第一話 再試験と沈黙のルール
列車は止まっていた。
鉄と血の匂いが充満した、静寂の鉄の箱。
裂けたままの座席。床に転がる断ち切られた指。
乾いた血がもう黒ずみはじめているのに、その匂いだけは生々しかった。
誰も席を立たなかった。
生き残ったはずの全員が──何も言えず、何もできず、ただ呼吸を細くしていた。
遥は、自分の手がまだ震えているのを感じていた。
でも、理由がわからない。
「なぜ生き残ったのか」さえ、まだ理解できていない。
──ピ、ピッ。
スピーカーが、不意に鳴った。
乾いた金属音。無機質な声が、車内を切り裂く。
「これより、第二次試験を開始します」
その声は機械のように冷たかった。
……けど、一瞬だけ微かに“息づかい”が混ざった気がした。
(……今、笑った……?)
ぞわりと背筋が粟立つ。
監視カメラの赤いランプが、まばたきしたように見えた。
背後の黒服のひとりが、息を呑んだ参加者たちを見渡し──「……面白い」
と、低く呟いたのが確かに聞こえた。
息が詰まる。
ここには、ただ“監視するだけじゃない何か”がいる。
黒服が感情のない声で告げる
……静寂。
「──パートナーの乳首を、勃起させてください」
…………は?
誰も声を出さない。
空気が、さらに冷たく沈む。
(なに……今、なんて言った?)
遥は思わず周囲を見渡した。
誰もが目を伏せ、息を詰めている。
笑う人もいない。──ここでは冗談なんて存在しない。
「本試験は、男女ペアで実施されます。以下のルールを厳守してください。」
• ステップ①:相手の了承を得ずに触れた場合、即時排除
• ステップ②:指示されたステップを破った場合、即時排除
• ステップ③:ステップ③までは肉体接触を禁止
「なお、“排除”とは失格および処分を意味します」
──処分。
その言葉に、全員の背筋がひやりと凍った。
──“強制措置”。
第一次試験で、それが何を意味するかは全員知っている。
次の瞬間、ペア発表が始まった。
•A-1:金子大地 & 森下彩花
→「おい、マジでやんのか?」根性論の大地。彩花は小さく震えていた。
•B-2:吉岡俊 & 高田美咲
→焦って場を乱す俊。「やめろよ…」と言いかけて黙る美咲。
•C-3:村上直人 & 桐谷玲奈
→「効率的に済ませよう」と無理に落ち着く直人。玲奈は顔をこわばらせたまま俯いた。
•D-4:松原拓真 & 三浦奈々
→冷静な分析を口にする拓真に、奈々は無言で頷いた。
•E-5:相馬準 & 工藤沙耶
→短絡的に舌打ちする準。沙耶は不安げに眉を寄せていた。
そして、最後に呼ばれた名前。
「F-6:佐伯遥、榊原黎」
びくり、と背筋が震える。
呼ばれたのは、わたし。
隣に座るのは──
フードの奥で顔を隠し、腕を組んだままの青年。
下を向いたまま、微動だにしない。
でも、その沈黙には抑制された意志のようなものがあった。
(この人が……わたしのペア?)
フードの縁からのぞいた顎には、かすかに古い傷があった。
誰にも気づかれたくないのに、隠しきれない過去がにじんでる──そんな印象。
目は見えないのに、視線だけは“そこにある”と感じるのが怖かった。
一瞬、息を吐くような安堵が車両の空気に広がる。
でも、それはすぐに破られた。
次の瞬間、別の車両から怒声。
「ふざけんな!変態みたいな試験、やってられるか!」
女性の悲鳴。
──パシュッ。
刃物が空気を裂くような、乾いた音。
叫んだ男の首が傾く。
抱きすくめられていた女の胸元にも赤い線が走り、ふたりは同時に崩れ落ちた。
金属の焦げる匂いが混ざる。
消えた跡が、触れた部分だけ不自然に切り抜かれている。
「ルール違反に対する排除措置です。止められなかったペア相手も、排除対象となります」
血が床に広がる。淡々とした声。
全員、息を呑んだ。
遥の隣で、黎がゆっくり顔を上げた。
フードの影からのぞく瞳は──冷たく、鋭い。
低い声が、すぐ耳元に届いた。
「……生きたいなら、“考えて”動け」
その声は、怒りでも命令でもなかった。
ただ、冷静だった。
(考えて……?)
「全ペア、ステップ①、開始」
ざわつきが走る。
服をめくる音。小さな悲鳴。笑い声。
動く者。迷う者。黙る者。
でも──黎は動かない。
微動だにせず、目線だけで状況を見ている。
遥は、迷った。
何をすれば正しい?
何もしないのが正しい?
でも、何もしなかったら終わるのか?
心臓が速くなる。視線が交錯する。
触れない。でも、見る。
それしか、選べなかった。
遥は、黎の胸元に視線を落とす。
指先ひとつ、動かさずに。
彼が、わずかに頷いた。
それだけで、なぜか通じた気がした。
「F-6ペア、ステップ①、完了と判定」
……え?
触れてない。何もしてない。
なのに、完了?
なんで……なんで?
遥は、反射的に隣を見た。
黎は目を閉じ、息をひとつ吐いただけだった。
まるで、**“それでいい”**とでも言うように。
(これが……正解?
でも……どうして?)
「正しい選択をしたのか」もわからないまま、
ただ、生き残った事実だけがそこにあった。
胸の奥がざわついた。
この試験は“正解を探す”ものじゃない──そう気づきかけたとき。




