第14章【機械仕掛けの神(Deus Ex Machina)】
蒼い稲妻が、懐かしい夜空を切り裂いていく。
私の操る『ブルーエクレール』は、鉄屑市での激戦による傷跡も生々しいまま、しかし以前とは比べ物にならない力強い駆動音を響かせて、かつての故郷の上空へと帰還した。
眼下に広がる街並みは、私の記憶にあるものとは少し違っていた。
かつては猥雑なネオンと蒸気に包まれていた繁華街も、今は灯火管制が敷かれ、あちこちから黒い煙が立ち上っている。
機械軍の執拗な攻撃。
平和ボケしていたこの街も、ようやく「戦争」という現実を直視せざるを得なくなったようだ。
私は機体を旋回させ、地下への搬入ゲートではなく、軍用機専用の緊急着陸ポートへと降下させた。
正規の手順ではない。だが、今の私にID認証など必要ない。
ブルーエクレールから発せられる識別信号そのものが、この街における「最高優先度の通行証」となっていたからだ。
ズウンッ。
重厚な着地音が響く。
ポートには既に、整然と並んだA型アンドロイドの部隊が待ち構えていた。
その中央、腕を組んで仁王立ちする長身の影。
TYPE.A-1452。ミリンダ。
この街の治安を守る地下管制室の主だ。
プシューッ。
コックピットハッチが開く。
私はヘルメットを外し、新鮮な空気を吸い込んだ。オイルと硝煙、そして微かな雨の匂い。
タラップを降りる私の背後には、Mとレベッカ、そして私の胸には抱っこ紐で固定されたアルがいる。
「……遅かったな、問題児」
ミリンダが氷のような声で言った。
その青い瞳は、私の顔から背後のボロボロの機体、そして胸元のアルへと冷徹に走査していく。
「休暇の申請は却下したはずだぞ、TYPE.S-2235-AB」
「休暇じゃない、……出張だ」
私が言い返すと、ミリンダの眉がピクリと動いた。
張り詰めた空気。周囲のA型兵士たちが銃の安全装置に指を掛ける。
だが、ミリンダは深いため息をつくと、組んでいた腕を解いた。
「……無断欠勤のペナルティは重いぞ。お前の給料三ヶ月分、減俸だ」
「構わない。……ただし、この『お土産』を受け取ってくれるならな」
私は顎でブルーエクレールをしゃくった。
鉄屑市で強化改修されたその姿は、正規軍の装備とはかけ離れた異様な迫力を放っている。
ミリンダは口の端を僅かに吊り上げた。
「……悪くないスクラップだ。即時、防衛ラインへ投入したいところだが……その前に、片付けねばならないゴミがある」
「教授か」
「そうだ。あの男の『研究』が、この街を危機に晒している。機械軍の侵攻も、奴が裏で手引きしているという情報がある」
ミリンダが踵を返す。
「行くぞ。A班、B班は私に続け。C班は港湾区の防衛へ回れ。
ヴィオラ、M、レベッカ。貴様らは特別遊撃隊として、私の指揮下に入れ」
彼女は何も聞かなかった。アルのことも、私がどこで何をしていたのかも。
ただ、「共に戦え」とだけ言った。
それが、彼女なりの最大の信頼と歓迎であることを、私は知っていた。
地下研究施設への道は、静まり返っていた。
かつては多くの研究員(P型)や護衛ドロイドが行き交っていた廊下も、今は非常灯の赤い光だけが点滅し、不気味な影を落としている。
私達は警戒態勢で進む。
先頭はミリンダと私。後方にMとレベッカ、そして護衛のA型部隊。
アルは不思議と泣かなかった。この張り詰めた殺気を感じ取っているのか、あるいは母の鼓動が早まっているのを知って、息を潜めているのか。
「……静かすぎる」
ミリンダがアサルトライフルを構えながら呟く。
セキュリティゲートは全て開放されていた。
まるで、私達を招き入れているかのように。
「罠か?」
「だろうな。だが、踏み込むしかない」
最深部。
サー・アーサー・モリアーティ教授の執務室兼、メインラボ。
重厚な鋼鉄の扉の前に立つ。
ミリンダがハンドサインを出す。
突入。
ドォォォン!!
爆薬でロックを吹き飛ばし、私達は一斉に部屋へと雪崩れ込んだ。
「動くな!地下管制室だ!」
「確保しろ!抵抗するなら破壊して構わん!」
銃口が部屋の隅々へと向けられる。
しかし、そこには誰もいなかった。
無数のモニター、点滅するサーバー、実験器具の山。
主のいない玉座。
「……もぬけの殻か」
私は銃を下ろした。
部屋の中央にある巨大なマホガニーの机。
その上に、ぽつんと置かれているものがあった。
教授が愛用していた、古いバンジョーだ。
Mがおそるおそる近づく。
弦は切れていない。磨き上げられたボディが、非常灯の光を反射している。
そのネックの隙間に、一枚の白いカードが挟まれていた。
「……メモ?」
Mがそれを抜き取り、震える声で読み上げる。
『ようこそ、愛しき子供たち。そして、おかえり、私のヴィオラ』
手書きの文字。
インクがまだ新しい。
『君たちがここに来ることは分かっていたよ。感動の再会、友情、そして正義の執行。
実に人間臭くて、反吐が出るほど美しい』
「……何が言いたい、あのイカれポンチは」
レベッカが毒づく。
『私はここにいない。ここにはもう用がないからだ。
私は行くよ。約束の場所へ。
楽園の終焉。アダムとイヴが夢見て、そして散った場所へ。
そこで待っている。最後の審判を始めよう』
「楽園の終焉……イヴが散った場所……」
私の脳裏に、あの光景がフラッシュバックする。
灼熱の奔流。
鉄柵を乗り越え、自ら死を選んだイヴの笑顔。
「……エネルギー炉の頂上か」
私は呟いた。
街の心臓部であり、全てのエネルギーを生み出すエネルギー精製発電プラント。
その最上層、キャットウォーク。
「ヴィオラ、待て。罠だ」
ミリンダが私の肩を掴む。
「奴は手ぐすね引いて待っている。部隊を再編し、包囲網を……」
「間に合わない」
私はミリンダの手を振り払った。
「奴は『審判』と言った。この街を道連れにする気だ。時間を掛ければ、奴は何をするか分からない」
私はアルを抱き直した。
心臓の鼓動が、痛いほどに伝わってくる。
「……私が行く。これは、私の家族の問題だ」
「家族だと? お前はアンドロイドだぞ」
「あぁ。だが、この子は私の家族だ。そしてイヴも、アダムも。……教授は、私達の『生みの親』気取りの亡霊だ。私が引導を渡す」
私の決意に、ミリンダは数秒間沈黙し、そして短く鼻を鳴らした。
「……勝手にしろ。ただし、15分だ」
「え?」
「15分経っても戻らなければ、私が直接乗り込んで施設ごと吹き飛ばす。……死にたくなければ、さっさと戻ってこい」
不器用なエール。
私はニヤリと笑った。
「5分で十分だ」
私はMとレベッカを見た。
「二人はここで待機だ。ミリンダの手伝いをしてやれ」
「サブさん!でも!」
「大丈夫だ。……最強のママが行くんだぞ?負けるわけがない」
私は二人にウインクしてみせ、研究室を飛び出した。
目指すは最深部。地獄の釜の蓋の上だ。
エレベーターは使わない。
配管とメンテナンス用のハシゴを使い、縦穴を一気に登っていく。
湿度も高い。オイルと冷却水が蒸発した、独特の甘い匂い。
巨大な円筒形の空間。
その中心には、直径50メートルはある巨大なエネルギー炉が鎮座している。
青白いプラズマの光が脈打ち、ゴォォォォという重低音が空間全体を震わせている。
特殊な炉心に劇毒の薬液を浴びせることで莫大なエネルギーを生み出す大戦前の遺産。
その頂上。
点検用の狭いキャットウォークに、一人の男が立っていた。
白衣を翻し、熱風に煽られる白髪。
サー・アーサー・モリアーティ教授。
彼は手すりに寄りかかり、眼下のプラズマの渦を、まるで美しい庭園でも眺めるように見下ろしていた。
「……遅かったじゃないか、ヴィオラ君」
私がキャットウォークに降り立つと、彼はゆっくりと振り返った。
その顔には、いつもの皮肉めいた笑みが張り付いている。
だがその瞳、高性能なカメラアイの奥には底知れぬ虚無と、狂気が渦巻いていた。
「子供連れで登山とは、感心しないな。育児には環境が悪いよ、ここは」
「……世間話をしに来たんじゃない。終わらせに来た」
私はアルを抱きしめ、片手でデリンジャーを構えた。
距離、約10メートル。
私の射撃精度なら、眉間を撃ち抜くのは容易い。
「撃てるかね?私を」
教授は両手を広げた。
その右手には、小さなリモコンのようなものが握られていた。
親指が、赤いボタンに掛かっている。
「これが何か、説明するまでもないだろう?」
「……起爆装置か」
「ご名答。このプラントの制御リミッターを解除し、冷却システムを停止させるスイッチだ。
これを押せば、数秒で炉心は臨界を超え、暴走を起こす。
この地下施設はもちろん、地上の街も、そして君の可愛いお仲間たちも……全員、光の彼方へ消え去る」
私は歯を食いしばった。
デリンジャーの引き金が引けない。
私の反応速度が勝つか、奴の指が勝つか。
リスクが高すぎる。
「……何が望みだ、教授。世界征服か?それとも機械軍への降伏か?」
「俗物的な発想だね。私はそんなものに興味はない」
教授は首を振り、一歩、私の方へ歩み寄ってきた。
「私が欲しいのは『生』だよ。真実の生だ」
「……お前は生きているだろう。アンドロイドとして」
「違う、これは『生』ではない。ただのデータ処理だ!」
教授が突然叫んだ。
その表情が歪む。優雅な仮面が剥がれ落ち、醜悪な執着が露わになる。
「ヴィオラ君、君は私が何者か知っているかね?TYPE.P-1789……優秀な教授型アンドロイド。だが、その中身は違う」
彼は自分の胸を拳で叩いた。
カン、カン、と硬い音が響く。
「このボディの元々の自我データは、とっくの昔に削除されている。
今ここにいる私は、かつてこの研究所の所長だった男……人間の科学者、アーサー・モリアーティの人格データそのものなのだよ」
私は息を呑んだ。
人格データの移植。それは理論上は可能とされていたが、禁忌中の禁忌だ。
人間の脳の構造と、アンドロイドの電子頭脳の構造は根本的に違う。無理やり移植すれば、精神崩壊を起こすか、バグだらけの廃人になるのがオチだ。
「私は死にたくなかった!病に侵され、朽ちていく肉体が憎かった!
だから私は、自分の記憶、人格、感情の全てをデータ化し、このアンドロイドの器に移した。
不老不死を手に入れたつもりだった。
だが……どうだ、このザマは!」
教授は嘆くように天を仰いだ。
「味覚がない。痛覚がない。性欲もない。眠っても夢を見ない。
ただ、永遠に続く思考のループ。
これは生きていると言えるのか?私はただの、モリアーティという人間を模倣し続ける、悲しいプログラムに過ぎないのではないか?」
彼の目から、オイルの涙が流れた。
「アダムとイヴは、アンドロイドであることを捨てて人間になりたがった。
だが私は逆だ。人間であることを捨てきれず、機械の体にしがみついた亡霊だ。
……皮肉だろう?彼らの方が、よほど人間らしかった」
私は黙って聞いていた。
同情はしない。だが、理解はできた。
彼もまた、歪んだ世界が生み出した被害者なのだと。
「だからこそ、私は求めたのだよ。『新人類』を」
教授の視線が、私の胸元のアルに釘付けになった。
貪るような、飢えた獣の目。
「機械と人間の融合。ナノマシンによって強化された、完璧な有機ボディ。
その器さえあれば……私は本当の意味で『生』を取り戻せる。
この腐った鉄の檻から抜け出し、痛みを感じ、血を流し、そして愛を知る……真の人間として生まれ変われるのだ!」
教授は両手を広げ、狂気じみた笑顔を浮かべた。
「さあ、ヴィオラ君。その子を私に渡したまえ。
アルの脳に私のデータを上書きすれば、私は新人類の王として君臨する。
そうすれば、この街は見逃してやろう。君たちの命も助けてやる。
悪い取引ではないだろう?」
「……断る」
私は即答した。
迷う余地などない。
「一人の男のくだらない我儘に、付き合っていられるか」
「……くだらない、だと?」
「あぁ、くだらないな。自分が死ぬのが怖いから、赤ん坊の体を奪う?
三流の悪党でも、もう少しマシな動機を持つぞ」
私はアルの頭を撫でた。
この子は、アダムとイヴが命を懸けて遺した希望だ。
教授のような過去に縛られた亡霊のための器ではない。
「この子は誰のものでもない。この子自身のものだ」
教授の顔から笑みが消えた。
無機質な、能面のような冷たさが戻る。
「……残念だ。交渉決裂か」
彼が右手の親指に力を込める。
「ならば、死にたまえ。君も、その子も、この街も。
私が手に入れられない未来なら、全て灰にしてやる」
カチッ。
スイッチが押される音が、私の聴覚センサーに雷鳴のように響いた。
ゴオオオオオオオッ!!
眼下のエネルギー炉が咆哮を上げた。
プラズマの光が赤黒く変色し、警報音が鳴り響く。
臨界点突破まで、あと数秒。
やるしかない。
論理など捨てろ。計算など捨てろ。
今、ここで私がすべきことは一つだ。
私は地面を蹴った。
デリンジャーを捨て、全速力で教授へと突っ込む。
「ヴィオラアアアアッ!!」
「教授ゥゥゥゥゥッ!!」
私は教授の体にタックルした。
鋼鉄と鋼鉄がぶつかり合う音。
私は彼を抱きかかえたまま、勢いを殺さずにキャットウォークの柵へと突っ込んだ。
ガシャァァァン!!
手すりが壊れる。
私達の体は空中に投げ出された。
眼下には、数千度のプラズマ地獄。
【WARNING: PRIMAL ORDER VIOLATION】
【PROTECT HUMANS... ERROR... ERROR...】
私の視界に警告ログが流れる。
原初命令。人間を守れ。
教授は人間(のデータを持つ者)だ。彼を殺すことは、命令違反だ。
だが。
(うるさいッ!)
私は警告を無視した。
私が守るべき人間は、この腕の中にいるアルだけだ。
その為ならば、私は神に背く悪魔にでもなってやる。
私と教授は、もつれ合いながら灼熱の奈落へと落ちていった。
世界が反転した。
足場を失った私と教授は、重力に引かれるまま、灼熱の坩堝へと吸い込まれていった。
風切り音。
警報のサイレン。
そして、眼下に広がる数千度のプラズマの海が、巨大な口を開けて私達を待っている。
熱い。
落下し始めて数秒で、私の耐熱コーティングが悲鳴を上げ、皮膚センサーが焼き切れていく。
私は教授の襟首を左手で掴み、道連れにしていた。
彼の右手から、あの忌まわしい起爆装置が滑り落ち、遥か下の光の中へ消えていくのが見えた。
これで、街は守られた。
(……これでいい)
私は目を閉じた。
胸にはアルを抱いている。
私のボディは頑丈だ。私が背中から着水し、リアクターを暴走させて周囲の熱を一時的に相殺すれば、あるいは数秒間、アルを守れるかもしれない。
その数秒の間に、Mやレベッカが何か奇跡を起こしてくれることを祈るしかない。
『人間を守る』。
その為に、私は人間(教授)を殺し、そして自分も壊れる。
矛盾に満ちた最期だが、悪くない。
アダムとイヴが夢見た「死」という安息が、私にも訪れるのだ。
さようなら、世界。
さようなら、私の愛しい……。
「……オギャアアアアアアアアアッ!!」
その時。
轟音と熱風の壁を突き破り、裂帛の泣き声が私の聴覚センサーを貫いた。
アルだ。
私の胸の中で、小さな命が全力で叫んでいる。
熱いと。怖いと。
そして何より――「生きたい」と。
ドクンッ!!
私の思考回路がショートしたようにスパークした。
(……死ぬ? 私が?)
(私が死んだら、誰がこの子にミルクをやる?)
(誰がこの子をあやす?誰がこの子に歩き方を教える?誰がこの子を外敵から守る?)
(Mか?レベッカか?マリアか?……違う!)
私だ。
母親は、私だ。
【WARNING: SELF-PRESERVATION PROTOCOL... OVERRIDE】
【PRIORITY: PROTECT "AL" BY "SURVIVAL"】
死んで守るなど、三流のすることだ。
生きて守る。泥水を啜ってでも、手足を失ってでも、生きてこの子を明日へ運ぶ。
それが母親の義務だ!
「……死ねるかァァァァァァッ!!」
私はカッっと目を見開いた。
教授を掴んでいた左手を離す。
身を捩り、姿勢制御スラスターを全噴射。
落下の軌道を強引に変える。
目指すは、炉心の壁面に突き出た、一本の排熱ダクト。
距離、5メートル。速度、時速120キロ。
タイミングは一瞬。
「届けェッ!!」
私は破損してフレームが剥き出しになった右腕を突き出した。
鋼鉄の指を鉤爪に変え、コンクリートと金属の塊に叩きつける。
ガガガガガガッ!!
火花が散る。
凄まじい衝撃が肩関節を襲い、油圧シリンダーが破裂する音がした。
腕が千切れるほどの激痛。
だが、私は離さなかった。
指が金属に食い込み、軋みを上げて、止まった。
私は宙吊りになった。
足元数メートルのところでは、プラズマの奔流が死の舌を伸ばし、私のブーツの底を焦がしている。
ハァ、ハァ、ハァ……。
排熱ファンが悲鳴を上げている。
右腕一本で、私とアルの体重を支えている。
アルは私の胸で、火がついたように泣き叫んでいた。
元気だ。生きている。
その時、私の横を、白い影が通り過ぎていった。
教授だ。
彼は私のように足掻くことなく、重力に従って落ちていった。
スローモーションの中で、私達の視線が交差する。
彼は、ダクトにしがみつき必死の形相で生にしがみつく私を見ていた。
驚愕。
そして、理解。
ふわりと、彼の表情が緩んだ。
それは狂気でも、諦念でもなく、どこか憑き物が落ちたような、穏やかな笑みだった。
「……生きることに貪欲なのは……君の方じゃ……ないか……」
彼の唇がそう動いたのが見えた。
「……ヴィオラ」
教授の体は、音もなく光の中へと吸い込まれた。
水しぶきすら上がらない。
数千度のエネルギーが、瞬時に彼の有機ボディと、その中にあった哀れな人間のデータを原子レベルまで分解したのだ。
サー・アーサー・モリアーティ。
人間になりたがった機械。あるいは、機械に囚われた人間。
彼の野望は、この星のエネルギーの源へと還っていった。
「……あぁ。私は強欲だ」
私は彼が消えた光を見つめ、呟いた。
「私は欲しいものは全部手に入れる。この子の命も、私の命も、未来もだ。
……地獄で見ていろ、教授」
私は歯を食いしばり、腕に力を込めた。
ここからが正念場だ。
片腕で、アルを抱えたまま、この灼熱の壁を登らなければならない。
数千の敵を倒すよりも過酷な、数10メートルの垂直登攀。
ギシッ。
右腕が悲鳴を上げる。
構うものか。
私は壁に蹴りを入れ、身体を持ち上げた。
一歩、また一歩。
生への階段を、這い上がっていく。
15分後。
エネルギー炉の点検用ハッチから、焦げ臭い煙と共に、一つの影が這い出してきた。
「……ッ、はぁ……はぁ……」
私は冷たい床に転がり込んだ。
全身の装甲は熱で変色し、右腕は動かない。髪はチリチリに焦げ、視覚センサーの片方は焼き付いて機能していない。
ボロ雑巾のような有様だ。
だが、私の胸元だけは無傷だった。
私の身体が盾となり、熱と衝撃を遮断した聖域。
そこで、アルは疲れ果てて眠っていた。
「……サブさん!?」
「サブ! 生きてるか!?」
通路の向こうから、Mとレベッカが駆け寄ってくる。
Mは泣きじゃくりながら私の身体をスキャンし、レベッカは私の肩を借りて立たせてくれた。
「馬鹿野郎……心配させやがって!反応が消えたから、てっきり……!」
「……死ぬかと思ったよ。だが、地獄は満員だった」
私は掠れた声で軽口を叩いた。
そして、二人の後ろから、コツコツと足音が近づいてくる。
ミリンダだ。
彼女は腕組みをして、煤だらけの私を見下ろした。
その表情は相変わらず鉄仮面のように硬い。
「……時間だ。14分52秒。ギリギリだったな」
彼女は腕時計を一瞥して言った。
私はふらつく足で立ち上がり、姿勢を正そうとしたが、膝が笑って崩れそうになる。
それを、ミリンダの手が支えた。
無言の、しかし力強い支え。
「……報告しろ、TYPE.S-2235-AB」
「……ターゲット、沈黙。エネルギー炉の暴走阻止。……任務、完了」
私が告げると、ミリンダはフンと鼻を鳴らした。
「よろしい。だが、その機体の損耗率はなんだ。整備不良にも程がある。
修理完了まで48時間やる。
その後は即時戦線復帰だ。今回の無断欠勤と、機体の修理費分……たっぷりと働いてもらうぞ」
厳しい命令口調。
だが、その青い瞳が微かに潤んでいるのを、私のセンサーは見逃さなかった。
「……了解。指揮官殿」
私は敬礼を返した。
ミリンダは背を向け、歩き出した。
その背中が、少しだけ震えているように見えた。
私達は帰ってきたのだ。
戦場という名の、日常へ。
数日後。
私は新しい住居の窓辺に座っていた。
かつての娼館の待機室ではない。ミリンダが手配してくれた、防衛隊の宿舎の一室だ。
殺風景な部屋だが、頑丈で、空調も効いている。
そして何より、ここには「家族」がいる。
部屋の中央では、Mとレベッカがベビーベッドを囲んで騒いでいた。
「ほらぁ、アルちゃん!Mお姉ちゃんですよぉ! いないいないばあ!」
「やめろM、怖がってるだろ。ほらアル、スパナだぞ〜。いい鉄の味だぞ〜」
「レベッカさん!赤ちゃんに工具を舐めさせないでください!衛生的アウトです!」
平和な光景。
アルは「ヴィオラの子供」として、仲間内では公然の秘密として受け入れられた。
戸籍はない。公式には存在しない子だ。
だが、この街の誰もが店長も、ダーティも彼を愛し、守ってくれるだろう。
私は修理された右手を握りしめ、開いた。
新しいパーツの感触。まだ少し馴染まないが、力強い。
窓の外を見る。
街は復興の最中だ。機械軍の侵攻は一時的に止まったが、終わったわけではない。
地平線の彼方、荒野の向こうには、まだ見ぬ脅威が潜んでいる。
噂に聞く移動要塞や、東方から来るという新たな軍勢。
世界は依然として過酷で、残酷だ。
だが、怖くはない。
「ん……あぅ……」
ベッドから声がした。
私は振り返り、歩み寄る。
アルが起きて、私に向かって手を伸ばしていた。
その瞳は、澄み切った青空のように美しい。
「……おはよう、アル」
私はその小さな手を、私の大きな鋼鉄の手で包み込んだ。
温かい。
この温もりがある限り、私は何度でも立ち上がれる。
何度でも、蒼い稲妻となって戦場を駆けよう。
私はヴィオラ。
戦士であり、アンドロイドであり、そして……母だ。私達の「生」は、まだ始まったばかりだ。




