第10話「重い思い」
エグズが退院したのは1ヶ月後だった。予定では2週間前後と言われていたが、伸びたのには理由があった。
「私の拳食らうのも慣れて来たな」
病院を出るとバルグボルグが嬉しそうにエグズの頭を撫でた。鼻にガーゼをした当の本人はブスっとした表情を浮かべる。
「なにその顔。もっと喜べ。竜の拳を数十発食らっても気絶しないんだぜ? 自慢してもバチは当たらねぇぞ」
「どうでもいいよ。はやくセントラルにいこう」
毎日毎日固定されたベッドの上で顔面やら腹やら殴られ続けたのだ。傷を自分で治すよう簡単な回復魔法まで覚えさせられた。
「怒んなよ。お前が毎日強くなるって言ったんじゃねぇか」
「貴重な回復魔法を教えてくれてありがとう」
「ございます、な。立場的に私はお前の師匠だからよ」
横暴な女はエグズの肩を抱いた。
2人はセントラルに向かった。退院前日、見舞いに来たオルクトはオーナーであるジゼルにあって欲しいと言った。ようやく招待状の真意が聞けるようだ。
セントラルに着いて待っていたのは、オーナーであるジゼルの無情な一言だった。
「招待状なぞ、送った覚えはない」
酷く酒焼けしていた声だった。ジゼルは危なげな足元を支える杖のグリップに両手を置く。
「小僧。お主が持ってきた招待状は、儂が書いたものではない」
ジゼルはオルクトが管理していた封筒を掲げた。
「すぐに偽物だと判断できんかったのか、オルクト」
「悪かったって、じいちゃん」
「バカモンが。神意などと儂が書くと本気で思ったのか? 神なぞおらん。くだらない偶像に縋るほど落ちぶれてはおらんわい」
不機嫌そうに鼻を鳴らした。骨と皮ばかりの体。気難しい顔には傷痕が複数ある。痛々しい見た目の老骨だが、傭兵管理施設の長たる厳格な雰囲気は身に纏っている。
「となると、偽造書ってわけだ」
テーブルに座っていたバルグボルグは足をブラブラと動かしながら言った。
「小僧。お主がガーディアンとして働くには試験を合格しなければならない。試験は年に2回。次の試験は半年後だ。ガーディアンになりたければ腕を磨くがよい」
「はい。ありがとうございます、ジゼルオーナー」
エグズは深々と頭を下げる。偽造書を持ってきたとして出禁になってもおかしくなかったからだ。
ジゼルが面食らったようになる。
「年は、10だったか? オルクトなぞそのときは洟垂れ小僧だったのに。お主は立派だの。辛いことだらけだろうが、精進するがよい」
「ジジイ。ついでに相談だ。エグズは住む家がない。ガーディアンの試験日まで預かってくれよ」
「竜の娘。お主は阿呆か? こちらの利益にならん若造を養う気はない」
バルグボルグが声を荒げた。
「ガキが野垂れ死んでもいいのか?」
「お主の弟子になったのだろう? 偉大な竜であれば子供ひとりくらい面倒みろ」
「ふざけ────」
「これ以上ごねるなら、このセントラルの利用を禁止するぞ。小僧にも試験を受けさせん」
「んだとこのジジイ! 残りの寿命燃やすぞ!」
バルグボルグは柳眉を逆立てたが、ジゼルは眉一つ動かさない。
エグズが両者の間に割って入る。
「ジゼルさん。ありがとうございます。必ず強くなって、あなたを驚かせてみせます」
強がりではなく信念のある態度に、老骨は顔の皺を歪めた。
セントラルを出るとバルグボルグの客舎に向かった。この国で一番大きなホテルだ。10階の角部屋に入るまでの間、ずっとバルグボルグは不機嫌だった。雪に塗れた体を拭こうともせずキングサイズのベッドに大の字に倒れ込む。
「あ~! ムカつくぜあのジジイ。エグズ、お前絶対合格しろよ」
「もちろん。とりあえず、僕は何をすれば?」
「そうだな……退院したから聞こうか。お前スキルはいくつ使える? 攻撃系の魔法は? 持ってるならここで見せろ」
スキルとは武器を用いた際に使う特殊技能のことだ。種類は武器ごとに千差万別。向き不向きはあれど修行を積めば誰もがそれを覚えられる。
魔法に関しては体内の魔力量と、大気中魔力を含めた全魔力の操作技術が問われるため才能が大きく関係している。そのため高ランクでも下級魔術しか覚えられないガーディアンも大勢いる。
「ゼロです」
エグズは頭を振った。当然である。今まで武器を持ったことなど一度しかないのだから。
「ゼロかぁ。やる気ねぇの? お前」
「だってガーディアンになってから教えてくれるのかと思って────」
その時だった。急に頭痛がエグズを襲った。地面が急に頼りない物に代わり、足がふらつく。
「おい。どうした」
フラフラとした足取りでバルグボルグに近づき、エグズは倒れ込んだ。
「あぁ!? おい!! 何してんだクソガキ!」
引き離すと、エグズは寝息を立てていた。顔が赤く呼吸が浅い。疑問に思いながら額と額を合わせる。
「あ、意味ねぇわ」
ドラゴンの体温は高いため人間の体温が判断できない。目に魔力を流し体温を確認する。
「体温は正常。心拍数はちょっと早い……ん?」
目を見開く。バルグボルグの目にはエグズの心技体基礎数値が数値と文字で開示されていた。
ほとんど低く人間の子供らしい数値。だが魔力量だけは違った。
「増幅してる?」
上昇速度は緩やかだが、現状も常に増幅している。
しばらく見つめているとそれが止まった。数値は3200と出ている。その数値は中堅ガーディアンと同じ程度の数値だった。
バルグボルグは気持ちが高揚した。
「毎日強くなるか。まぁ今日くらいは大目に見てやる」
エグズを引き離し、湯を浴びるため浴室へ向かった。
エグズが目を覚ましたのはそれから数時間後だった。空腹によって引き起こされた、自分の腹の音で起きたのだ。
目を開けると黒が飛び込んできた。顔には柔らかい何かが当たっている。暖かく、心地いい。
「ん……?」
エグズは視線を動かし、固まった。
バルグボルグの胸元に顔を埋めている事に気づく。
そして彼女が自分を抱きしめていることに気づく。
さらに彼女が上裸でシーツ1枚しか纏っていないことに気づく。
「ちょ、え、うそっ、うわぁ!」
視線を下に動かすと生足が映った。いわゆる相手は全裸状態というものだった。
「え、ちょ、待って。駄目でしょこれ! ば、バルグボルグ、さん! 起きて! バルグボルグさん!」
「ん~?」
バルグボルグがニヤニヤと口許を歪め、力を込めた。エグズの顔が大きな胸に挟まる。
「んー! んー!!」
恥ずかしさと興奮でエグズがジタバタと暴れる。
「お前存外変態だな」
冷ややかな声が聞こえた瞬間、バルグボルグの姿が消えた。ベッドに取り残されたエグズは慌てて周囲を見渡す。
バスローブを羽織るバルグボルグが椅子に座ってアイスを食べている光景は目に入る。
「人間の男って、10歳くらいでそういうのに興味湧くのか?」
「な、何をしたんですか!」
「退院祝い。いい夢見てもらおうと思ってな。魔法でお前の頭と心にある、嬉しくなりそうな物をピックアップしてランダムで夢を作った。現実感を味わえるよう実体のある幻も作ってな。ここまで言えばわかるか?」
エグズは瞠目し、数秒後、顔を真っ赤にしてシーツにくるまった。
「言ってやろうか?」
「言わないでください!!」
「嬉しそうに私の胸揉んで────」
エグズは枕を掴み相手に投げた。ヒョイと避けたバルグボルグは笑い声を上げた。
今この状況こそがエグズにとっては悪夢そのものだった。エグズはシーツにくるまり相手の笑い声を一身に受けながら夜を乗り越えた。
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セントラル内に、甲高い金属音が飛び込む。
「バルグボルグ」
「なんだよ」
爪を研ぎ続けているバルグボルグに対し、ジゼルが窓に向けて顎を動かした。
「このままだとあのガキ死ぬぞ」
外では吹雪の中、エグズが木人相手に剣を振っている。真剣だが防御魔法で強化された木人に攻撃が弾かれ続けている。
「毎日強くなるって豪語したからな。今日は木人に傷をちょっとでも付けたら合格にしてる」
「無理だ」
ジゼルが眉間に皺を寄せる。
「あの防御魔法はランク・サファイア……それなりの経験を積んだガーディアンでようやく砕ける。傷をつけるなど、あの子には早すぎる。退院してからひと月しか経ってないだろう」
「ジジイの目はガラス玉だな」
「なに?」
バルグボルグが不敵に微笑む。
「あいつは大切な物を奪われてんだ」
激しい風を切り裂く、ガラスが割れるような音が室内に届く。
「本気の復讐を誓う奴が木の人形如きに負けるかよ」
セントラル内に、エグズの喜びの声が飛び込んできたのはその数秒後だった。




