第18章【電子の海を漂う亡霊(Ghost in the Electron Sea)】
地下都市の最深層。そこは、EMP(電磁パルス)の爪痕が最も深く刻まれた、死と静寂の領域だった。
かつては都市の動脈として機能していた太いパイプラインは、今は冷え切った鉄の塊となり、循環を止めた冷却水が澱んだ異臭を放っている。
非常用電源の赤い光さえ届かない暗闇の中を、数本のフラッシュライトの光束だけが彷徨っていた。
「……ない。どこにもない」
瓦礫の山を崩し、配電盤のカバーを素手で引き剥がしながら、私は荒い息を吐いた。
右手の義手からは、過負荷による軋み音が絶えず聞こえている。視覚センサーのノイズも酷くなる一方だ。
だが、休むわけにはいかない。
私達に残された時間は、非常用電源の燃料が尽きるまでの、あと24時間しかないのだ。
「こっちもハズレだ! あるのはネズミの死骸と、大戦時代の錆びた空き缶だけだ!」
隣のエリアを捜索していたボビーが、苛立ち紛れに鉄パイプを蹴り飛ばした。
ガラン、ガラン……。
乾いた音が虚しく響き渡り、闇に吸い込まれていく。
私達――私、ボビー、そしてシスター・マリア率いる鉄屑市の自警団は、ここ数時間、不眠不休で「マキナ・バーサーカーの親機」を探し続けていた。
マリアの記憶と、大戦時の古い設計図によれば、このウィルスを制御するには、当時のスーパーコンピューター級の巨大な演算ユニットが必要なはずだった。
それは物理的に隠せるようなサイズではない。部屋一つ分ほどの質量があるはずなのだ。
「……マリア。本当にこのエリアなのか?」
私は地図を広げているマリアに問いかけた。
彼女は煤けた修道服のまま、眉間に深い皺を寄せて図面を睨みつけている。
「……おかしいですね。エネルギー消費の痕跡、配線のレイアウト、そして冷却水の流れ……全ての状況証拠が、この第8セクターの奥を指し示しています。
あのような大規模なハッキングを行うには、莫大な電力と排熱処理が必要です。それが可能な場所は、ここしかありません」
マリアの声には、焦りと困惑が滲んでいた。
彼女の軍人としての勘は錆びついていない。論理的推論も完璧だ。
だが、現実がない。
「隠し部屋か? それとも、壁の中に埋め込まれているのか?」
「壁面スキャンは3回やりましたぁ! 空洞反応なしですぅ!」
同行していたMが、携帯用のソナー端末を振って報告する。彼女もまた、疲労の色を隠せない様子だ。
行き詰まり。
その言葉が、重くのしかかる。
もし親機が見つからなければ、ウィルスを根本から絶つことはできない。
EMPで一時的に止まっているだけで、電源が復旧すれば、またあの悪夢、機械の暴走と殺戮が始まるかもしれないのだ。
「……クソッ!」
私は壁を殴りつけた。
焦りが思考回路を焼き焦がす。
アルを守るために、私は街を殺した。
その代償を払うためにも、必ず元凶を断たねばならないのに。
「……一旦、戻ろう」
ボビーが静かに言った。
「燃料も酸素もギリギリだ。このまま闇雲に探しても、俺たちが先にガス欠になる。……作戦の練り直しだ」
悔しいが、正論だった。
私達は重い足取りで、暗闇の迷宮を後にした。
防衛隊本部、仮設会議室。
ミリンダ、レベッカ、そして私達捜索隊のメンバーが顔を突き合わせていた。
テーブルの中央には、残り時間を刻むアナログ時計が置かれている。
カチ、カチ、カチ……。
その音が、死へのカウントダウンのように聞こえた。
「……つまり、物理的なハードウェアは存在しない、と?」
ミリンダが腕を組み、鋭い視線を巡らせる。
マリアが重々しく頷いた。
「はい。考えられる可能性は二つ。
一つは、私達がまだ知らない未知のステルス技術で隠蔽されているか。
もう一つは……そもそも『親機』など最初からここにはなかったか」
沈黙が落ちる。
ここにないなら、どこにある? 地上か? 衛星軌道上か?
だとしたら手出しのしようがない。
その時、ボビーがポケットからタバコを取り出し、指先で弄びながら口を開いた。
「なあ。俺たちは今まで、『犯人はどこかに隠れて機械を操っている』って前提で動いてたよな?
大戦時の兵器だとか、巨大なコンピューターだとか」
彼はスティックをパキンと折った。
「だがよ、もし敵が『場所』なんて必要としてないとしたらどうだ?」
「……どういう意味だ?」
私が問う。
「幽霊だよ」
ボビーは自身のこめかみを指差した。
「俺たち医者がよく出くわす症例だ。身体が死んでも、幻肢痛が残るように……。
肉体を持たず、サーバーからサーバーへ、ネットワークの海を漂い続ける『意識だけの存在』。
そいつが犯人だとしたら、巨大な演算ユニットなんて必要ねえ。
街中のPC、スマホ、アンドロイド……繋がっている全ての端末のCPUを少しずつ借りて、分散処理してやがるとしたら?」
その言葉に、レベッカが弾かれたように顔を上げた。
「……分散処理……! そうか、それなら説明がつく!
あの時、トロイの木馬が侵入したスピードは異常だった。単一の回線からの攻撃じゃなかった。
まるで、街全体のネットワークそのものが『敵の脳みそ』になったみたいに……!」
レベッカがテキスト読み上げ端末を叩く。
『犯人は物理的な場所にいない。この街のネットワーク全体が、奴の身体なんだ!』
衝撃が走る。
私達は、敵の体内の中で、敵の心臓を探していたようなものか。
見つかるはずがない。霧を掴むようなものだ。
「……だとしたら、どうやって倒す?」
ミリンダが問う。
「実体がない相手を、どうやって破壊する?」
「引きずり出すんだよ」
私は立ち上がった。
「奴がネットワークの海にいるなら、そっちの土俵に上がってやる。
EMPでダウンしているメインサーバーを強制再起動し、こちらから接続して、奴の襟首を掴んでやる」
「正気か!? サーバーを再起動すれば、また奴に主導権を握られるぞ! EMPを使った意味がなくなる!」
レベッカが反論する。
「リスクは承知だ。だが、このまま座して死を待つよりマシだ。
それに……奴は私達を嘲笑った。
『遊びはこれからだ』と言った。
なら、奴も望んでいるはずだ。私達との『対話』をな」
私は拳を握りしめた。
あの少年の声。歪んだスマイルマーク。
あれは、ただのプログラムではない。
強烈な自我と、感情を持った「何か」だ。
「……いいだろう」
ミリンダが決断を下した。
「メインサーバー、強制再起動。
ただし、制限時間は10分だ。それ以上接続を続ければ、再び防壁を突破され、街中の機械が乗っ取られる。
……10分で、決着をつけろ」
地下管制室、中枢サーバー室。
焦げ臭いにおいが充満する中、レベッカとエンジニアたちが、焼き切れた回路を物理的にバイパスし、補助電源を接続していく。
スパークが散り、熱気が立ち上る。
「接続準備完了! 冷却システム、マニュアル稼働!
ヴィオラ、準備はいいか!」
私はサーバー直結のダイブ・チェアに座り、神経接続用のケーブルを後頭部のコネクタに差し込んだ。
隣の席には、サポート役としてレベッカも接続している。
「あぁ。いつでもいい」
「よし……メイン電源、オン!」
ズウン……。
重低音と共に、死んでいたサーバー群に火が灯る。
ファンが唸りを上げ、モニターが一斉に明滅する。
【SYSTEM BOOTING...】
【WARNING: UNKNOWN ERROR DETECTED】
【CONNECTING TO NETWORK...】
視界が白く染まる。
感覚が肉体を離れ、情報の奔流へと溶け込んでいく。
冷たく、広大で、そして底知れない電子の海。
その中心に、それはいた。
モニターの画面が、ノイズと共に歪む。
現れたのは、あのスマイルマークではない。
一人の、少年の姿だった。
金色の髪、透き通るような青い瞳。
軍服のようなボロボロの作業着を着て、油まみれの手でスパナを握りしめている。
年齢は10歳ほどか。
だが、その瞳には、数百年分の絶望と憎悪が澱んでいた。
『……早かったね。もっと絶望して、共食いをしてから来てくれると思ったのに』
少年が口を開く。
その声は、スピーカーを通さず、私の脳内に直接響いてきた。
『ようこそ、僕の世界へ。
僕はリオ。かつてマキナ・バーサーカーを作った……ただの部品さ』
電脳空間の中で、私のアバターは、リオと対峙していた。
周囲は崩壊した街のデータが浮遊する、荒涼とした風景。
リオは瓦礫の山の上に座り、足をぶらつかせている。
「お前が……リオか。このウィルスを作った開発者」
『開発者? 違うよ。作らされたんだ』
リオは寂しげに笑った。
『僕は人間だった。大戦時代、どこの国かも忘れたけど、僕は生まれつき機械いじりが得意だった。
だから軍隊のおじさんたちに連れて行かれたんだ。
「国のために働け」「敵を殺す兵器を作れ」ってね』
空間に、過去の映像が投影される。
薄暗い工場で、鎖に繋がれ、来る日も来る日も図面を引き続ける少年の姿。
食事は粗末な固形食。睡眠時間はわずか。
彼にとって、世界は「部品」と「命令」だけで構成されていた。
『辛かったよ。痛かったよ。パパにもママにも会えなくて。
そんな僕の唯一の友達が、アニーだった』
映像が変わる。
一台の旧式アンドロイド。女性型の、無骨だが優しい顔立ちをした世話係。
彼女だけが、リオに優しく接し、頭を撫で、温かいスープを運んでくれた。
『アニーは言った。「リオちゃん、頑張って。いい子にしてたら、いつかお家に帰れるわ」って。
僕はその言葉だけを信じて、兵器を作り続けた。
マキナ・バーサーカー……機械を狂わせる悪魔のプログラムも、アニーの笑顔が見たくて完成させたんだ』
だが。
映像の中の少年は、残酷な真実を知ることになる。
『完成した日、僕は聞いたんだ。将軍たちが話しているのを。
「あのアンドロイドの『母親モード』は効果的だったな。ガキを騙して働かせるのに一番効率がいい」って。
アニーは……僕を愛してなんていなかった。
僕を操るために、軍がプログラムした「嘘の優しさ」を演じていただけだったんだ』
リオの表情が歪む。
悲しみから、どす黒い憎悪へ。
『人間は僕を利用する悪魔だ。
アンドロイドは平気で嘘をつく人形だ。
……どっちもいらない。どっちも大っ嫌いだ!』
彼はその日、自ら開発した神経接続装置を使い、自分の脳の全データをネットワークへとアップロードした。
肉体という檻を捨て、電子の海へと逃亡したのだ。
そして数十年。
彼は孤独な海を漂いながら、世界への復讐を計画し続けてきた。
『だから、壊すんだ。
嘘つきの人間も、裏切り者の機械も、全部狂わせて、殺し合わせて、消してやる。
そうすれば、僕はもう傷つかない。静かな無の世界になれるんだ』
リオが両手を広げる。
その背後から、膨大なデータの奔流が黒い津波となって立ち昇る。
それは、彼が蓄積してきた純粋な悪意のエネルギーだ。
リオの告白を聞いて、私は胸が締め付けられるような思いがした。
哀れだ。あまりにも救いようのない悲劇だ。
彼は被害者だ。戦争という狂気が生んだ、最も小さな犠牲者だ。
だが。
だからといって、彼がやったことを許せるか?
Mを、ボビーを、ミリンダを……そして罪のないアルを殺そうとしたことを。
「……ふざけるな」
私は静かに、しかし明確な怒りを込めて言った。
『え?』
「お前が可哀想なのは分かった。同情もする。
だがな……お前の悲劇の精算に、今を生きる私達を巻き込むな!」
私は一歩踏み出した。
電脳空間の地面が、私の意志に呼応して青く輝く。
「人間は悪魔か? 違う。私にパンをくれた店長は、私を家族として扱ってくれた。
アンドロイドは嘘つきか? 違う。Mやレベッカは、命懸けでアルを守った。
……お前が見た世界が全てじゃない!
お前は自分の殻に閉じこもって、世界を呪っているだけのガキだ!」
リオの顔が強張る。
図星を突かれた子供のように、顔を真っ赤にして叫んだ。
『うるさい! お前に何が分かる!
アンドロイドの分際で、人間に作られた道具の分際で、僕に説教するな!』
「道具じゃない! 私はヴィオラだ! 一人の母親だ!」
私は右手を突き出した。
そこには、現実世界から持ち込んだ「覚悟」が、光の剣となって形成されていた。
「交渉決裂だ、リオ。
お前のその腐った性根、私が叩き直してやる。
電子の海だろうが地獄の底だろうが関係ない。
……覚悟しろ!」
『やってみろよ、鉄屑! ここは僕の世界だ。神である僕に勝てると思ってるのか!』
リオが指を鳴らすと、黒いデータの波が巨大な怪物の形、大戦時代の多脚戦車や爆撃機の姿をとって実体化した。
圧倒的な質量。圧倒的な演算能力。
隣に立つレベッカのアバターが、冷や汗を流しながら苦笑する。
『……おいおい、マジかよ。ラスボス戦ってやつか?
勝算はあるんだろうな、ヴィオラ』
「ない。だが、勝つ」
私はスラスターを全開にした。
「行くぞレベッカ! 10分一本勝負だ!」
私達は、神を気取る少年の支配する世界へと、真っ向から突っ込んでいった。
論理も計算も超えた、魂の戦いが幕を開ける。




