目の前の
三題噺もどき―ひゃくごじゅうろく。
お題:薄暮・仔猫・空き箱
「……」
空が、橙に染まりつつある。
遠くではまだ、セミが元気よく鳴いている。日中の日差しとは違い、比較的柔らかな陽が肌を刺す。それでも、さすが夏というか。チクチクと、時折痛みに襲われる。
「……」
今は、1人で、道を歩いている。
家の周辺を。気の向くままに、散歩している。特に何かしらの用事があるわけもなく、ただ漠然と、目的もなく。
なんとなく、歩みを進め、逃げるように。
1人、遠くへ行こうと。
「……」
今朝、ある有名な人が亡くなったというニュースが、日本中を走った。走り回って、駆け巡っていった。それなりの人が目の前にいるなかで、倒れたそうで。今のご時世、統制が敷かれる前に、情報は流れる。映像も写真も、言葉も、嘘も真も。
「……」
そういう私も、毎日SNSなんかは利用するし、目にしている。
だから、嫌でも、その情報は、目に入ってきた。飛び込んできた。
普段、SNSを使う目的なんて、たかが知れている。ゲームの事とか、イベントの事とか、そういう興味のある事だけ。今の日本情勢とか、世界情勢とか、全く興味がない。だから、調べもしないし、見もしない。
今の社会で、珍しいと言われるかもしれないが、案外そんなもんだろうと、思うのだ。誰だって、見たくないモノは見たくないし、興味のないものはどうでもいいだろう。
―だから、そのニュースを知ったのだって、それなりに時間がたってからだった。かもしれない。正確な時間なんて知らない。
なんとなく開いたSNSで、知らないうちになんだか不穏な空気が流れていて。ざわざわして。なんだろうと、覗いたのがよくなかった。
「……」
そこから、滝のように、荒れ狂う海のように、それがどっと押し寄せてきた。
見たくもない情報を、映像を、写真を、言葉を。正しいのか、間違っているのかもわからないような、情報が。一斉に、攻め入ってきた。
「……」
ケータイを閉じようにも、テレビからは同じものが流れてくる。ラジオも同じ。人々の会話もそれで持ち切り。
「……」
それを見て、聞いているだけ。それだけなのに、なぜか、私の息は詰まった。
キュウと、喉を絞められ、何もかもを遮断したくなった、見たくなくなった。
音楽でも聴こうかと思ったけれど、なんだかケータイを触ること自体が嫌になった。通知が来たら音楽は途切れる。それが何の知らせなのか、嫌な想像をしてしまいそうで。
イヤホンをつけて、音をすべてシャットダウンしてしまおうかとも、思った。
「……」
けれど。音が聞こえなくたって、目は動いている。人の会話は聞こえてしまう。大音量で聞こうにも、私はそもそも、それ自体が苦手だったのを思い出した。頭が痛くなるのだ。―だから、それも使えない。テレビはその話題で持ち切り。見たくもない映像を、延々と流し続けている。
視界に入れなければいいと思うだろうが、それができれば苦労しない。
それができないから、気になってしまうから、私は、逃げてきたのだ。
他人にとっては、どうでもいいことも。気になるし、視界に入り込む。気にしなくてもいい事まで、気になる。例えば、店内の知らない客の会話とか、延々流れ続けるBGMとか―人が亡くなったニュースとか。
私の事じゃないと、分かっていても。私に直接関係はないと分かっていても。
「……」
それが、今日はいつもの倍以上襲ってきて。
いっぱいいっぱいになってしまって。息が詰まってしまって。
今こうして、1人歩いている。
「……」
どれだけそうして、歩いていたのかは、わからない。何せケータイを家に置いてきたから。
空を見上げると、日が没しつつある。
薄暮―というのだったか。黒の中に、橙が強く光る。暗闇でも、なお輝くその光が、やけに眩しく見える。
「……」
ふと、足を止めたのは、この近所の人がよく集まる小さな公園。
今では、遊具なんてものはなくて、きれいさっぱりしている。危険だか何だか知らないが、こうして、懐かしさの残っていたものが、失われていくのは、少々虚しい。何か一つでも残して置いたらよかったのになぁ、と、思わない事もない。
「……?」
その公園にある、小さな花壇。(この花壇こそレンガ造りで危ないと思うが…?)その横に、小さな箱が置かれていた。
ごみ―だろうか。空き箱なのか?だとしたら、既定の場所に捨てないと、この辺りを仕切っている口うるさいおばさんにどやされるぞ―?と、思いつつ、その箱を捨ててやろうと、近づく。
ゴソ……
「……?」
今、動いたか?―気のせいかと思い、恐る恐る、その箱に手を伸ばす。
中に蛇でもいたらどうしようと、思ったりもしたが。
「ぁ、ねこ…?」
「 」
小さな、仔猫が一匹。
身体が弱っているのか、ぐったりとしている。
か細く、呼吸だけはしていた。
小さな体が、上下している。
「―がんばれ」
よかった。
この小さな命に気づけて。
今日一日で、二つも命が亡くなってしまう所だった。
目の前に現れた、小さな。
この仔だけでも、助けられる。




