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1. 6月の最初の週が明けた月曜の午前8時前

8月下旬終了目標で、3話か4話で終わります。

ほんまは短編として投稿したかった…

 6月の最初の週が明けた月曜の午前8時前、5月の次兄に連れられて、6月の妹は初めて私の前に姿を現した。

 ダイニングルームのリノリウムの上を、ペタペタと音を立てるサンダルで歩く彼女はとても小柄で、まだ15にもなっていないように見えた。

 飲むヨーグルトでふやけさせたシリアルを食べる私が陣取るテーブルの端までやってきた兄と妹は、立ち止まって精一杯背筋を伸ばした。

 それから、彼女は兄に促されて頭を下げた。

 現地の習慣からすれば、とても奇妙な挨拶の仕方のはずなのだが、6月の妹は文句を言わず従ったところを見ると、兄弟の間でかなり綿密に申し送りがされていることが窺われた。

 

「マダム、()()、私たちの妹です。

6月いっぱい、こちらに来て、マダムのお世話をします。」

 

 5月の次兄に紹介された6月の妹は上目遣いに私の顔を覗く。

 彼女のまつ毛が、学生時代、1番おしゃれに気を使っていた時の私のつけまつ毛よりも長く綺麗なカーブを描いているのが目を引いた。


「名前は何て呼んだらいいんでしょうか?」


 私が英語で聞くと、2人は顔を見合わせて、現地の言葉で短くやり取りした。

 少しきつめの口調で5月の次兄が会話を締めくくると、私に向き直った。


「名前で呼んでもらうなど、恐れ多いことです、マダム。

()()のことは6()()とお呼びください。」

「あなたのお兄さんに、あなたのことを紹介された時、そういう非人道的な扱いはこっちが困るので、今後一切やめて欲しいとお伝えしたと思うんですが。」


 私がそういうのを聞いて、5月の次兄は傷ついたような表情を浮かべた。


「恐れ多いことです、マダム。

今月、()()がここに来る間、()()の名前は6()()です。

私の名前が5()()だったように。」


 正直な話、彼のことを5()()などと呼んだことのなかった私には、彼の妹の名前が6()()だと言われても全く持ってピンとこなかった。

 日本の有名なアニメーション映画の主人公姉妹は英語と日本語で5()()という意味だったが、響きが日本語の名前として自然だった。

 彼と彼女の場合、英語が公用語の国の生まれとは言え、英語は第一言語ではない。

 5()()だの6()()だのと呼べと言われても、何だか人道に反しているような気分がして落ち着かなかった。


「今日一日、私が()()に仕事を教えます。

明日からは()()が一人でここに来ます。

今月が終わるまで、()()はここに来ます。

よろしいでしょうか、マダム?」


 私が名前について何か言うのをやめたのを了解と受け取ったのか、5月の次兄は淡々と、事務的なあれやこれやを説明し始める。

 蝶ネクタイにサスペンダーで吊った黒のスラックスという、執事然とした服装を好む4月の長男の手際がぐだぐだだったのとは対照的に、ファッションにまったく無頓着な色合わせのTシャツと短パンをいつも着ていた5月の次兄の実務能力は大変高かった。

 上の兄があまりにもできないから、自分がしっかりしなければならなかったのだろうかと、彼らの家族構成について、うっかり邪推してしまうくらいで、それは国内避難民という扱いになるであろう彼らの境遇に似つかわしくないものだった。

 何年も何年も、逃げては追われ、路上で誰かの 気まぐれな施しを受けて生き延びてきた彼らがまともな職業訓練を受けていないことは、彼らを紹介してくれた大家さんから聞いていた。

 英語で込み入った内容について意思疎通ができるのは、この国において高等教育を受けた証なのだが、彼らはそういう意味では例外だった。

 5月の次兄がいるうちに、その辺りのことを一度聞いてみたいと思っていたのだが、既に5月が終わっていて、6月最初の月曜日の朝のダイニングルームには、そんなことを聞けるような雰囲気はなかった。


 その日一日、6月の妹は5月の次兄の後をくっついて歩き、私が借りている家の管理のあれやこれやについて、大体のところを把握したようだった。

 先月の月報をノートパソコンで作成しながらその様子を見るともなく見ていた私は現地の言葉は一切わからないのだが、それでも相槌の打ち方や言葉尻の上げ下げ、頷く様子やアイコンタクトなどから、2人の間の話の通りが随分良さそうであることは明らかだった。


夕方、2人が家に帰ろうとする間際に、1ヶ月分世話になった餞別として、3日分の賃金を封筒に入れて5月の次兄に渡した。


「5月の間、あなたの仕事にとても満足しましたので、餞別を用意させてもらいました。

今日の給金とは別の、私の気持ちです。」


 6月の妹は、中身も見えず、大して分厚くもないその封筒をじっと見つめていた。

 勤務態度が良ければ月末に自分も同じものが貰えるのかと、きっと帰り道で兄に問いただすのだろう。


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 2人が帰った後、パストラミとピクルスのサンドイッチで簡単な夕飯を済ませた。

 そうこうしているうちにすっかり日が沈み、かなり冷え込んでくる。

 日が沈むと結構冷える山の夜だが、私は厚着をして外に出る準備をする。

 木のトレイにウイスキーの瓶と小さなグラスを載せて、ドアの外に出ると、空気がしっかりと冷たい。

 あまり褒められたことではないが、私の趣味はアルコールで、寒いところでは、月や星を眺めながら強い酒を飲むのが好きだ。

 関税と輸送費がかかるせいか、日本のウイスキーやアメリカのバーボンはバカバカしい値段だが、スコッチはそこそこの値段でまあまあのものが手に入る。

 こっちに来てすぐの時に、人伝でモンキーショルダーを安く買えたので、ここ数ヶ月はそれをストレートで飲んでいる。


 私の勤務先はインド資本の工務店で、人材もリソースも資金も潤沢な大手ゼネコンが行きたがらないような世界の果てでオペレーションができることが売りの会社だ。

 直近でも、まだ紛争が完全に終わったとは言えない地域でのタングステンの採掘の再開だったり、地雷原の特定ができていない山岳地域で井戸掘りだったりの仕事を請け負って、結構な利益を稼いでいると評判だった。


 リーマンショックの年に就職活動をした私は日本国内の大手ゼネコンでの総合職にありつくことができず、就職が決まらないまま卒業した後、スリランカへ旅行に行った。

 はらはらと落ちるインドの泪の雫のような形のセイロン島の奥地にそびえ立つシギリヤロックをひいひい言いながら登っていたら、突然インド系のイケメンにナンパされたのである。


「そんな辛そうな顔でこの岩を登ってはいけないよ。

頂上には、あなたの美しさと同じくらいに素敵な眺望が待っているんだから。」


 頂上からの眺めは、控えめに言って、私自身の魅力と比べようとするのがおこがましく思えるくらいに素晴らしかった。

 聞いている方が恥ずかしさで死にたくなるナンパ文句(オープナー)を聞いた時には無視しようと思っていたのだが、いつの間にか不思議と一緒に歩くことになった私たちは、帰り道を下っていく頃にはお互いの身の上話をすっかり終えてしまっていた。

 私がゼネコンに就職したかったのだが、それが叶わず、今も求職中だと話すと、イケメンは顔を輝かせて食い気味に言った。


「あなたさえ良ければ、うちの会社で働いてみないか?

最初は3か月はインターンって形で、生活費と実費以外のお金はほとんど出せないけれど。」


 インドで土木会社を経営していると自己紹介したタミル系の彼の言うことから、てっきりインターン先もインドだと早とちりした私は、一も二もなくその話に飛びついた。

 インターン先は日本のパスポートの恩恵によりビザなしで長期滞在が可能な、コーカサス地方のとある国だった。

 原油をヨーロッパに送るために造られたパイプラインのメンテナンス作業の施工管理全般という、インターンにしてはあまりにも大きな責任を任された私は、紛争が終わって間もないきな臭い国の空気にビクビクしつつも、どうにかこうにか仕事をこなした。

 3か月のインターン期間の後には正式にプロジェクトマネージャーとして採用され、防弾ガラスの入った車両で防弾チョッキを着て移動することにも慣れた6か月目に、メンテナンス業務が一段落した。

 その直後から、私は紛争や内戦の終わって間もない国に送り込まれて、前述のタングステン採掘や、地雷原での井戸掘りのプロジェクトマネジメントをし続けて、かれこれ既に6年が経つ。


 時々、SNSで流れてくる大学の友達の、東京での楽しそうな様子をスルーするのにも慣れた。

 結婚式か子供の写真を最後に、SNSの更新を止めた彼女たちが、今何をして何を思っているのか、聞いてみたい気もするが、きっと話が合わなくて、会話が続かないだろう。

 今となっては、学生時代に彼女たちと何を話していたのか、全くもって思い出せない。

 もともと話すことがあったのかどうかさえも疑わしい。

 今の生活とはあまりにも違うせいで、現実感がないというのは過去の記憶全般に言えることだが、とりわけ学生時代の出来事は、目覚める直前に見た夢のように印象が淡い。

 色彩は明るいのに、輪郭が曖昧で、だまし絵の中に意味のある形を探しているような気分になるくらいに何も思い出せない。

 今の私にとっては、南半球の6月、山奥の僻地の寒空の方がずっとはっきりしていて、もっと近い。

 大きく口を開けて見えない天井を見上げる子どもたちの上に吊るされたような星は、小さいけれどくっきりと光っていて、アルコールのせいもあって、手が届きそうに思える。

 ここだけの話、実際に手を伸ばしたのも1度や2度ではない。


 こういうライフスタイルは、20代後半の一人身の女のものとしては寂しく見えるかもしれない。

 だが、私は今の生活が結構気に入っていたし、きっと私の人生はもうしばらくこんな風に続いていくんだろうという予感がしていた。

 世界の果てで孤独ごっこをするのも悪くはない時というのが若いときに一度あるのも、悪くないように感じられたのだ。

 少なくとも、私にとっては。

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