04 下校
部室で手を繋ぐ日々が始まり、もう一週間である。
なんとか手を繋ぐという行為には慣れてきたものの、密室で二人きりの状況には未だに緊張する。
チャイムが鳴る。
私たちが、恋人から友達に戻る合図。
昨日まではそうだったはずなのだが……。
「よし、一緒に帰るか」
「どうしてそうなるんですか」
「フレンドだから?」
理由はそれだけである。
こうして、私はヒガと一緒に下校することになった。
下校である。
手は繋いでいない。繋げるわけがない。
ちょうど帰宅部として帰る人と部活終わりで帰る人たちの間の時間帯であるものの、それでも何人かの生徒がいる。
「じゃあ」
ヒガは、おもむろに手を伸ばしてくる。
「なんでそうなるんですか。言ったでしょ。うちの生徒が誰もいなくなってからだって」
私が出した最大限の譲歩である。
そもそも一緒に帰ること自体、緊張ものであるのだ。
思い出されるのは、中学1年生である。例の一言もしゃべらずに帰ったあの日々である。
今のところは、ヒガが積極的に話しかけてくれているおかげで沈黙に陥らずに済んでいるが、私の一方的な羞恥心からその会話が発展する兆しは見えない。
大抵のラブコメの場合、こういった時間は「たわいもない話をした」であったり、ちょっとしたハプニングがおきたり、なぜか捨て犬がいて、つい可愛がってしまうみたいな展開が用意されているのである。もちろん、私が描く妄想においても例外ではない。
だがしかし、ここは現実。そういった展開が待っているわけでもなく、ただただ道を歩いているのである。
そうこうしていると、バス停に到着する。
私が電車通学なのに対して、ヒガはバス通学である。
幸い、バス停が駅前であるため、片方が遠回りをするようなことはなかった。
バス停の電子掲示板には、10分後にヒガが乗るバスが来ると表示されている。
そして、バスに並んでいる人の中には、うちの生徒もいた。
ヒガが私の方をちらりと見る。「いつになったら手を繋ぐのだ」というサインである。
「無理に決まってるじゃないですか」
「だって、知り合いの生徒じゃないんだから問題ないだろ」
「そういうことじゃないんです。噂の広がり方をなめたらダメですよ」
「はあ」
ヒガは納得していない表情を浮かべながら、私の意見をしぶしぶ受け入れる。
「というより、ここまで本格的にやる必要ってあるんですか」
「何をいまさら。手を繋ぐだけで緊張しているようじゃ、いつまでたってもイチャイチャできないでしょ」
「ちょっと、声が大きい」
「じゃあ、どうしろと」
声を出さずに会話をするには、そうだ!
「連絡先を交換しましょう。それでお互いにメッセージ上で会話を送り合うんです」
「面倒くさくない? 隣にいるのに」
「じゃあ、手つないであーげない」
「ま、どっちみち連絡先を知っておくにこしたことはないか」
連絡先を交換する。
早速ライン上で会話を始める。
『よろしくお願いします』
『こちらこそ』
『やっぱり、私としてはこっちの方が楽に会話できそうです』
『そうか、とりあえず今日のところはこれでいいけど』
『なに話します?』
『藪から棒だな。てか、手を繋ぎたいだけなんだけど』
『恥ずかしいって、言ってるじゃないですか』
『何で。部室で一時間くらいずっと握ってたでしょ』
『何というか、継続する分にはいいんですよ。手を繋ぐ瞬間が一番緊張するの。それに、他の生徒いるし』
『えー』
『手を繋いでもいいかって聞くの、どれだけ緊張すると思っているんですか』
『別に、お互いになんとなく察し合ってすれば、いちいち許可しなくてもできるものでは?』
『できません、ヒガみたいな考えじゃない人もいるんです』
『じゃあ、何かしらのサインでも作るか?。これをした時は手を繋ぐ合図、みたいな』
『いい提案ですね。なるべく簡単でかつ、周りの人には気付かれにくいものがいいです』
ポンポンと肩を叩かれる。
急に叩かれてびっくりする。
「ちょっと、何……」
ヒガは人差し指を唇にあて、静かにするように促すポーズをする。
『どういう意味?』
『手つなぎってレベル1だから、人差し指を立てる。これなら周りの人にも気づかれることないでしょ』
『採用します』
私は再びヒガを見る。うちの生徒はついさっき来たバスに乗車したらしい。
人差し指を立てる。
ヒガもまた同様に人差し指を立てる。
両者の合意がここに確認され、手を繋ぐ。
『恥ずい』
『慣れろ』
『無茶言わないでよ。てか、こっち見んな』
ヒガの視線が目の端からでも感じられる。
『可愛い』
思わず送信主の顔を見る。ニヤニヤしやがって。むかつく
『そうやって、すぐ照れるところがカワイーなぁ』
『バカにしやがって。バーカ』
バカを連投する。
『ラインでこんなに会話できるなら、普通に会話できそうなもんだけどな』
『ラインと実際に話すとじゃ全然違うでしょ』
『そうかな』
『そうだよ。今日はずっとこのまま』
『わかったよ。そのかわり、今日はずっとこのまま話さない?』
『というと?』
『だから、俺がバスに乗って家に帰ってからも、話したいなって意味』
『面白くないですよ。私なんかの話は』
『話したいだけだから、問題なし』
バスが到着し、ヒガと繋いでいた手を放す。
「バイバイ」
「一旦な、バイバイ」
手は離れてしまったが、ラインでは繋がったままである。
なんだか落ち着かない。
私は電車に向かう。
電車内でも色々と会話をし、家に帰宅後も、食事やお風呂の時間以外は大抵ラインで会話をしていた。
自分でも驚くほど会話ができたのは発見であった。
『そろそろ今日が終わるね』
『そうだな』
あと10分ほどで今日が終わる。
『最後にお願い聞いてもらってもいい?』
『何?』
『電話してもいいか』
『……いいよ』
私も声が聴きたかったから。なんて言葉は送れない。
よかった隣にいなくて。いたらニヤニヤされるに決まっているのだから。
ラインに既読が入って10秒もしないうちに着信音が鳴り響く。
「もしもし」
「もしもし」
「今日連絡先を交換したとは思えないほどログがたまってるだけど」
「ね、おかしいよね」
「だな。で、レベル1の手つなぎの方はどうよ。慣れた?」
「そりゃあもちろん」
「じゃあ、放課後は校門のところから繋げるよな」
「それとこれとは話が違います」
「ええー」
「ええー、じゃないです。いいですか、この関係は他の人にバレちゃダメなんです」
「なんで」
「好きでもない人と手を繋ぐのは普通じゃないからですよ。ハルにどう説明すればいいんですか」
「そんなもんか」
「だから、今日みたいに、同じ生徒がいない時なら、いつでもどうぞ」
なんやかんやで心を許している自分がいる。
こうやってしゃべっているのも楽しい。
これが面と向かってできたらいいんだけどな。そこは練習あるのみか。
「そろそろ今日が終わるから切ろうか」
「そうだね」
「じゃあ、また明日」
「明日? 明日は休みだよ」
「知ってる。明日の午後1時に駅前で、バイバーイ」
「ちょ、待って」
ツーツー
スマホの画面には、通話終了の表示がされている。
ええと、これは要するに、明日はデートってこと!?
このあといくらラインをしても電話をかけても、ヒガが応じることはなかった。
最後に「バカ」とだけ送り、明日に供えて眠ることにした。
……眠れるわけがない。私にとって人生で初めてのデートなのだから。