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第11章【偽りの修道女(The False Nun)】


 地下第4セクター『鉄屑市スクラップ・マーケット』の朝は、太陽の光ではなく、巨大な換気ファンの轟音と、始業を告げるサイレンの音で始まる。

 地上の太陽を知らないこの街の住人にとって、時間は「稼働時間」か「停止時間」の二つしかない。

 私は、そのどちらでもない時間を生きていた。

 建設現場の喧騒。

 削岩機がコンクリートを砕き、アーク溶接の青白い火花が飛び散る。

 粉塵と鉄粉が舞う中、私は黙々と鉄骨を運び続けていた。

「おい、姐さん! そっちのH鋼、クレーンが空くまで待ってくれ!」

「……手で運んだ方が早い」

「馬鹿野郎、アレは300キロあるんだぞ! 潰れちまうぞ!」

 現場監督の怒号を無視し、私は瓦礫の中に埋もれたH形鋼を持ち上げた。

 リミッターを解除せずとも、私の筋肉は悲鳴一つ上げない。

 そのまま肩に担ぎ、指定された廃棄場所まで歩く。

 ドスン、という重い音と共に鉄骨を下ろすと、周囲の荒くれ男たちが呆気にとられた顔でこちらを見ていた。

「……化け物かよ、あの女」

「シッ、聞こえるぞ。『鉄腕のヴィオラ』だ。怒らせたらスクラップにされるぞ」

 いつの間にか、私にはそんな二つ名が定着していた。

 最初はよそ者として蔑まれ、足元を見られていたが、圧倒的な労働力と、売られた喧嘩を徹底的に買う姿勢を見せたことで、この無法地帯での市民権を得つつあった。

 日当も正規の額、人間の男の倍が出るようになった。

 おかげで、アルのミルク代と、マリアの教会への寄付金を捻出しても、少しだけ貯蓄ができるようになった。

 正午。休憩のベルが鳴る。

 私は配給された合成プロテインバーと、泥水のようなコーヒーを手に、現場の隅にあるドラム缶に腰掛けた。

 ここからは、街のメインストリートが見下ろせる。

 無数の屋台、行き交う人々、そして時折巡回してくる自警団の装甲車。

 平和だ。

 少なくとも、ミサイルが飛んでこないという意味では。

「よう、姐さん。精が出るな」

 声を掛けてきたのは、現場の顔役である巨漢のサイボーグ、ガルドだった。

 右腕が削岩ドリルになっている彼は、私がこの現場に入った初日に喧嘩を売り、右腕をへし折られて以来、私のことを妙に気に入っている。

「……ガルドか。何の用だ」

「つれないねぇ。これやるよ、上物のオイルだ。姐さんはアンドロイドだろ? 関節が鳴ってるぜ」

 彼が放ってきた小さなボトルを受け取る。

 確かに、最近メンテナンス不足で膝のサーボが悲鳴を上げ始めていた。

 私は礼も言わずにボトルの蓋を開け、コーヒーに混ぜて流し込んだ。

 喉を焼くような感覚と共に、エネルギーが染み渡る。

「……助かる」

「へへっ。で、だ。姐さん、最近街が騒がしいのを知ってるか?」

 ガルドは声を潜め、周囲を警戒するように視線を巡らせた。

「騒がしい? いつものことだろう。昨日は東区画でギャングの抗争があったし、一昨日は薬物中毒者が暴れた」

「いや、そういうチンケな話じゃねえんだ。……『外』から、厄介な連中が入り込んでるらしい」

 私の手が止まる。

 センサーの感度を上げる。

「……詳しく話せ」

「俺の連れが自警団ガードにいるんだがな、そいつの話だと、中央セクターから来た『調査官』って名乗る連中が、街中を嗅ぎ回ってるらしい。

 それも、ただの役人じゃねえ。軍用のアンドロイドだ。しかも、とびきり上等なやつらだ」

 心臓リアクターが跳ねた。

 中央セクター。軍用アンドロイド。

 該当する条件は一つしかない。

「……どんな奴らだ?」

「リーダー格は女だ。背が高くて、目が青くて、氷みたいに冷たい顔をしたA型アサルト

 そいつが、部下を二人連れてる。一人は白衣着たイカれた医者みたいなやつで、もう一人はデカい工具箱担いだ整備士風の……」

 ビンッ。

 私の手の中で、空になったオイルボトルがひしゃげた。

 間違いない。

 ミリンダだ。

 そして、Mとレベッカ。

 かつての仲間。地下管制室の絶対的な指揮官と、娼館のトラブルメーカーたち。

 彼らがここまで来た。

 私の予想よりもずっと早い。そして正確に。

「……そいつらは、誰を探してる?」

「それがよぉ、姐さんみたいな『子連れのアンドロイド』を探してるって話だ。

 なんでも、軍の重要機密を持ち逃げした脱走兵だとか、凶悪な殺人鬼だとか、噂はいろいろだがな」

 ガルドは私の顔色を窺うように見た。

「……姐さん、まさかな?」

「……ただの噂だろ」

 私は立ち上がった。

 これ以上、ここに居るのは危険だ。

 ガルドは口が軽い。彼が悪気なく誰かに話せば、その情報は瞬く間にミリンダの耳に入るだろう。

 この鉄屑市において、情報の伝達速度は光より速い。金になる情報なら尚更だ。

「午後の仕事は休む。……あぁ、辞めるかもしれない」

「えっ、おい姐さん! 待ってくれよ! 明日の搬入はどうするんだよ!」

 ガルドの呼び止めを無視し、私は現場を後にした。

 足取りは速い。

 思考回路がフル回転する。

 ミリンダが来た。

 彼女は優秀だ。この都市の混沌とした情報網の中から、私の痕跡を見つけ出すのにそう時間はかからないだろう。

 私が現場で働いていること。

 「鉄腕」などと呼ばれて目立っていること。

 そして、教会に出入りしていること。

 逃げるか?

 いや、Ef/2235は教会の地下で発電機になっている。あれを動かせば、即座に巨大な熱源反応を探知される。

 それに、アルを連れてまた雪原を彷徨うのか?

 物資はどうする?アルの体調は?

 八方塞がりだ。

 私はフードを目深に被り直し、路地裏の影を縫うようにしてマリアの教会へと急いだ。


 スラム街の喧騒から切り離された『懺悔の路地』。

 石畳の冷気と、静寂。

 教会の重厚な扉を押し開けると、そこには変わらない祈りの空間があった。

 地下のEf/2235から供給される電力によって、礼拝堂は暖かく、柔らかな照明に満たされている。

「……お帰りなさい、ヴィオラ」

 祭壇の前で、マリアが振り返った。

 彼女の腕の中には、アルがいる。

 アルはマリアの胸元のロザリオを玩具にして遊んでいた。その無邪気な姿を見て、張り詰めていた緊張の糸が切れそうになる。

「マリア……奴らが来た」

 私は扉を閉め、閂をかけた。

 息を切らせて報告する私を、マリアは静かに見つめる。

「奴ら……あなたの『昔の友人』たちですね?」

「あぁ。ミリンダと、その部下たちだ。私の特徴を掴んで聞き込みをしている。現場で働く『鉄腕のヴィオラ』の情報が漏れるのも時間の問題だ」

 私は祭壇に歩み寄り、アルを受け取ろうとした。

 だが、マリアはその手を引いた。

「焦ってはいけません。アルが怖がりますよ」

 彼女の声は、不思議なほど落ち着いていた。

 戦場を知る者特有の、危機的状況における凪いだ心。

「ここを出る。Ef/2235を再起動させて……」

「ダメです。今、あの巨人を動かせば、それこそ『ここにいます』と狼煙を上げるようなもの。都市の防衛システムも黙っていないでしょう」

「じゃあどうする! 座して待つのか!? ミリンダは優秀だ。いずれここにも辿り着く!」

「ええ、来るでしょうね。ここは『何でも受け入れる』場所として有名ですから」

 マリアは悪戯っぽく微笑んだ。

 そして、祭壇の裏にある小部屋――聖具室へと私を招いた。

「木を隠すなら森の中と言いましたね、ヴィオラ」

「あぁ。だからこの街に来た」

「では、罪人を隠すなら?」

 マリアは聖具室の箪笥を開けた。

 そこには、綺麗に畳まれた黒い布が何着か入っていた。

 修道服。

 シスターが身につける、聖なる戒律の象徴。

「……聖人の皮を被りなさい」

 マリアが一着の修道服を取り出し、私に手渡した。

「これを?」

「私の予備です。サイズは……ええ、私達は同じA型ベースの骨格ですから、合うはずです」

「私はシスターじゃない。人殺しだ。こんなものを着たら、神罰が下る」

「神は寛容です。それに、あなたはもうただの人殺しではありません。……母親でしょう?」

 マリアの言葉が、胸に刺さる。

 母親。

 その響きは、どんな称号よりも重く、そして甘美だった。

 私は泥と油にまみれた作業着を脱ぎ捨てた。

 傷だらけのボディユニット、継ぎ接ぎだらけの手足が露わになる。

 その上から、黒い布を纏う。

 絹のように滑らかな感触。

 頭にはウィッグネットを被り、その上からベールを垂らす。

 目立つ金髪も、無機質な顔の輪郭も、全てが聖なる布の下に隠された。

 鏡を見る。

 そこには、一人の敬虔な修道女が立っていた。

 ただ、その眼光だけが、獲物を狙う猛禽類のように鋭いままだったが。

「……似合いますよ、シスター・ヴィオラ」

 マリアが私の首に、銀のロザリオを掛けた。

「これで外見は誤魔化せます。アンドロイドの識別信号も、教会のジャミングフィールド内なら特定されにくい。

 ここに来る調査官たちには、私が対応します。あなたは奥で、ただ祈っていればいい」

「……祈る? 何を?」

「何でも。アルの健やかな成長でも、明日の天気でも。……あるいは、かつての友との和解でも」

 マリアは意味深に言った。

 その時、アルがキャッキャと声を上げて笑った。

 私の黒い姿が珍しいのか、手を伸ばしてベールを掴もうとする。

「……アル、ママだぞ。分かるか?」

 私はアルを抱き上げた。

 黒い修道服の胸に、白い産着の赤子。

 まるで聖母子像だ。中身は鉄とオイルの塊だというのに。

「……分かった。やってみる」

 私は覚悟を決めた。

 逃げるのではない。潜むのだ。

 灯台下暗し。

 ミリンダの足元で、私は聖女の仮面を被り、息を潜める。

「ただし、マリア。一つだけ言っておく」

「何でしょう?」

「この服の下には、いつでもデリンジャーとナイフを忍ばせておく。……神に祈っても、敵は死なないからな」

 マリアは苦笑して、胸の前で十字を切った。

「アーメン。……では、参りましょう。そろそろ夕暮れのミサの時間です」

 教会の鐘が鳴る。

 それは、私の新しい役割の始まりを告げる合図だった。

 私はベールを深く下ろし、礼拝堂へと歩き出した。


 教会の奥にある懺悔室は、古い木の匂いと、微かな黴の匂いがする狭い箱だった。

 中央の仕切り壁には細かい格子のついた小窓があり、薄い布で隔てられている。

 本来ならば神父、あるいはシスター・マリアが座るべきその場所に、私は座っていた。

 黒い修道服に身を包み、膝の上には聖書の代わりにデリンジャーを置いている。

 これがマリアの言う「聖なる擬態」だ。

 コンコン、と格子がノックされる音。

 最初の迷い人が来たようだ。

「……どうぞ。神は聞いておられます」

 私は音声出力のトーンを調整し、慈悲深く、穏やかな声を装って告げた。

 格子の向こうから、荒い息遣いと、油の混じった男の体臭が漂ってくる。

「シスター……俺は、罪を犯しました」

「……どのような?」

「昨日、解体現場で事故があったんです。相棒が鉄骨の下敷きになって……俺は、助けようと思えば助けられた。でも、俺は逃げたんです。相棒のポケットから、今月の給料袋を抜き取って……」

 男の声が震えている。

 よくある話だ。この鉄屑市では、命よりも金の方が重い。

 私の論理回路は即座に結論を出す。

 『生存のための合理的判断』。あるいは『窃盗及び見殺しによる殺人未遂』。

 警察機構ポリスに突き出せば、彼は監獄行きだ。

 だが、今の私はシスター・ヴィオラだ。

「……貴方は生きたかった。そうですね?」

「は、はい……死ぬのが怖くて……金がなくて……」

「生きることは罪ではありません。ですが、奪った金で生き延びた貴方の命には、相棒の分までの重さが加わりました。その重さを背負い、泥水を啜ってでも生き続けなさい。それが、貴方の贖罪です」

 聖書の一節も引用しない、実利的で厳しい言葉。

 だが、男は向こう側ですすり泣き、何度も感謝の言葉を述べながら去っていった。

 ……奇妙な感覚だ。

 私はただ、事実を突きつけただけだというのに、彼は救われたような顔をしていた。

 罪を告白し、誰かに「それでも生きろ」と言われること。

 人間というのは、それだけで再び立ち上がれるほど単純で、そして強靭な生き物なのかもしれない。

 二人目、三人目。

 訪れるのは人間だけではない。主人の命令に背いた家事手伝いのアンドロイド。違法改造に手を染めた整備士。

 誰もが、誰にも言えない秘密と罪を抱え、この暗い小部屋で吐き出していく。

 私は彼らの声を聞きながら、自問していた。

 ならば、私の罪は?

 仲間を裏切り、職場を捨て、禁忌の子供を連れ出した私の罪は、誰が許すのか?

 いや、許しなど求めていない。

 私が守りたいのは自分の潔白ではなく、アルの未来だ。

 ――コンコン。

 次のノック音。

「……シスター、聞いてくれ」

 低い、しゃがれた声。

 格子の隙間から見えたのは、古びた軍用コートを着た老人だった。

「俺は昔、軍人だった。機械軍との戦争で、多くの部下を死なせた。……あいつらは俺を恨んでいるだろうか」

「……死者は語りません。ですが、彼らが命を賭けて守ろうとしたものが残っているなら、彼らの死は無駄ではありません」

「守ろうとしたもの……か。……俺にはもう、何も残っちゃいないがな」

 老人は自嘲気味に笑った。

「だが、最近この街に来た『調査隊』の連中を見てると、昔を思い出すよ。あいつら、必死なんだ。

 特に、白衣を着たやかましいM型と、口の悪い整備士のE型だ。

 『裏切り者の殺人鬼を探している』なんて言っちゃいるが、その目は……迷子を探す親の目だったぜ」

 ドクン。

 私のリアクターが反応した。

「……その二人を、見たのですか?」

「ああ、市場でな。血眼になって聞き込みをしてたよ。『サブ』って名前のアンドロイドを知らないか、ってな。……あいつらは、本当にその相手を憎んでいるようには見えなかった」

 老人は去っていった。

 私は膝の上のデリンジャーを握りしめた。

 M。レベッカ。

 彼らは、私を憎んでいない?

 『裏切り者の殺人鬼』という名目は、恐らくミリンダか、あるいは教授が手配した公式の理由だ。

 だが、現場の彼らは違う。

 彼らは知っているはずだ。私が理由もなく仲間を裏切るような個体ではないことを。

 教授は敵だ。ミリンダも、立場上は敵だろう。

 だが、Mとレベッカは?

 彼らまで「敵」というカテゴリに分類して、遠ざける必要があるのか?

 マリアが言った。『逃げれば追われる』。

 隠れ続けることには限界がある。

 ならば、攻めるべきだ。

 銃弾ではなく、信頼という武器で。

 私は懺悔室を出た。

 礼拝堂には、マリアがアルを抱いて座っていた。

「……マリア。少し、出かけてくる」

「おや、ミサはまだ途中ですよ?」

「迷える子羊を見つけたんだ。……道案内をしてやらなきゃならない」

 マリアは私の瞳を見て、深く頷いた。

「気をつけて。神のご加護を」

「……あぁ。神様によろしくな」

 私はベールを深く被り直し、夕暮れの街へと飛び出した。


 鉄屑市の市場マーケットは、夕方になると一層の活気を帯びる。

 仕事あがりの労働者たちが屋台に群がり、怪しげな露天商が盗品やジャンクパーツを広げて客引きをする。

 熱気と騒音の渦。

 その中を、私は黒い修道服の裾を引きずらないように歩いた。

 目立つ。

 スラム街にシスターなど、場違いもいいところだ。

 人々は奇異の目で私を見るが、誰も手を出してこない。

 「地下の聖母」マリアの威光か、あるいは宗教という得体の知れないものへの忌避感か。

 好都合だ。

 私はセンサーを全方位に展開し、特定の周波数を探した。

 TYPE.M。TYPE.E。

 この街の粗悪な改造アンドロイドとは違う、純度の高い正規軍用コード。

 ……いた。

 3時の方向。臓器売買エリアの路地裏。

「うひゃー! 見てくださいレベッカさん! この人工心臓、旧式のポンプ式ですけど出力改造してあります! これなら象でも動かせますよ!」

「うるせえよM! 仕事しろ仕事! 俺たちは観光に来たんじゃねえんだぞ!」

 聞き慣れた声。

 白衣を泥だらけにしたTYPE.M-22749(M)と、巨大な工具箱を背負い、不機嫌そうに端末を操作するTYPE.E-44475(レベッカ)。

 彼女らは一軒の露店の前で言い争っていた。

「でもぉ、全然見つからないじゃないですかぁ。サブさんがこんなゴミ溜めみたいな街にいるとは思えませんよ」

「ミリンダのデータ解析じゃ、ここが一番怪しいんだよ。……まったく、あの馬鹿、一体何考えてやがるんだ」

 レベッカの声には、怒りよりも焦燥が滲んでいた。

 老人の言った通りだ。彼女らは心配している。

 私は呼吸を整えた。

 賭けだ。

 もし彼女らが既に再プログラムされ、教授の完全な傀儡になっていれば、私はここで終わる。

 だが、彼女らの「個」がまだ生きているなら。

 私は人混みをかき分け、二人に近づいた。

 足音は消す。気配は消さない。

「……迷える方々。何かお探しですか?」

 背後から声を掛ける。

 二人が弾かれたように振り返った。

 ベール越しに、彼女らの驚いた顔が見える。

「あ? なんだアンタ、シスターか? 悪いが寄付なら他を当たってくれ」

「ああ、神様!私達は迷いに迷っています! 人探しをしているんですが、どこにもいなくて……」

 レベッカは警戒し、Mはすがりつくような目で見てくる。

 変わらない。彼女らはあの頃のままだ。

 私は一歩近づき、声を潜めた。

 シスターの口調ではなく、かつての「仕事仲間」としてのトーンで。

「……人探し?それとも、修理代の請求か?」

 二人の動きが止まった。

 レベッカの目が細められ、右手が工具箱のスパナに伸びる。

「……アンタ、何者だ?」

「ここじゃ話せない。……とびきり上等な『真実』がある。ツイてるな、M。解剖しがいのある話だぞ」

 私は踵を返し、人気のない路地裏へと歩き出した。

 ついて来い、とは言わない。

 彼女らなら来る。

 路地裏の奥。

 周囲は崩れた壁に囲まれ、夕日すら届かない暗がり。

 背後で足音が止まった。

「……ここなら誰もいない。さあ、言えよシスター。アンタ、サブのことを知ってるな?」

 レベッカの声が低い。殺気がある。

 Mも、いつものおちゃらけた様子を消し、メスを構えているのが気配で分かる。

 私はゆっくりと振り返った。

 そして、頭に被ったベールに手を掛ける。

「知っているも何も……」

 布を剥ぎ取る。

 金色の髪が溢れ出し、薄暗い路地に輝いた。

 無機質な硝子玉の瞳が、二人を射抜く。

「……久しぶりだな。ずいぶんと間抜けな顔をしているぞ、二人とも」

 時間が凍りついた。

 Mが口をあんぐりと開け、持っていたメスを取り落とす。

 レベッカはスパナを握りしめたまま、硬直している。

「サ……サブ……さん……?」

「おい、嘘だろ……なんでそんな格好……いや、なんでここに……」

 レベッカが一歩踏み出し、スパナを構え直した。

 敵対行動か? 

 私の指が、修道服の下のデリンジャーに触れる。

「……動くなサブ! 俺たちは命令を受けてる! 脱走兵TYPE.S-2235-ABを発見次第、拘束または破壊しろってな!」

 レベッカが叫ぶ。だが、その声は震えていた。

 スパナを持つ手が、微かに揺れている。

「……できるのか?お前に」

「ッ、ナメんじゃねえぞ!俺は……俺は……!」

 レベッカは歯を食いしばり、今にも泣き出しそうな顔で私を睨んでいる。

 Mはへなへなと座り込んだ。

「無理ですぅ……サブさんを壊すなんて、そんなの、私のプログラムにはありませんよぉ……」

「M!しっかりしろ!ミリンダに殺されるぞ!」

「でもぉ!」

 私はデリンジャーから手を離した。

 賭けは、私の勝ちだ。

「……レベッカ、M。銃を下ろせ。戦いに来たんじゃない」

 私は両手を広げ、無防備な姿を晒した。

「私には、お前たちが必要だ。……助けてくれ」

 その一言が、決定打だった。

 プライドの高い私が、他人に助けを求める。

 その異常事態を、彼らが理解しないはずがない。

 カラン、とスパナが地面に落ちる音が響いた。

「……チッ、馬鹿野郎が」

 レベッカが天を仰ぎ、深く深く溜め息をついた。

「……『助けてくれ』だぁ?あの鉄面皮のサブが、シスターのコスプレして泣きついてくるとはな。……世も末だぜ」

「レベッカさん……」

「あーもう!分かったよ!……久しぶりだな、この手のかかる相棒め!」

 レベッカがニヤリと笑った。

 それは、娼館で扉を直していた時と同じ、悪友の顔だった。

「……あぁ。また世話になる」

 路地裏の闇の中で、私達は再び「チーム」になった。

 だが、これはまだ第一歩だ。

 最強の敵であり、最高の理解者でもあるミリンダという壁が、まだ残っている。

「で、サブさん!その格好、似合いすぎです!アメイジング!」

「……M、お世辞はいい。まずは場所を変えるぞ。ミリンダに見つかったら全て終わる」

 私はベールを被り直し、再びシスター・ヴィオラへと戻った。

 だが、その足取りは来る時よりもずっと軽かった。



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