴らした。

 視界の高さが、5年前とは違う。

 かつては見上げていた家具が、今は目線の高さ、あるいはそれ以下にある。

 鏡に映る自分を見る。

 15歳。

 あどけなかった頬の肉は落ち、顎のラインは鋭角に削げている。首筋から肩、腕にかけては、鋼のワイヤーを束ねたような筋肉が浮き上がっていた。

 ヴィオラの特有の超高速機動に追従するため、そして人間としての限界を超えるために鍛え上げられた、戦うための肉体。

 身長は既にヴィオラを追い抜き、ボビーに迫るほどになっていた。

「……ふぅ」

 僕は短く息を吐き、汗ばんだTシャツを脱ぎ捨ててリビングへと向かった。

 ヴィオラの宿舎は相変わらず無機質だが、この5年で少しだけ生活感が増している。

 壁には集合写真が飾られ、棚にはカオリが集めたアンティークの小物や、Mが作ったぬいぐるみが並んでいる。

 キッチンからは、トーストが焼ける香ばしい匂いと、コーヒーの香りが漂ってきていた。

 洗面所のドアが開いていた。

 誰もいないと思い、僕は顔を洗うために中へと足を踏み入れた。

「あっ」

 湿った空気と、甘いシャンプーの香り。

 そこで僕は、息を呑んで立ち尽くした。

 カオリがいた。

 シャワーを浴びた直後なのだろう。彼女は薄いキャミソールとショートパンツという、極めて無防備な部屋着姿で、濡れた髪をタオルで拭いているところだった。

 17歳になった彼女は、僕の知っている「お姉さん」の枠を、いつの間にか大きく超えていた。

 かつて栄養失調で痩せこけていた身体は、5年の月日と平和な生活によって、豊潤で瑞々しい曲線を描くようになっていた。

 濡れた髪から滴る水滴が、白磁のような首筋を伝い、鎖骨の窪みに溜まり、そしてキャミソールの薄い布地に吸い込まれていく。

 胸元の膨らみは布越しでもはっきりと分かり、ショートパンツから伸びる太腿は、健康的でありながら、触れれば指が沈み込みそうなほど柔らかそうだ。

 ドクン。

 僕の心臓が、警報音のように跳ねた。

 敵と対峙した時の緊張感じゃない。もっと粘着質で、身体の奥底から湧き上がるような「熱」。

 喉が渇く。

 視線を逸らさなければいけないのに、眼球が裏切ったように彼女の肢体に釘付けになる。

 脳裏に浮かぶのは、家族愛でも、友情でもない。

 もっと暴力的で、動物的な「欲しい」という渇望。

 (ダメだ。カオリは家族だ。姉さんだ。こんな目で見るなんて……!)

 理性が必死にブレーキをかけるが、僕の中に流れる「新人類」の血なのか、それともただの思春期の暴走なのか、本能が理性を食い破ろうとする。

「……あ、おはよう。アルくん」

 カオリが僕に気づき、鏡越しに振り返った。

 彼女は悲鳴を上げることも、身体を隠すこともしなかった。

 それどころか、少し驚いたように目を丸くした後、ふわりと花が咲くように微笑んだのだ。

「早いね。またトレーニング?」

 彼女はタオルを首にかけ、僕の方へ歩み寄ってきた。

 距離が縮まる。

 甘い香りが強くなる。

 彼女の体温が伝わってきそうな距離で、彼女は僕を見上げている。5年前は僕より大きかった彼女も、今は僕が見下ろす高さだ。

「……カ、カオリ。その格好……」

 僕は視線のやり場に困り、しどろもどろになった。

 顔が熱い。耳まで真っ赤になっているのが自分でも分かる。

「ん? 変かな?」

 カオリは小首を傾げ、自分の胸元をちらりと見た。

 薄い布地が肌に張り付き、身体のラインを露わにしていることに、彼女が気づかないはずがない。

 彼女は、分かってやっているのだ。

「……アルくん、顔が赤いよ」

 彼女の手が伸びてきて、僕の頬に触れた。

 ひんやりとした掌の感触。

 その対比で、僕の体温がいかに異常に上昇しているかが伝わってしまう。

「……ごめん。僕、先に行くよ」

 僕は逃げるように背を向けた。

 これ以上ここにいたら、自分が自分でなくなってしまいそうで怖かった。

 家族としての境界線を、獣のような本能で踏み越えてしまいそうで。

「逃げなくてもいいのに」

 背中で、カオリの小さな呟きが聞こえた気がした。

 その声には、拒絶の色など微塵もなく、むしろ何かを待ちわびるような、慈愛と誘惑が混ざり合った響きが含まれていた。

 僕はリビングへ飛び出し、冷たい水を一気に飲み干した。

 手の震えが止まらない。

 5年間、共に笑い、共に学び、背中合わせで戦ってきた大切なパートナー。

 でも、今の彼女は、僕にとって「守るべき対象」であると同時に、「犯してしまいたい対象」になりつつあった。

 その事実に対する罪悪感と、それでも収まらない熱に、僕は深い溜息をついた。


 その日の昼下がり。

 整備ドックの休憩スペースでは、大人たちによる緊急会議が開かれていた。

 議題は「アルとカオリの関係性について」。

「……で、どうすんだよ。あいつら」

 ボビーが電子タバコを燻らせながら、ニヤニヤと笑った。

 彼は整備中のアル専用機の調整を終え、休憩に入ったところだった。

「見てらんねぇよな。

 アルの奴、カオリを目で追ってるくせに、目が合うとパッと逸らすんだぜ?

 分かりやすすぎるだろ。完全なる発情期だ」

「きゃあぁぁっ! ボビーさん、言葉が破廉恥すぎますぅ!」

 Mが顔を真っ赤にして叫んだ。

 彼女はエプロンで顔を覆いながらも、指の隙間からしっかり会話に参加している。

「でもぉ……確かに最近のアルちゃん、カオリちゃんを見る目が……その、雄の目になってます。

 今朝もカオリちゃんの洗濯物を見て、なんだか複雑な顔をしていましたし……!」

「健全な男子の成長過程だな」

 オイルまみれのツナギを着たレベッカが、缶コーヒーを煽りながら冷静に分析する。

「アルは新人類だ。基礎代謝もホルモンバランスも、普通の人間より活発だ。

 加えて、この5年間、ヴィオラによる極限の戦闘訓練を受け続けてきた。

 生存本能が刺激されれば、当然、種の保存本能、性衝動も強くなる」

「うへぇ、理屈っぽく言うと余計に生々しいな」

 ボビーが肩をすくめた。

「問題は、相手のカオリちゃんだよ。

 あの子、アルの熱視線に気づいてるだろ?

 気づいてるどころか……『いつでもどうぞ』って顔してやがる」

「そうなんですぅ!そこが問題なんですぅ!」

 Mが机をバンと叩いた。

「カオリちゃんにとって、アルちゃんは地獄から救い出してくれた白馬の王子様ですから!

 恩返しとか、献身とかいう名目で、アルちゃんが望めば何でも捧げちゃいそうな危うさがあるんです!

 アルちゃんが暴走したら、あの子、抵抗しないどころか受け入れちゃいますよ!」

「……まあ、血の繋がりはないし、歳も近い。

 くっつくならそれはそれでめでたいが……」

 レベッカが空き缶を握りつぶし、ゴミ箱へ投げ入れた。

「避妊とか、責任とか、そういう『教育』は誰がするんだ?

 勢いで子供ができました、じゃあ済まないぞ。ここは戦場に近いんだ」

 三人の間に沈黙が落ちた。

 性教育。

 誰がアルに「男の作法」を教えるのか。

「俺はパスだぜ。俺の知識は医学的すぎるか、あるいはアングラすぎて教育上よろしくない」

 ボビーが手を振る。

「わ、私は無理です!想像しただけで回路がショートしますぅ!」

 Mが湯気を出して首を振る。

「私は機械の構造なら教えられるが、生身の生殖行為については専門外だ」

 レベッカも逃げた。

 そして、全員の脳裏に、最も適任であり、同時に最も不適任な人物の顔が浮かんだ。

 アルの母親代わりであり、絶対的な規律の象徴。

 ヴィオラ。

「……誰が、ヴィオラに言うんだ?」

 ボビーの声が低くなった。

「『お宅の息子さん、最近ムラムラしてるみたいですよ。対処お願いします』って。

 ……誰が、あの蒼き稲妻に特攻するんだ?」

 再び、重い沈黙が場を支配した。

 ヴィオラはアルを溺愛している。

 そんな彼女に、息子の性的な成長を告げることは、下手をすれば「不潔だ」と一刀両断されかねない。あるいは、アルに近づくカオリに対して過剰防衛に走る可能性もある。

「……先送りだな」

「ですね」

「ああ。自然の成り行きに任せよう」

 大人たちは、恐怖のあまり思考停止することを選んだ。

 彼らは知らない。

 この甘酸っぱくも悩ましい日常が、今日という日を境に、再び血なまぐさい運命へと塗り替えられることを。


 「アル。ブリーフィングだ」

 地下管制室に、ヴィオラの凛とした声が響いた。

 僕とカオリは、私語を慎み、司令官席の前に整列した。

 ヴィオラの隣にはミリンダ司令官が立ち、モニターには荒野の地図が表示されている。

「状況を説明する。

 本日0800、都市より北西30キロの第4廃墟エリアにて、正体不明の熱源反応を二つ確認した。

 パターン照合の結果、機械軍の斥候部隊――無人機動兵器『ピースウォーカー』と断定」

 ミリンダが淡々と告げる。

 ピースウォーカー。機械軍の主力兵器だ。

 斥候ということは、本隊を呼び寄せるための偵察だろう。放置すれば、都市の位置が特定され、大規模な侵攻を招く恐れがある。

「直ちに排除する必要がある。

 ……ヴィオラ」

 ミリンダがヴィオラに視線を送る。

 ヴィオラは僕の方を向き、蒼い瞳で射抜くように見つめた。

「アル。今回はお前一人で行け」

「……えっ?」

 僕は思わず顔を上げた。

 これまで、どんな小さな任務でも、必ずヴィオラが同行していた。

 過保護と言われようと、彼女は僕を一人で戦場に出すことを許さなかった。

 それが、一人で?

「聞こえなかったか?

 単独任務だ。

 この5年、お前は血反吐を吐くような訓練に耐え、私の技を吸収してきた。

 今の技術と判断力なら、ピースウォーカー2機程度、遅れを取ることはない」

 ヴィオラの言葉は、突き放すようでありながら、絶対的な信頼が込められていた。

 彼女は認めてくれたのだ。僕がもう、守られるだけの子供ではないことを。

「……はい! 了解しました!」

 僕は踵を合わせ、敬礼した。

 胸の奥が熱くなる。

 武者震いと、誇らしさ。

「カオリ、お前は管制室に残ってオペレーターを務めろ。

 アルの目となり、死角をカバーするんだ」

「はい、ヴィオラさん。

 ……任せて、アルくん。私の分析で、完璧にサポートするから」

 カオリがオペレーター席に座り、ヘッドセットを装着した。

 その横顔は、朝に見せた甘い表情とは別人の、プロフェッショナルな「戦士」の顔だった。

 彼女もまた、この5年で成長したのだ。ボビーから情報処理を、ミリンダから戦術指揮を学び、今や管制室に欠かせない存在となっていた。

「行くぞ、アル。

 お前の新しい『牙』が待っている」

 僕はヴィオラに促され、地下ドックへと向かった。

 そこには、レベッカと整備班が囲む、一台の機体が鎮座していた。

 かつて鹵獲したピースウォーカーのフレームをベースに、装甲形状から内部ジェネレーターに至るまで、徹底的に改修されたカスタム機。

 無骨な量産機の面影はなく、鋭角的で攻撃的なフォルム。

 機体色は、夜の闇に溶け込むようなダークグレー。

 高機動近接戦闘用機動兵器、コードネーム『ヴォルフ(狼)』。

「どうだ、アル。

 お前の反応速度に合わせて、関節駆動系を限界までチューンしてある。

 普通の人間が乗ったらGで失神する代物だが……お前なら踊れるだろ?」

 レベッカがニヤリと笑い、スパナを回した。

「最高だ……ありがとう、レベッカ」

 僕はヴォルフを見上げた。

 僕の身体の延長。僕の剣。

 これなら戦える。

 守りたいものを守るために。

 僕はコクピットハッチを開き、滑り込んだ。

 シートが僕の体を包み込み、全天周囲モニターが起動する。

『システム・オールグリーン。ジェネレーター出力安定。

 ……聞こえる? アルくん』

 インカムからカオリの澄んだ声が響く。

「ああ、聞こえるよ。感度良好だ」

『心拍数、少し高いね。……緊張してる?』

「そりゃあね。初陣だから」

『大丈夫。私がついてる。

 ……いってらっしゃい、私の騎士様』

 その言葉は、5年前の鉄屑市でのマリアさんの言葉と重なった。

 そして同時に、今のカオリからの、特別な想いが込められたエールでもあった。

「……行ってきます!」

 ドックのゲートが開く。

 僕はスロットルを全開にした。

 ヴォルフの背部スラスターが蒼い炎を噴き上げ、鋼鉄の狼が荒野へと解き放たれた。


 荒野の廃墟エリア。

 かつて高層ビルだった鉄骨の墓標が立ち並ぶその場所に、乾いた風が吹き抜ける。

 『ヴォルフ』のメインモニターには、荒涼とした灰色の世界が映し出されていた。

『……来るよ、アルくん。

 前方12時の方向、瓦礫の陰。熱源反応2』

 カオリの声が、ノイズ一つなくクリアに響く。

 彼女の声は、僕の脳に直接染み込むように、状況を立体的にイメージさせてくれる。

「視認した」

 僕は操縦桿を軽く握り込んだ。

 瓦礫の山を乗り越え、2機の巨影が現れた。

 機械軍主力兵器『ピースウォーカー』。

 右腕にガトリングガン、左腕にミサイルポッドを装備した、殺戮のために最適化された無人機だ。

 そのカメラアイが不気味な赤光を放ち、こちらを捕捉する。

『LOCK ON ALERT』

 コクピット内に警告音が鳴り響く。

 以前の僕なら、この音だけで身体が強張り、パニックになっていただろう。

 だが今は――。

「……遅い」

 僕の目には、敵の動きがコマ送りのように見えた。

 ガトリングガンの銃身が回転を始め、照準がこちらに向くまでの「予備動作」。

 ヴィオラとの訓練で、コンマ秒単位の駆け引きを叩き込まれた僕にとって、量産機の挙動はあまりにも緩慢だった。

『回避パターンB! 右に展開して!』

「了解!」

 カオリの指示と同時に、僕はフットペダルを踏み込んだ。

 ズォォッ!

 ヴォルフの脚部スラスターが爆発的な推力を生む。

 機体は右斜め前方へ、人間離れした鋭角的なダッシュを行った。

 ガガガガガッ!

 直後、僕がいた空間を大口径の弾丸が切り裂いていく。

 残像すら置き去りにする超高速機動。

 強烈なGが全身を襲うが、耐Gスーツと鍛え上げた肉体がそれをねじ伏せる。

「もらった!」

 僕は敵の懐に潜り込んだ。

 ヴォルフは射撃戦用ではない。ヴィオラの戦闘スタイルを模倣した、超近接格闘仕様だ。

 右腕のパイルバンカーを構える。

 ドォォォン!!

 鋼鉄の杭が、先頭のピースウォーカーの胴体を貫いた。

 装甲が紙屑のように砕け散り、内部の動力炉が誘爆する。

 敵機は断末魔のようなスパークを散らし、崩れ落ちた。

『後ろ! もう一機がミサイルを撃ってくる!』

 カオリの鋭い警告。

 背後から迫る死の気配。

 だが、モニターを見る必要すらない。カオリが「目」となってくれているから。

「見えているよ、カオリ!」

 僕は機体を反転させながら、左腕のワイヤーアンカーを射出した。

 アンカーは崩れかけたビルの鉄骨に突き刺さる。

 ウインチを巻き取り、機体を強制的に空へと引き上げる。

 

 ヒュルルル……ドカーン!

 僕の足元をミサイルが通過し、地面に着弾して爆炎を上げた。

 爆風に乗って、ヴォルフは宙を舞う。

 眼下には、ミサイルを外し、次弾装填のために硬直している2機目のピースウォーカー。

 僕は空中で姿勢制御スラスターを噴射し、切っ先を下に向けた。

 狼が獲物に飛び掛かるように。

「これで……終わりだ!」

 重力加速度とスラスター推力を乗せた、必殺の急降下キック。

 ヴォルフの踵に内蔵された高周波ブレードが展開される。

 ズバァァァン!!

 

 敵機の頭部からコクピットブロックまでを一刀両断。

 まるで豆腐を切るように、鋼鉄の巨人が両断された。

 着地。

 残心。

 2機の残骸が燃え上がり、黒煙を上げている。

 完全勝利だ。

『……すごい。

 全敵機沈黙。戦闘終了よ、アルくん』

 カオリの声に、安堵と誇らしさが滲んでいる。

「ありがとう、カオリ。君のナビゲートのおかげだ」

 僕は息を吐き、ヘルメットのバイザーを開けた。

 手の震えはない。

 恐怖もない。

 ただ、自分の力が通用したという確かな手応えだけがあった。

『さあ、帰ろう。……ヴィオラさんが待ってる』

「ああ。……その前に、回収作業だね」

 僕はヴォルフのマニピュレーターを操作し、敵機の残骸へと手を伸ばした。

 まさか、その残骸の中に、僕たちの運命を狂わせる「災厄」が眠っているとは知らずに。


 地下都市への帰還後。

 整備ドックの奥にある解析室で、レベッカとカオリが回収した敵機のコアユニットを解析していた。

 僕もコーヒーを片手に、その作業を見守っていた。

 敵の行動ログや通信履歴を調べることで、機械軍の拠点や次の狙いを特定できるかもしれない。

 作業は順調に進んでいた。

 レベッカがキーボードを叩くたびに、モニターに文字列が流れる。

「……ん? なんだこれ」

 レベッカの手が止まった。

「どうしたの、レベッカ?」

 カオリが覗き込む。

「暗号化された領域がある。

 戦闘データや地形データじゃない。……画像ファイルだ」

「画像?」

 機械軍の無人機が、画像を保存している?

 偵察写真だろうか。

「プロテクトを外すぞ。……よし、開いた」

 レベッカがエンターキーを叩いた。

 メインモニターに、一枚の画像が表示された。

 その瞬間、部屋の空気が凍りついた。

 カシャン。

 僕の手からコーヒーカップが滑り落ち、床で砕け散った。

 でも、その音すら耳に入らなかった。

 画面に映っていたのは、ヴィオラだった。

 いや、正確には「ヴィオラと同じ顔をした少女」だった。

 金色の髪、整った目鼻立ち、S型特有の美しい容姿。

 だが、決定的に違うものがあった。

 場所はどこかの人間の集落だろう。

 背景には燃え盛る家々と、無残に引き裂かれた人々の死体が転がっている。

 その血の海の中で、その少女は笑っていた。

 ヴィオラの無愛想だが温かい微笑みではない。

 他者の苦痛を糧とするような、サディスティックで、歪みきった愉悦の笑み。

 返り血で染まった顔で、カメラに向かってピースサインをしている。

「……な、なにこれ」

 カオリが口元を押さえ、青ざめた顔で後ずさった。

 吐き気を催すような悪意が、画面越しに伝わってくる。

「母さん……じゃない」

 僕は絞り出すように言った。

 ヴィオラは戦士だ。敵は殺すが、無抵抗な人間を虐殺して笑うようなことは絶対にしない。

 これは、ヴィオラの顔をした「化け物」だ。

「……製造番号が見えねぇな」

 レベッカが低い声で言った。

 彼女もまた、戦慄している。

「だが、この機体……ただのS型じゃない。

 この装備、この出力反応……ヴィオラと同等、いや、それ以上の怪物だぞ」

 機械軍の斥候部隊が持っていた画像。

 それは、「この悪魔が近づいている」という警告なのか、それとも……。

「……ヴィオラに見せなきゃ」

 僕は震える拳を握りしめた。

 見せたくない。こんなおぞましいもの、母さんの目に入れたくない。

 でも、これはきっと、ヴィオラの過去に関わる重大なことだ。

 僕とカオリは、画像データを端末に移し、重い足取りでヴィオラの待つ宿舎へと向かった。


 宿舎のリビングでは、ヴィオラがソファに座り、古い本を読んでいた。

 僕たちが帰ってくると、彼女は本を閉じ、穏やかな瞳で迎えてくれた。

「おかえり。……初陣、見事だったとミリンダから聞いたぞ」

 普段なら飛び上がって喜ぶ言葉だ。

 でも、今の僕たちは笑えなかった。

「……どうした? 二人とも、顔色が悪いぞ」

 ヴィオラが怪訝そうに眉を寄せる。

 僕はカオリと顔を見合わせ、意を決して端末を差し出した。

「母さん。……これを見てほしい」

「敵のメモリに入っていたデータだ。

 ……覚悟して、見て」

 ヴィオラは端末を受け取り、画面をタップした。

 一瞬だった。

 ヴィオラの表情から、感情という感情が抜け落ちた。

 驚きも、困惑もない。

 ただ、底なしの「無」になった。

 ピキッ。

 ヴィオラが座っていたソファの肘掛けが、彼女の指の力でひしゃげ、ひび割れる音が響いた。

 部屋の温度が急激に下がったような錯覚。

 彼女の全身から、物理的な圧力さえ感じるほどの、どす黒い殺気が噴き出していた。

 僕とカオリは、本能的な恐怖で身動きが取れなくなった。

 今の彼女は「母さん」じゃない。触れれば斬れる、抜き身の刃だ。

「……ヴィオラ、さん?」

 カオリが震える声で呼ぶ。

 ヴィオラはゆっくりと顔を上げた。

 そのセンサー

 いつもは澄んだ蒼色をしている瞳が、今は赤黒く明滅し、激しく揺らいでいる。

 制御チップが焼き切れる寸前の、暴走する感情の奔流。

「……見つけた」

 地獄の底から響くような、低く、掠れた声。

「こいつだ。

 ……私の『マスター』を殺し……私の全てを奪った女」

 僕たちは息を呑んだ。

 ヴィオラの過去。

 彼女が時折見せる深い哀しみと、何者かへの執着。

 その元凶が、この画像の中の少女なのか。

「母さん、こいつの名前は!? 知っているの!?」

 僕は尋ねた。名前さえ分かれば、レベッカやボビーが検索できるかもしれない。

 だが、ヴィオラは首を横に振った。

 その目は、画像の中の少女を睨みつけたまま離さない。

「知らない。

 名前も……製造番号も……何も知らない」

 彼女の声が震えた。それは恐怖ではなく、極限の憎悪による震えだった。

「あの日、炎の中で……マスターの心臓を抉り出し、私に向かって笑いかけた顔。

 この歪んだ笑顔だけは……回路が焼き切れても忘れない」

 ガシャッ。

 ヴィオラの手の中で、端末が握りつぶされた。

 破片が床に散らばる。

「……近くにいるのか。

 いいだろう。……今度こそ、殺してやる」

 ヴィオラが立ち上がった。

 その背中からは、もはや母としての温かさは消え失せ、復讐者としての修羅の炎が立ち上っていた。

 5年間の平穏は、唐突に終わりを告げた。

 名前も知らぬ因縁の敵。

 ヴィオラと同じ顔を持つ、最悪の虐殺者。

 僕たちの家族を脅かす影が、すぐそこまで迫っていた。



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