第六章:意識──夢と現実の分岐点
「意識とは、知覚の最後の関門であり、最初の虚構である。」
その言葉は、記録されていない講義音声の断片として再生された。
出所不明。話者不明。発信時刻不明。
だが、ユリアナの耳には“なじみのある声”として響いていた。
「……父さん?」
近ごろ、ユリアナは“夢を区別できなくなっていた”。
いや、夢というより「重層する現実」が、何層にも重なって見えるのだ。
夢の中で歩いた場所が、目覚めたあとにも確かに存在する。
会ったはずのない人間の顔を、現実で“知っている”と確信する。
母の記憶が、日によって細部を変えていく──
「それは“操作された記憶”だ」
ヨハネスは言った。
「第六識=意識は、見る者の“前提”に従って現実を構成する。
君の意識が揺らげば、世界そのものが変質する。」
帝国では、個々の“意識フィルター”が義務づけられている。
それは思考の方向性を制御するための微細な神経素子。
ニュース、広告、都市風景さえも、フィルターを通して「個別に最適化」されて表示される。
──だから、誰もが“違う現実”を見て生きていた。
ユリアナがそのフィルターを“無効化”されたのは、事故だった。
ある日、目覚めた瞬間に、すべてが“裸のまま”で現れた。
音は歪み、色彩は飽和し、人々の言葉が「意味を持たない音の連なり」として耳に入ってきた。
──意識が、再起動していた。
「夢は意識の“避難場所”だった。」
彼女はそう気づく。
本当の現実を直視できない者のために、
意識は都合のいい“物語”を作る。
だがユリアナは、選んだのだ。
夢を拒否し、現実の奥底に沈む“真相”を見に行くことを。
そして彼女は、地下の「無思宮」へと向かった。
そこは、帝国初期に建てられた“意識改竄施設”の遺構。
扉を開けた瞬間、意識の境界が崩れ始めた。
彼女は同時に三つの世界にいた。
幼いころのユリアナが母と手をつないで草原を歩く。
帝都の瓦礫の上で、反乱軍とともに戦う自分。
薄暗い部屋のベッドに寝かされ、神経素子を埋め込まれた少女。
それらは、どれも「ユリアナ」であり、同時に「ユリアナではなかった」。
──私は誰?
問いが、意識を揺るがす。
壁の鏡に映った自分の顔が、知らない誰かに変わる。
しかし、そのとき彼女は気づく。
「変わっている」のではない。
「もともと、固定されてなどいなかった」のだ。
意識とは、流動する「今」の束であり、過去でも未来でもない。
そこにあるのは、ただ一つ──選択の連続。
「君はどの意識を選ぶかで、現実を決めている。」
ヨハネスの姿が、ついに現れた。
だがそれは「記憶のヨハネス」ではなかった。
彼女の意識が“今ここで”生み出した存在だった。
「君の意識が、現実を超えた。
この世界はもう“受け取るもの”ではなく、“書き換えるもの”になった。」
ユリアナは目を閉じ、意識の深層へ沈んでいった。
そこには言葉も、時間も、形もなかった。
あるのは、**可能性の原初粒子**だけ。
彼女はその海に手を伸ばし、「現実」という名の物語を、自らの意志で“書き直し”始める。
──私は、もう“見る者”ではない。
──私は、選び、創る者だ。
そのとき、ユリアナの第六識=意識は完全に覚醒した。
(第6章・完)
※次章:第七識「末那識──偽我との邂逅」へ続く