初めての余韻
配信を切ったあと、しばらくスマホを見つめていた。
なにか特別なことをしたわけじゃない。ただ話して、返ってきた言葉に答えただけ。誰かの顔が見えたわけでもないし、声が聞こえたわけでもない。それでも、胸の奥がじんわりとあたたかかった。
「……なんだったんだろう、これ」
ぽつりとこぼれた言葉に、自分で苦笑する。
初めての配信。
名前も顔も知らない誰かと、たった30分だけ過ごした時間。
でも、確かに“誰かと一緒にいた”という感覚だけが、体の奥にやさしく残っていた。
画面の向こうに、人がいた。
声だけでつながった世界。
不思議で、ちょっとだけ怖くて、でもどこまでも心地よかった。
《こんばんは、チョコさん》
《初めてなんですね、すごく落ち着いてて聴きやすいです》
《夜の声って感じがします》
──夜の声。
その言葉が、胸の奥にふわりと灯った。
自分の声が、誰かの“夜”にそっと寄り添っていたなんて。
ただそれだけのことなのに、胸の内がふっとやわらかくほどけて、涙が出そうなくらい、うれしかった。
誰かの孤独に、ほんの少しでも届いていたなら。
その人の一日の終わりに、やさしさを残せていたなら。
それは、わたしにとっても救いだった。
スマホを胸にのせたまま、ベッドにごろんと転がる。
静まり返った部屋の中、天井を見上げて、ひとつ深く息を吐いた。
外はもう真っ暗で、部屋の明かりもすっかり落ちていた。
ほんの小さな時間だった。
それでも、心のどこかにぽつんとあいた隙間を、誰かの言葉がそっと埋めてくれたような気がした。
──そらには、まだ言えないな。
あの子の顔が、ふと頭をよぎる。
「ふつうー」って返す、そっけない声。
でも、その奥にあるあたたかさや、少し気まぐれな優しさを、わたしは少しずつ知っている。
通話では、ときどき眠たげな声で、ぽつりぽつりと話してくれる。
その声が、いつの間にか特別になっていた。
──あの子がこの配信を聴いたら、どう思うんだろう。
「え、なにやってんの」って、鼻で笑うかもしれない。
それとも、少しだけ黙って、何かを感じてくれるかもしれない。
でも、どちらにしても、今はまだ聞かせたくない。
この場所だけは、誰にも見せたくない。
「……まだ、内緒にしとこ」
わたしだけの秘密。
誰にも言っていない、小さな夜の居場所。
そらの前では、どうしても“ちゃんとした自分”でいようとしてしまう。
年上として、頼られる存在でありたくて、優しくて余裕のある人に見せたくて。
でも本当は、そんな風にふるまうのがつらくなる夜だってある。
強がらなきゃいけないときほど、ふいに誰かに甘えたくなる。
けど、素直にそれを伝えるのは、まだ怖い。
配信の30分は、そんな弱さをそっと包み隠せる、静かな時間だった。
誰にも見られずにいられる安心感。
誰かとつながっていながら、ひとりでいられる余白。
それは“秘密”というより、“自分を許せる時間”。
スマホの画面を伏せて、毛布を引き寄せる。
ほんの少し、手が冷たくて、自分の体温を感じる。
今日、誰かがくれた「おやすみなさい」の言葉が、頭の中で繰り返されていた。
それは、日常のどこにもなかった、やさしい響きだった。
──きっと、いい夢が見られる。
そう思えるだけで、今日は十分だった。
不安も、寂しさも、すべてが溶けるわけじゃないけど、
ほんの少し、心が軽くなっていた。
そしてそれだけで、今夜は、すこしだけ救われていた