ひとりきりの夜
初投稿です。
初心者なので誤字や投稿の仕方がちょくちょく変わるかもしれませんが手探り状態です。興味が出た方は読んでくださると嬉しいです。
世界が、少しずつ変わり始めた春だった。
会社がリモートワークに切り替わってからというもの、朝から晩まで、誰とも直接話さない日々が続いていた。
通勤も雑談もなくなった暮らしは、最初こそ気楽で快適に感じたけれど──
気づけば、部屋の静けさに自分の呼吸音すら重たく響くようになっていた。
「……さすがに、ちょっと静かすぎるよね」
ノートパソコンを閉じて、ソファに身を投げ出す。
白い天井を見つめたまま、ひとりごとをこぼした。
部屋の空気は整っている。洗濯物もたたんであるし、キッチンも片付いてる。
だけど、なにかが足りないような、そんな感覚だけが、ずっと胸に残っていた。
スマホを手に取って、なんとなくSNSを開いてみる。
けれど、流れてくる話題は毎日どこか似たようなもので、指先は自然と画面をスライドするだけの機械のようになる。
そのとき、アプリストアのランキングにふと目がとまった。
『声だけの配信』『眠れない夜に誰かとつながる』──
そんな言葉が並んだアプリのアイコンに、なぜか惹かれるものがあった。
“誰かの声が、聴きたい”──
理由なんて、それだけだった。
ダウンロードして、初期設定を済ませ、いくつかの配信ルームを眺める。
その中で、ひとつだけ目を引いたタイトルがあった。
《#夜ふかし雑談 / 初見歓迎 / 眠れない人へ》
どこかやわらかくて、あたたかい。
ためらいながらも、そっと参加ボタンを押す。
「……あ、新しい人かな。こんばんは。ゆっくりしていってくださいね」
スピーカーから流れたその声は、思っていたよりも近くて、やさしくて。
知らない誰かの言葉なのに、心の奥にすっと届くような感覚がした。
《チョコ:こんばんは。初めて来ました》
このアプリでは、ハンドルネームでコメントを送る仕組みだった。
深く考えたわけではない。けれど、どこかで甘えたかったのかもしれない。
“チョコ”という名前が、指先から自然に出てきた。
「チョコさん、はじめまして。声、届いてたらうれしいな」
配信主の声がそう言ったとき、不思議と、スマホの画面越しの言葉がぬくもりを帯びていくのを感じた。
そのとき、もうひとつのコメントが流れた。
《そら:こんばんはー》
“そら”──その名前を見た瞬間、なぜだか目が止まった。
意味もなく、でも妙に気になって。
画面の向こうのその名前が、すっと心に差し込んだ気がした。
「チョコさん、そらさん、コメントありがとう。今夜はのんびりしていってね」
その声に包まれるようにして、ルームの空気がやさしく変わっていった。
自己紹介をするつもりもなかったのに、自然と考えてしまう。
──元木みなみ。25歳。
都内の広告代理店で働く社会人3年目。
最近は在宅ワークばかりで、誰かと話す機会もぐっと減った。
ひとりの時間は嫌いじゃない。けれど、ふとした夜に声をかけられる相手がいないことに、寂しさを感じる日もある。
友達だっていないわけじゃない。
だけど、夜更けに「声を聞きたい」なんてメッセージを送るには、勇気が要る。
そんなとき、名前も顔も知らない誰かの、ほんのひとことが、こんなにも心を和らげるなんて。
それが、“そら”との出会いだった。
ただの偶然。だけど、心に残った。
まだこのときは知らなかった。
この一度きりのやり取りが、
これから長く、深く、そして愛しいものへとつながっていくことを。
──ただ、あの夜、声に救われたのは間違いなかった。
そして、その声の記憶が、わたしの中でそっと息をし始めていた。