07 お泊り その2
翌日、夕方。
ヒガをいつもの駅前で待つ。
ほぼ同時に到着する。
「じゃあ、さっそく行こうか」
「うん」
「なんか、家に連れてくるって言ったら、母親が夕食作るって張り切ってる」
はい、お母さんがいること確定です。
事前の妄想、全部意味なし。
バスに揺られること20分。
ヒガが停車のボタンを押し、下車する。
そこは高層マンションがいくつも立ち並んでいる所だった。
「ここの15階」
「ひええ、高いマンションですね」
高層マンションの一つをヒガは指し、慣れた手つきで玄関のロックを解除する。
高級感あふれるロビーを抜け、エレベーターに乗って、ヒガの家まで向かう。
「なんか、緊張してない?」
「してますよそりゃあ。お土産とかこれでよかったんですかね」
「大丈夫、うちの母親、甘いものならなんでも好きだから」
「はあ」
玄関を開ける。
「ただいまー」
「お、おじゃまします」
「おかえりー」と声を出しながら、玄関へと向かってくる足音。
「お、連れてきたな、可愛い子を」
「いえ、とんでもないです」
「どうも、ヒガの母親です」
「渡辺優香です。今日はよろしくお願いします」
ヒガのお母さんは、スーツにエプロンというミスマッチな格好をしていた。
ゴールデンウィークなのに仕事だったのか。
髪やメイクなどには無駄がなく、仕事のできる女性という印象を抱いた。
こういう人が学校で授業をしてくれれば、勉強する気になるんだけどな。
「これ、よかったらご家族でどうぞ」
「え、これ駅前にある人気店の和菓子じゃない。ありがとうね」
お土産の袋をみるや、大喜びのヒガママ。
喜んでもらえてよかった。
ヒガママは、ヒガの方を見る。
「へえ、マモルもこういう子が良いって気づいたのね」
「なんだよ」
「今まで彼女なんて紹介したことなかったじゃん」
「そうだっけ?」
「あらー? 彼女の前だからってカッコつけてんの? マモルって、小学生の時にね……」
「いいから、早くユウカを家に上げてやろうぜ。まだ玄関だろ」
ヒガがペースを握られているところを始めてみた。
やはり母は強しである。
夕食である。
ロールキャベツ。
めちゃくちゃ美味い。なんだこれ。お店で食べるレベルだそこれ。
「すごく、おいしいです」
率直に感想をいう。実際にそうだし。
「ありがとね、で、マモルはどう?おいしい?」
うなづくだけのヒガ。
さっきからずっとペースを握られている。
一応断っておくが、このような状況になることはヒガも想定してたはずなので、自業自得である。
私に紳士ぶりをアピールするために、苦行を強いられることになるとはね。
「で、さっそく聞いてもいい? マモルとユウカちゃんのことについて」
「はい」
ヒガママは、興味津々であることを全く隠す素振りがない。
「まず、二人の関係だけど」
「ええと、私はヒガ、……マモルのガールフレンドです」
嘘はついていない。
普段は単なる友達だけど、イチャイチャする時は恋人になるフレンドだから、嘘はついてない。
「いやー、なんか初々しい感じが堪らないわ。自分の高校時代が懐かしいわ。まさに、青春ね」
「そうですね」
客観的に見ればそうなるよね。
初々しいカップみたいだって思うよね。
改めて他人から言われると恥ずかしい。
「付き合ってからはどれくらい経つの?」
「4月からなので、一ヶ月ですね」
「どっちから告白したの?」
「それは」
ヒガの方に目線を向ける。
「へー」
「なんだよ」
「なんて言って告白したのよ」
「別に、普通だよ」
「普通って何よ」
その時、お風呂が沸いたことを伝えるアナウンスが流れる。
「風呂湧いたから、入ってくるわ」
「先にユウカちゃんに入ってもらえばいいわ。ごめんね、そういうことだから、先に入っちゃって」
「わかりました。では、お先に入らせてもらいます」
私としても、ヒガママの質問攻めには耐えられなかったので、この空間から脱出させてもらう。
自分の家よりも2倍ほど広いお風呂を堪能して、浴室をでる。
「わっ」
目の前にヒガがいたのだ。びっくりである。
「早くしろ。質問地獄だったんだから」
相当、質問攻めされ続けていたようで、ヒガには疲労困憊の表情がうかがえた。
ヒガが私をじっと見つめる。
しばしの沈黙。
「なんですか」
「いや、パジャマだなって、髪型もいつもと違うし」
「変?」
「……風呂に入るからどいてくれ。母親から解放させてくれ」
ヒガが浴室に入るのを見届けると、ヒガママが現れる。
「私が髪乾かしてあげるよ」
「いえ、そんな」
「いいから、いいから。一回やってみたかったのよ。娘の髪を乾かすみたいなの」
「そうですか」
ドライヤーで髪を乾かしてもらう。丁寧な触り方で、気持ちいい。
「あの」
「何?」
「私の服とかって変じゃないですか」
「どうして? あっ、マモルになんか言われたでしょ」
「いえ、むしろ何も言われなかったと言いますか」
パジャマを着ているという、当たり前の事実を言われただけである。
「そりゃあ、照れてるんでしょ」
「そうですかね」
「そうそう」
ヒガが私に照れる?
そんなことあるのか。私ばっかりドキドキしている気がして申し訳ないと思っているくらいなのに。
「いやー、ユウカちゃんみたいな子が、マモルの彼女になってくれてうれしいわ」
「そんな。私だってマモルみたいな、か、かっこいい人と一緒にいれてうれしいです」
「マモルって、何考えてるかわからないでしょ」
「ときどき」
「なんの断りもなしに、家に帰ってこなくて、帰ってきて事情を聞いても友達の家に泊まっただけって言うわけ。てっきり、女遊びでもしているのかと思ってたわ」
ヒガママ。それは図星です。
もちろん私の口から言えるわけがないのだが。
「だから、うれしい」
ただイチャイチャするだけの身勝手な関係でしかない、私とヒガ。
罪悪感が芽生えてしまう。
申し訳ないな。
で、ヒガがお風呂から出た後、ヒガママもお風呂に入り私たちは、久しぶりに二人になる。
「中々な母親だろ」
「うん」
「風呂から出てきたら、また根掘り葉掘り聞かれるぞ」
「そうなるよね」
その予想通り、ヒガママが風呂から出てきてから、終始私たちの関係についていろいろと話すことになるのだった。
ヒガママによる質問攻めから解放されて、クタクタになった私とヒガは寝ることにした。
「私はどこで寝れば」
「ああ、今からリビングに布団敷くからちょっと待ってね」
「どうしてだよ。俺の部屋にベットあるだろ」
「そんなの何するかわかったもんじゃないでしょ。リビングならマモルが悪いことしようとしたらすぐにかけつけられるし」
「信用されてないな俺」
普段の行いじゃないですか。
女の勘というやつが働いてるらしい。
で、ヒガママは自分の寝室に入り、私たちは敷かれた布団とともに残された。
「じゃあ寝るか」
「そうだね」
布団に入り、寝る準備は万端である。
だが問題は、眠ることができるかであるが。
「電気消すぞ」
ピッ
途端に部屋が暗闇に包まれる。
視界が全く効かなくなる。
ヒガが布団に入る音がした後、世界から音も消失する。
だがその世界はヒガによって破られる。
「なあ」
「どうしたの?」
「ハグしたい」
「何言ってんですか!? 叫んでお母さん呼びますよ」
「呼べるもんなら呼んでみな」
ヒガは私にハグをする。
ただヒガの感触だけが私を支配する。
「呼ぶ?」
「呼びません。わかって言ってるでしょ」
「そうだよ」
「……ばーか」
「はいはい」
暗闇の中、ヒガのぬくもりが私に主張し続ける。
それにヒガの匂いもする。
「マモルって、いい匂いがします」
「そうなのか。自分だと気づかないな」
「とっても、落ち着く匂いです」
「……それなら、どうしてドキドキしてるの?」
「それは、聞かなくてもわかるでしょ」
「えー? わかんないなぁ」
「もう……知らない」
無視である。
何を言ってもこっちがドキドキするような答えしか返ってこない。
だから、無言を貫く。
お互いの息遣いだけが聞こえる。
私はハグされている状況に慣れるどころか、時間が過ぎるほど恥ずかしくなる。
なぜなら、眼が慣れてきてしまったがために、視覚でもこの状況を確認することができるようになってきたからだ。
近い近い近い。
近すぎるよ。
「どうした?」
「もうそろそろ、いいんじゃないでしょうか」
「もうちょっと」
ヒガが私の体をさらに引き寄せる。
ヒガの心臓の音がダイレクトに聞こえてくる。
「ダメです。ヒガを見ながらハグなんてできません」
私はヒガの支配から逃れる。
そして、そっぽを向いてヒガを視界に入れないようにする。
しかし、
「ひゃあぁ。なんで後ろからハグしてくるんですか」
「見えなきゃいいんでしょ」
「そうだけど、そうじゃないんです」
普通のハグもダメだし、バックハグなんてもっとダメなのである。
どうしよう。このままだと、一睡もできないで朝を迎えることになってしまう。
その事態を避けるために、私は妥協案を提示した。
ヒガの方に顔を向け、口元に人差し指を立てる。
意味は二つ。
一つ目の意味は、もう寝るからイチャイチャしないで。
そして、二つ目の意味は、手を繋ぐのだったらいいよ。
これら二つの意味を理解したヒガは自分の布団に戻り、手だけを私の布団に差し出す。
私はその手を握り、目を閉じることにした。
安心したのか。
それとも、ヒガママの質問攻めやハグのやりとりで、心身ともに疲弊していたのか。
とにかく、いつの間にか眠っていた。
翌朝。
目が覚める。
視線の先には、ニヤニヤしながら私とヒガを眺めるヒガママ。
「おはようございます」
「おはよう、ユウカちゃん。そうよね、手を繋ぎながら寝るくらい、何もしてないに入るもんね」
「はっ」
瞬間、寝ぼけていた脳が一気に覚醒する。
あわてて、手を振りほどき、ヒガを起こす。
「いいのよ、それくらいなら。カップルなんだし」
「これには事情がありまして」
ハグしたままだと寝れないから、仕方なくしただけのことでして。
勘違いしたまま、ヒガママは朝食の準備の続きをする。
で、朝食をいただき、帰宅することにした。
ヒガ成分は昨日十分にいただいため、今日は妄想する気力がない。
「また来てね、ユウカちゃん」
ヒガママが私に言う。
「はい、機会があればぜひ」
「ちょっと」
「はい?」
ヒガママは私に耳打ちをする。
「本当は、マモルの彼女じゃないでしょ」
「えっ」
「わかるのよ。だって、あの子の母親よ。私だって学生時代には色々あったから」
やはり母は強しである。すべてをお見通しってわけである。
「ただ、ユウカちゃん自身は、ちょっと違うみたいね」
「そんなわけ」
そんなわけない。私がヒガのことを好きになるはずなんてない。
あくまで、私たちはフレンドである。
セフレがいる奴を好きになるはずがない。
玄関先で待っていたヒガ。
「駅まで送るよ」
「ありがと」
で、駅まで到着。
「色々あったけど、楽しかったよ」
「ああ、俺も」
「うん」
別れるタイミングが中々見つからない。
どうしたものか。
「あの」
私は手でピースサインをする。
「こういうのはどうでしょうか?」
「ええと、どういう」
「レベル2をしてもいいよってサイン、なんですけど」
「なるほど」
ヒガは、私のもとに駆け寄り、ハグをする。
また新しいルールを私たちは制定する。
「じゃ、また」
「うん、バイバイ」
いつか、人差し指を立てることも、ピースサインをすることもなしに、自然と手を繋いだりハグしたりできる日が来るのだろうか。
でもしばらくは、二人だけの秘密のサインを楽しむことにする。