時間の中で生きている
人々が一番意識するものは時間である。朝起きて初めに確認するものは時間である。人々は時間という共通の基準によって生活を共有しているのである。
大学生である僕も常に時間を意識して生活をしている。朝何時に起きるのか夜何時に寝るのか。僕は常に時間に縛られ、生活を過ごしている。12時ぐらいだからお昼を食べようや24時ぐらいだから寝ようと自分の欲求に従うのではなく時間という基準によって生活しているのである。時間によって人間は管理されている。
時間という基準によって何分後に到着するのか判断し長い短い遠い近いといった感覚になることができる。少しでも早く到着するためにはどのように行けばよいのかを試行錯誤する。少しでも予定よりも遅くなると人々は焦ったり、イライラしてくる。「時間の余裕は心の余裕」というがそのとおりである。しかし、常に時間に余裕のある人など存在しないのである。時間の余裕を作るためには何かしらの時間を切り捨てているということである。娯楽の時間を短くしたり、何かしらをする時間で急いで時間を巻いているのだ。
心の余裕というのに僕は憧れている。心に余裕があることによって他人に対して優しく接することができ周りをよく見ることができる。人にやさしくできていると自分も気持ちがよくなる。自分に害を与えてくる人以外には平等に優しくできる人間になることが僕の理想です。
時間を意識しない瞬間というのは確かに存在はする。自分がとても集中している時、時間を忘れるほど楽しい時、時計を見ない時だと思う。しかし、その時間は長くなく必ず終わりまた時間を意識する。時間を意識していない時間が終わった後どれぐらい時間がたったのか確認して時間の経過を意識する。
時間によって今日できることを考えることができる。限られた時間を分配することによって自分がより幸福になる方法を常に考えている。今週の予定をたて1週間の流れを認識することができる。僕は予定を立てることが好きだ。常に予定を頭の中で確認して自分がどのように行動するのかを考える。今の自分ができることとやりたいことにとりくむ。
時間は常に動き続け、時間は限られている。今、大学生の僕は20歳と社会の中では若いほうだが大学を卒業するまであと2年しかなくじきに就職活動に取り組まなければならない。自分のやりたい仕事を見つけなければならない。今の自分にはやりたい仕事がはっきりしない。夢ややりたいことをゆっくり見つけたいが残り時間は多くない、夢を見つけたとしてそれを叶えるために挑み続けることは可能なのだろうか。収入を得ることができなければ生きていくことができない。自分のやりたいことは見つかるのだろうか。これからも時間、年齢に縛られてしまいそれを言い訳に生き続けてしまうのだろうか。
他人の幸せや夢に向かって努力している姿を見るのは好きだ。この文章を最後まで読んでくださった人達の幸せを願います。