表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/9

第五章:身識──感覚と拷問の臨界

ユリアナの指先が、震えていた。


それは寒さではなかった。

むしろ空調制御されたこの帝都では、気温差など存在しない。


震えの理由は「触れた」からだ。

それも、記録されていないはずのものに。




それは旧セントラム図書館跡地の深層。

廃墟のように崩れた資料室の奥、封印された「第零保管室」。

帝国によって削除されたはずの“感覚記録”がそこに眠っていた。


それは本ではなかった。

金属の箱に封じられた、薄く、皮膚のような素材の記録媒体──「触覚データ素子」。

それに指を触れた瞬間、ユリアナの身体を異物の感覚が駆け抜けた。


痛み。温もり。湿り気。恐怖。愛撫。火傷。抱擁。絶望。悦楽。


一瞬で彼女の身体は「他者の人生」を受け取っていた。


──身識とは、触れることで他者の存在を“転写”する力。


ヨハネスの声が頭に響く。


「五感のうち、最も“暴力的”なのが触覚だ。

それは他人の境界を破るものだからだ。

身識とは、己が肉体を通じて“世界と一体化する”識だ。」




ユリアナの皮膚に、奇妙な痕が浮かび上がっていた。

微細な文様。まるで古代の碑文のように、身体の上に何かが“記録”されている。


彼女は気づく──これは感覚による暗号だ。


「これ……読める。」


その肌に刻まれた感覚をなぞるたび、記憶が蘇る。


・銃を突きつけられた感触

・母の手に包まれたぬくもり

・冷たい医療器具の震え

・誰かの頬に触れた時のやさしさ


すべてが“自分の体に刻まれた歴史”だった。

だが──中には「自分ではない者の記憶」も混じっていた。




帝国の処刑室では、最後に「皮膚感覚のデータ抽出」が行われる。

それは死者の“最期の感覚”を解析するためのもの。

快か苦か、恐怖か諦念か──それを記録し、以後の支配に利用するのだ。


ユリアナが触れた「記録素子」は、そうした“処刑感覚”のアーカイブだった。

それを受け取ったとき、彼女の身体は“千人分の死”を経験した。


指がちぎれる感覚。

火あぶり。窒息。殴打。

だがその中に──たった一つ、柔らかな掌の感触があった。


「生きろ……ユリアナ……」


それは、母の手だった。

拷問の最中、母が最後に伝えた皮膚の記憶。

愛情が、皮膚を通して彼女に刻まれていた。


ユリアナは涙を流した。

だがその涙は、痛みのためではない。


それは「生きていた証」に触れたからだ。




「人間とは、“皮膚の境界”を持つ存在だ。

しかし身識が覚醒すれば、その境界は消える。」


ヨハネスの言葉が続く。


「触れたものすべてが、君の“内部”になる。

君の痛みが、誰かの痛みになる。

君の温もりが、誰かの希望になる。」


ユリアナはその瞬間、自分が「一人ではなかった」ことを悟った。


それは他者と混ざり合う恐怖でもあり、

同時に、他者とつながる救いでもあった。




翌朝、ユリアナは市民広場に立っていた。

手袋を外し、素手で“地面”に触れた。


都市の皮膚。帝国の記憶。

そこには、無数の“生きた痕跡”が眠っていた。


そして彼女は、確かに感じた。


この地に生き、愛し、苦しみ、死んでいったすべての命の記憶が、

皮膚という“感覚の書”に刻まれていることを。


──私の体が、世界とつながっている。


そのとき、ユリアナの「身識」は完全に目覚めた。


(第5章・完)

※次章:第六識「意識──夢と現実の分岐点」へつづく

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ