初めて聴く君の声
文字だけじゃ、感情のニュアンスまでは読み取れない。
でも──そのとき、そらから届いた短いメッセージには、何かしらの温度がこもっていた気がした。ほんの少しだけ、遠慮がちで、でもたしかに期待している気配。
《……あの、通話って、したことありますか?》
その問いを目にしたとき、わたしの指は一瞬止まった。
このやりとりを続けてきた数週間。そらは時々、夜になると少しだけ弱さをのぞかせる。それでもどこか人懐っこくて、わたしにだけ見せてくれる気がしていた。
《ありますよ、友達とかとなら。でも、Zとかネットの人とはまだ……》
そう返すと、ほんの数秒で返事が届いた。
《そっか。わたしもです。》
続いて、ほんのひとこと。
《……でも、チョコさんなら、話してみたいって思った》
その言葉を見た瞬間、胸の奥にあたたかいものが差し込んだ。
やさしくて、少しだけ不器用で、それでいて本音。
知らないうちに、わたしは息を止めていた。
《……少しだけ、話してみますか?》
間もなくして、たった三文字の返事。
《うん》
その一言が、とても大事な言葉のように感じた。
直後、LANEの画面に通話の通知が表示される。
そら、という名前の下に、緑色の「通話中」が灯る。
わたしは、深くひとつ息を吐いて、通話ボタンを押した。
* * *
「……こんばんは」
「……こんばんは」
ふたりの声が、まるで鏡合わせのように重なった。
初めて聞く、そらの声。
それは、予想よりも少し低くて、けれど柔らかくて、どこか不器用なトーンだった。
沈黙が訪れる。
ほんの数秒。でも、その空白が急に恥ずかしくなって、わたしはつい、笑ってしまった。
「……ふふっ」
「なに笑ってるんですか」
ちょっとムッとしたような、照れてるような声で、そらが言う。
その反応が可愛くて、つられてまた笑いそうになった。
「ごめんなさい。でも、本当に“そらさん”の声が聞こえてるんだなって思って」
「……へんな声じゃなかったです?」
「ううん、落ち着く声です。ちょっと意外でしたけど」
「意外って……どういう意味ですか」
「なんか……いつもLANEで読むそらさんの文章より、少し大人っぽいなって」
少しだけ笑いながらそう言うと、向こうで「ふーん」と小さな声が返ってきた。
再び、沈黙。
けれどそれは、先ほどよりもずっとあたたかくて、静かで、やさしい空白だった。
「……チョコさんの声、やさしいですね。文章のまんまだ」
「え?」
「うん。……なんか、安心する。ちょっと元気出たかも」
たったそれだけの言葉なのに、どうしてこんなに嬉しいんだろう。
声の向こうにいる彼女の気持ちが、言葉よりも先に伝わってくる。
スマホのスピーカーから届く小さな吐息まで、やけに近く感じた。
「わたしでよければ、ずっと話しますよ。無理に話さなくてもいいです。声だけでも──」
「……うん」
その「うん」が、まるで心にすっと溶け込むようだった。
きっと今、そらはイヤホンをつけて、わたしと同じように画面を見つめてる。そんなことを想像するだけで、少しだけ胸が熱くなる。
それから、ほんの少し他愛ない話をした。
今、何をしてたのかとか、晩ごはんを食べたかとか。
そらは「今日はアイスだけだった」と呟いて、わたしが慌てて「ちゃんと食べてください」と言うと、「チョコさんって、やっぱお姉さんっぽい」と笑った。
そうやって、少しずつ、言葉が重なっていった。
気づけば15分が経っていた。
短い時間だったけど、それは確かに──わたしにとって、とても特別な時間だった。
通話を切る直前、そらがふいに言った。
「……また、声、聞かせてください」
それを聞いた瞬間、胸の奥にふわっと灯る何かを感じた。
名前も知らないまま、顔も知らないまま、
それでも彼女の声が、今夜のわたしを満たしてくれた。
スマホの画面が暗転したあとも、
わたしの耳には、そらの声がずっと残っていた。
──この声が、わたしの日常になるかもしれない。
そんな予感を抱きながら、わたしは静かな部屋の中、そっと目を閉じた。