3. 6月の妹との雑談は
8月15日に書きかけのものが自動投稿されてしまっていました。
申し訳ありませんでした。
6月の妹との雑談は、日が経つ毎にすこしずつ長くなり、内容が込み入っていく。
彼女の兄たちとはそういうことがなかったために、私は少し困惑しながらも、同性同士の気軽な会話を楽しめるのが嬉しかった。
4月の長男は服装と同様に、できるだけ立ち振る舞いも執事然としたものに近づけたいと思っているらしく、必要な時以外、必要な物事の他に何も口にしなかった。
私のことを「マダム」と呼び出したのも彼だ。
そのせいで、職人気質なところがあるものの、割とカジュアルでフランクな5月の次兄までも私のことをマダムと呼び始めてしまい、今に至る。
4月の長男よりも5月の次兄、5月の次兄よりも6月の妹の方がよく喋るのは、年のせいなのか、性別のせいなのか、私にはよくわからない。
来月に彼女の弟が来ればはっきりするが、その年齢の子に身の回りの世話をさせることには抵抗がある。
「マダム、実はそれは違うんです。
家では兄たちはずっと話をしっぱなしで、ずっと話を聞いているのは私の方なんです。」
兄弟姉妹の間の性格について、何となく聞いてみた私の疑問に、6月の妹は、私のティーカップに紅茶を注ぎながら、やんわりと指摘をしてくれる。
「特に、次兄は酷いんです。
家族の失敗をよく覚えていて、それを面白おかしく茶化しながら、何度も繰り返し話すんです。」
5月の次兄に対して、帝政ロシア時代の田舎の荘園に住み着いている主人に忠実な使用人のような印象を持っていた私はそれを意外に感じる。
「それはちょっと想像つかないですね。
あなたの2番目のお兄さんは、仕事が良くできて、割と融通が利いて、気も利くタイプだけど、服装も上のお兄さんとは違ってラフで、必要でないことは全くもってやらない風にも見えたけど。」
「家でもそういうところはあるんですが、その一方で、家だと口が良く回るんです。
こちらに初めて伺った日に、兄から引き継ぎを受けましたが、あまり喋らないことに驚いたくらいです。
まるで以前の兄のようでしたから、慣れるのに時間がかかりました。」
「以前の?」
「ええ、以前。
つまり、その、こっちに落ち着く前の兄みたいに。」
そこまで話して、6月の妹は黙りこんだ。
彼女が働き始めてから20日程が経ち、もうあと何日もしないうちに月が替わる。
3週間ほどの間に、私たちは気軽に言葉を交わせるようにこそなったものの、彼女たちの身の上話はまだ話題に昇っていなかった。
いくら6月の妹が話しやすいとはいえ、その辺りのことを、長男でも次兄でもなく、妹に聞くというのも、あまり賢いことではないように感じられたのもあり、その時まで私は何も聞けずじまいだった。
お互いの間に、気まずい沈黙が満ちてしまい、何だか急に居心地が悪くなる。
どうしたものかと私が案じていると、6月の妹は鼻を少し鳴らし、それから思い切ったように言った。
「マダム、私たち、ここに来る前は、南部にいたんです。
そっちに住んでいたころは、まだ両親も健在でした。
上の兄は当時からあんな風に、気取り屋でこだわりの強い性格をしたいましたが、下の兄はどちらかというと、すごく無口で、恥ずかしがりだったんです。」
「そうすると、引っ越しが性格が変わるきっかけだったんですね。」
彼女がつらい記憶を思い出させなくてもいいようにと、私は話の腰を折った。
引っ越しというにはあまりにも壮絶な体験であることは、以前に大家さんから聞いていたし、そんな話をするには、6月下旬の乾季の午後はさわやか過ぎるように感じられた。
私は彼女の反応を待たず、更に質問を継いだ。
「こっちに引っ越してから、今でどのくらいになるんですか?」
すると、6月の妹はティーポットをテーブルに置いて、指を折りながら何やらぶつぶつ呟き始めた。
そうしないと正確に思いだせないぐらいの長い時間が流れていることに安堵しながら、彼女が数を数えようとするのを、私は微笑ましく見ていた。
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6月の妹とそんな話をした日の午後、入れていたアポイントメントを直前にキャンセルされてやることがなくなった私は、やさぐれた気持ちを宥めるべく、まだ日が高いうちからモンキーショルダーの栓を開けて飲み始めた。
気温が下がってきて、空気の中を舞っていた砂埃がだんだんと降りてくるのを陰っていく陽の光が照らすせいで、空が明るい色に濁る。
その様子が、明るいうちから酒を飲む私の混濁していく意識を映像化したみたいに思えて、何だか不思議な気分だった。
家に帰ろうとする水曜日の男の子が私の横を通り過ぎ、アルコールのにおいに顔をしかめながら挨拶をして遠ざかっていくのを眺めていると、大家さんの家の敷地の出入り口の方から少し大きめの話し声がし始めた。
水曜日の男の子の声がそこに一瞬混じって、それから静かになると、彼が6月の妹と、その兄たちと一緒に私のところにやってきた。
「どうしたんですか、お揃いで。」
3人の前で酒を飲んでいるところを見られるのが気づまりだったのか、自分でもわかるくらいに私の声は動揺していた。
4月の長男と5月の次兄は、私が手に持っているグラスに視線を走らせたが、すぐにお互いに目配せをし合って、それから頷く。
アルコールが回っている頭のせいか、その様子はあまり感じがよくないように思えた。
「マダム、急に3人で押しかけて申し訳ありません。
ちょっと、妹一人では話しにくいお願いがあるということで、失礼かとは思いながらも、3人で伺いました。」
ほとんど2カ月ぶりに聞く4月の長男の声は、私の記憶にあるよりも、ずっとよそよそしく響く。
それが、彼が緊張しているせいだと気が付くのに、何秒かかかった。
よく見れば、5月の次兄の眉尻が困ったように下がっており、何やら厄介な話が持ち上がりつつあることに私は思い至った。
私と目が合って、5月の次兄は口を開いた。
「マダム、これがお願いしたいので、ここに来ました。
兄と私は、それについてきただけです。
失礼かとは思います。
ですが、どうか、これの話を聞いてやってください。
兄と私も、これと気持ちは同じです。」
「お願いというと?」
私の質問に、3人は顔を見合わせ、それからまだ傍らに立っていた、水曜日の男の子を見た。
私は、大学時代によく見た外面のいいスマートな同窓生たちを思わせる彼に、込み入った話になりそうだから、遠慮してほしいとできるだけ丁寧に聞こえるように言った。
私の言葉に続けて、6月の妹が、か細い声で、だけど鋭く現地の言葉で話しかけると、水曜日の男の子は首を振って、両手で空を仰ぎ、敷地の門の方へと歩いて行った。
3人と私は、彼が視界から消えるまで、その背中をじっと見ていた。
「マダム、聞いていただきたいお話と、それから、お願いがあります。」
私たちだけになると、さっきのか細い声と比べて格段にしっかりした声で6月の妹は話し始めた。
「それは、私だけが聞いた方がいい話なんでしょうか?
大家さんも一緒の方が―」
「いいえ、マダム。
あなたに聞いていただきたいんです。」
6月の妹が私の話を遮るのはそれが初めてだった。
ただならぬ雰囲気を感じて、私は手の中のグラスを木製のテーブルの上に置いて、姿勢を正した。
「お時間をとらせてしまって申し訳ありません。
今日、お暇する前に、私たちが南部から来たことをお伝えしたかと思います。
お話したいというのはそのことです。」
それから、6月の妹は、かつて両親が健在だったころ、彼女たち4兄弟はこの国の南部にある首都の外れに住んでいて、少し離れたところにある農地を耕して暮らしていた話をし始めた。
概ね、大家さんから聞いていた話と同じ内容だったが、父親が帰ってこなかったことと、母親が倒れて動かなくなったことは、触れられなかった。
逃げ惑う中で2人とはぐれてしまい、その場に留まって探すような状況ではなかった、とだけ説明された。
彼女がそのことに言及した時、両脇に立っている2人の兄が、示し合わせたように首を振ったのだが、6月の妹はそのことに気づいていないようだった。
「そうして、私たち4人は運よく、マダムの大家さん、つまり、農場のマスターに拾われて、車に乗せてもらうことができました。
マスターは、私たちに、どこか行く当てはあるのか聞いてくれました。
私たちは何も答えることができませんでした。
そうしたら、何かを察したのか、マスターはもう何も聞いてきませんでした。
そこから北部のこの国境沿いの農場まで、1日半かけてやってきました。
でも、ここに辿り着いた時、末の弟の息はありませんでした。」
そこまで話すと、6月の妹は息継ぎをするかのように口を閉じた。
2人の兄も、何を言うでもなく、黙りこくった妹の傍に寄り添うように立っていただけだった。
どうも、私のコメントを求めているらしかったが、何と言ったらいいのか思いつかなかった私は、家の中に入らないかと3人を誘った。
太陽はすっかり沈んでしまった後で、すっかり冷え込んできていた。
そういえば、天文学的な意味での夏至、つまり南半球での冬至は昨日か今日だったなと、私は不意に思い出した。
3人をダイニングに通して、木製の椅子に座らせた。
私は取り急ぎ、冷やしていない井戸水を入れたグラスを3人に渡し、それから牛乳を鍋に入れて火にかける。
これまでの私の世話を焼く役割が逆転したのが落ち着かないのか、4月の長男はあちこちをきょろきょろと見回している。
その隣に座った5月の次兄は、水の入ったグラスに手をやって、透明な水の中に濁りを探すかのようにじっと見ている。
「それで、弟さんの話でしたね。」
ガスコンロの火に炙られて音を立てる鍋を目の端に入れながら、私は3人に声をかけた。
長男の視線が私の上で止まり、次兄の目線がグラスから私の顔に向かって上がってくる。
6月の妹の目は、真っすぐに私の方を見ている。
「はい、末の弟です。
私たち兄弟姉妹は、元々4人だったんです。」
「初めて聞く話ですね。
お兄さんたちも、そういうことは教えてくれませんでした。」
「あまり大っぴらにするような話でもないんです。
兄弟の間でも、普段からそんな話はしません。
ましてや働かせてくださってるマダムにお伝えするなんて。」
そこまで彼女が言うと、両脇の2人の兄は、またも示し合わせたように首を振った。
これはどうも、「そんなことはない」という意志表示のようにも思えたが、特に指摘せずに話の続きを促した。
「末の弟が息をしていないことに私たちが気づいたのは、ここに辿り着いてからでした。
ずっと静かにしているので、てっきり眠り込んでいるんだと、誰もが思っていたんです。
実際、私たち3人も、農場のマスターの車に乗り込んで、すぐに寝入ってしまいました。
次に目が覚めた時にはもう北部に来ていて、あと2時間で目的地だと言われたくらいです。
そのくらい疲れ切っていたんです。」
農場に辿り着き、3人が転がり落ちるように車から降りても、末の弟は動かなかった。
その様子を不審に思った4月の長男が肩を揺すったところ、ゆっくりと、力なく首が垂れ下がり、末の弟は座席から土の上へ崩れ落ちたのだそうだ。
「農場のマスターが飛んできて、頭を打ったんじゃないかと、弟の体に触れるのを、私はすぐ隣で見ていました。
マスターの指が弟の頭を撫でて、それから、冷たいと、冷たくなっていると、マスターが言って、それから―」
そこで、5月の次兄が、さっきまでグラスを掴んでいた手で、6月の妹の服の袖を引いた。
4月の長男は、またも首を振った。
牛乳はすっかり沸騰して、表面に膜を作ってしまっていた。
薄皮のような膜を箸で取り除き、マグカップに三等分して注ぎ、水の入ったグラスの横にそれぞれ置いた。
「あったかいのを飲むと落ち着きますよ。
熱すぎて飲めないかもしれないけど、マグカップに手を当ててるだけでも大分違う。
火傷しないように気をつけて。」
6月の妹は、私の言葉通りにマグカップに恐々と指を伸ばす。
私はそれを見ながら、自分のグラスにウイスキーを注ぎ足した。
正直、素面では聞いていられなかった。
「農場のマスターは、病院に連れていきたいと言ってくれました。
でも、もう、そんなことをしても無駄なのは明らかでした。
もう手遅れとか、そんなことじゃありません。
冷たかったんです。
血が止まらないとか、意識がなくなりそうとか、そんなことじゃなかったんです。
だから、病院に連れていくのは断って、マスターが宛がってくれた小屋の真ん中に布を敷いて弟を寝かせました。
それから、上の兄と私は枯れ井戸を探しに行きました。」
「枯れ井戸?」
「ええ。
弟を供養するには、枯れ井戸が必要だったんです。」
「というのは?
ちょっと意味がよくわからないんだけど。」
「マダム、意味がわかるとか、わからないとか、そんなことじゃないんです。」
初めて会った時の、5月の次兄に紹介された時の可憐な様子からは考えられないような、はっきりとした口調で6月の妹は言った。
「末の弟は枯れ井戸で弔ってやらなくてはならなかったんです。
そのために、私と上の兄は、疲れ切っていた体を引きずって、農場の外の森へ枯れ井戸を探しに出かけなければならなかったんです。」
まっすぐにこっちを見つめてくる6月の妹を見返しながら、私はモンキーショルダーを口に含んだ。
もう素面じゃない程度にはアルコールが回っているはずだったが、まだ酔いが足りないような気がして仕方がなかった。