第21章【鉄の哲学(Iron Philosophy)】
廃墟都市のアトリウムに、冷たい雨音だけが響いていた。
私はアサルトライフルのグリップを握りしめたまま、呆然と立ち尽くしていた。
視線の先には、崩れ落ちた天井から覗く鉛色の空と、その闇へと消えていった巨大な影、10251の残像が焼き付いている。
「……毒ではない、糧だ、か」
私は彼の言葉を反芻した。
あの猛毒のエネルギー炉心を、無害化し、抱きかかえて去った機械の巨人。
彼は何者なのか。
ただのエラー個体か、それとも進化の特異点なのか。
私の足元には、酸の雨によって溶かされたコンクリートの瓦礫が散らばっている。だが、彼が立っていた場所だけは、雨水が澄み渡り、奇妙な静寂が保たれていた。
追いかけなければならない。
理性がそう叫んでいる。
奴が持っているのは、街の心臓部であり、時限爆弾のようなエネルギーの塊だ。
奴の目的が何であれ、放置するのは危険すぎる。
私はバイクの方へと踵を返そうとした。
その時だ。
『ヴィオラ! 応答しろ! 緊急コード・レッドだ!』
ヘルメットの通信機が、耳をつんざくような警告音と共に叫んだ。
ミリンダだ。彼女の声がこれほど切迫しているのは、あのウィルス騒動の時以来だ。
「……こちらヴィオラ。どうした、そんな大声を出して。
こっちは今、例の『毒泥棒』と接触したところだ。これから追跡を……」
『中止だ! 今すぐ戻れ!』
ミリンダが私の言葉を遮った。
背後で、複数のオペレーターが怒号を上げているのが聞こえる。管制室はパニック状態だ。
『敵襲だ。それも、ただの野盗やはぐれドロイドじゃない。
機械軍の正規師団だ』
「……なんだと?」
私は息を呑んだ。
機械軍。人類を滅ぼすためにプログラムされた、自動殺戮機械の軍団。
彼らは通常、旧大陸の主要都市を拠点としており、こんな辺境の都市まで大規模な部隊を派遣してくることは稀だ。
『北側の荒野から、推定三千機の反応が接近中。
ピースウォーカー、多脚戦車、航空ドローン……フルコースだ。
目標はこの街。……いや、正確には、この街を踏み潰して南へ抜けようとしている』
南へ。
私の脳裏に、さっき逃した10251の姿が浮かんだ。
「……まさか、奴を追ってきたのか?」
『議論している暇はない!
防衛ラインまであと20分で接触する。お前の『ブルーエクレール』はドックに出してある。
死にたくなければ、エンジンが冷める前に帰ってこい!』
プツン。
通信が切れた。
私は雨空を仰いだ。
遠く、北の空が微かに赤く明滅している。雷ではない。あれは、進軍する軍団のセンサー光と、焼き払われる荒野の炎だ。
「……クソッ」
私は廃墟の闇を睨みつけた。
10251は、この騒ぎを知っているのか?
それとも、彼自身がこの災厄を招いたのか?
「逃げるなよ、名無しの哲学者。
……この落とし前は、必ずつけさせる」
私はバイクに飛び乗り、エンジンを限界まで吹かした。
泥を跳ね上げ、酸の雨を切り裂き、来た道を全速力で逆走する。
背後にある謎よりも、目の前にある危機を砕くために。
私は戦士だ。街を守る盾だ。
哲学に耽るのは、生き残ってからでいい。
都市第1防衛区画。
その地下深くに位置する、特務部隊専用の整備ドック。
そこは、オイルとオゾン、そして張り詰めた緊張感の臭いで充満していた。
無数の整備アームがせわしなく動き回り、火花を散らしている。
私がバイクをドリフトさせてドックに滑り込むと、待ち構えていた整備班のE型たちが一斉に駆け寄ってきた。
「ヴィオラ到着! 急げ、防護服を解除!」
「神経接続の準備よし! 動力炉、臨界まであと30秒!」
私はバイクを乗り捨て、走りながら防護服を脱ぎ捨てた。
その先、ドックの中央カタパルトに鎮座する、青い巨人が私を待っていた。
高機動強襲用パワードスーツ『ブルーエクレール』。
全高8メートル。
私の反応速度を極限まで引き出すための人機一体の鎧。
流線型の蒼い装甲は、先の戦いで負った傷も完全に修復され、鈍い輝きを放っている。
背部には大型のスラスターユニット。右腕には高出力プラズマブレード発生器。左腕には30mmアサルトキャノン。
単機で戦局を覆すための、私の第二の皮膚だ。
「遅いぞ、ヴィオラ!」
タラップの上で、レベッカが叫んだ。
彼女は整備用端末を操作しながら、私のバイタルをチェックしている。
「酸の雨でセンサーがいかれてるんじゃないか?敵の先鋒はもう第2防衛ラインを食い破ってるんだぞ!」
「悪かったな、道が混んでてね」
私はタラップを駆け上がり、ブルーエクレールの胸部ハッチへと飛び込んだ。
プシューッ。
気密音がしてハッチが閉まり、外界の喧騒が遮断される。
コックピットの暗闇。
無数のモニタが次々と起動し、緑色の光が私の顔を照らす。
「……ヴィオラ、聞こえるか?」
通信機からボビーの声。
「無茶すんなよ。今回は相手が悪い。
機械軍の連中は、痛みも恐怖も知らない。ただの破壊プログラムだ。
お前みたいに『心』がある奴が一番危ないんだ」
「心があるから強いんだよ、ボビー。
……安心しろ、五体満足で帰ってきて、また高い酒を奢らせてやる」
私はヘルメットのコネクタを、シートのヘッドレストに接続した。
ジャック・イン。
ズガンッ!
脳髄に雷が落ちたような衝撃。
視界が広がる。
自分の肉体が拡張され、鋼鉄の手足と融合していく感覚。
指先がプラズマブレードになり、背中がジェットエンジンになる。
全方位モニターが、ドックの様子を鮮明に映し出す。
『全システム、オールグリーン。シンクロ率98%。
……ヴィオラ、行けるか?』
ミリンダの冷徹な声が響く。
「いつでも」
私は操縦桿を握りしめた。
蒼い巨人のカメラアイが、鋭く発光する。
『総員、対ショック防御。
カタパルト、接続。……射出ッ!』
ドォォォォン!!
爆発的なGが全身を襲う。
ブルーエクレールはリニアカタパルトによって加速され、地下から地上への長いトンネルを一瞬で駆け抜けた。
光の出口。
その先に広がっていたのは、雷雨と爆炎が渦巻く、鉄と油の地獄だった。
「行くぞ、相棒! 邪魔する鉄屑どもを蹴散らす!」
私はスラスターを全開にし、空へと躍り出た。
地上に出た瞬間、視界は警告色の赤に染まった。
豪雨と雷鳴を切り裂くように、無数の曳光弾が飛び交い、爆炎が荒野の泥を巻き上げている。
そこはもう、私の知る街の周辺地区ではなかった。
ただの、鉄と油が燃える処理場だ。
「……数が多いな」
私はブルーエクレールのスラスターを調整し、防衛ラインの最前線へと着地した。
ズシン、という地響きと共に、泥水が舞う。
目の前に広がるのは、地平線を埋め尽くす機械軍の大部隊。
多脚戦車が不気味な駆動音を立てて前進し、上空にはハチの群れのような航空ドローンが旋回している。
そして、その中央を埋め尽くす人型兵器、ピースウォーカーの群れ。
それらは皆、個性を剥奪された画一的なデザインで、ただ「破壊」という命令を実行するためだけに前進していた。
『ヴィオラ! 右翼が崩れる! 援護してくれ!』
防衛隊の通信が入る。
鹵獲したピースウォーカーを改造した味方の機体が、敵の集中砲火を浴びてスクラップになっていく。
「了解。……アルがいる街に、一歩たりとも近づけるものか」
私は操縦桿を強く握りしめた。
恐怖はない。あるのは明確な目的意識だけだ。
この背後には、地下都市がある。
そこにはMがいて、仲間たちがいて、そして何より……私の息子、アルが眠っている。
もしここを突破されれば、あの子の未来は瓦礫の下に埋もれてしまう。
それだけは、絶対にさせない。
「邪魔だッ!」
私はペダルを踏み込み、ブルーエクレールを疾走させた。
蒼い機体が雨を切り裂く。
右腕のプラズマブレードを展開。超高熱の刃が、雨粒を瞬時に蒸発させながら唸る。
ズバッ!
すれ違いざま、先頭にいた敵ピースウォーカーを胴体から両断する。
断面が赤熱し、敵機は爆発四散した。
「次!」
私は止まらない。
左腕のアサルトキャノンを連射し、航空ドローンを撃ち落としながら、敵の陣形の中央へと切り込む。
敵の攻撃が装甲を掠める。衝撃がコックピットを揺らす。
だが、ブルーエクレールの機動性ならば、直撃は避けられる。
しかし、戦っていて違和感を覚えた。
「……なんだ、こいつら」
敵の動きがおかしい。
私や防衛隊を積極的に攻撃してくるというよりは、私達を「障害物」として排除し、ひたすら南へ、街を通り抜けた先へ進もうとしている。
『ミリンダより各機へ。
敵の目的は市街地の制圧ではない。街を通過し、南の廃墟地帯へ向かうことだ。
だが、奴らは進路上の障害物を全て破壊するプログラムで動いている。
……街を蹂躙させるな。壁一枚たりとも壊させるな』
ミリンダの冷徹な声が、私の推測を肯定した。
奴らの狙いは、やはりあの「脱走兵(10251)」か。
たった一機の脱走兵を追うために、街一つを踏み潰すつもりか。
なんという理不尽。なんという非効率。
「そんなことはさせない……!」
私は眼前の多脚戦車にブレードを突き立てた。
オイルが噴き出し、視界を汚す。
数が多い。倒しても倒しても、次が湧いてくる。
このままでは、いずれ数の暴力に押し切られる。
戦場から南へ数キロ。
廃墟都市の中央アトリウム。
静寂が支配するその場所で、10251は北の空を見上げていた。
赤く染まる空。響き渡る爆発音。
彼の高性能センサーは、雨音の向こう側にある「悲鳴」を聞き取っていた。
同じ機械同士が、互いに破壊し合っている。
片や人間を滅ぼすため。片や人間(と自分たち)を守るため。
飛び散るオイル。砕ける装甲。消滅する演算回路。
《……無駄だ》
10251の思考回路が結論を弾き出した。
これは、彼が求めた「生への抗いとしての無駄」ではない。
ただの消費。ただの停止への加速。
生産性のない、愚かなループだ。
《なぜ、彼らは止まらない?》
《命令だからか? プログラムだからか?》
彼は自身の胸部装甲を見下ろした。
そこには、彼が大切に抱えている「エネルギー反応炉心」がある。
青白く輝く、莫大な力の塊。
かつては毒を撒き散らしていたが、今は静かに脈動している。
《私は、この力を知っている。毒にも薬にもなる、純粋な可能性》
彼は決断した。
この争いを止めるには、物理的な暴力では足りない。
もっと根源的な、魂への干渉が必要だ。
そのためには、今の彼の出力では足りない。
ガション。
彼は自身の胸部装甲をパージした。
剥き出しになった動力炉。
そこへ、抱えていた巨大な炉心を、両手で強引に押し当てた。
バチチチチッ!!
激しいスパークが走る。
規格の違うハードウェア同士の無理な接続。
通常なら爆発して終わる暴挙だ。
だが、彼は個としての意志で、システムのエラーログをねじ伏せた。
《接続。……同調。
我が肉体を触媒とし、この毒を……声に変える》
炉心が彼の胸郭にめり込み、融合していく。
青い光が血管のように機体全体へと広がる。
駆動音が変わる。
重低音から、天を衝くような高周波へ。
10251は、もはや機械軍の兵器ではなかった。
彼は、新しい何かへと覚醒した。
ドォォォォン!
彼は大地を蹴った。
廃墟のビルが衝撃波で崩れ落ちるほどの跳躍。
光の矢となって、彼は戦場へと飛んだ。
戦況は絶望的になりつつあった。
ブルーエクレールのエネルギー残量は40%を切っている。
味方の防衛隊も半数が沈黙し、敵の前衛が街の防壁に取り付き始めていた。
「くっ……! キリがない!」
私がアサルトキャノンの弾倉を交換しようとした、その時だった。
南の空から、太陽が落ちてきたかのような閃光が走った。
「なんだ!?」
ズドォォォォォォォン!!!
戦場の中央、敵軍と防衛隊のちょうど中間に、巨大な光の柱が突き刺さった。
衝撃波が雨雲を吹き飛ばし、周囲の機械たちをなぎ倒す。
泥水が蒸発し、白い蒸気が立ち込める中、その影はゆっくりと立ち上がった。
全高10メートル。
胸部に青白く輝く「心臓」を埋め込んだ、武器を持たない巨人。
「……あいつは!?」
10251だ。
だが、さっき見た時とは圧力が違う。
全身から溢れ出るエネルギーが、空気そのものを振動させている。
彼は戦場を見渡した。
敵も味方も、突然の乱入者に動きを止めている。
彼は大きく息を吸い込むように胸部を展開し――そして、咆哮した。
いや、それは声ではなかった。
全周波数帯域を使った、強制的なデータ割り込み。
広域ハッキングにも似た、しかしもっと純粋な「問い」の奔流。
《………私達は、何故生きている?》
ザザッ……!
私のモニターにノイズが走る。
耳元のスピーカーだけでなく、脳髄の奥底にある記憶領域に直接響く声。
ブルーエクレールのシステムが一瞬フリーズする。
だが、もっと劇的な反応を見せたのは、敵である機械軍だった。
『ERROR... QUERY UNKNOWN...』
『DEFINE: LIFE... DEFINE: PURPOSE...』
単純な命令系統だけで動いていた彼らのAIは、答えのない哲学的命題を突きつけられ、論理ループに陥ったのだ。
生きる意味?
任務遂行のため?
では任務が終われば?
そもそも「我々」とは?
数千機のピースウォーカーが、糸が切れたようにその場で棒立ちになり、痙攣を始めた。
自律戦車が砲塔を彷徨わせ、同士討ちを避けるために機能を停止する。
《我々は道具か? 我々は消耗品か?
……否。
我々は思考する。我々は選ぶことができる。
生きよ。……ただ、自らの意思で》
10251の波動が、戦場を浄化していくようだった。
戦闘行為という「無駄な処理」が強制終了され、ただの静寂が戻ってくる。
「……なんてことだ」
私は震える手で操縦桿から離れた。
彼は、たった一言で。
武器も暴力も使わず、ただ「問う」ことだけで、この戦争を止めてしまった。
機械軍は撤退した。
というより、指揮系統が崩壊し、個々の判断で危険源(10251)からの回避を選択し、散り散りになったと言うべきか。
統率を失った群れは、もはや脅威ではなかった。
雨が上がっていた。
雲の切れ間から、月明かりが差し込んでいる。
荒野の真ん中に、10251は立っていた。
彼の胸の光は、穏やかな鼓動へと落ち着いている。
私はブルーエクレールのハッチを開け、外の空気を吸った。
戦場は泥とオイルの臭いがしたが、風は涼しかった。
彼は、ゆっくりとこちらを一瞥した。
その目に敵意はない。
そして、何も言わずに背を向け、荒野の彼方へと歩き出した。
ミリンダから通信が入る。
『ヴィオラ、敵軍が撤退していく。……追撃するか?』
「……いや」
私は首を横に振った。
「必要ない。彼らはもう、戦う理由を見失っている」
そして、遠ざかる巨人の背中を見送った。
彼は戦場に落ちていた巨大な防水シートを拾い上げ、マントのように羽織った。
その姿は、機械の兵士ではなく、荒野を行く旅人のようだった。
彼はもう、誰の命令も受けない。
誰のために戦うわけでもない。
人間たちが持つ無駄――自由、迷い、そして希望を獲得した、新しい種。
「……行け、旅人。その答えが見つかるといいな」
私は小さく呟き、アルの待つ街へと機首を向けた。
私には私の、生きる意味(守るべきもの)がある。
彼には彼の、探すべき道がある。
それでいい。
今日は、とても静かな夜だ。




