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4. 井戸と死者の埋葬の間に

 井戸と死者の埋葬の間に、どのような因果関係があるのか、私にはわからない。

 大して土着信仰について詳しいわけではない私にわかるのは、現代の世界にも、資本主義や合理主義とは絶対に相いれない価値観が数多く存在しているということだ。

 奴隷狩りや宗教戦争から生き延びた人たちが命拾いした経験が世代を超えて語り継がれ、エピソードの中に登場する象徴的なものやことが信仰の対象になるというのは、なにも大昔に限ったことではない。

 そういう文脈において、6月の妹が事切れた末の弟を弔うために枯れ井戸を探したというのも、理解できないことではなかった。


「私たちが昔から繰り返し聞かされた話の中に、砂漠の中を生き延びた少年の訓話があります。

その話の中で、少年の双子の弟は、兄に生きるための道筋を示しながらも、道中で命を落としてしまうんです。

双子の弟の、偉大な事績を忘れないよう、双子の末裔である私たちの部族では、成人前の男の子が死んだら枯れ井戸で弔うようになりました。

そうすると、雨を呼べるんです。」


 私の出したホットミルクを、猫舌の子猫のようにちびちびと舐めながら、6月の妹は私に説明してくれる。

 その横に控えている4月の長男と5月の次兄は、真面目な顔をして黙ったまま、妹が話すのを聞いている。


「雨を呼べる?

それはつまり、雨乞いをするということ?」

「いえ、雨乞いではありません。

雨を乞う、施しを乞う、そんな低俗で、不確かなものではありません。

ただ、単純に、雨を呼ぶのです。」


 私の質問に帰ってきた6月の妹の返答は具体的なところを何も明らかにしてくれなかった。

 小さい頃から聞かされている昔話に、個々のエピソードのディテールを求めても仕方ないのかもしれないと思い、それ以上の詮索を避けるべきかどうか私が考えていると、彼女は訓話の詳細を、やたら詳しく説明してくれた。


「昔、ずっと遠い緑あふれる土地に、双子ばかりが生まれる一族がいました。

ここではないどこかの川のほとりの肥沃な土地を耕す、強くて優しい一族でした。

その一族は、その土地で何百年も平和に暮らしてきました。

ある日、川下からよそ者たちが現れて、肥沃な土地をその一族から奪いました。

その一族は何日も戦い、抵抗しましたが、よそ者たちの持つ鉄と血の力にかなわず、彼らは土地を捨てました。

肥沃な土地を奪われたその一族は高台を経由して、いつしか砂漠の中を逃げ惑うようになりました。

とうとう逃げる場所がない砂漠の果てまで追い詰められたところで、一族の大人たちは一人で歩けるすべての子どもに、散り散りになって逃げるように言いました。

子どもたちは双子でペアになり、夜の砂漠を野ネズミのように這い回り、逃げ出しました。

大人たちが武器を持ち、よそ者と戦い血を流すことで、子どもたちが逃げる時間が稼ぐことができました。

それでも、逃げ出したほとんどの双子は途中で疲れ切って倒れ、飢えと渇きで死んでいきました。

戦いが終わり、大人たちが殺された後は、よそ者は砂漠の中にいる子どもを探して命を奪いました。

ほんの一握りの双子たちは飢えと渇きと、それによそ者への恐怖と戦いながら、砂漠の中を彷徨いました。」


 息継ぎをするように、6月の妹はホットミルクを飲んだ。

 両脇の兄たちは相変わらず真面目な表情のまま、無言を貫いている。


「そうした一握りの双子たちの中に、目ざとい子がいました。

双子の弟の方が、ハタオリドリが北東の方角を行き来しているのに気が付きました。

二日ほど歩くと、砂漠の中に緑が混じるようになり、やがて双子は地面に転がっている野生のスイカを見つけました。

双子は大喜びしながら、スイカの皮を叩き割り、中の水分にしゃぶりついて、渇きを凌ぐことができました。

それから、双子はスイカを食べ繋ぎながら、東へ東へ進みました。

双子の歩いた後には、動物たちの食べ残したスイカとは似ても似つかない残骸が残りました。

よそ者の中にも目ざとい者がいて、『これは野ネズミどもの痕跡に違いない。』と言い出しました。

そのせいで、双子たちには追っ手が差し向けられることになりました。

スイカの残骸に気づいた目ざとい男とその仲間たちはスイカを追って、満月の夜にとうとう双子に追いつきました。

その夜、兄は疲れのせいか、微熱を出して寝込んでいました。

乾季の砂漠は冷えるので、兄が寒い思いをしないようにと、黒い布で何重にも体を覆ってあげました。

しばらくすると、兄が寝息を立て始めたので、弟は行先の見通しを考えようと、砂丘に昇りました。北東の方にずっとスイカの影がいくつも続いているのが、月の光のおかげでよく見えます。

これなら何とかなるかもしれないと弟が思った矢先、火が爆ぜる乾いた音が砂漠に響いて、鉄の塊が弟の首を貫きました。

砂の中に顔から倒れ込んで、砂が口の中に入るのですが、痛みのせいで、それほど気になりませんでした。

何とか体を仰向けにすると、首から肩口にかけて、血が噴き出しているのに気が付きました。

弟は、自分の血を見ながら、兄の無事を祈りました。」


 私がさっきから飲んでいるウイスキーのグラスが空になった。

 話を腰を折るようで申し訳なかったが、耳だけ6月の妹の方に向けながら、モンキーショルダーをグラスに注ぐ。

 少し量が多いかもしれないが、素面で聞く気になれない話はまだまだ続きそうなので、この際良しとする。


「幸運なことに、目ざといよそ者も、自分たちが追っているのが双子だとは思わなかったようです。

彼らは弟の体を検めることもなく、一仕事終えた風情で、げひた高笑いを上げながら元来た道へと戻っていきました。

兄は物音のせいで目を覚ましていましたが、よそ者の高笑いを聞きながら、恐ろしくて震えて、何もできませんでした。

やがて、砂漠に朝が来て、ある程度体調が良くなった双子の兄は立ち上がり、弟を探しました。

砂丘の上で、弟の亡骸を見つけた兄は、体の中の水分が失われるのも顧みず、涙を流して悲しみました。

そのまま、兄は小一時間ほど悲しみに暮れていましたが、やがてハタオリドリがたくさん集まってきて、弟の死骸の上をぐるぐると飛んで回り始めました。

兄は、弟が死んで鳥の餌になるのが忍びなくて、どこか鳥の目の届かない静かなところで休ませてやりたいと思いました。

砂丘の上に立って、どこかいい場所がないかと、祈るような気持ちで見回すと、少し離れたところに、砂の海に頼りなく浮かぶ島のような緑が目に入りました。

その真ん中には、釣瓶のようにしか見えない、明らかに人の作った井戸としか思えないものが見えました。

半信半疑のまま、兄は弟の体を引きずって、息を切らしながら這うようにそこまで移動しました。

その井戸が枯れ井戸で、すでに閉じられて何年も経っていることなど、思いもしませんでした。

兄は枯れ井戸まで辿り着くと、閉じられた井戸のふたを開けて、そこに水がないことにやっと気づきました。

すっかり喉が渇いていた兄は宛てが外れてがっかりしたものの、すぐに思い直し、それから少し迷い、それでも鳥に啄まれるよりはと心を決めて、弟の亡骸を枯れ井戸の中に投げ込みました。

血の匂いに誘われたハタオリドリが入りこめないように、ふたを元通りに閉じると、遠くで雷が鳴り始めました。

どうしたのだろうと、兄が空を見上げると、それまで井戸の回りを窺うようにぐるぐると飛んでいた鳥たちが急に踵を返して、南へと飛び去っていくのが見えました。

北の方には黒い雲がもくもくと立ち上がり、空は暗くなり、冷たく湿っぽい風が急に吹きはじめました。

井戸の中で安心して眠りについた双子の弟が、雨を呼んでくれたのです。」


 そこまで話すと、6月の妹はすっかり冷え切ってしまったミルクを飲み干し、ため息をついた。

 そして、付け合わせのピクルスについて話すかのようなトーンで、双子の兄が水であふれた枯れ川を辿り、どうにか東の土地にある、尻の塩湖へと逃げ延びることができたこと、そこからさらに北へ進み、山の縁と谷を縫い合わせる針と糸のように、右へ左へと曲がりくねった道を進んで、大きな滝を遡るように超えて、一族の安住の地となる場所に、とうとう辿り着いたことを語った。


「それが、どのくらい前の話なのかはわかりません。

それでも、私たちの一族ではずっと、村で子どもが死ぬと枯れ井戸に埋葬してきました。

そうすることで、乾季の間も飲み水に困らないようにと願い、そして実際に雨を呼ぶのです。」


 ようやく6月の妹の話がそこで一区切りになった。

 私はグラスを揺すって、中のウイスキーくるくると回しながら、よくわからないんだけど、と前置きして言った。


「よくわからないんだけど、その話を理解したうえで、あなたの言うお願いというのは一体何なんですか?

枯れ井戸で弟さんを弔った話については、私がどうこう言うことではないし、もちろん誰にも言うつもりもありませんが。」

「はい、マダム。

マダムから、この話を誰かに言ってほしいということは、私たちも思っておりません。

そういうことではないんです。」

「じゃあ、どういうこと何でしょう?」


 6月の妹は言いにくそうに眼を伏せた。

 それでも、彼女の唇は言葉を口にするのを止めなかった。


「実は、マダムと一緒に、弟の眠る枯れ井戸に行きたいのです。」

「私と一緒に?

そりゃまたどうして?」

「いくつか理由はあります。

まず第一に、マダムが井戸を掘る仕事をしておられること。

第二に、マダムは車で、短い時間で遠くまでいけること。

そして第三に、マダムに来てほしいと言っていること。」

「来てほしいって、それは誰が?」


 6月の妹は伏し目がちに視線を持ち上げて、私を見た。

 4月の長男はため息をついた。

 5月の次兄はその隣で、また水のグラスをきつく握っていた。

 私は6月の妹の目を見返した。

 またも酷く言いにくそうにしている彼女の目を縁取った睫毛が羨ましいくらいに長いのが目についた。


「弟です。」

「え?」

「弟が、マダムと一緒に来てほしいと言っているんです。」

「それは、今の話の流れからすると、あり得ないのでは?」

「そうなんですが、違うんです、マダム。」

「何が違うんですか?」

「そこにいるんです、弟が。」


 6月の妹は、私の隣の椅子を指差して言った。


「私がここに来てからずっと、弟はこの家にいて、マダムを連れて枯れ井戸へ来いと言い続けているんです。」



4話で終わりませんでした…

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