第十八話 イネスとシィの絆①
イネスが黒い渦と対面した頃…
『『アンゼス様!!』』
『イレス、私は氷海周辺に防御壁を張るから、其方は任せるよ。イデス、其方はアデスと共に東から南を頼むね。
……此方に来る事は許さない。いいね?』
『畏まりました。此方はお任せ下さい。』
『……畏まりました…イネスは無事ですか?』
『イネスは大丈夫。私がいるのだから安心しなさい。じゃあ、二人共頼んだよ。』
『『はい!』』
不穏な空気を感じ取ったイレスとイデスが、アンゼスに念話を送ってきていた。
アンゼスも丁度念話を送ろうとしていたところだったので、二人の反応の早さにアンゼスは感心した。
特にイデスは最近鍛錬の成果もぐんぐん伸びてきて、新しい能力が芽生えそうな気がしている。
また、イネスとシィにも今回何かしらの変化が起きそうで、それが楽しみで仕方ない。
しかし、何かが振り切らなければ「覚醒」のような事は起きないので、その為にもイデスを近付ける訳にはいかなかった。
イデスはイネスの事になると暴走する傾向がある。
前回はたまたま半覚醒に繋がったが、毎回そうとは限らないし、場合によっては他者の覚醒を邪魔する可能性もある。
今回はイネスと言うより、シィに変化が起きそうな予感がするので、イデスは邪魔になるとアンゼスは踏んでいた。
『…?アス?どうかした?』
『いや?何でもないよ。』
アンゼスはオアリスとお喋りをしながらイレスとイデスと念話をし、今は後ろ手に防御壁を張っている。
イアレスの感情が爆発した時、かなりの威力があった事を考えると、同等若しくはそれ以上の威力があると思われる為、アンゼスを初めとする他の神様もどき…人型は警戒していた。
ただ、イネスは目の前の黒い渦に気を取られ、アンゼスへ報告する事を忘れている。
『…何なの、この黒い渦は。何か見てるだけで気が滅入るわね…シィは無事避難したのかしら?』
イネスは禍々しい黒い渦を前に、シィの気配を探ったが近くに感じられなかったので、一先ず避難したものと考え次の事を考える。
『……何があったのかシィに聞かないと、迂闊な事は出来ないわね。どうしようかしら…シィ?聞こえる?シィ?……やっぱりダメね…念話が繋がらないわ。』
イネスはシィと念話が繋がらず、事情を聞く事が出来ない。手出しが出来ないまま時間だけが過ぎていき、その間も黒い渦はどんどん勢いを増し大きくなっていく。同時に黒いモヤも広がるペースが早くなってきた。
『……マズイわね…あぁ、もうっ!!シィったら、どうして念話が繋がらないの?シィ!シィ!!』
イネスは浄化をしつつ、幾つもの渦を作り黒い渦を囲んだ。イネスの渦と黒い渦がぶつかり合い、その度に弾かれるように強い水流が上に上がる。それが大きな波となり、海岸に押し寄せる。
浜辺や海岸では波が徐々に大きくなり、津波と化していた。海中にいた魚や海藻等の生き物は、大きな波に吸い上げられ津波と共に陸へ打ち上げられていた。
体の脆いものは打ち上げられた時に、岩や木等に打ち付けられ息絶えた。何の鍛錬もなしに陸に打ち上げられた魚達も、水の無い場所では長時間生きていられず、こちらもまた息絶えた。
運良く生き長らえたのは、偶然川に流され必死に川上へ泳ぎ着いたものと、窪地に出来た水溜まりに流されたものだけだった。
それ以外で生き延びたのは、以前から陸に上がる鍛錬をしていた僅かなもの達。彼等は必死に「生きたい」と願い抗った。その結果進化し、陸地でも生きられる体を手に入れたのだ。
この津波で命を落としたもの達は、魚達だけでは無い。草木や虫や動物…陸地で生きていたもの達にも多大なる影響を与えた。本来水中で暮らしていなかったもの達からすれば、陸に打ち上げられた魚同様に、突然何の前触れもなく水中に閉じ込められたのだ。
水中での呼吸の仕方を知らないもの達にとって、それはどれ程苦しかった事だろう。
子を産み家族となる…そうゆう概念の無い神界のもの達は、人間の世界で言う「家族」という形とは異なるが、逆に「友」や「仲間」といった繋がりは強く、離れ離れになり命を落とした「友」や「仲間」に、嘆き悲しんだ。
そして、その「哀しみ」が更に黒いモヤに力を与えてしまったのだ。
最早イネス一人の抵抗ではどうにもならない状況で、寧ろ抵抗すればする程新たに津波を引き起こしてしまい、イネスは手の打ちようが無かった。
そんな状況にイネスもまた「哀しみ」が募る。
負の連鎖だ。イネスの「哀しみ」が黒いモヤに力を与えてしまった事で、イネスの渦が弱まり遂には消えてしまった。
すると、黒いモヤは一気に膨れ上がり海の中に広がる。とうとうイネスも「哀しみ」に取り込まれてしまったのだ。
青くキラキラ光る澄んだ海の水が、どんどん真っ黒に染まっていく。
ここまで来てもアンゼスは動かなかった。いや…待っていた。
傍に居たオアリスも海の異変に気付き、その原因が自身の片割れとも言える彼女だと確信する。
この海を漂う「哀しみ」の気配は、自分が彼女と分かれ「独立」した時に感じたものと同じだったからだ。
『アス!あの子が…此処をこんな風に…ごめんなさい…私のせいだわ。早くあの子を止めなきゃ、この綺麗な世界が真っ黒に染まってしまう!!』
『……このまま何もしなければ、恐らくそうなるだろうね。でも大丈夫。それは私も望んでないから、そんな事にはさせないよ。
……でも、まだだ。もう少し待って。』
『……え…どうして…』
『…極限の状態になって初めて、新しい「何か」が生まれるんだ。君の元片割れも、私の子達もね…。』
『……アス、貴方…何を言ってるの…』
オアリスはアンゼスの言いたい事が理解出来ず、早く事態を収集しなければと海に向かって走り出そうとした…が、アンゼスに腕を捕まれ止められる。
『…まだだ…と言ったよね?』
『でも!それじゃ手遅れになるわ!!』
『…待つんだ。大丈夫だから。あの子達を信じて、もう少し待ってくれるかな?』
『…あの子達って言われても、私はよく知らないし、私なら止められる『待ってと言ったよ、私は。』…わ、分かった。アスに何か考えがあるのよね。
…アスの言う「あの子達」は分からないけど、私は「アス」を信じるわ。』
『ありがとう、オアリス。』
オアリスはそう言うしかなかった。実際、一人で海の中に入って何が出来るか…そもそも海の中に入って息が出来るのか…それすらも分からないのに、無闇に動く事が最適とは思えなかった。
それとアンゼスの金色の目の奥が、お願い等ではなく「動くな」という「警告」しているように思えたのだ。オアリスはアンゼスに対して、初めて「恐怖」を覚えたと同時に圧倒的な「強さ」を感じた。
この人なら何とかするだろう…と。
アンゼスとオアリスが真っ黒に染まりつつある海を並んで見ていると、津波が押し寄せた辺りからキラキラと何かが光り、それ等がゆっくり空へ舞い上がっていく。かなりの数の光の粒子が空高く舞い上がり、次第に空全体に広がる。
『……始まった』
『……ぇ…?』
アンゼスが呟いた直後、空を覆い尽くす光の粒子がある一点に降り注ぐ。
その一点とはイネスが居る海底だ。
空から降り注ぐ光の粒子は、海の中に…そしてイネスの元に届いた。
禍々しい黒いモヤに包まれたイネスを、その光の粒子は黒いモヤごと包み込む。
そして、光の塊となったイネス。
無数の光の粒子は、黒いモヤに覆われたイネスにまだ届いていない。しかし、ゆっくりとじわじわと黒いモヤを消していく。
黒いモヤの中でイネスは、自分の不甲斐なさと戦っていた。黒いモヤがイネスの頭の中に辛辣な言葉を投げかけ、イネスの心を追い詰める。
「アンタのせいで私は死んだのよ!」
「アンタがもっと上手く立ち回っていたら、私は死ななかった!」
「アンタの力が弱いせいで!」
「アンタのせいで!」
「アンタのせいで!」
「アンタのせいで!」
「イネス様にはガッカリです…」
「イネス様はもっと賢いと思ってました…」
「イネス様を尊敬したのは間違いでした…」
「イデス様の方が良かった…」
「イネス…見損なったよ…」
『……っ……イデス…ぅぅぅ…』
魚達やクジラ達のイネスを責める声が、イネスの心を徐々に壊し、最後のイデスの言葉でパリンッと完全に壊れてしまった。
そのせいで、イネスを覆う黒いモヤが勢いを戻し膨れ上がる。
光の粒子もそれに抵抗するかのように、空から次々と降り注ぐ。
「イネス様!頑張って!」
「イネス様!私達は大好きよ!」
「イネス様!負けないで!」
「イネス様のせいじゃないわ!」
「イネス様のせいじゃないよ!」
「イネス様のせいじゃないぞ!」
「イネス様!しっかり!!」
「イネス様!私達がついてます!!」
「イネス様!一緒に頑張りましょう!!」
「イネス様!貴方なら大丈夫だ!!」
「イネス、俺は信じてる。顔を上げるんだ!」
『…みんな……イデス…』
イネスは俯いていた顔を上げ、歯を食いしばり全身に力を込めた。




