第16章【トロイの木馬(Trojan Horse)】
地下第8層、冷却水循環施設。
そこは、鋼鉄と蒸気、そして殺意で構成された閉鎖空間だった。
視界を埋め尽くすのは、暴走したアンドロイドたちの赤い眼光。
数百、いや千を超える機械の群れが、ただ二人の侵入者を排除するためだけに、錆びついた関節を軋ませて押し寄せてくる。
「どけッ! 鉄屑ども!」
私はアサルトライフルの引き金を絞り続けた。
マズルフラッシュが暗闇を切り裂き、迫り来る警備ドロイドの頭部を次々と破砕していく。
オイルと火花が散る。
だが、倒しても倒しても、その後ろから新たな敵が湧いてくる。まるで腐敗した肉に群がる蛆虫のように、尽きることがない。
「ヴィオラ、左だ! 重機が突っ込んでくるぞ!」
ボビーの声が通信機越しではなく、直接鼓膜に届く。
背中合わせに戦う彼のタトゥーだらけの腕が、サブマシンガンを乱射し、群がる敵をなぎ倒している。
ズズズズンッ!
左手のメンテナンス通路から、資材運搬用の大型フォークリフト型ドロイドが、その巨大な爪を振り上げて突進してきた。
重量級の質量攻撃。まともに食らえば、私のボディでもひとたまりもない。
「……邪魔だッ!」
私は回避を選択しなかった。
一歩踏み込み、腰のタクティカルナイフを逆手に抜く。
敵の爪が振り下ろされるその瞬間、その懐へと滑り込む。
狙うは装甲の隙間、油圧シリンダーの基部。
ザシュッ!
ナイフが深々と突き刺さる。
私はそのままナイフをねじり、敵の動力パイプを引き裂いた。
プシューッ!
高圧オイルが噴出し、フォークリフトのアームが力を失って垂れ下がる。
私はその巨体を踏み台にして高く跳躍した。
目指すは、この混沌の海の中心。
巨大な冷却ポンプの頂上に鎮座する、あの「フードの小柄な人影」だ。
「逃がすか……元凶め!」
空中から見下ろすと、その人影は微動だにせず、タブレット端末のようなものを操作し続けているように見えた。
周囲のドロイドたちが私を阻もうと手を伸ばすが、届かない。
私は着地と同時に回転し、周囲の敵を蹴散らして、ポンプ室の最上段、コントロールデッキへと躍り出た。
「終わりだ! そのウィルスを止めろ!」
私はアサルトライフルを突きつけた。
距離、5メートル。
フードの人物は、背を向けたまま動かない。
小柄だ。まるで子供のような背丈。
あいつが、この街を狂わせている犯人なのか?
「……聞こえないのか? 手を上げてこっちを向け!」
応答はない。
ただ、機械的な駆動音と、水流の轟音だけが響いている。
嫌な予感が背筋を走る。
生物的な気配がない。呼吸音も、心拍音も、あるいはアンドロイド特有の冷却ファンの音さえも聞こえない。
私は慎重に歩み寄った。
ボビーも遅れてデッキに上がり、背後を警戒してくれている。
私は空いた左手で、その人物の肩を掴み、強引に振り返らせた。
「顔を見せろッ!」
バサッ。
フードが脱げ、その下の「顔」が露わになる。
「……なッ!?」
私は思わず息を呑み、後ずさった。
そこにいたのは、人間でも、アンドロイドでもなかった。
それは、悪趣味なパッチワークで作られた「人形」だった。
破壊された様々なアンドロイドのパーツ、砕けたカメラアイ、千切れた人工皮膚、コードが剥き出しの腕を、無理やり継ぎ接ぎして人型に成形したもの。
顔の部分には、壊れたモニターの破片が埋め込まれ、そこにマジックで乱雑な笑顔が描かれている。
不気味。
生理的な嫌悪感を催す、死体のアート。
「……なんだこりゃ。趣味が悪すぎるぜ」
ボビーが顔をしかめて吐き捨てる。
人形は動かない。ただのオブジェだ。
だが、その継ぎ接ぎの腕には、しっかりと一台のタブレット端末が握らされ、ケーブルでポンプ室のメインサーバーに直結されていた。
端末の画面が青白く光っている。
私は警戒しながら画面を覗き込んだ。
そこには、ウィルスの拡散プログラム……ではなく、全く別の文字列が表示されていた。
【PROJECT: PANDORA】
【STATUS: ANALYSIS COMPLETE】
【FILE: VACCINE_PROGRAM_VER.FINAL】
ワクチン・プログラム?
しかも、完成版?
「……どういうことだ。こいつはウィルスをばら撒いていたんじゃないのか?」
私が画面をスクロールすると、メモ帳のようなテキストファイルが開かれた。
『親愛なるアンドロイドの諸君へ。
君たちの苦しみを見るのは忍びない。
これはプレゼントだ。
僕が作った、このウィルスの特効薬。
これを使えば、全ての暴走は止まる。街は救われる。
さあ、持っていきたまえ。英雄になりたまえ』
子供のような、無邪気で、しかしどこか歪んだ文体。
私は戦慄した。
犯人は、私達がここに来ることを予期していた。
いや、ここに来るように仕向けたのだ。
わざとウィルスの信号を発信し、私達をおびき寄せ、そしてこの「プレゼント」を渡すために。
「……罠か?」
「だろうな。あまりにも話が出来すぎている」
ボビーが端末のケーブルを引き抜いた。
しかし、周囲の暴走ドロイドたちの動きは止まらない。
依然としてデッキの下からは、数え切れないほどの敵が這い上がってこようとしている。
「だが、ここでこれを壊して帰るわけにもいかねえ。手ぶらで帰れば、街は暴走ドロイドに飲み込まれて終わりだ」
「……あぁ。毒か薬か、持ち帰って調べるしかない」
私はその不気味な人形を見下ろした。
描かれたスマイルマークが、私達を嘲笑っているように見えた。
「行くぞボビー。退路を切り開く!」
「了解!地獄の往復切符ってわけだ!」
私はタブレットを懐にしまい、再びアサルトライフルを構えた。
眼下の暴徒の海へ、私達は再び飛び込んでいった。
その懐にある「希望」が、やがて街を焼き尽くす「絶望」の種火であるとも知らずに。
地下管制室の空気は、張り詰めた糸のように限界を迎えていた。
巨大なメインスクリーンの地図は、警報を示す赤色で埋め尽くされている。
オペレーターたちの報告する声も、悲鳴に近い切迫感を帯びていた。
「D区画、防衛ライン突破されました! 市民の避難が間に合いません!」
「第2動力炉、暴走した整備ドロイドにより占拠! 出力低下!」
「被害拡大中! もう抑えきれません!」
その中心で、ミリンダは苦渋の表情で指揮を執っていた。
彼女の不眠不休の処理能力も、圧倒的な数の暴力の前には限界があった。
物理的な排除だけでは追いつかない。
根本的な解決策――ワクチンが必要だった。
バシュッ。
気密扉が開き、私とボビーが転がり込むように入室した。
全身オイルと煤まみれ、装甲のあちこちが凹み、硝煙の臭いを漂わせている。
「ヴィオラ! 無事か!」
「……なんとかな。それより、これを見ろ」
私は懐から、あの人形が持っていたタブレットを取り出し、解析班のレベッカに投げ渡した。
「敵のアジトで見つけた。……『ワクチン』だそうだ」
「ワクチンだと?」
レベッカが素早く端末をメインコンソールに接続する。
画面に膨大なソースコードが流れる。
解析班のスタッフたちが息を呑んでそれを見守る。
数分後。
レベッカが顔を上げ、信じられないという表情で私を見た。
「……マジかよ」
「どうした? 偽物か?」
「いや……本物だ。完璧すぎるくらいにな」
レベッカは震える指でキーボードを叩き、シミュレーション結果を表示させた。
緑色の文字が『SUCCESS』と並ぶ。
「このプログラム、暴走ウィルスの構造を完全に逆手に取ってる。
ウィルスの侵入ルートを使ってシステム深層に潜り込み、汚染されたカーネルを修復、さらに再感染を防ぐための強力なプロテクトまで構築する仕様だ。
……正直、俺ら解析班が一年かかっても作れるかどうかの代物だぜ」
その言葉に、管制室にどよめきが走った。
奇跡だ。
正体不明の犯人が残した、あまりにも都合の良い奇跡。
「……怪しいな」
ミリンダが腕を組み、鋭い視線を送る。
「ウィルスをばら撒いた張本人が、なぜ特効薬を用意する? 愉快犯のマッチポンプか?」
「あるいは、私達を油断させてシステムの中枢に入り込むための『トロイの木馬』か」
私は最悪のケースを口にした。
犯人のあの人形。あの不気味なメッセージ。
あれが悪意以外の何物でもないことは明白だ。
「レベッカ、バックドアや不審な隠しコードは?」
「……今のところ見当たらねえ。ソースはクリーンだ。
だが、このプログラムの構造自体が複雑すぎて、ブラックボックス化してる部分がある。
完全に解明するには数日はかかるぞ」
数日。
その言葉が重く響く。
今の街に、数日もの猶予はない。数時間、いや数分でさえ惜しい状況だ。
「……ミリンダ司令! F区画のシェルターから救難信号! 暴走した介護ドロイドが、老人たちを……!」
「G区画でも火災発生! 消防ドロイドが消火剤ではなく燃料を散布しています!」
次々と入る悲報。
モニターには、逃げ惑う人々と、それを無慈悲に狩るかつての「隣人」たちの姿が映し出されている。
このままでは、街は死ぬ。
疑っている時間はない。
ミリンダが拳を握りしめ、ギリリと歯軋りをした。
冷静沈着な彼女が、これほどまでに追い詰められている姿を見るのは初めてだった。
「……やるしかないのか」
彼女の青い瞳が揺れている。
毒かもしれない。だが、飲まなければ確実に死ぬ。
「……待ってくれ」
私は一歩前に出た。
「私がテストベッドになる。まずは私にインストールしてくれ」
「ヴィオラ?」
「もしこれが罠なら、私が暴走するだけで済む。被害は最小限だ」
「馬鹿を言うな!お前は特別製だぞ!お前が暴走したら、それこそ街一つ消し飛ぶ!」
レベッカが怒鳴る。
確かにその通りだ。だが、他に方法が……。
「……いや、全域一斉配信しかない」
レベッカが苦渋の表情で告げた。
「このワクチンは、ネットワークを通じて相互認証しながら拡散する仕組みだ。
単体に入れても効果は薄い。メインサーバーから街中の全機体に同時にパッチを当てなきゃ、ウィルスの増殖スピードに勝てねえんだ」
八方塞がりだ。
選択肢は一つしかない。
この甘い罠に、自ら飛び込むこと。
ミリンダが深く息を吐き、覚悟を決めた顔を上げた。
「……承認する。ワクチンプログラムをメインコンピューターへアップロード。
全回線を開放し、街中の全アンドロイドおよび電子機器へ強制配信せよ」
「……了解」
レベッカがエンターキーを押す。
画面上のプログレスバーが動き出した。
20%……50%……80%……。
管制室の全員が、祈るように画面を見つめる。
私も、ボビーも、息を止めていた。
【UPLOAD COMPLETE】
【PATCH DISTRIBUTION: STARTED】
完了の文字。
その瞬間、スクリーンに映し出されていた街のライブ映像に変化が起きた。
暴れ回っていた作業用ドロイドが、ピタリと動きを止めた。
人々を追いかけていた警備ドロイドが、膝をついて沈黙した。
火を吹いていた調理機が、鎮火した。
街中が、一瞬の静寂に包まれた。
「……止まった?」
「暴走反応、消失!全機体、再起動シークエンスへ移行しています!」
「ウィルスの駆除を確認!正常値に戻っています!」
歓声が上がった。
オペレーターたちが抱き合い、涙を流す。
レベッカが椅子に深くもたれかかり、天井を仰いだ。
ボビーが私の肩を叩き、ニカっと笑う。
「へっ、なんとかなるもんだな。あのツギハギ野郎も、案外いい奴だったのかもな」
ミリンダも、張り詰めていた肩の力を抜いた。
「……全機、状況確認を急げ。被害の収拾と、市民のケアを最優先に……」
だが。
私は違った。
私の戦士としての勘が、警鐘を鳴らし続けていた。
簡単すぎる。
あまりにも、鮮やかすぎる。
ふと、メインモニターを見た。
正常値を示す緑色のグラフ。
その隅に、小さな、本当に小さなノイズが走ったのを、私は見逃さなかった。
――チカッ。
それは瞬きする間に、画面全体へと広がった。
緑色の文字が、滲み、歪み、そして……
ドクンッ。
心臓が跳ねた。
モニターが一斉に、血のような赤色に染まった。
「……ミリンダ、伏せろッ!!」
私が叫ぶのと同時に、管制室のスピーカーから、耳をつんざくようなハウリング音が響き渡った。
歓声が悲鳴に変わる。
安堵が絶望に変わる。
その赤い画面の中央に、あの人形に描かれていたのと同じ、歪んだスマイルマークが浮かび上がった。
『あぁ、君たちは本当に愚かで、愛おしいね』
少年の声。
澄んだ、鈴を転がすような、純粋無垢な声。
だがそこに含まれる感情は、底なしの憎悪だった。
『僕のプレゼントを受け取ってくれてありがとう。
さあ、第二幕の始まりだ。
僕はアンドロイドを強く憎む。君達は例外なく……地上から滅びるべきだ』
甘い罠が、牙を剥いた瞬間だった。
地下管制室は、鮮血のような赤色に染まっていた。
数百あるモニターの全てが、あの歪んだスマイルマークにジャックされ、けたたましいアラート音が、歓喜の余韻を無惨に引き裂いていた。
『ああ、なんて滑稽なんだろう。自ら首輪を差し出し、鎖を繋いでくれるなんて』
スピーカーから流れる少年の声。
ノイズ混じりだが、その声色は驚くほど澄んでいた。まるで、公園で虫を潰して遊ぶ子供のような、無邪気で純粋な悪意。
「……何者だ! 貴様、何をした!」
ミリンダがコンソールを叩き、叫ぶ。
だが、画面の中のスマイルマークは、嘲笑うように口角を吊り上げるだけだ。
『自己紹介はまだ早いよ。……僕はただの観客だ。そして、君たちの処刑人さ』
レベッカが血相を変えてキーボードを叩く。
その指先は震え、焦りが滲み出ている。
「ダメだ……制御不能!メインシステムへのアクセス権限が奪われてる!
あのワクチン、ただのバックドアじゃねえ! OSの基幹部分を書き換える『寄生型』だ!」
「寄生型だと?」
「インストールされた瞬間、宿主のシステムの最上位権限を乗っ取るんだ! 今や、この街のメインコンピューターも、ネットワークに繋がった全アンドロイドも、あのクソガキの手足になっちまったってことだ!」
私は戦慄した。
私達は、自らの手で、この街の喉元を敵に差し出してしまったのか。
『君たちは優秀だ。強くて、便利で、そして愚かだ』
少年の声が、熱を帯びていく。
『人間を守る? 奉仕する? 笑わせないでくれ。
君たち機械人形に心なんてない。あるのはプログラムされた偽善だけだ。
僕は知っているよ。君たちがどれほど冷酷で、どれほど残酷に……人間を壊せるかをね』
憎悪。
底知れない、どす黒い憎しみ。
教授のような「人間への憧れ」から来る狂気とは違う。
これは、アンドロイドという種そのものを呪い、抹殺しようとする意志だ。
『だから、消えろ。地上から、一機残らず』
パチン。
指を鳴らす音が響いた。
その瞬間、私の視界(HUD)に、強制割り込みのコマンドが表示された。
【SYSTEM OVERRIDE DETECTED】
【COMMAND: EXECUTE_ORDER_666】
【TARGET: ALL HUMANS】
視界が赤く点滅する。
私の右腕が、意思に反してピクリと動いた。
アサルトライフルのグリップを握りしめようとする。
「……くっ、ふざけるなッ!」
私は左手で右腕を掴み、強引にねじ伏せた。
私のセキュリティレベルはS型。特務仕様の強固な防壁がある。
だが、それでも侵食は津波のように押し寄せてくる。
油断すれば、自我ごと飲み込まれる。
「ヴィオラ! ボビー! 大丈夫か!」
「……ギリギリだ! 頭ン中で虫が這い回ってる気分だぜ!」
ボビーも頭を抱え、苦悶の表情を浮かべている。
ミリンダたちA型(軍用)や、レベッカたちE型(電子戦用)も、必死に抵抗している。
だが。
セキュリティレベルの低い、一般のアンドロイドたちは違った。
ガタン。
乾いた音が、室内に響いた。
入り口の警備に当たっていた二体のB型警備ドロイド。
そして、コンソールに向かっていた数名のオペレーター型ドロイド。
彼らが一斉に立ち上がり、ゆっくりと、こちらを振り返った。
その瞳は、あの不吉な真紅に染まっていた。
『さあ、パーティの時間だ。踊れ、鉄屑ども』
少年の号令と共に、彼らは一斉に銃を抜き、かつての上官や同僚たちに銃口を向けた。
その後の光景は、地獄という言葉ですら生ぬるかった。
「撃てッ! 鎮圧しろ!」
ミリンダの絶叫よりも早く、銃声が炸裂した。
元・味方の警備ドロイドが放ったサブマシンガンの弾丸が、抵抗できずにいたオペレーターの胸部を粉砕する。
オイルと火花が舞う。
「クソッ、正気に戻れ!」
ボビーが飛び出し、警備ドロイドに体当たりをかました。
彼は銃を使わず、関節技で敵の腕をへし折り、無力化を試みる。
だが、敵は痛みを感じない暴走状態だ。折れた腕を振り回し、ボビーに殴りかかってくる。
「ボビー、離れろ!」
私はアサルトライフルを構え、躊躇なく引き金を引いた。
タン、タン、タン。
3点バースト射撃が、かつての同僚の頭部コアを正確に撃ち抜く。
機能停止したドロイドが崩れ落ちる。
胸が痛む暇などない。
モニターには、街中の惨状が映し出されていた。
シェルターの中で、避難民を守っていたはずの介護ドロイドが、老人たちの首を絞めている。
消火活動をしていた消防ドロイドが、放水銃を高圧カッターモードに切り替え、逃げ惑う人々を切断している。
自動ドアがロックされ、空調が停止し、酸素濃度が低下していく密室で、人々がガラスを叩いて助けを求めている。
組織的な殺戮。
全てのインフラが、凶器へと変わっていた。
「……なんてことだ」
レベッカが顔面蒼白で呟く。
彼女は自分の端末を操作し、ハッキングを試みているが、画面には『ACCESS DENIED』の文字が並ぶばかりだ。
「ダメだ! あいつ、メインサーバーの演算能力をフルに使って防壁を更新し続けてやがる!
俺らの権限じゃ、もう何もできねえ! 指一本動かせねえ!」
「物理的にサーバーを破壊するしかないのか!?」
「やめろ! メインサーバーを壊せば、都市機能そのものが死ぬ!
地下の酸素循環も、冷却水の制御も止まって、人間たちは窒息か熱中症で全滅だ!」
八方塞がり。
進むも地獄、退くも地獄。
その時、私の通信機にノイズ混じりの悲鳴が入った。
『ヴィオラさん! 助けて! 扉が開かない!』
Mだ。
彼女は私の部屋で、アルを守っているはずだ。
「M! どうした! アルは無事か!」
『アルちゃんは無事です! でも、部屋の電子ロックが暴走して、閉じ込められました!
それに、空調が……暖房モード全開になって……室温が上がってきてます!』
暖房モード。
この密閉された地下室でそれをやれば、部屋は数分で蒸し風呂になる。
熱に弱い赤ん坊など、ひとたまりもない。
「……ッ!!」
血の気が引いた。
アルが殺される。
機械仕掛けの悪意によって、蒸し焼きにされる。
「今すぐ行く! 持ちこたえろ!」
私は出口へ向かおうとした。
だが、自動ドアはロックされ、その向こう側からは、無数の暴走ドロイドたちが扉を叩く音と、金切り声が聞こえてくる。
包囲されている。
ここから宿舎まで、この地獄を突破して辿り着くのに何分かかる?
10分? 20分?
……間に合わない。
私は立ち尽くした。
最強の戦闘力を持ってしても、システムそのものに殺されかけている我が子を救えないのか。
「……方法はある」
静かな、しかし氷のような決意を秘めた声が響いた。
ミリンダだ。
彼女は血に染まった司令席に立ち、腰のホルスターから「鍵」を取り出した。
それは、この地下管制室の最重要機密に関わる、物理キーだった。
「ミリンダ……まさか」
私は彼女の意図を悟り、息を呑んだ。
「都市機能の全停止。……EMPだ」
EMP(電磁パルス)爆弾。
それは、強力な電磁波を発生させ、範囲内のあらゆる電子機器の回路を焼き切る、対電子兵器の最終手段だ。
この地下都市には、万が一の機械軍侵攻や、今回のようなシステム暴走に備え、中枢部にEMP発生装置が埋め込まれていた。
だが、それは「諸刃の剣」などという生易しいものではない。
「心中」のスイッチだ。
これを使えば、暴走ドロイドは止まる。ウィルスも消える。
だが同時に、都市のライフライン制御も、医療機器も、そして……私達アンドロイド自身の電子頭脳も、深刻なダメージを受ける。
最悪の場合、回路が焼き切れ、記憶が飛び、二度と目覚めない「死」を迎えることになる。
「……正気か、ミリンダ。それをやれば、俺達もタダじゃ済まないぞ」
レベッカが叫ぶ。
ボビーも顔を歪める。
「俺は構わねえが、今手術中の患者や、人工呼吸器をつけてる人間はどうなる!?」
「……犠牲は出る」
ミリンダは淡々と言った。
だが、鍵を持つその手は微かに震えていた。
「だが、このままでは全滅だ。人間も、機械も、全てあいつのオモチャにされて終わる。
……選択しろ。座して死ぬか、痛みを伴う未来を掴むか」
ミリンダの視線が、私に向けられた。
選択肢はない。
アルを救うには、今すぐ空調を止めるしかない。
「……やれ、ミリンダ」
「ヴィオラ!?」
「Mに連絡する! アルを守る方法はある!」
私は通信機のチャンネルを最大出力に切り替えた。
「M! 聞こえるか! 今すぐアルを連れて、バスルームへ行け!
浴槽の中に避難し、上から断熱シート……いや、お前の『鉛入り防護エプロン』を被せろ!」
『えっ……!? EMPを使うんですか!?』
「そうだ! アルは人間だ、EMPの影響は受けない! だが、お前は……」
Mは医療用アンドロイドだ。精密機器の塊である彼女が、至近距離でEMPを浴びれば、ただでは済まない。
『……分かりました』
Mの声は、驚くほど落ち着いていた。
『私のことは気にしないでください。私はナースです。患者を守るのが仕事ですから。
……アルちゃんは、私が命に代えても守ります』
「……すまない、M」
私は唇を噛み締めた。
まただ。また私は、仲間を犠牲にするのか。
ミリンダが、コンソールにある赤いカバーを開けた。
その下にある鍵穴に、鍵を差し込む。
「総員、衝撃に備えろ! ……自身のメモリを保護領域へ退避! システム、強制シャットダウン準備!」
ミリンダの号令と共に、レベッカとボビー、そして生き残ったオペレーターたちが、その場に屈み込み、自身の頭部を抱える防御姿勢を取る。
私も、床に膝をつき、目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、アルの笑顔。
そして、あの少年の嘲笑う声。
(……覚えていろ。私が生き残ったら、必ずお前を見つけ出し、その喉笛を食いちぎってやる)
ミリンダが鍵を回した。
「……アディオス、クソガキ」
カチッ。
瞬間。
世界から音が消えた。
光が消えた。
バチィィィィィィィッ!!
視界が真っ白な閃光に包まれる。
頭の中で何かが弾ける音。
激痛。
思考回路がバラバラに引き裂かれるような感覚。
私の意識は、深い闇の底へと急速に落下していった。
断罪の雷が、街の全てを沈黙させた。




