ほんの少し心が傾く夜
そらからの「気が向いたら」のメッセージを見て、スマホを伏せた。
すぐに返事が来るわけじゃないのはわかってる。
けれど、少しそわそわする。なんとなく、着信音が聞き逃せない気がして、スマホはすぐ近くに置いたままだ。
ストーブの前で、紅茶を両手で包み込む。
カップからの湯気が、今日の冷たい空気を少しだけやわらげてくれる気がした。
外はすっかり冬の入り口。
春にそらと出会ったころは、薄手のカーディガンでも過ごせたのに、今はもうコートとマフラーが手放せない。
時間が経つのは早い。
それは会ったことがないはずの、そらとの関係にも同じことが言えた。
──ピッ。
通知音が鳴った瞬間、胸が跳ねた。
画面には「そら」の名前。着信の表示。
思わず微笑みながら、通話ボタンを押す。
「……もしもし」
「……ういー。起きてた?」
「うん、ずっと起きてたよ。そらは?」
「寝ようと思ったけど、無理だった」
ちょっとだけ不機嫌そうな声。でも、少し安心してるようにも聞こえた。
「てかさ、さっきのメッセージ、“ちゃんと立てた?”ってなに」
くすっと笑ってしまう。
そらは気にしてないふりして、けっこう細かいところちゃんと拾ってくる。
「“大丈夫?”って送るより、そらっぽいかなって思ったんだよ」
「意味わかんないんだけど。いや、別にいいけど……」
声のトーンが少しだけ照れていた。
「でも、ありがと。ちょっとだけ元気出た」
その一言に、胸の奥がじんわり温まっていく。
「それならよかった」
素直にそう返せた自分に、ちょっとだけ驚いていた。
そこからは、他愛のない会話がぽつぽつと続いた。
「体育、持久走だった。もう走るのとか無理」
「そら、走るの苦手だもんね」
「いや、苦手っていうか嫌い。寒いし」
「知ってるよ。夏も文句言ってたし」
笑い合うわけじゃない。
でも、声の端にある小さな温度を、お互いに確かめるようにやり取りを重ねていく。
わたしも、今日の仕事の話をした。
久々の出勤日でヒールが痛かったこと、久々に会社の同僚に会って変な気疲れをしたこと。
そらは相づちを打つだけだったけど、それだけで十分だった。
「……なんか、変な感じするよね」
そらがぽつりとつぶやいた。
「何が?」
「会ったことないのに、こんなふうに話してるの」
「うん、でも……落ち着くよね」
「そう。なんか、落ち着く」
そう言ったそらの声が、さっきより少しだけやわらかかった。
声って、不思議だ。
目も合わないのに、体温が伝わる。
何かを共有しなくても、ただ言葉を交わすだけで、ひとりじゃないって思える。
画面越しのLANEより、ずっと近い。
そらが今、どんな表情をしているのかは見えないけれど、
それでも、その声の色で気持ちが少しだけわかるようになってきた。
「……そら、眠そう?」
「んー……ちょっと」
「明日、早いの?」
「うん。1限ある。起きたくない」
「じゃあ、そろそろ寝ようか」
「……うん」
「今日は、電話ありがとうね」
「別に。気が向いただけ」
そう言うそらの声は、ふだんより少し低くて、眠気混じりで、
それでもどこか安心しているように聞こえた。
「おやすみ、そら」
「……おやすみ、みなみ」
通話が切れたあとも、耳の奥にそらの声が残っていた。
静かな夜。カップの紅茶もすっかり冷めていたけど、
胸の奥には、あたたかいものがちゃんと残っていた。
わたしはスマホの画面を伏せ、
静かに目を閉じる。
まだ会っていないのに、
声だけでつながるこの距離が、
少しだけ愛おしく思えた。