豹変
ーside 葵ー
コウセイと付き合いはじめて、僕はしあわせだった。
僕が転がり込んだことで始まった同居は、恋人同士の甘い同棲生活になった。
コウセイは今までよりもずっと僕のことを甘やかしてくれた。僕は自分にできる精一杯の愛情を返した。
そうやってお互いに、なくてはならない存在になっていっていたと思う。
でも……いつからなのか、原因はなんだったのか。
もう、それがはじまった時のことはまったく思い出せない。
きっと、思い出せないくらいくだらないことだったし、はじめは大した事ではないと思っていた。
──コウセイは、だんだんとおかしくなっていったんだ。
「ごめん、ごめん……! ──ごめんっ……なさい!」
僕は、コウセイに殴られていた。蹴られていた。もう、これは日常の一部になっていた。
だんだんと、コウセイの怒りの沸点は低くなったし、暴力もエスカレートしていっていた。
「そんなアザの残った顔で外出たわけ? バイトにも? ありえねぇだろ!」
「階段で、こけたって、言ったし……誰も、コウセイのこと、悪く、言ってないよ!」
「どうだかな? お前、バイトの友達とやらに俺のこと話してたしなぁ?」
「あの時だけだよ! もう、相談したりとかそういうの、全然してないし、仕事終わったら、まっすぐ帰ってるし!」
コウセイは、しゃがみ込んで僕と目線を合わせたかと思うと、火のついたタバコを、僕の腕に押し付けた。
「うあ、あぁあああ!」
「もう、お前、働くなよ。外に出るな。ずっと家ん中にいろよ」
「で……でも……職場に迷惑かけるし……お金も……」
「どうせ中卒のバイトだろ? お前がいなくなって回らなくなる仕事なんてねぇよ。
金も、お前からすこーしもらわなかったからって、俺もなーんも困んねぇよ」
「でも……!」
コウセイはまた立ち上がって、僕に思い切り蹴りを入れた。
「うっ……ぐぅっ……!」
「ほら、電話。もうかけてるから。今、辞めるって言えよ。俺の目の前で。バイトやめれば俺がイラつく原因が減るよ?」
「言う通りにするっ! だからっ……! 蹴るのやめて! 電話、できないよ」
ーside 孝成ー
アオイを殴っている時は、まるで自分が、自分ではないように感じた。
本当の自分は天井あたりから、俺に殴られ、蹴られてうずくまっているアオイを、なすすべもなく眺めている感覚だった。
違う。殴りたいんじゃない。痛い思いをさせたいんじゃない。怖がらせたいわけじゃない。ただ、わかって欲しかっただけで、俺の言葉を聞いてくれていないように感じただけで。
離れて行くのが怖くて、繋ぎ止めていたくて、俺だけを見て欲しくて。
アオイはなんにも悪くなくて、ただ、ただ、俺の中だけの問題なんだ。
気がすむまでアオイを殴って、少し冷静になると、今度はものすごい罪悪感と吐きそうなほどの不安が襲ってきた。
「ごめん。アオイ。ごめん、ごめん。俺、また、カッとなっちゃって……」
「うん……」
やさしく抱きしめようと伸ばした俺の手を、アオイは恐怖に満ちた表情で避けようとした。
怖がられて当然なのに……彼はすぐに思い直したように笑顔をつくって、逆に俺を優しく抱き寄せた。
調子づくから、こんな俺に、優しくなんてしなくていいのに。笑顔なんて、向けなくてもいいのに。
──いや、違うな。これは純粋な優しさじゃなくて、きっと保身だ。冷静になった今は、それがわかる。
でも俺はそれに甘えて、アオイを抱きしめ返す。
「ごめん、アオイ。本当にごめん。お願い、嫌いにならないで。アオイのこと、愛してる」
「うん、知ってる。わかってるよ。嫌いにならないよ」
「痛くしてごめん。もうやらないから。絶対、約束する」
「大丈夫。痛くないよ。女の子みたいにやわくないし。それに僕、魚だから」
「さかな……?」
「魚だから、痛みなんか感じないの」
「そんなわけない……」
「それが案外、思い込みって効くんだよ」
「傷つけて、ごめん」
「もう、謝らないでよ……コウセイのこと、ちゃんと好きだよ。愛してる」
「お願い、信じて。本当に、アオイを 愛してるんだよ」
「大丈夫。信じてる」
ーside 葵ー
詳しいことは聞いてないけれど、コウセイが実家を追い出されたのも、この衝動的な暴力が原因らしい。
一人暮らしをして、大学では当たり障りのない友達しか作らず、人との関わりを減らすことで、暴力衝動が顔を出さないようにしていたようだった。
僕がアザを作って仕事に行けば、『転んだ』なんて言い訳を信じてくれる人は実際にはいなくて、バイト仲間はみんな『そんな恋人とは別れろ』って言う。
僕も、嫌なヤツだって思うことは、正直ある。
でも、みんなわかってないんだ。 殴ってくるのはコウセイの短所だけど、それは発作みたいなもので、本心から僕を痛めつけようと思ってるわけじゃない。
いつもは本当に優しいし、僕のことを愛してくれている。そんな優しいコウセイを、怒らせてしまう僕が悪いんだ。
誰に何を言われたって、コウセイと別れたいなんて思わない。
けど……。コウセイのためには、少し距離を置いても、いいのかもしれない。
あんなに苦しそうなコウセイは、もう見たくないから。




