薬師令嬢と傷ついた竜
悪夢の舞踏会からひと月が経った。
王家主催の交流舞踏会。襲撃による諸々がようやく落ち着いて、アンジェルたち三姉妹はイーストハーヴ領へと帰ってきていた。
噂では反ヒト族主義者の勢力が起こした事件だとか。交流舞踏会に来ていた獣人たちは親ヒト族主義派だそうで、獣人たちも一枚岩ではないらしいことが広まっていた。
「トロワ、収穫できたかしら。……トロワーネ?」
「あっ、アンお姉さま! ごめんなさい、まだなのです」
イーストハーヴ領に戻って早々。
社交シーズンでできなかったことを片付けねばと、アンジェルたちは領主館より東に広がる魔の森に来ていた。
イーストハーヴ領の約半分を占める、魔の森。広大な森林は魔素が多く、動植物が魔物化してしまう。さらに魔の森には大河があり、その向こう岸にはアニマーレ獣人連合国に属する集落が広がっていた。
その魔の森で、イーストハーヴ家がやっている事業がある。
それは魔素を利用し、薬用人参を効率よくマンドラゴラ化させること。
マンドラゴラに進化した人参の効能は普通の薬用人参よりも薬効が高い。薬師として専門の勉強を収めたアンジェルが、結婚を機に母からその事業を引き継いだ。今日収穫に来たマンドラゴラの生育状況に問題がなければ、管轄している他のマンドラゴラ畑にも収穫指示が出せるのだけれど。
「どうしたんだい、トロワ? ずっとぼんやりしちゃってさ」
「ドゥお姉さま。なんでもないの」
「うーそ。舞踏会の日から様子がおかしいじゃないか」
「そ、そんなことないわ!」
トロワーネの頬がぽぽっと赤く染まる。
ドゥニーズは訝しげにしているものの、なんとなくアンジェルは気づいていることがあるので、やんわりと尋ねてみた。
「トロワもお年頃だもの。気になる殿方がいるのかもしれないわ」
「なんだって!? アン姉様、トロワにはまだ早いよ!」
ドゥニーズがくわっとその目を見開いた。髪色こそ濃淡の違う三姉妹だけれど、瞳の色は仲良く三人揃って母親譲りの琥珀色。アンジェルがトロワーネを見れば、末妹は恥ずかしそうにその目を伏せていた。
姉の欲目かもしれないけれど、もじもじするトロワーネは小動物のように大変可愛らしい。
「トロワももう十六歳よ。そろそろ釣書の一枚や二枚、届き始める頃だわ」
「でも姉様!」
「だ、大丈夫ですドゥお姉さま! ドゥお姉さまのお相手が見つかるまで、私も婚約者なんていりませんから……!」
「うっ、可愛い妹から刺し殺された気分!」
実は悲しいことに、次女ドゥニーズの婚約破棄騒動があった影響か、末妹宛の縁談申し込みがとんと来ていなかったりする。
バラチエ伯爵家はイアサンの独断だと大慌てで詫び状を送ってきたものの、社交界は両家とも醜聞まみれ。父は暗雲立ち込めた娘たちの結婚に頭を悩ませている。だからこそ、末妹の恋は応援したいのだけれど。
「我が家は男運が本当に悪いから、トロワのお相手に不安があるのも事実なのよね……」
「アンお姉さまに言われたくないです。お義兄さまとはどうなんですか。未だにご挨拶に来てくれないではありませんか」
「そうだよ。社交シーズンですら姉様のエスコートすっぽかしたじゃん」
アンジェルは婚約破棄された次女とお見合い話が一切こない三女から手のひらを返されて、思わず遠い目になる。
イーストハーヴ家に生まれる女性は本当に男運が悪いとしか言いようがない。妹たちが言うように、本当ならひと月前の舞踏会でアンジェルは夫にエスコートされているはずだった。
実はアンジェル、まだ夫の顔を見たことがない。
婚姻は結んでいるけれど結婚式もまだだから、アンジェルが結婚をしている事実を知っている人はごくごく親しい人たちだけだった。
「いくら恥ずかしがり屋だって言っても、限度があるだろう」
「アンお姉さまはもっと怒って良いと思います!」
息巻く妹たちにアンジェルが笑っていると、ふいに頭上が陰った。ひと際強く風が吹き、マンドラゴラ畑の端に大きな巨躯が降り立つ。
アメジストの瞳がきゅるりとアンジェルを見下ろした。その左目から頬にかけて大きな切り傷の痕。銀色の鱗が太陽の光を反射して宝石のように輝く。鋭い爪を地面にめり込ませ、大きな翼膜をたたみ、腹側にもある大きな傷を隠すようにそれはゆっくりと頭を伏せた。
「いらっしゃい。久しぶりね」
銀色の竜がゆっくりと瞬きをした。アンジェルはその鼻先を優しく撫でてやる。気持ちよさそうに目を細めた竜に、ドゥニーズとトロワーネも近寄ってきた。
「ご無沙汰じゃないか」
「久しぶりです!」
この竜は三年前、マンドラゴラ畑で怪我をしていたのをアンジェルが手当てした竜だ。以来、すっかりアンジェルに懐いてしまったようで、こうして時折やってくる。
野良の竜の取り扱いは大変面倒くさい。亜人族協定により竜に対するあれそれはすべからく竜人族の許可が必要だからだ。アンジェルと竜人族の夫エヴァリストの婚姻は、この亜人族協定を理由にエヴァリスト側から国を通して進められたもの。だというのに実情としては、夫婦生活のふの字もない白い結婚だった。
アンジェルも貴族の娘なので政略結婚であるのは承知しているし、エヴァリスト側も言い分があるようなので割り切っている。自分がこんななので、ドゥニーズとトロワーネの縁談はぜひ良いものを……と思っていた矢先に、次女の婚約破棄騒動。
イーストハーヴ家に円満な縁談はほど遠いらしい。
「そのうち、姉様が竜と結婚したとか言われそう」
「私は別に、それでも構わないわ」
「構いましょうよ! トロワはアンお姉さまのウェディングドレスがみたいのです」
「そうだそうだー」
ぷんすかと頬を膨らませるトロワーネを援護するようにやいやいとドゥニーズが囃し立てる。アンジェルは苦笑して収穫したマンドラゴラの土を丁寧にはらうと、竜に与えた。
「さぁどうぞ。お腹すいたでしょう」
「ぐるぅ……」
竜はこころなしかしょんぼりしているように見えた。しょんぼりしながらも、大きな口をもごもごさせてマンドラゴラを咀嚼している。
「そういえば舞踏会の日に途中で竜が来ていたわ。その竜がまだ捕まっていないそうなの。一瞬だけ見えたのだけれど、あなたにそっくりだったわ。もしかして……」
「んぐるっ!?」
「ふふ。危ないことはしないようにね。怖い人たちに捕まっちゃうから」
「ぐるるぅ……」
竜が喉を鳴らしてついついとアンジェルをつつく。大きな鼻がアンジェルの胸に当たってちょっとよろめいたのを、すかさずドゥニーズが支えた。
「ちょっとこのエロ竜。セクハラだぞ、それ」
「ぐるるっ」
「ドゥ、ありがとう。怪我はないから大丈夫。それに甘えてくれるんだもの。可愛いわ」
「そうやってアンお姉さまが甘やかすから、竜が居着いちゃうんです!」
息巻くトロワーネに、アンジェルはおいでおいでと手招く。末妹が抱きついてきたので、さっき竜にしたのと同じようによしよしと頭を撫であげた。
「いいのよ。私はこの生活が気に入ってるから」
「もう、お姉さまったら」
「あはは! そういうところが姉様らしいけど」
ドゥニーズが背中からアンジェルに抱きつく。大好きな姉妹にぎゅうぎゅうと抱きしめられて、今の自分は間違いなく幸せ者だとアンジェルは思った。




