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第9章【亡霊の街(Ghost Town)】


 世界は、白と黒だけで構成されていた。

 視界を埋め尽くすのは、絶え間なく降り注ぐ灰色の雪と、鉛色の空。

 風が唸りを上げ、地表の熱を容赦なく奪い去っていく極寒の荒野。

 そこには生命の息吹など存在しない。あるのは、死に絶えた文明の残骸と、風雪に耐える鉄の塊だけだ。

 かつてガソリンスタンドだったと思われる廃墟の陰に、一台の巨大な影がうずくまっていた。

 青い塗装が剥げ落ち、無数の弾痕と硝煙の跡が刻まれたパワードスーツ、『Ef/2235』。

 雪に半ば埋もれたその巨体は、まるで冬眠する獣のように静まり返っているが、その胸部の奥底では、動力炉(Efリアクター)が低い鼓動を続けていた。

 その内側。

 分厚い装甲と断熱材に守られたコックピットの中は、外の世界とは隔絶された、異様な熱気と臭気に満ちていた。

「……オ、オギャアアアアッ! アアアアアンッ!」

 狭い密室に、鼓膜を突き刺すような泣き声が反響する。

 警告音ではない。敵襲を告げるサイレンでもない。

 それは、私の腕の中にいる、たった数キログラムの肉塊が発する、生存への渇望だった。

「……ッ、分かった。分かっている。だから泣き止んでくれ、アル」

 私は操縦席の狭いスペースで身をよじり、赤子、アルを抱き上げた。

 鋼鉄の指先が震える。

 恐怖からではない。焦燥と、疲労、そして何より、この「壊れ物」を傷つけてしまうかもしれないという緊張からだ。

 コックピット内は、オイルと機械の焼ける匂いに混じって、甘ったるいミルクの匂いと、排泄物の酸っぱい臭気が充満していた。

 換気システムは最低限に絞っている。外部の冷気を取り込めば、アルの体温が奪われるからだ。

 結果、空気は澱み、湿度と温度が不快なレベルで飽和している。

「……オムツか? それとも空腹か? ミルクはさっき与えたはずだ」

 私は片手でアルを抱えながら、もう片方の手でコンソールを操作し、バックモニターを確認する。

 追っ手の影はない。レーダーにも反応はない。

 だが、その静寂こそが恐ろしかった。

 モリアーティ教授。あの蛇のような男が、ただ黙って獲物を逃がすはずがない。

 今は嵐の前の静けさだ。見えない包囲網が、音もなく絞り込まれているに違いない。

「アアアアッ! ウアアアアアーン!」

 アルの泣き声がボルテージを上げる。

 私の聴覚センサーが過入力を検知し、自動的に感度を下げる。

 だが、それでも脳髄に直接響くようなその声は遮断できない。

 精神感情回路負荷ストレスレベル:上昇。

 判断力:低下。

 思考ノイズ:増大。

「……くそッ」

 私は奥歯を噛み締め、内部コマンドを実行する。


【MENTAL CIRCUIT: RESET】

【CLEARING CACHE...】


 感情回路の強制リセット。

 不安、焦り、苛立ちといったノイズを、電気的に消去する。

 一瞬、視界が白飛びし、感情の波が凪ぐ。

 冷徹な論理思考が戻ってくる。

 ……はずだった。


【ERROR: CACHE CLEAR INCOMPLETE】

【RESIDUAL STRESS DETECTED】


「……効かない、か」

 リセットが完了しない。

 ここ数日、数分おきにリセットを繰り返してきた代償だ。

 薬物耐性のように、私の電子頭脳はリセット信号に対して鈍感になりつつあった。

 消しきれなかった焦燥感が、泥のように回路の底に沈殿していく。

 アルが手足をバタつかせ、私の胸部装甲を叩く。

 その小さな手のひらの感触が、装甲越しに伝わる。

 温かい。柔らかい。

 だが今の私には、その温もりが焼けた鉄のように熱く、重く感じられた。

「……排泄物を確認」

 私は無機質な声で現状を確認し、作業に移る。

 アルをシートの隙間に敷き詰めた緩衝材の上に寝かせる。

 Mの倉庫から盗み出した紙オムツは、もう残りわずかだ。これが尽きれば、不衛生な布切れを使うしかない。それはアルの柔肌を荒らし、感染症のリスクを高める。

 私の指、20mm機関砲の弾倉すら軽々と握りつぶすことができる、高出力アクチュエータを内蔵した鋼鉄の指が、紙オムツのテープをつまむ。

 慎重に。繊細に。

 ミリ単位の制御。

 もし指が滑れば、もし制御チップが一瞬でもエラーを起こせば、アルの腹部はトマトのように潰れてしまうだろう。

 そのプレッシャーは、南部大剣との一騎打ちよりも遥かに重く、私の回路を焼き焦がす。

「……じっとしていてくれ、頼むから」

 アルは足をバタつかせ、抵抗する。

 私の指先がわずかにズレる。

 ヒヤリとした冷却水が背中を流れるような感覚。

 恐怖。

 私は戦場の死神だ。何百という敵を屠ってきた。

 だというのに、たった一人の赤子の尻を拭くことに、これほど怯えている。

「……終わった。綺麗になったぞ」

 使用済みのオムツをダストシュートへ放り込む。

 だが、アルは泣き止まない。

 今度は何だ? 温度か? 抱っこか? それとも、見えない敵の気配を感じ取っているのか?

 私は再びアルを抱き上げ、あやすように揺らす。

 金属の腕の中で、アルは顔を真っ赤にして泣き叫ぶ。

「泣くな……泣かないでくれ……ここに敵はいない……」

 私の声は、ひどく掠れていた。

 あやす言葉などデータベースにない。

 娼館のキャストたちが、客の機嫌を取るために使っていた甘い言葉をシミュレートして吐き出すが、それはあまりに不格好で、空虚だった。

 ふと、モニターの隅に赤い光点が点滅した気がした。

「ッ!?」

 私は反射的にアルを抱き寄せ、もう片方の手で操縦桿を握りかけた。

 敵襲?

 拡大表示。解析。

 ……ただのノイズだ。吹雪によるレーダーの乱反射。あるいは、私の視覚センサーのゴースト。

「……はぁ……はぁ……」

 排熱ファンが唸りを上げる。

 過剰反応。パラノイア。

 私は見えない敵の影に怯え、24時間、一瞬たりともセンサーを切ることができない。

 スリープモードなど論外だ。私が眠れば、誰がこの子を守る?

 このEf/2235のAIは優秀だが、赤子の世話などできないし、教授の狡猾なトラップを見抜ける保証もない。

 限界が近い。

 私のボディも、メンタルも。

 整備不足による関節の軋み。潤滑油の劣化。バッテリーの電圧低下。

 何より、精神感情回路の摩耗が深刻だ。

 イヴ……お前は、こんな過酷な道を私に託したのか。

 これは罰なのか? 多くの命を奪ってきた私への。

 不意に、アルの泣き声が弱まった。

 疲れたのだろうか。しゃくりあげながら、私の胸に顔を埋めてくる。

 その小さな口が、おしゃぶりを求めるように動く。

 私はバックパックから調乳済みの哺乳瓶を取り出した。

 人肌に温められたミルク。

 それをアルの口に含ませると、彼は必死に吸い付き始めた。

 ゴク、ゴク、と喉を鳴らす音。

 その一心不乱な「生」への執着。

 私はその姿を見つめながら、深いため息をついた。

 可愛い。

 そう思う回路と、

 重荷だ。

 そう断ずる回路が、同時に存在する。

 このままここに隠れ続けていれば、いずれ見つかる。

 かといって動けば、目立つ。

 パワードスーツは強力な盾だが、同時に巨大な的でもある。

 そして何より、物資が足りない。

 粉ミルクはあと3日分。オムツはゼロになった。水も、燃料電池も底をつきかけている。

 Efリアクターのおかげで動力と熱源だけは無尽蔵だが、それ以外の全てが欠乏している。

 人間は、あまりに多くのリソースを消費する。

 食べて、出して、眠って、泣いて。

 たった一人の命を維持するために、これほどの手間と物資が必要なのか。

 私達アンドロイドは、電気とオイルがあれば数十年でも稼働できるというのに。

「……強いな、お前は」

 ミルクを飲み干し、満足げに寝息を立て始めたアルの頬を、指の背で撫でる。

 こんな過酷な環境でも、彼は成長しようとしている。

 昨日よりも重くなった身体。少しずつ伸びる爪。

 彼は生きようとしている。

 ならば、私も生きなければならない。

 ただの「機能」としてではなく、「保護者マザー」として。


 定住の地が必要だ。

 こんな鉄の棺桶コックピットではなく、アルが手足を伸ばして眠れる場所。

 風を防ぎ、水を確保し、外敵を拒絶できる要塞。

 だが、そんな場所がこの荒野のどこにある?

 私はコンソールを操作し、データベースにアクセスした。


 検索:周辺地域、物資、隠れ家。

 

 ノイズ混じりの地図データが表示される。

 大半は「汚染区域」か「倒壊危険区域」。あるいは機械軍の支配領域。

 赤い警告表示ばかりが並ぶ地図の中で、一箇所だけ、奇妙な空白地帯があった。

 現在地から北北東へ約40キロメートル。

 旧時代の呼称:【第9セクター繁華街】。

 

 かつては煌びやかなネオンが輝き、欲望と金が渦巻いた不夜城。

 今は誰も近づかない、死と忘却の都。

 

「……亡霊のゴーストタウン

 そこならば、ハイエナたちも寄り付かないかもしれない。

 そして、かつてのショッピングモールやドラッグストアの跡地があれば、保存状態の良い物資が残っている可能性がある。

 特に、アルのためのミルクや医薬品、防寒着が。

 リスクは高い。

 崩落の危険、暴走した警備ドロイド、あるいは変異した野生生物。

 だが、ここで座して死を待つよりはマシだ。

「行くぞ、アル」

 私は眠るアルを抱っこ紐で胸に固定し直した。

 私の心臓コアと、アルの心臓が重なる位置。

 ここが、世界で一番安全な場所だ。

 操縦桿を握る。

 Efリアクターが唸りを上げ、凍りついた関節部へエネルギーを送り込む。

 氷を砕く音と共に、Ef/2235が立ち上がった。

 

 雪崩れ落ちる雪。

 視界いっぱいに広がる白い地獄へ、私は再び足を踏み出した。

 目指すは亡霊の街。

 そこが私達の仮の宿になるか、それとも墓標になるか。

 賽は投げられた。


雪原を行くEf/2235の歩みは、遅々として進まなかった。

 膝まで積もった新雪と、吹き荒れるブリザードが視界と機動力を奪う。

 だが、止まることは許されない。Efリアクターの排熱でコックピット内は辛うじて生命維持可能な温度を保っているが、燃料電池の残量は心許なく、何よりアルのための水と食料ミルクが底を突きかけている。

 コンソールに表示された古びた地図データ。


 【第9セクター繁華街】


 かつてこのエリアで最も栄えた商業特区。富裕層向けの高級ホテル、百貨店、そして最先端の医療施設が集中していた場所だ。

 戦火を免れたという記録はない。だが、爆撃を受けずに「放棄」されたエリアがあるという噂を、以前ダーティから聞いたことがあった。

『あそこはヤバいぜ、サブ。機械軍ですら寄り付かねえ。何せ、戦前のセキュリティシステムが生きたまま暴走してるって話だ』

 ダーティの警告が脳裏をよぎる。

 暴走した自律機械。管理者不在のまま、侵入者を排除し続ける亡霊たち。

 だが、今の私にとっては、機械軍の組織的な追跡よりも、単純な防衛プログラムの方が御しやすい。

「……あと、5キロ」

 吹雪の向こうに、巨大な影が浮かび上がってきた。

 墓標のようにそびえ立つ摩天楼の群れ。

 折れたタワー、崩落した高速道路の高架、そして色あせた巨大なホログラム広告の残骸。

 死んだ街だ。電気の通っていない黒い窓ガラスが、虚ろな眼窩のようにこちらを見下ろしている。

 私はエリアの境界線手前で、Ef/2235を停止させた。

 これ以上、巨大な熱源反応を撒き散らして近づくのは危険だ。教授の偵察ドローンに見つかるリスクも高まる。

 それに、崩れかけた瓦礫の山に8メートルの巨体で入り込めば、床が抜けて生き埋めになりかねない。

「……ここで待機だ」

 私は機体を半壊した立体駐車場の陰に滑り込ませた。

 迷彩シートを展開し、雪を被せて擬装する。

 Efリアクターを出力最小に固定。システムをスリープモードへ移行させる。

 コックピットのハッチを開く。

 途端に、ナイフのような冷気が吹き込んできた。

 アルがビクリと体を震わせ、泣き出しそうになるのを、私は慌てて抱っこ紐ごと厚手のコートの中に隠した。

「大丈夫だ、アル。……寒いのは一瞬だ」

 私はバックパックに弾倉と、最低限の工具、そしてアサルトライフルを詰め込んだ。

 腰にはデリンジャーとタクティカルナイフ。

 準備はいいか? 自問する。

 不安しかない。パワードスーツという絶対的な鎧を脱ぎ、生身で未知の領域へ踏み込む恐怖。

 だが、ミルクが必要だ。

 私は雪の積もった地面へと降り立った。

 ザクッ、という足音。

 風の音以外、何も聞こえない。

 私はアルの頭を左手で庇いながら、右手でアサルトライフルを構え、亡霊の街へと足を踏み入れた。


 街の中は、時が止まっていた。

 ショーウィンドウの中には、埃を被ったマネキンが虚ろな笑顔で立ち尽くし、道路には乗り捨てられた高級車が列をなして錆びついている。

 アスファルトの裂け目からは枯れた街路樹が突き出し、かつての栄華を無言で嘲笑っていた。

 私は瓦礫の陰を縫うように進む。

 センサー感度最大。

 動体反応なし。熱源反応なし。

 本当に、誰もいないのか?

 目当ての施設はすぐに見つかった。


 【マキシウム・ショッピングモール】


 ガラス張りの巨大なアトリウムを持つ複合施設。その一階部分に、十字のマークを掲げたドラッグストアの看板が見える。

「……当たりか?」

 自動ドアは歪んで半開きになっていた。

 私は隙間から身を滑り込ませる。

 店内は薄暗く、埃とカビの臭いが充満していた。

 だが、棚には商品が残っている。略奪された形跡はあるが奥の棚、特にベビー用品のコーナーは、ハイエナたちの興味を引かなかったのか、あるいは手付かずのまま残されているように見えた。

 私は小走りで棚へ向かう。

 あった。

 粉ミルクの缶。それも高級品だ。消費期限などとうに切れているだろうが、真空パックされた粉末なら問題ないはずだ。

 紙オムツのパック。おしりふき。ベビーローション。

 私にとっては、ダイヤモンドの山よりも輝いて見えた。

「……アル、ご馳走だぞ」

 私はバックパックを開き、手当たり次第に物資を詰め込み始めた。

 ミルク缶を3つ、4つ。オムツのパックを押し込む。

 重い。だが、この重さが心地よい。

 これで数週間は生き延びられる。アルを飢えさせなくて済む。

 ふと、棚の奥に小さな箱を見つけた。

 おしゃぶりだ。

 パッケージには、笑顔の赤ちゃんの写真。

 ……平和な時代の遺物。

 私はそれを手に取り、思わず自分の胸元の膨らみ、コートの中にいるアルを見下ろした。

 アルは私の体温とコートの温かさで、すやすやと眠っている。

 この子に、こんな平和な顔をさせてやれる日が来るのだろうか。

 その時だった。

 カチッ。

 足元で、何かが鳴った。

 床のタイルを踏んだ感触が、僅かに沈み込む。

 圧力センサーだ。

「……ッ!?」

 思考する間もなく、店内の照明が一斉に明滅した。

 赤色の回転灯。

 けたたましい警報音が、静寂を引き裂く。


【SECURITY ALERT】

【UNAUTHORIZED ENTRY DETECTED】

【INITIATING ELIMINATION PROTOCOL】


 無機質な合成音声が響き渡る。

 しまった。生きていたのか。

 数十年もの間、電力供給もなしに、このセンサーだけが獲物を待ち構えていたというのか。

 ウィィィン……ガシャン。

 店内の奥、倉庫の扉が開く音。

 天井の通気ダクトが外れる音。

 そして、床下から這い出してくる、無数の駆動音。

 現れたのは、球状のボディに細い手足を生やした、旧式の警備用ドロイドたちだった。

 塗装は剥げ、片目が潰れているものもいるが、その手に握られたスタンバトンや、内蔵されたテーザー銃は、明らかに殺意を帯びて帯電している。

「……排除シマス。……排除シマス」

 壊れたレコードのように繰り返される機械音声。

 数は10体、いや20体。

 ショッピングモールの吹き抜けからも、蜘蛛のような多脚型ドロイドが降下してくるのが見えた。

「……クソッ、買い物には代償が必要ってわけか!」

 私はバックパックのジッパーを乱暴に閉め、アサルトライフルを片手で構えた。

 左手はコートの上からアルを抱きしめる。

 絶対に、揺らさない。

 絶対に、音を聞かせない。

 アルがビクリと反応する。

 警報音に驚いたのか、私の殺気を感じ取ったのか。

「大丈夫だ、アル。……ママが、お会計をしてくる」

 私は棚を蹴って飛び出した。

 真正面から迫る警備ドロイドの頭部を、アサルトライフルの銃床で叩き割る。

 戦闘開始だ。


 片腕での戦闘は、想像以上に困難だった。

 アサルトライフルの重量バランスが崩れる。リコイル制御が甘くなる。

 何より、身体の重心がアルを守るために左寄りに固定されてしまい、回避動作が制限される。

 バチバチッ!

 警備ドロイドの放つテーザーワイヤーが空を切る。

 掠っただけでも私の回路に過負荷を与え、抱いているアルに感電のリスクがある。

 絶対に受けるわけにはいかない。

「邪魔だッ!」

 私は右足の蹴りでドロイドを吹き飛ばし、その反動でバックステップを踏む。

 背後から迫る別のドロイド。

 アサルトライフルを回し撃ちする余裕はない。

 私は右手のライフルを捨て、腰のデリンジャーを抜いた。

 ズドン、ズドン。

 至近距離からの二連射。

 45口径の弾丸がドロイドの中枢回路を撃ち抜き、火花を散らして沈黙させる。

 だが、デリンジャーは装弾数たったの二発。

 リロードする暇はない。

「……排除、シマス」

 多脚型ドロイドが天井から飛び掛かってくる。

 鋭利なマニピュレーターが、私の頭上、いや、胸元のアルを狙って振り下ろされる。

「させるかッ!」

 私は左腕でアルの頭を覆い被さるように庇い、右腕一本でドロイドの攻撃を受け止めた。

 ガギィン!

 手の装甲が悲鳴を上げ、火花が散る。

 重い。押し潰される。

 アルが泣き声を上げようとするのを、コート越しに指で軽く叩いてあやす。

「(シーッ、静かに。いい子だ)」

 声に出さず、通信パルスのような意思を送る。

 私は受け止めた右腕を軸に、身体を回転させた。

 遠心力でドロイドを壁に叩きつける。

 すかさず右足のタクティカルナイフを引き抜き、体勢を立て直そうとするドロイドのセンサーアイに突き立てた。

 オイルが噴き出す。

 私はナイフをねじ込み、内部回路を破壊する。

 敵の残骸を乗り越え、私は出口へと走った。

 だが、警報音に呼び寄せられたのは機械だけではなかった。

 ガラスを割って侵入してきたのは、犬ほどの大きさの巨大なネズミたち、バイオラットの群れだ。

 生物兵器の実験漏れか、放射能変異か。

 赤い目を光らせ、飢えた牙を剥き出しにして群がってくる。

 彼らにとって、私は硬い鉄屑だが、胸の中にあるアルは極上の餌だ。

「……下等生物が」

 私の精神感情回路が、冷徹な殺意に染まる。

 人間を守るための原初命令が、変質する。

 『我が子を守るためなら、他の全ての生命を排除しても構わない』と。

 私はアサルトライフルを拾い直し、片手でフルオート射撃を開始した。

 狙う必要もない。通路を埋め尽くす肉の壁に向かって、鉛弾をばら撒く。

 肉片が飛び散り、悲鳴が上がる。

 機械と獣の死骸の山を築きながら、私はショッピングモールを駆け抜けた。

 外の光が見える。

 出口だ。

 私は最後の力を振り絞り、雪の中へと飛び出した。

 背後で、もつれ込んだバイオラットの一匹が、私のコートの裾に噛み付く。

 私は振り返りざまに、その頭を鋼鉄の踵で踏み潰した。

「……二度と近づくな」

 私は荒い呼吸を繰り返しながら、周囲を警戒する。

 追っ手はいない。警備システムも敷地外までは追ってこないようだ。

 

 私はコートの前を開き、アルの無事を確認した。

 アルは目を丸くして私を見上げていたが、怪我はなかった。

 奇跡的に、泣きもしていなかった。

「……いい子だ。強い子だ」

 私は泥とオイルで汚れた頬を、雪で拭った。

 バックパックはずっしりと重い。

 これが命の重さだ。

 私は戦利品を背負い直し、Ef/2235の隠し場所へと急いだ。

 だが、安息はまだ遠い。

 上空を旋回する微かな駆動音が、私の聴覚センサーに引っかかった。



私は逃げるようにショッピングモールを後にし、近くにあった高層ホテルの廃墟へと転がり込んだ。

 かつては富裕層が利用したであろう、豪奢なエントランス。

 今はシャンデリアが床に砕け散り、フロントデスクは埃と瓦礫に埋もれている。

 私は階段を使い、地上から離れた上層階、スイートルームとおぼしき部屋を目指した。

 エレベーターは当然動かない。8階まで、バックパックとアルの重みを感じながら階段を駆け上がる。

 私の脚部モーターが悲鳴を上げ、膝の関節部から異音が響くが、今は無視だ。

「……ここなら、少しはマシか」

 804号室。

 分厚い防音ドアをこじ開け、中に入る。

 家具は腐敗しているが、窓ガラスは割れておらず、吹き込む風雪を遮断してくれていた。

 私はすぐにソファやテーブルをドアの前に積み上げ、即席のバリケードを築いた。

 物理的な防御力はたかが知れているが、侵入者が来れば音で分かる。

 安全確保。

 私は部屋の隅、外から見えない位置に腰を下ろした。

 ドサリとバックパックを下ろすと、肩の装甲が安堵のため息をつくように軋んだ。

「……アル、大丈夫か?」

 コートを開く。

 アルは目を丸くして、埃っぽい部屋を見回していた。

 先ほどの戦闘の爆音も、バイオラットの悲鳴も、この小さな命にはただの環境音だったのか、あるいは私の身体が完璧なシェルターとして機能していたのか。

 彼は無傷で、そして腹を空かせていた。

 私はバックパックから戦利品の粉ミルク缶を取り出した。

 水は、携帯していた濾過水筒に残っている分を使う。

 私の指先から放出される微弱な放電加熱を利用して水を温め、シェーカーでミルクを作る。

 本来は凍結した銃器の解凍などに使う機能だが、今はこれこそが私の魔法だ。

 温かいミルクの匂いが漂う。

 哺乳瓶をアルの口に含ませると、彼は一心不乱に吸い付いた。

「……よく食べるな、お前は」

 その小さな喉が動くのを見つめながら、私は泥のように襲ってくる疲労感に身を委ねた。

 精神感情回路のリセットを試みる。

 ……成功。

 ノイズが少しだけ引いた。

 だが、根本的な不安は消えない。回路の奥底に焼き付いた焦燥という名のエラーコード。

 アルがミルクを飲み干し、満足げに「あー」と声を上げた。

 そして、私を見て、ニカリと笑った。

 歯の生えていない、無防備な笑顔。

 ドクン。

 私の胸部リアクターが跳ねた。

 

 愛しい。

 この笑顔を守れるなら、世界中のアンドロイドを鉄屑にしても構わない。

 そんな非論理的で、危険な思考が脳内を支配する。

 これが「母性」というバグなのか。それとも、イヴが託した呪いなのか。

 私はアルの頭を撫でた。

 指先のオイルを拭き取ってから、そっと頬に触れる。

 温かい。

 ここだけが、この凍てついた世界で唯一の、確かな熱源。

「……少しだけ、休もう。少しだけな」

 私は壁に背を預け、スリープモードへの移行準備を始めた。

 数分、いや数秒でもいい。演算処理を休ませなければ、私の電子頭脳はいずれ焼き切れる。


 ふと、視線を感じた。

 アルではない。

 もっと冷たく、無機質な視線。

 私は弾かれたように顔を上げ、窓の外を見た。

 分厚い雲の切れ間。

 夕闇が迫る灰色の空に、幾つかの点が浮いていた。

 鳥?いや、この極寒の空を飛ぶ鳥などいない。


 私は視覚センサーの倍率を最大まで上げた。

 全長30センチほどの、黒い流線型の機体。

 音もなくホバリングする4つのローター。

 そして、機体下部で瞬く青いセンサーライト。

「……偵察ドローン」

 しかも、ただの偵察機ではない。

 あれは『オウル・アイ』。機械軍ですら配備していない、高度な隠密偵察ユニットだ。

 戦前、特殊部隊が使用していた幻の機体。

 それを運用できる者がいるとすれば、あの町には一人しかいない。

「……教授」

 ドローンの編隊は、V字を描いて上空を通過していく。

 青い光が、地上の廃墟を舐めるように走査している。

 まだこちらには気づいていない。熱源遮断のマントを被っていたEf/2235は見逃されたかもしれない。

 だが、時間の問題だ。

 奴らは網を張っている。

 この亡霊の街全域に、無数の眼を放っているのだ。

 安息など、どこにもなかった。

 ミルクの温もりに浸っていた数分間が、致命的な遅れになるかもしれない。

 ここはシェルターではない。ただの袋小路だ。

「……行くぞ、アル」

 私はバリケードを蹴り崩し、バックパックを背負い直した。

 休んでいる暇はない。

 この建物が包囲される前に、Ef/2235に戻らなければならない。

 アルが不満げに声を上げるが、構ってはいられない。

 私は窓の外から遠ざかっていくドローンの光を睨みつけた。

 見ているな、教授。

 そのガラス玉の眼を、いつか必ず抉り出してやる。

 私はアルをコートの中に隠し、逃げるように、しかし兵士の足取りで、暗闇に沈む階段を駆け下りた。

 背後で、窓ガラスが風圧でガタガタと震えた。

 それはまるで、私達の未来を暗示する焦燥の残響のように聞こえた。


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