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エテルニタ歴九九三年 第十二の月 三十一日
朝日が西より登り、新しい一日の始まりを迎えようとしている。
空は薄く雲に覆われ、風は凍えそうなほどの冷気を纏い、大地には柔らかな雪が降り積もっている。
季節は冬真っ只中、今日も大陸中に吹雪が舞う。
この世界には、五つの大陸が存在する。東大陸、西大陸、北大陸、南大陸、そして中央大陸に分けられ、構成されている。
ここは、この世界で二番目に大きな南大陸だ。砂漠地帯のため、全体的に土地が痩せているが、所々にオアシスがあり、水にはあまり困ったことがない。そして、世界でも有数の大規模な鉱山がいくつか内陸部に存在する。
けれども、そこには大体遠い昔この地に根を下ろした先祖の子孫達しか訪れない。なぜなら、この大陸には魔獣という、体内に大量の魔力を有した凶悪な怪物の大群がいるからだ。一体で一国を滅ぼす戦闘力を持つものもいるとされているその獣達は、この大陸の中心部に行けば行くほど凶悪さを増していく。それが、大群で押し寄せて来るというのだから、これほど恐ろしいことはない。
よって、鉱山が存在する内陸部辺りを訪れるのは先住民達以外となると、余程の阿保か、己の力量を見誤った自殺志願者くらいだ。
その南大陸に先住民達が住む、一定の領土に居住する多数人から成る社会集団で統治権を有するもの、つまり国が存在する。それは、南大陸のちょうど真ん中くらいの場所にぽつんと一つだけある、アランチャ王国と呼ばれている国だ。小さな都市国家だが、別名悪の王国と呼ばれ人々に忌み嫌われ、恐怖と混沌の渦に突き落としている。
周りを砂漠に囲まれ、幾千もの間、大自然や魔獣と戦い、そして共存している一風変わった国でもある。
この南大陸以外では悪名高い魔獣も、同じくらい、いやそれ以上の悪名を持つアランチャ王国相手だとさすがに分が悪い。攻撃を繰り出しても返り討ちにあい、豊潤な魔力を効率よく摂取するために、この国ではよく食用となることが多い。
魔力とは、生きとし生けるものに宿っている力のことだ。人に、獣に、大地に、自然に、全ての物に多かれ少なかれ宿っている。その中でも魔獣は指折りの魔力を持っているため、ある種の天災のような扱いになっている。つまり、普通の人間に倒せる者ではないのだ。それなのに、アランチャ王国では年から年中切った張ったをしながら、倒している。……そのことも、きっと、アランチャ王国の悪名を高める要因となっているのであろう。
魔獣を食べやすい大きさに捌き、火で炙ったり、日に干したり、この国の郷土料理のようなものになっている。
アランチャ王国は砂漠や外敵を阻むように壁で囲まれ、中心部には大きな宮殿がある。その宮殿は大理石で作られており、白く美しい立派なものだ。正面から見ると左右対称に見え、中央に一際大きなたまねぎ型のドームがあり、左右には小さなドームがぽつんとついている。
だがよく見ると、傷がついていたり、汚れていたりと破損が多く、長い歴史を感じさせる。
「行ってきまーす!!」
突如、宮殿の入り口にある巨大な門から一つの小さな人影が飛び出してきた。駆け足で門の下に広がる長い階段を下っていく。
子供特有の少し高めな声を響かせながら、その人影は宮殿のバルコニーの下に広がる中央広場にて踊るように真っ白な雪の上を駆ける。
漆黒を思わせる黒で塗りつぶしたかのような髪、琥珀石の如き大きな眼、端正な顔立ちで、頬は子供らしくふっくらとしている。眼はらんらんと輝き、口元には笑みが浮かんでいる。厚めの灰色の外套を羽織り、雪の上を動きやすいよう冬用の長靴を履きながら、くるりと回る。
「待ちなさぁぁあい! フィアンマぁあ!!」
門の上方から、女性の怒声が飛んだ。
子供──フィアンマはくるりと後ろを振り返り、怒声の主を見上げ、
「うげぇ」
とんでもなく嫌なものを見たかのような顔をする。
「うげぇ、とは何です! 母の顔を見て、うげぇとは!!」
「えっと、えへへへ」
女性──フィアンマの母、ステラは腰に手を当て、またもや大声を上げるが、フィアンマは視線を横へそらしながら頬をかき誤魔化した。
「こほんっ。いいですか、フィアンマ。明日、お前はもう齢十になるのです。ですから、我がアランチャ王国王家の血を引くものとして相応しい態度をとり、……」
長々と説教が続いていく。フィアンマは飽きてきたのか適当に相づちを打ちながら、めんどくさそうな顔をしている。
「……あのさ、母さま、説教長過ぎ。もっと簡潔に言って」
もう行かないといけないんだから、とひどく冷静にフィアンマはそう言う。
「母はお前が心配なのです! まだお前はたったの九歳だというのに、そんな危険なことなどしなくても良いのです!!」
首を左右に振りながら、凄まじい形相でそう叫んだ。女神もかくやの威厳である。
「うん。母さま、さっきと言ってること正反対だよ」
フィアンマは、とてもいい笑顔でそう述べた。長年母親のそんな姿を見慣れた息子としてはこのようなこと日常茶飯事なのである。
「ううっ」
図星を突かれた母が言葉を無くす。そして、哀しそうに顔をうなだれた。
「ごめんね、母さま。もう行かないと」
じゃあね、と別れの言葉を告げる。
その言葉を聞き、はっといたように、ステラは顔を上げた。
「フィアンマ、くれぐれも怪我だけはしないようにするのよ。それと、無事に、ここへ帰ってきなさい」
ここがお前の家なのだから、と静かにフィアンマに語りかけた。
「はぁい、ちゃんと無事に帰ってくるから、あんまり心配しなくても大丈夫だよ。ちゃんと『儀式』用の魔獣を狩ってくるし」
「それが心配なのです、フィアンマ。やはりわたくしもお前に」
「はいはい。駄目だよ、ステラ」
パンパンと手を叩く音を響かせながら、ステラの制止を告げる低い男の声が二人の耳に届いた。
声の方に視線を向け、
「サングエ様!」「父さま!」
同時に叫んだ。
ステラのわずか後方から歩み出てきた男──フィアンマの父、サングエが言葉を続けた。
「駄目じゃないか、ステラ。フィアンマの邪魔をするなんて」
「だって!」
「だってじゃないです」
「心配だったんだもの!!」
「僕も心配だけど、もうフィアンマも十歳になるんだから」
二人の口論が白熱する中、フィアンマは一人めんどくさそうにため息を吐いた。