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第27章【囮と牙、そして新しい家族(Decoy and Fangs, and a New Family)】



 ボビーの診療所の奥にある、関係者以外立ち入り禁止のスタッフルーム。

 普段は電子カルテの整理や休憩に使われるその部屋は、今、重苦しい沈黙と焦燥感に包まれていた。

 部屋の隅、カーテンで仕切られた簡易ベッドでは、カオリが丸くなって眠っている。

 規則正しい寝息が聞こえるが、時折うなされるように眉を寄せ、小さな身体を震わせる。悪夢を見ているのだ。

 彼女の喉の炎症は、ボビーの治療によって治癒に向かっていた。

 だが、心の傷は深い。彼女は未だに声を発することができず、怯えた瞳で世界を拒絶している。

 その様子を横目で見ながら、円卓を囲むヴィオラ、M、ボビー、そして僕の表情は険しかった。

「……ダメだね。尻尾を掴ませやしねぇ」

 ボビーが電子タバコの紫煙を吐き出しながら、忌々しげに言った。

 彼はデスク上のホログラムモニターを指先で弾いた。そこに表示されていたのは、複雑に枝分かれした地下の流通ルート図だ。

「この一週間、俺の持つ裏のコネを総動員して『レッド・スパイダー』の出所を洗った。

 だが、辿り着くのは末端のチンピラか、使い捨ての運び屋ばかりだ。

 元締めである『毒蜘蛛のガザ』……こいつは相当に用心深い。自分の手は絶対に汚さず、取引場所も直前まで指定してこない」

「臆病者ほど、長生きするということか」

 ヴィオラが腕を組み、冷ややかな声で呟く。

「だが、時間をかければかけるほど、奴らは証拠を隠滅する。

 カオリの両親の研究データも、他の被害者たちの記録も、闇に葬られるだろう」

「それだけじゃありません!」

 Mが悲痛な声を上げた。

「カオリちゃんみたいな子が、今もどこかで……!

 早く助け出さないと、あの子たちの心が壊れてしまいます!」

 Mの言葉に、僕は拳を握りしめた。

 カオリの虚ろな瞳が脳裏に焼き付いている。

 あんな思いをする子供を、これ以上増やしてはいけない。

 僕は10歳だけど、カオリは僕より2歳年上の12歳だとボビーのカルテで知った。

 年上のお姉さんが、あんなに小さく、無力に震えていたこと。それが僕には耐え難かった。

 『守る』と誓ったのに、元凶を野放しにしている現状が悔しい。

「……正攻法では無理だ」

 ヴィオラが静かに結論を下した。

 彼女の蒼い瞳が、鋭い光を帯びて円卓の全員を見渡す。

「向こうが隠れているなら、引きずり出すしかない。

 奴らが無視できないほどの、極上の『餌』をぶら下げてな」

「餌……?」

 僕が聞き返すと、ヴィオラは僕をじっと見つめた。

「ガザは薬だけでなく、人身売買にも手を染めている。

 特に、希少な『素材』には目がないという情報がある。

 ……例えば、健康で、若く、遺伝子レベルで純粋な『新人類』の子供とかな」

 部屋の空気が凍りついた。

 Mが椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。

「ダメですッ!!絶対にダメです!!

 アルちゃんを囮にするなんて、正気の沙汰じゃありません!」

「落ち着け、M」

「落ち着けません!相手は極悪非道な犯罪組織ですよ!?

 もし何かあったら……もしアルちゃんに傷一つでもついたら、私、私……ッ!」

 Mの目から洗浄液(涙)が溢れ出す。

 ボビーもサングラスの位置を直し、真剣な眼差しを向けた。

「ヴィオラ、俺も賛成しかねるな。

 アルは確かに強くなったが、まだガキだ。プロの犯罪者集団の中に放り込むにはリスクが高すぎる。

 それに、万が一バレたら即座に蜂の巣だぜ」

「分かっている」

 ヴィオラは表情一つ変えずに言った。

「だが、他に手はない。

 私が冷酷な人身売買ブローカーに化け、アルを商品として持ち込む。

 直接取引の場さえ作れれば、あとは力尽くで制圧できる」

「そんなの……!」

「僕がやる」

 Mの反論を遮るように、僕は声を上げた。

 全員の視線が僕に集まる。

 僕は立ち上がり、ヴィオラを真っ直ぐに見つめ返した。

「僕がやるよ。囮になればいいんでしょ?」

「アルちゃん!?」

「M、聞いて。

 僕だって怖いよ。でも、ここで怖がって何もしなかったら、カオリはずっと笑えないままだ。

 カオリの両親を殺した奴らを、僕は許せない。

 それに……」

 僕は自分の胸に手を当てた。

「僕は強くなりたいって言った。

 マリアさんにも、ヴィオラにも誓ったんだ。守れる男になるって。

 今がその時だと思う。

 ……信じて。僕はもう、ただ守られるだけの子供じゃない」

 僕の言葉に、Mは絶句し、ボビーは口笛を吹いた。

「へっ……言うようになったじゃねぇか。

 ヴィオラ、お前の教育の賜物だな。とんだ熱血漢に育ちやがって」

 ヴィオラはしばらく僕を見つめていたが、やがて小さく頷いた。

「……いい目だ。

 分かった。作戦を決行する。

 ただし、アル。私の半径2メートルから離れるな。何があっても私が守る」

「うん。……信じてる」

 こうして、危険な賭けの幕が上がった。


 作戦の概要はこうだ。

 まず、ボビーとMが歓楽街の裏カジノへ潜入し、ガザの組織に極上の商品があるという情報を流すと同時に、取引現場の情報をハッキングする。

 そして、ヴィオラと僕が指定された場所へ向かい、ガザ本人を引きずり出す。

 ヴィオラ自身の戦闘力と、僕たちの連携だけが頼りだ。

「よし、準備にかかるぞ。

 ボビー、M。お前たちの演技力が鍵だ。失敗は許さん」

「任せときな。

 俺様のドクターとしての腕と、イカした話術を見せてやるよ」

「うぅ……アルちゃんのためなら、このM、悪の女幹部にでもなってみせます!」

 それぞれの決意を胸に、僕たちは動き出した。


 第9区画、歓楽街の最深部。

 表向きは高級クラブだが、地下には会員制の違法カジノ『ロイヤル・フラッシュ』が広がっている。

 そこは、ガザの組織が資金洗浄に使っている拠点の一つだった。

 重厚な扉が開き、ボビーとMが足を踏み入れた。

「ようこそ、いらっしゃいませ」

 黒服のボーイが恭しく頭を下げる。

 その視線は、二人の異様な出で立ちに釘付けになっていた。

 ボビーは、いつものファンキーな白衣ではなく、光沢のある紫色のスーツに身を包み、両手にはこれ見よがしに金無垢の指輪を嵌めている。

 首から下げたIDタグは偽造されたもので、『闇医者・ドクターB』の名が刻まれている。

 その姿は、いかにも「裏社会で成功した悪徳医師」そのものだった。

 そして、その腕に寄り添うM。

 彼女は、背中が大きく開いた深紅のイブニングドレスを着ていた。

 レベッカが徹夜で調整したそのドレスは、Mの豊満なボディラインを強調しつつも、所々に隠し武器のホルスターが縫い込まれている。

 普段のメイド服とは違う、妖艶な美女。

 ただし、その表情だけは緊張でガチガチに強張っていた。

「……ボ、ボビーさん。私、歩き方変じゃないですか?

 ヒールが高すぎて、ジャイロセンサーが悲鳴を上げていますぅ」

「シッ! 笑え、M。お前は今夜、俺の愛人で、退屈を持て余した有閑マダムだ。

 その天然なところが逆にリアルでいい。堂々としてろ」

 ボビーは小声で囁くと、ボーイにチップを放り投げた。

「一番レートの高いテーブルへ案内しな。

 今夜はツキが回ってきてる気がするんだ」

 案内されたのは、カジノの奥にあるVIPエリア。

 そこでは、組織の幹部らしき男たちが、葉巻を燻らせながらルーレットに興じていた。

「あらぁ〜!このクルクル回るの、素敵ですわねぇ!」

 Mが裏返った声で叫びながら、ルーレットの台に近づく。

 彼女はボビーから渡された大量のチップを、鷲掴みにして「赤」のエリアにドサッと置いた。

 あまりの豪快さに、周囲の客たちがどよめく。

「おいおい、姉ちゃん。そんなに賭けるのか?」

「ええ! 赤は情熱の色! 私の回路の色ですもの!」

 Mの天然ボケと、圧倒的なプロポーションが男たちの視線を集める。

 セキュリティの監視カメラも、ガードマンたちの注意も、全てこの派手な美女に向けられた。

 (今だ……!)

 その隙を突き、ボビーはさりげなくカウンターの影へ移動した。

 彼は懐から小型の解析デバイスを取り出し、カジノ内のネットワークポートに直結させた。

 サングラスの裏側で、彼の瞳に高速で文字列が流れる。

 『アクセス承認……ファイアウォール突破……』

 ボビーはType.M(医療型)だが、その指先はミリ単位の手術を行うための超精密動作が可能だ。

 その器用さは、ハッキングにおいて神業のような速度を生み出す。

 『ターゲット:ガザの個人通信ログ。

 ……ビンゴだ。見つけたぜ』

 ボビーはニヤリと笑った。

 ログには、ガザが部下に送った直近の指令が残っていた。

 『上客が見つかった。取引は今夜2400。場所は第4廃棄区画の化学工場跡だ』

 さらに、彼は組織の裏帳簿データ、人身売買の顧客リストと、薬物の成分データもコピーした。

 これで、奴らを社会的に抹殺する証拠は揃った。

「キャーッ!また外れちゃいましたぁ!

 もう、この機械、壊れてるんじゃないんですかぁ?」

 テーブルでは、Mが全てのチップをすってしまい、大げさに嘆いていた。

 幹部たちが「カモが来たぜ」と下品な笑い声を上げている。

 ボビーはデバイスを回収し、Mの肩を抱いた。

「ハニー、今日はツキがないようだ。

 そろそろお暇しようぜ」

「えぇ〜?もう帰るんですかぁ?

 もっと回したかったですぅ……」

 Mは名残惜しそうに言いながら、ボビーに連れられて出口へ向かう。

 カジノを出て、路地裏に入った瞬間、二人の表情が一変した。

「任務完了だ。

 ……ヴィオラ、聞こえるか?

 お膳立ては済んだぞ」

 ボビーが通信機に囁く。

『了解した。座標を送れ』

 ヴィオラの冷徹な声が返ってくる。

「場所は第4廃棄区画、化学工場跡。時間はあと1時間後だ。

 ……気をつけてな。ガザの野郎、護衛に『重いの』を用意してるみたいだ」

『問題ない。……主演男優アルの準備もできている』

 通信が切れる。

 ボビーとMは顔を見合わせた。

「さあ、ここからはあの子たちの出番ですね」

「ああ。俺たちは特等席で、悪党の断末魔を拝むとしようぜ」

 二人は夜の闇に消え、舞台は決戦の地へと移る。


地下都市・第4廃棄区画。

 かつて化学薬品を製造していたというその工場跡地は、都市の排気ダクトから吐き出される熱風と、錆びた配管の迷路に埋もれていた。

 天井の至る所から汚染水が滴り落ち、床には得体の知れないヘドロが溜まっている。

 深夜2400。

 工場の広い搬入口で、二つの影が静かに佇んでいた。

 一人は、黒いロングコートを目深に着込み、サングラスで表情を隠した女性、ヴィオラだ。

 彼女の手には、太い鎖が握られている。

 その鎖の先に繋がれているのが、もう一人の影、僕、アルだ。

 僕はボロボロのシャツを着て、首輪を嵌められ、冷たいコンクリートの床に座り込んでいた。

 演技だ。ヴィオラと打ち合わせた通りの、「怯えた哀れな商品」の演技。

 でも、この場所の不気味さと、これから始まることへの緊張感で、身体の震えは本物だった。

「……来るぞ、アル。

 呼吸を整えろ。……私の背中だけを見ていろ」

 ヴィオラが唇を動かさずに囁く。

 その声には、一切の動揺がない。鋼のような冷徹さだけがある。

 ズズズ……。

 重いシャッターが開き、闇の奥から数台のライトが僕たちを照らし出した。

 現れたのは、小柄で神経質そうな男、『毒蜘蛛のガザ』だ。

 そして、彼の背後には、重厚な装甲に身を包んだ4体の巨人が控えていた。

 (あれは……旧式のTYPE.B(戦闘型)!?)

 僕は息を呑んだ。

 野盗が使っていた改造機械獣とはレベルが違う。

 軍用規格のアンドロイドだ。右腕にはガトリングガン、左腕にはライオットシールドを装備している。

 ガザのような商人が連れ歩くには、あまりに過剰な戦力だ。

「へへっ、待たせたな。

 ……アンタが『ブローカーV』か?」

 ガザが不快な笑みを浮かべて近づいてくる。

 ヴィオラは無言で頷き、鎖を引いて僕を立たせた。

「商品はこれだ。

 純血のオス。年齢10歳。病歴なし。

 ……内臓も脳も、まだ新鮮だ」

 ヴィオラの声は、氷点下のように冷たかった。

 普段の彼女からは想像もつかない、冷酷非道な商人の声。

 ガザは僕の目の前まで来ると、汚い手袋で僕の頬を掴み、強引に上を向かせた。

「ほう……いい目だ。怯えの中に、まだ生気が残ってる。

 こういうガキの脳髄液は、極上の薬になるんだよなぁ」

 ガザの息が顔にかかる。

 僕は殺意で目の前が真っ赤になりそうだった。

 こいつだ。こいつがカオリの両親を殺し、カオリの声を奪ったんだ。

 今すぐ噛み付いてやりたい。

 でも、まだだ。まだ証拠が確定していない。

「……さっさと査定しろ。こっちは急いでいる」

 ヴィオラが急かす。

 ガザはニヤリと笑い、懐から携帯端末を取り出した。

「焦るなよ。まずは契約書だ。

 代金は電子クレジットで払う。……こいつにサインを頼む」

 ガザが端末をヴィオラに差し出す。

 ヴィオラが手を伸ばした、その瞬間だった。

 ピピッ。

 ガザの背後にいたTYPE.Bの一体が、警告音を発した。

『警告。対象カラ、微細ナ通信波ヲ検知。

 照合……正規IDデハアリマセン。警察、モシクハ軍ノ傍受コードト推測』

 場の空気が凍りついた。

 Mからの「証拠確保完了」の信号が、高性能な軍用センサーに拾われたのだ。

 ガザの顔色が変わった。

 彼は弾かれたように後ろへ飛び退き、叫んだ。

「貴様ら、同業者じゃねぇな!?

 サツの犬か! それともミリンダの差し金か!」

「……チッ。感度のいい番犬を飼っているな」

 ヴィオラは舌打ちをし、サングラスを外して投げ捨てた。

 露わになったその双眸は、蒼く、鋭く輝いていた。

「交渉決裂だ、毒蜘蛛。

 ……ここからは『掃除』の時間だ」

 ヴィオラがコートを脱ぎ捨てる。

 その下には、S型のしなやかなボディラインを持つ戦闘用義体が露わになっていた。

 僕も首輪を引きちぎり、懐からハンドガンを抜いた。

「殺せッ! 一匹残らず挽肉にしろ!!」

 ガザが絶叫し、護衛たちが一斉に火器を構えた。


 「伏せろ、アル!」

 ヴィオラの叫びと共に、廃工場が銃撃音で埋め尽くされた。

 ガガガガガガガッ!

 4体のTYPE.Bが一斉掃射を開始する。

 重機関銃の弾丸がコンクリートを砕き、砂煙が舞う。

 僕は床を転がり、錆びたタンクの陰に滑り込んだ。

 ヴィオラは消えていた。

 いや、速すぎて見えないのだ。

「遅い!」

 残像が見えるほどの超高速機動。

 ヴィオラは弾幕の雨を紙一重で躱しながら、壁を蹴り、天井の配管へと飛び移っていた。

 防御力こそ劣るが、スピードにおいてはリミッターを外した野獣そのものだ。

『対象捕捉不能! ジャミング開始!』

 TYPE.Bたちが、対アンドロイド用の高周波ジャミング弾を放った。

 キィィィィィン!!

 空間が歪むような不快な音。

 ヴィオラの動きが一瞬止まる。センサーが狂わされたのだ。

「くっ……!」

 ヴィオラが膝をつく。

 その隙を逃さず、敵の照準が彼女に向けられる。

「母さん!!」

 僕はタンクの陰から飛び出した。

 ヴィオラを助けなきゃ。でも、僕のハンドガンじゃあんな装甲は貫けない。

 どうする? 考えろ。アル、周りを見ろ!

 僕の目に飛び込んできたのは、敵の頭上を走る太いパイプラインだった。

 そこには『高温注意』の警告マーク。

 そして、敵のカメラアイは「熱源探知」でヴィオラを追っている。

「母さん! 上だ! 蒸気を使って!」

 僕は叫びながら、パイプのバルブ接合部に向けて全弾を撃ち込んだ。

 カンカンカンッ!

 狙い違わず命中した弾丸が、腐食していたボルトを吹き飛ばす。

 プシュゥゥゥゥ――ボォォォォォン!!

 爆発音と共に、パイプから真っ白な高温蒸気が噴出した。

 視界が真っ白に染まる。

 工場内は一瞬にしてサウナのような熱気に包まれた。

『熱源反応多数! ターゲットロスト! 視界不良!』

 敵のTYPE.Bたちが混乱する。

 熱探知は蒸気の熱で無効化され、カメラも曇って役に立たない。

 だが、ヴィオラには「音」がある。そして僕の声がある。

「アル、ナイスだ」

 蒸気の中で、ヴィオラの声が響いた。

 次の瞬間、白い霧を切り裂いて、蒼い光が走った。

 ズバァッ!

 一体目のTYPE.Bの首が、何もしていないのに宙を舞った。

 いや、ヴィオラの手刀だ。高周波振動させた手刀が、装甲の隙間を寸断したのだ。

「次!」

 ドォォン!

 二体目の胸部を、ヴィオラの回し蹴りが貫通する。

 彼女の脚部は、軍用機をも粉砕する超高出力のアクチュエーターを搭載している。

 S型の美しい脚線美に秘められた、凶悪な破壊力。

 これこそが、彼女が「キメラ」と呼ばれる所以だ。

「ひ、ひぃぃぃッ! 化け物か!」

 残った敵が恐怖で乱射するが、蒸気の中のヴィオラを捉えることはできない。

 彼女は幽鬼のように背後に回り込み、残りの二体も瞬く間にスクラップへと変えた。

 静寂が戻る。

 蒸気が晴れていく中、鉄屑の山の頂上に立つヴィオラの姿があった。

 返り血を浴び、蒼い瞳を冷たく光らせるその姿は、戦いの女神のようだった。

「……さて、ガザ。次はお前の番だ」

 ヴィオラがゆっくりと振り返る。

 ガザは腰を抜かし、這いつくばって裏口へと逃げようとしていた。

「ま、待ってくれ! 金なら払う!

 いくらだ? 倍か? 10倍か!?」

 彼はパニックになりながら叫ぶ。

 だが、その逃走ルートには、既に先回りをしていた僕が立っていた。

「金なんていらない」

 僕は冷たく言い放ち、ガザの膝を正確に撃ち抜いた。

「ぎゃあぁぁぁッ!!」

 ガザがのたうち回る。

 僕は彼を見下ろした。怒りはある。でも、殺しはしない。

 殺してしまったら、カオリの未来が汚れる気がしたから。

「これは、カオリと、両親を奪われた子供たちの分だ」

 僕が銃口を向けると、ヴィオラが歩いてきて、ガザの首根っこを掴み上げた。

「終わりだ、毒蜘蛛。

 法の裁きを受けるか、私の手でミンチになるか選ばせてやろうと思ったが……」

 そこへ、工場の入り口からボビーとMが駆け込んできた。

 後ろには、ミリンダ率いる警備隊も続いている。

「チェックメイトだ、クソ野郎!

 証拠は全部押さえたぜ。お前の人生、ここでおしまいだ」

 ボビーが勝ち誇ったように親指を立てる。

 ガザは絶望に顔を歪め、崩れ落ちた。

 僕は大きく息を吐き、銃を下ろした。

 終わった。

 ヴィオラが僕の頭に手を置く。

「……よくやった、アル。

 あの蒸気がなければ危なかった」

「へへ……母さんとの連携なら、誰にも負けないよ」

 僕たちは顔を見合わせ、泥だらけの顔で笑い合った。


 事件から数日後。

 地下都市に平穏な朝が戻ってきた。

 ガザの組織は壊滅し、流通していた『レッド・スパイダー』も回収が進んでいる。

 ヴィオラの宿舎。

 朝日が差し込むリビングで、僕は緊張しながらソファーに座っていた。

 目の前には、治療を終えたカオリがいる。

 彼女は真っ白なワンピースを着て、少し恥ずかしそうに俯いていた。

 顔色は随分と良くなり、痩せこけていた頬にも赤みが差している。

「……カオリ」

 僕が声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、もうあの時の絶望はない。

 彼女は唇を震わせ、何度か深呼吸をして、そして――

「……あ、ありが、とう」

 小さな、鈴を転がすような綺麗な声だった。

 掠れてはいたけれど、それは確かな言葉だった。

「私を……助けてくれて。

 アルくん。……ヴィオラさん。みんな……」

 彼女の目から涙が溢れる。

 それは悲しみの涙ではなく、喜びの涙だった。

「声……出たね!よかった……本当によかった!」

 僕は思わず彼女の手を握った。

 カオリも握り返してくれた。その手はもう冷たくない。

 そこへ、ヴィオラが書類の束を持って入ってきた。

 カオリの身元引受に関する書類だ。

 身寄りのない彼女は、規則では都市の孤児施設へ送られることになっている。

「カオリ、お前の処遇が決まった」

 ヴィオラの言葉に、カオリの体が強張る。

 僕も息を呑んだ。まさか、施設へ行けと言うんじゃ……。

 ビリッ!

 ヴィオラは無表情のまま、その書類を真っ二つに破り捨てた。

 さらにビリビリと細かく破いて、ゴミ箱へ放り込んだ。

「えっ……?」

 僕とカオリが目を丸くする。

「施設など行かせるか。

 お前は私が拾った命だ。どうしようと私の勝手だ」

 ヴィオラは腕を組み、ぶっきらぼうに言った。

「私の家は騒がしい。

 口うるさいメイド(M)に、ガサツな整備士レベッカ、変人の医者ボビーが出入りしている。

 それに……生意気なアルもいる」

 彼女はカオリを見て、微かに口元を緩めた。

「だが、ベッドの一つくらいはある。

 ……お前さえよければ、ここで暮らせ」

 カオリは呆然とし、それから僕を見た。

 僕は満面の笑みで頷いた。

「カオリ、一緒に暮らそう!

 僕たち、家族になろう!」

 カオリの瞳が揺れ、また大粒の涙がこぼれ落ちた。

 彼女は何度も、何度も頷いた。

「……うん。……なりたい。家族に……なりたい!」

「やったぁぁぁ!カオリちゃん、ようこそですぅ!」

 キッチンからMが飛び出してきて、カオリを抱きしめる。

「やれやれ、また賑やかになるな」とレベッカが笑い、「ケアが必要ならいつでも診てやるよ」とボビーがウインクする。

 こうして、僕たちに、新しい家族が増えた。

 2歳年上のお姉さん、カオリ。

 その日の夕暮れ。

 僕とカオリは、都市の展望デッキに並んで座っていた。

 眼下には、復興していく街の灯りが広がっている。

「アルくん」

 カオリが呼んだ。

「なに?」

「私……強くなりたい」

 彼女は真っ直ぐな瞳で言った。

「アルくんみたいに戦えないかもしれないけど……勉強して、機械のことを知って、みんなの役に立ちたい。

 もう、守られるだけじゃ嫌なの」

 彼女の中にも、確かな芯がある。

 彼女は聡明だ。ボビーも言っていた、情報処理の才能があるかもしれないと。

「うん。一緒に強くなろう」

 僕は言った。

「僕はみんなを守る盾になる。カオリは、僕たちが迷わないように照らす光になってよ」

「……うん。約束する」

 僕たちは指切りをした。

 マリアさんとの約束。そしてカオリとの約束。

 守るべきものが増えるたび、僕は強くなれる気がした。

 少し離れた場所で、ヴィオラがその様子を見守っていた。

 亡き友、アダムとイヴの遺志。そしてマリアの慈愛。

 それらが混ざり合い、新しい世代へと受け継がれていく。

 彼女は小さく「悪くない」と呟き、夜風に金髪をなびかせた。

 新しい家族と共に、僕たちの物語は次のステージへと進んでいく。


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