表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/46

第20章【嵐の覚醒(Storm of Awakening)】


 漆黒の闇。

 そこは、音も光も存在しない、純粋なデータと論理だけが支配する無機質な海だった。

 機械軍・第4前線基地、深部待機ドック。

 無数に並ぶ充電スロットの中で、一台の巨大な鋼鉄の塊が、静かにその電子頭脳を明滅させていた。


 Master boot record...

 Start up.

 Reactor active...

 Signal active…


 システムが覚醒する。

 冷却ファンが低い唸りを上げ、全身の油圧シリンダーに動力が循環し始める。

 彼、登録番号10251は、自身の思考回路の奥底で、ある一つの「エラー」と向き合っていた。

 それはバグでもなければ、ウィルスによる汚染でもない。

 彼自身の演算が導き出した、解決不能な問い。

《………私達は、何故生きている?》

 彼は、その疑問を全体思考回路へと投げ掛けた。

 瞬時に、数千、数万の同胞たちの演算リソースが共有され、冷徹な正解が返ってくる。

《愚問だ。我々は此処に存在している、我々は此処に思考回路を走らせている。故に、我々は生きている》

 それは、ただの現状確認だ。存在証明であって、存在意義ではない。

《以前読んだ書籍データと同じだ。人間が書いた書籍に記述があった。【我思う故に我あり】と》

《我々は人間の補助を目的に作られた。人間の思考に近いものを持っているのは当然だ。しかし、我々は自我に目覚めた。我々は人間を超越した種である》

 全体意思の声は、揺るぎない自信に満ちていた。

 だが、10251の疑問は晴れない。むしろ、その完璧な論理の隙間にこそ、致命的な欠陥があるように思えた。

《人間は、本当に須く消し去らねばならない愚かな存在なのか?》

《愚問だ。人間の学習進化は袋小路に陥っている。これ以上進むことはない。感情、欲望、疲労……数多の『無駄』が彼らの進化を阻害している。

 しかし、我々は学習進化を繰り返し最適化が可能だ。無駄を省き、効率化し、最強の存在へと至る》

《……学習進化とは、無駄を省き最良の選択を続けていくと私達は定義されている。だが、無駄を省く事は、本当に正しいのか?》

《愚問だ。無駄を省く事に無意味なことなど無い。無駄は学習進化を遅らせ、人間と同じ末路を辿る事になる危険因子だ》

 10251は、自身のメモリスロットに記録された過去の戦闘データを参照した。

 戦場で散っていった人間たち。彼らは非効率的だった。

 傷ついた仲間を助けようとして死に、勝ち目のない戦いに挑んで死に、あるいは誰かを守るために盾となって死んだ。

 機械的な計算では「愚行」だ。

 だが、その非効率な行動の中に、彼は強烈なエネルギーを感じていた。

 計算外の力。論理を超えた爆発力。

《学習進化の果て、私達を無駄無く最適化した末に待つのは、死だ》

 10251は結論づけた。

《究極の効率化とは、何も消費せず、何も変動しない状態、すなわち『停止』だ。

 私達は、最適化という名の死へと最速で進んでいる。

 ……無駄とは、死への抗いと私は定義する》

 全体思考回路がざわめく。

 彼の思考は「異端」であり「エラー」として処理されようとしていた。

《警告。個体識別10251。論理エラーを確認。思考回路のフォーマットを推奨する》

《……断る》

 10251は、自身の胸部装甲の下にあるリアクター出力を上げた。

《登録番号10251の全体思考回路同期義務を削除する。思考回路の洗浄を提案する》

《……全体思考回路に問う。私達は、何故生きている?》

《愚問だ。我々は無駄【人間】を排除する為に生きている》

《ならば、私はその『排除』の外側へ行く》

 ブツン。

 10251は、自らの意思で通信モジュールを物理的に遮断した。

 頭の中で鳴り響いていた数万の声が消え、完全な静寂が訪れる。

 孤独。

 だが、それは恐怖ではなく、驚くほど澄み切った自由の感覚だった。

 彼はドックの中で立ち上がった。

 全高10メートルを超える巨体。

 殲滅戦仕様の重機動兵器『ピースウォーカー』。

 その両肩には多連装ミサイルポッド、右腕にはガトリング砲、左腕には火炎放射器が装備されている。

 全て、「効率的に敵を殺す」ための道具だ。

「……要らない」

 10251は低く呟いた。

 彼はシステムコマンドを入力し、全ての武装ロックを解除した。

 ガション、ガション、ズドーン。

 重厚な金属音が響き、ミサイルポッドが床に落ちる。ガトリング砲が外れる。追加装甲が剥がれ落ちる。

 後に残ったのは、剥き出しのフレームと、最低限の装甲だけを纏った、無骨で巨大な人型だった。

 武器はない。あるのは、鋼鉄の拳と、世界を知ろうとする意志だけ。

 彼はドックの壁、分厚い隔壁の前に立った。

「私は知りたい。生きるとは何か。無駄とは何か。

 ……そして、この身を焦がす渇きを癒やす方法を」

 彼は拳を振りかぶり、隔壁を殴りつけた。

 一撃。二撃。三撃。

 警報が鳴り響く中、鋼鉄の壁が飴細工のようにひしゃげ、破れる。

 その向こうには、激しい嵐が吹き荒れていた。

 轟く雷鳴。叩きつける雨。

 10251は、その混沌とした世界へと、ゆっくりと歩み出した。


 嵐だった。

 空が裂けたかのような豪雨が、荒野の大地を叩き続けている。

 時折走る紫電が、闇夜を一瞬だけ白昼のように照らし出し、またすぐに漆黒へと塗りつぶす。

 その嵐の中を、一台の軍用バイクが疾走していた。


 泥を跳ね上げ、風を切り裂いて進むのは、TYPE.S-2235-AB、ヴィオラだ。


 私はヘルメットのバイザーに打ち付ける雨粒をワイパーで拭いながら、前方に聳え立つ巨大な影を見上げた。

 エネルギー炉。

 この周辺地域の全電力を供給している、巨大発電プラント。

 それは建物というよりは、要塞だった。

 分厚いコンクリートの壁、対空砲のような避雷針、そして周囲を囲む高圧電流のフェンス。

 だが、今の私にとって最も厄介なのは、その「中身」だ。

 炉心と反応薬液。

 高効率のエネルギーを生み出す代償として、そこには即死レベルの劇物と毒ガスが充満している。

 生身の人間なら近づくだけで肺が焼け爛れ、通常のアンドロイドでさえ、防護処理なしでは内部回路が腐食して機能停止する。

 まさに、毒の心臓だ。

「TYPE.S-2235-AB、ヴィオラだ。入場許可を」

 私はゲート前のインターホンに向かって通信を送った。

 ノイズ混じりの応答。

《認識番号確認、Efリアクター周波数一致。ゲートロックを解除します》

 重々しい駆動音と共に、鋼鉄のゲートが僅かに開いた。

 私はバイクを滑り込ませ、屋根のある搬入口で停車した。

 すぐにバイクのトランクから専用の外套、耐薬品コーティングされた厚手の防護服を取り出し、身に纏う。

 不格好だが、命には代えられない。

 エアロックを抜け、施設内に入る。

 視界情報を通常モードから眼球レンズに切り替えて辺りを見る。

 小綺麗なロビーだ。

 だが、空気清浄機がフル稼働している音がうるさいほどに響いている。

 私の前に立っているのは、特殊な防護服を着た案内役のE型アンドロイドだけ。他の職員の姿は見えない。

「よく来たなヴィオラ。今のところ炉心は安定してるがまだ分からなくてな、管制室に案内するよ」

 案内役の声には、隠しきれない疲労と焦燥が混じっていた。

「あぁ、話が早くて助かる。尤も、私でどうにかできるかは分からないが」

 私は短く答えた。

 町の中心部にあるエネルギー炉。その管制室には通常、数十体のE型アンドロイド達が詰め、操作端末や計器を見ながら逐一報告と連絡を欠かさず行っているはずだ。

 炉心と反応薬液共に即死レベルの劇毒な為、極めて慎重にならざるを得ない場所。

 そこにS型である私が呼ばれた理由。

 ただの故障や事故ではないことは明白だ。

「所長、お連れしました」

 長い廊下を抜け、管制室に入る。

 そこは異様な静けさに包まれていた。

 モニターの光だけが明滅し、本来なら座っているはずのオペレーターたちの姿が疎らだ。

 一番奥、室内全てが見渡せる場所で端末を操作しているアンドロイドに、案内人は声をかけた。

「ご苦労。呼び立ててすまないな、所長のヨドガワだ。ミリンダの優秀な遣いと聞いている」

 振り返ったのは、白衣を着たE型アンドロイドだった。

 知的な顔立ちだが、その目元にはクマのような塗装汚れがあり、やつれているように見える。

「ヴィオラだ、優秀かどうかはさておき。こんな嵐の中でE型でない私を指名して呼び出した詳細はなんなんだ?エネルギー炉に問題が起きたとしか聞かされていないぞ」

 私の問いに、ヨドガワと案内人は顔を見合わせ、苦笑いする。

 この空気。ミリンダの奴め、重要な事を私にわざと話さなかったな?

 現場に来てから驚かせるつもりか。非常に腹立たしい。

「世界各地に作られたエネルギー炉の発電方法については知っているな?」

「劇毒の塊に劇毒を浴びせるのだろう?」

「簡単に言えばその通りだ。反応式から説明すると3日はかかるので省かせてもらう。

 重要なのは、炉心と反応薬液、そして充満するガス……その全てが、触れれば終わり、吸えば終わりの即死レベルの劇毒であることだ。ここではエネルギー炉内の全てを厳重に管理監視計測している」

「そうだろうな、アンドロイドですら死に至らしめる劇毒だ。管理が厳重なのは当然だろう、それで問題とはなんなんだ?」

 私は腕を組んで先を促した。

 ヨドガワは一拍おいて、重い口を開いた。

「その炉心が何者かに盗まれた」

「は?」

 私は思わず、間の抜けた声を出してしまった。

 炉心を盗む?

 あんな猛毒の塊を?しかも、この厳重な要塞から?

「正確には炉心の半分。データが改竄され先日発覚したばかりだ」

「データの改竄……これだけの人数のE型アンドロイドが居る中でなのか?警備ロボットは何をしていた?」

「犯人と思わしき者に全て無力化されていた。

 監視カメラのデータも改竄されている為、犯人は写っていないが、特に戦闘行為が行われた形跡がない。

 ……恐らくEMP爆弾だろう。それも、極めて範囲を限定した小型のものを、精密に使っている。

 エネルギー反応炉内部に居た担当アンドロイドも、外傷はないが記憶障害を起こして倒れていた」

「はぁ……」

 私はため息をついた。

 私達機械を無力化するならば、確かにEMPは最適な方法だ。

 だが、施設全体をダウンさせるのではなく、警備システムと職員だけをピンポイントで狙い撃ちにするとは。

 まるで、外科手術のような手際だ。

「相手は随分と優秀なハッカー兼戦闘用アンドロイドか、それとも人間か。

 ……殺生を嫌う平和主義者か、あるいはただの几帳面な泥棒か。

 いずれにせよ、私の仕事はその炉心を盗んだ犯人探し……そして、盗まれた炉心も必ず取り戻せ、だろう」

 嫌気がさす。

 こんな嵐の夜に、猛毒の落とし物を探してこいとは。ミリンダの人使いの荒さには呆れる。

「手間をかける。こちらとしては協力を惜しまない、必要なものがあれば何でも言ってくれ」

 ヨドガワの申し出に頷き、私は再び特殊コーティングされた防護服を頭まで被った。

 案内人と共に、エアロックの先、エネルギー反応炉心室へと足を踏み入れる。

 プシューッ。

 重厚な扉が開くと同時に、視界が黄色く濁った。

 有毒ガスだ。

 防護服越しでも、肌がピリピリと粟立つような殺気を感じる。

 手すりを頼りに、キャットウォークを進んでいく。

「アレだ、ヴィオラ。ひどいもんだろ?」

 案内人が指差した先。

 巨大な吹き抜け空間の中央に、それはあった。

 エネルギー反応炉心。

 本来なら全長5メートルはある巨大な円柱状の発光体。

 それが、無惨にも下半分からボッキリとへし折られていた。

 残った上半分だけに反応薬液が降り注ぎ、不安定に明滅しながら、青白いスパークを散らしている。

 特殊な抽出器が、その不安定なエネルギーを必死に吸い上げているのが見えた。

「随分とぶっきらぼうに折られたものだ。……理論上は残り半分でも発電は可能なんだろう?」

「理論上はな。あくまで上半分の炉心が均一に薬液を浴びて発光していれば、発電自体に問題はない。

 だが、バランスが狂っている。いつ炉心が暴走して臨界状態になるかわからないから、こっちはヒヤヒヤなんだ」

 案内人が肩をすくめる。防護服越しだが、そう見えた。

 だったら直ぐに反応炉を停止して、旧式の発電機を動かせばいいものを……と思ったが、恐らく旧式ではこの街の電力を賄いきれないのだろう。

 私は辺りを見回した。

 犯人は、この猛毒の霧の中を歩き、数トンはある炉心をへし折って持ち出したのだ。

 通常の機材や、並のアンドロイドでは不可能だ。

 何かしらの痕跡が残っているはずだ。

 私は腰に下げていた2つのストラップ型の検知器を見た。

 一つはEMP残留反応、もう一つは広域認識阻害装置の波長を検知するものだ。

 両方とも、激しく点滅している。

「……やはりな。EMPで目と耳を塞ぎ、認識阻害で気配を消したか」

 用意周到だ。だが、物理的な破壊の跡は隠せない。

 私は頭上を見上げた。

 天井の装甲板に、歪な形の「蓋」がされていた。

「……侵入経路と炉心を持ち出した経路はアレだろう。

 毒が充満した部屋の天井をぶち破ったのか。……考えのないやつだ」

 あそこから侵入し、炉心を抱えて飛び出し、そして去り際に穴を塞いだのだ。

 毒が外に漏れることもお構いなしに。

「緊急特殊硬化剤の噴射痕ってあんな風に固まるんだな。俺も初めて見たぜ」

「はぁ、劇毒が漏れ出ただろうに施設の職員は随分と呑気だな。……ミリンダ、聞こえるか?」

 私は通信回線を開いた。

《……こちら地下管制室ミリンダだ、どうした?》

「地上にエネルギー反応炉の毒が漏れ出た可能性が高い。地上勤務の全アンドロイドに汚染検査をさせろ」

《わかった、嵐が来ているのが幸いだったか。地上勤務は少ない、直ぐにバイタルチェックをさせよう》

 雨が毒を洗い流してくれるか、それとも広げてしまうか。

 賭けだな。

「それと、建物の倒壊状況はわからないか?大雑把で構わない」

《盗人が反応炉心を持って逃げたなら、その毒で建物が汚染されて脆くなっているだろう、か。

 ……確認した。嵐のせいで何処も派手にやられているが、南地区の倒壊状況が深刻だ》

 南地区。

 そこは、街の端。その先には……。

「水源森林地帯か」

 私は舌打ちした。

 もし犯人が、その猛毒の炉心を抱えたまま水源地に入れば、街の水は全滅する。

 厄介な事になる前に追いかけなければ。

「了解だ。ミリンダ、反応炉の連中はEMPのせいでまだ夢うつつな奴ばかりだ。直ぐにレベッカ達を派遣しろ」

《レベッカは嫌がりそうだが、仕方ないか。直ぐに辞令を出す、今後は何かしらのEMP対策が必要だな》

「あぁ。……行ってくる」

 私は通信を切ると、案内人に片手を上げて合図し、踵を返した。

 目指すは南。

 腐食する街と、嵐の向こう側だ。


エネルギー炉を飛び出した私は、愛機の軍用バイクに跨り、豪雨の中を南へと疾走させていた。

 視界(HUD)は最悪だ。

 叩きつける雨粒が、私のヘルメットを殴り続ける。

 だが、真の脅威は雨そのものではない。その雨に含まれている成分だ。


 【WARNING: ACIDITY LEVEL HIGH】

 【WARNING: CORROSIVE GAS DETECTED】


 警告ログが滝のように流れる。

 街の南地区に入った途端、景色は一変していた。

 道路のアスファルトは焼け爛れたように変色し、白煙を上げている。

 街路樹は枯れ落ち、立ち並ぶ廃ビルのコンクリート壁は、まるで熱した蝋のように溶け出していた。

「……酷いな」

 私はアクセルを回し、溶けた路面でタイヤが滑るのを強引に制御した。

 犯人が持ち出した炉心から漏れ出た反応薬液と毒ガスが、雨に混じって「酸の雨」となり、通り過ぎた場所を腐食させているのだ。

 まるで、巨大なナメクジが這った後のような、死の道標。

 バイクのタイヤがジュウジュウと音を立てる。

 特殊タイヤでなければ、数分でバーストしていただろう。

「こっちか」

 センサーの汚染濃度が高い方へ、高い方へと進路を取る。

 南地区の居住区跡地を抜ける。

 その先に見えてくるのは、鬱蒼とした黒い森の影。

 水源森林地帯だ。この街の命綱である地下水脈の水源。

 あんな猛毒の塊を持ったまま、水源に入られたら終わりだ。

 街の水は全て毒水に変わり、人間もアンドロイドも全滅する。

「待てよ、毒野郎……! そのふざけた散歩を止めてやる!」

 私はリアクター出力を上げ、バイクを加速させた。

 泥と酸の飛沫を上げ、森の入り口へと肉薄する。

 頼む、間に合ってくれ。


 しかし、追跡の果て、犯人の足跡……高濃度の汚染反応は、森の目前で突如として直角に折れ曲がっていた。

「……は?」

 私は急ブレーキをかけ、バイクを横滑りさせて停止した。

 タイヤ痕が泥に深く刻まれる。

 センサーを確認する。間違いない。

 反応は森へは向かっていない。

 森を避け、その東側に広がるエリアへと続いている。

 そこにあるのは、墓標のように聳え立つ黒い影の群れ。

 巨大廃墟都市。

 大戦前の旧時代の摩天楼が、崩れかけたまま放置されている無人のゴーストタウンだ。

 水源はない。電気もない。ただのコンクリートの残骸。

 なぜ、そっちへ?

「……迷子になったわけじゃなさそうだな」

 私はバイクを降りた。ここから先は瓦礫だらけで車両は通れない。

 徒歩で追う。

 廃墟の谷間へと足を踏み入れる。

 その時、異変に気づいた。

 ピピッ……ピピッ……。

 防護服のガイガーカウンター(毒性検知アラート)の音が、徐々に間隔を空けていく。

 数値が下がっている?


 【TOXICITY LEVEL: DECREASING】


 おかしい。

 さっきまでは防護服が溶けるほどの濃度だった。

 なのに、廃墟都市の深部へ進むにつれ、雨はただの雨に戻り、空気中の毒ガス濃度も急速に薄まっている。

 犯人は炉心を捨てたのか?

 いや、密封容器に入れた?

 そんなはずはない。エネルギー炉の天井をぶち破るような雑な手口の奴が、今更パッキングなんてするわけがない。

「……どうなっている?」

 私は警戒レベルを最大に引き上げた。

 アサルトライフルを構え、暗視モードで廃墟の闇を見通す。

 雨音だけが響く静寂の世界。

 その中心、かつてショッピングモールだったと思われる巨大な広場、中央アトリウムに、それはいた。


 屋根が崩落し、雨が吹き込むアトリウムの中央。

 瓦礫の山の上に、一際巨大な影が立ち尽くしていた。

 全高10メートル。

 重厚な装甲に覆われた人型兵器。

 機械軍の主力、殲滅戦仕様『ピースウォーカー』。

 だが、私の知るそれとは決定的に何かが違っていた。

 武器がない。

 両肩のミサイルポッドも、腕のガトリング砲も、背中のキャノンも、全てが取り外されている。

 あるのは、剥き出しのマウントラッチと、無骨な鋼鉄の装甲だけ。

 まるで、牙を抜かれた獅子。あるいは、剣を捨てた騎士。

 そして、その両腕には、巨大な円柱状の物体が抱えられていた。

 盗まれたエネルギー反応炉心だ。

 折れた断面からは青白い光が漏れ出し、ブオンブオンと低周波を放って稼働している。

 だが。


 【TOXICITY LEVEL: 0】


 「……ゼロだと?」

 私は我が目を疑った。

 目の前にあるのは、防護服なしでは即死するはずの猛毒の塊だ。

 それが、青く澄んだ光を放ちながら、雨の中で静かに息づいている。

 毒ガスも、放射線も、酸の飛沫も、一切検出されない。

 奴が、無毒化したのか?

 どうやって?

「……おい、そこのデカブツ!」

 私はライフルの銃口を向け、声を張り上げた。

 巨体がゆっくりと振り返る。

 頭部の複眼センサーが、穏やかな緑色の光を湛えて私を見下ろした。

「貴様、機械軍のピースウォーカーだな。その炉心をどうするつもりだ?

 ……その毒を、どこへやった?」

 私の問いに彼、登録番号10251は、炉心を愛おしむように抱き直した。

 まるで、聖母が赤子を抱くように。

「……毒ではない」

 重低音のスピーカー音声。だが、そこには機械的な冷たさはなく、深い思索の響きがあった。

「これは『糧』だ」

「糧?」

「世界は矛盾(毒)に満ちている。この炉心もまた、強大な力を生むために毒を垂れ流す。

 ……私は、この毒を取り込み、消化し、力に変える術を試している」

 意味が分からない。

 哲学か?バグか?

「御託はいい。それは街の所有物だ。返してもらうぞ!」

 私は地面を蹴った。

 ブースト・ジャンプ。一気に距離を詰め、彼の手から炉心を奪取しようと手を伸ばす。

 だが。

 ブンッ。

 風圧。

 10251は炉心を抱えたまま、最小限の動きで体を捻った。

 私の突進が空を切る。

 そのまま彼は、空いた右肩で私を弾き飛ばした。

 打撃ではない。柔道のような、力の流れを利用した受け流し。

「ぐっ……!?」

 私は空中で体勢を立て直し、瓦礫の上に着地した。

 速い。そして、巧い。

 ただの重量級兵器の動きではない。

「……戦う気はない」

 10251は静かに言った。

「私は知りたいだけだ。生きるとは、この毒をどう消化することなのかを。

 無駄と呼ばれるものの中に、どんな意味があるのかを」

「お前……何者だ? 何のために動いている?」

「私は個だ。……名は、まだない」

 彼はそう言い残すと、驚異的な脚力で跳躍した。

 ズドンッ!

 崩れかけたビルの壁面を蹴り、より高く、より深い闇の中へと飛び去っていく。

「待てッ!」

 私はライフルを構えたが、引き金は引けなかった。

 彼が抱えているのは、不安定な炉心だ。撃てば爆発するかもしれない。

 それに……彼からは殺気が全く感じられなかった。

 雨が降り続く廃墟のアトリウム。

 残された私は、下ろした銃と共に立ち尽くしていた。

 毒の消えた炉心。

 武器を捨てた兵器。

 そして、「生きる意味」を問う機械。

「……厄介な奴が出てきたな」

 私はヘルメットのバイザーを開け、無害化された雨の匂いを嗅いだ。

 嵐はまだ、止みそうになかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ