53 戦の潮流が終わった。
53
戦の潮流が終わった。
火種は残っているものの、大勢は決したのだった。
速やかに摩擦が終了し、新たな技術の吸収が急務になった。
それは新技術の普及を意味する。
『……これは予想できなかったな』
アイザックはつぶやいた。
「笑う者らしくないな」
イザイアが言った。
アイザックは「笑う者」という意味だ。
これほど合わない名前はない。
『名前に意味はない。ただの識別記号だ』
「フン、お前らしい言い草だな」
イザイアは鼻を鳴らす。
状況は、彼らの完敗だった。
最後の詰めとなる帝国の侵攻が、いともたやすく防がれたのだ。
技術の進歩がこれほどの力になるとは思わなかった。
彼らが歩んできた長い歴史の中で、このような技術革新は起きたことはない。
「銃と大砲、それから金属の船か、確かに予想外だ」
イザイアは頭を搔いた。
「あの雑魚どもがこんな物を作るとは、長生きなどするもんじゃないな」
『いや、長生きはするもんだ。こんな面白い物を見られる』
「意見が合わないな」
イザイアが頭を振る。
用意していたねぐらに隠れている。
今回は仕込みがすべて尽きた。
『これからどうする?』
「フロストランドへ行く」
アイザックの問いに、イザイアは答えた。
「どんなヤツらが我らの策を破ってくれたのか見に行く」
『それは、私も興味がある』
「意見が合ったな」
イザイアは肩をすくめた。
*
氷の館。
ヤスミンは庭に出ていた。
なんとなく庭を見たくなったのだ。
ヤンネとヘンリックはまだ部屋で勉強している。
ふと見ると、銀色の毛の狼がいた。
「…ッ!?」
息をのむ。
(ワーグ!?)
恐怖で硬直している。
途端に、ヤスミンとカーリーが交代した。
危険を感じたからである。
「……」
カーリーは身構えている。
『怯えるな、私は何もしない』
狼は言った。
『不吉な何かが近づいている、それを伝えに来ただけだ』
「え…?」
カーリーは一瞬、何を言われているか分らなかった。
『本来であれば、パック殿に伝えるつもりであったのだが、どうやらそなたとの縁ができてしまったようだな…』
狼はため息をついたようだった。
「なんで言葉を話してるの?」
『私はフェンリル、風雪と氷冠を司るもの』
狼は名乗った。
「魔物なのか?」
カーリーはまだ警戒している。
『とんでもない!』
狼は声を荒げた。
「うわ!?」
『私は精霊、自然の力が具現したものだ!』
フェンリルと名乗る狼は言った。
「……」
カーリーは驚きで目をしばたかせていた。
『とにかく、そなたたちに良くない者が近づいている』
フェンリルは繰り返した。
「……あ、はい、分った」
カーリーはうなずいた。
何をしていいか分らない。
危険なものであれば、いつものように対処するだけだが、こんなのは予想外だ。
『しかと伝えたぞ』
フェンリルはそう言って、クルリと背を向けた。
そのまま景色に溶け込むように消え去る。
カーリーは、黙ってそれを眺めていた。
*
カーリーは2階の部屋に戻った。
裏側に引っ込んでいないのは、まだやることがあるからだった。
「……今、庭で狼に会った」
カーリーは、ヤンネとヘンリックに向かって言った。
普段は荒事しかしたことがないので、なんだか変な気分である。
「ん、君はカーリーか?」
ヘンリックはちょっと警戒した様子である。
「カーリーだって?」
ヤンネも驚いている。
「ああ、さっき狼にあったから、我が顔を出したんだ」
カーリーは焦りながら説明をする。
「なんか、いつもと違う感じだな、カーリー」
ヤンネが言った。
「狼が出たのか」
「危なくね、それ?」
ヘンリックとヤンネは顔を見合わせる。
「狼が言うには、なんか不吉なものが近づいてるんだって」
カーリーは続ける。
言いたいことが、やっと言えた。
何だかドギマギしている。
「不吉なもの?」
「どういう意味?」
2人が首を傾げた時、カーリーの意識は裏側へ引っ込んだ。
ヤスミンが表に出たのだった。
会話が聞こえてくるが、壁越しに聞こえるような感じである。
ヤスミンは狼に会った所で引っ込んだので、狼と何を話したか覚えていない。
(ヤンネとヘンリックには伝えた)
(それで何とかしてもらうしかない)
(しかし、「不吉なもの」とはなんなのだろう?)
カーリーは思った。
いつもは微睡みの中で時間を潰すのだが、今日に限ってはなぜか起きていたかった。
(あの狼に会ったからなのだろうか…)
カーリーは首を傾げた。
何かが変わったような気がする。
*
「フェンリルが伝えてきたんだ」
大パックは言った。
会議室である。
「不吉なもの、じゃと?」
スネグーラチカが聞いた。
「なんじゃ、それは?」
「分らないけど、フェンリルがわざわざ伝えてきたんだ、普通のものじゃない」
大パックは答える。
「カーリーが聞いたんだよね?」
静が言った。
「そうみたい」
「なんで、ヤスミンじゃなくてカーリーが出てきたんだろ?」
「フェンリルを見て危機感をもったんだろう」
ジャンヌが言う。
「見た目は狼なんだろ?」
「ああ、なるほど」
「ふーん、カーリーも普通の会話ができるんだな」
クレアが何やらうなずいている。
「護衛に使おうってのはやめとけよ」
パトラが釘を刺した。
「分ってるってば」
クレアは面倒くさ気に手を振った。
「カーリーは、こちらからチョッカイかけなければ何もしてこないよ」
静は言った。
妙に断定的な物言いである。
「自信ありげに言うな」
ジャンヌが訝しげに静を見る。
「野生の獣みたいなものだよ。
生きるためには戦うけど、無駄な争いはできるだけ避けるんだよ」
「ああ、そういうことか」
ジャンヌは納得した。
「あんまり触んない方が吉かー」
アレクサンドラが、つまらなさそうに椅子に背を預けた。
「てか、アレクサンドラは余計なことスンナヨ?」
巴が言った。
「ヘイヘーイ」
アレクサンドラはふて腐れている。
「とりあえず放っておくのがいいってことだな」
ヴァルトルーデが言った。
「だが、カーリー用の武器も作っておくのがいいかもな」
「どんなの?」
アレクサンドラが興味を示した。
「……身体の動きを阻害しないように皮か布の防具と軽めの刃物だな」
ヴァルトルーデは言った。
いい加減、付き合いが良い。
「カランビットとか?」
「それもいいかもな」
「クリスナイフとか?」
「そんなのもあったな…」
「スペツナズナイフとか?」
「おいおい」
「グルカナイフとか?」
「誰が作るんだ、そんなの?」
ヴァルトルーデは突っ込んだ。
「てか、グルカナイフは重いからダメだよ」
静が言った。
「じゃ、やっぱりカランビットかな」
「だな、あれが一番合ってる気がする」
大臣さんたちは、好き勝手に言い合っている。
「カランビットに普通のナイフを組み合わせればいい」
巴がまとめた。
「ナイフは投擲可能な重量バランスでいて、なおかつ格闘もできるようにする。
カランビットは単独でもナイフと同時にも使えるようにする」
「結構、難しい注文つけるねぇ」
ヴァルトルーデは難しい顔をしている。
「生き死にに関わることだ、なんとかしてもらいたい」
巴は押してくる。
「あと、できればヤンの流星スイなどを伝授したいところだね」
静が付け加えた。
「そこまで考える必要がありますか?」
今まで黙って聞いていたマグダレナが、そこで口を挟んできた。
「カーリーはヤスミンと同一人物だ、なら仲間だ。
仲間が生き残れるよう装備を整えるのは当然のことだ」
巴は答えた。
素で言っているようである。
「はいはい、分りました。仲間として認めましょう」
マグダレナはため息をついて、肩をすくめた。
*
ビフレスト。
「あー、なんか久々にヒマができたなぁ」
エーリクは首を動かす。
コキコキと音がした。
このところ、ずっと経営と運営、製造と販売に従事していた。
ヘルッコとイルッポが、ウンタモの息子と一緒にフロストランドへ行ってしまったので、彼らの工場を見ている。
ニール商会のニールがしきりに誘ってくるので、断り切れず商会に顔を出したりしている。
「あーあ、身体が二つ欲しいぜ、まったく…」
グチが出てくるが、生活は充実している。
今のうちに金を貯めて、老後は悠々自適に過ごすつもりである。
ボイラーが普及し出して、ビフレストでも蒸気自動車が走るようになった。
一度仕組みを理解すると鍛冶屋連中がすぐに思いつくらしい。
蒸気機関の普及が始まっていた。
鉄道ができるのも時間の問題だろう。
「乗り合い自動車?」
「うん、そう」
カット・イヤーはうなずいた。
「街の中をぐるっと一周するんだ」
「へー」
エーリクは椅子に身を預けながら言った。
「サウナと湯屋が合体しやがるし、公衆トイレは出来始めるし、お次は乗り合い自動車かよ。
変わったよなー、この街も」
「便利になっていいじゃん」
カット・イヤーを始めとするアールヴたちは嬉しそうにしている。
新しいものが大好きなのだ。
「すぐ飽きやがるくせによー」
エーリクは、悪態をつく。
「うるさいなー」
カット・イヤーは一瞬、しかめっ面になったが、
「そんで、その乗り合い自動車の車掌にぼくらが抜擢されたんだ」
すぐに満面の笑みになって言った。
パック族は人と関わり合うことが好きな連中だ。
口から生まれてきたんじゃないかと思うくらい、しゃべるのが好きなのだ。
もちろん、この辺の都市計画及び産業の発展に、太守であるウンタモが関わっていない訳がない。
積極的に新規事業を手がけていて、街営企業が生まれている。
まあ、実際には部下のピエトリが一手に引き受けているのだが。
「おー、そうきたか」
エーリクは興味なさ気に言う。
「なんだよ、もう少し喜んでもいいんじゃないの?」
「いや、おまいら、本来の仕事覚えてる?」
「情報収集だろ? こういう人が集まる所にいれば十分集まるさ」
カット・イヤーはうそぶいた。
ホントは自分がやりたいだけである。
「本国のお仕事に支障が出たら、やめてもらうぞ?」
「ちぇー、分ったよ、ケチ」
カット・イヤーは機嫌を損ねて出て行ってしまった。
乗り合い自動車の運賃は銅貨5枚程度。
太守から補助金が出ているので、安価で提供できている。
他にも、蒸気自動車で街中へ輸送・配達する運送業も出てきた。
荷物、手紙などの小物から、工場で使用する原材料やできあがった製品など大物まで、好き嫌いなく取り扱っている。
郵便制度がないので、民はこれらの運送業者を利用することになる。
カット・イヤーたちアールヴは車掌として車に乗り、行き先を聞いたり、運賃を教えたり、切符を切ったり、世間話をしたり、無駄話をしたり、とサービス業務に精を出した。
その中で、客や人間の同僚から様々な噂話や伝聞を入手できた。
・メルクでアナスタシアが久々に白兵戦をした。100年ぶりくらい? ちなみに相手は粉微塵にされた。
・エリンのディーゴン船団が海の魔物を操って帝国の船団を撃退したらしい。
・マスケットで撃たれたら便を傷口に塗ると良いらしい。いや、マスケットに軟膏を塗るんだ。
・サメが出るらしい。殴れ!
等々。
毎日、聞いてきた噂話を報告してくるので、アールヴの一人を記録係にして書き留めさせる。
「下らん噂話ばっかだな…」
エーリクはため息をついている。
「フロストランド本国から入手する話とは大分かけ離れてるねぇ」
記録係のアールヴが言った。
尖った耳、先の尖った尻尾を持つ種族、インプ族のミードだ。
現代では悪魔として知られているが、元々は妖精に分類される。
糸を紡ぐのが好きな種族と言われていて、デスクワークが得意な連中である。
事務仕事が増えてきたので、フロストランドから派遣してもらっていた。
「噂話ってのは、事実とは関係なく落ち着くべきところへ落ち着くんだ」
「へー」
エーリクが言うと、ミードは興味なさそうに相づちを打つ。
「それよりエーリク、ミシンで作った服を売りさばきたいんだが」
「ああ、それな、ニール商会に話してあるから、そのうち引き取りに来る」
「お、サンキュ」
ミードはミシンにハマっていた。
「聞くところによると、メルクのアナスタシア様もミシン裁縫が趣味だとか」
「らしいな」
「いずれはメルクに赴いて、ミシン裁縫について語らい合いたいねぇ」
「オレらは向こう一年間は出禁だから、その間はダメだな」
エーリクは頭を振る。
「なんということだ」
ミードは天を仰ぐ。
*
「これが車というヤツか」
イザイアは乗り合い自動車に乗っていた。
機関車が客車を牽引する形式で、機関車の後部には石炭が積んである。
客車は、左右に座席、中央に通路というシンプルな作りだ。
メルクを離れ、ビフレストへ来ていた。
「運賃はいくらだ?」
「銅貨5枚だよ」
イザイアが聞くと、パック族の車掌が答えた。
「街の中心地を周回してるから、好きな所で降りるといいよ」
「分った、ありがとう」
イザイアはうなずいたが、実際には車から見る景色に心を奪われていた。
降りる所が決まらず、周回してしまう。
「いい景色だ」
『景色などどうでもいい、早く降りる所を決めたらどうだ?』
アイザックは若干イラついているようである。
「アイザック、君は合理主義が過ぎるな」
『合理主義は重要だ』
「それは分る。だが、心には余裕も必要だ」
アイザックとイザイアは言い合っている。
『感情など不要だ』
「感情こそ、我々を我々たらしめるものだ」
意見が見事に正反対である。
イザイアは適当な所で車を降りた。
飽きてきた所で降りたので、自分がどこにいるのかもよく分っていない。
『イザイア、君は計画性というものがない』
「フン、その辺のヤツに聞けばいいさ」
イザイアはうそぶいて、雑踏に消えていった。
*
ヴァルトルーデは早速、ヤスミン用の武器を製作した。
鍛冶のスキルはないので、ドヴェルグの鍛冶屋に頼んだ。
ドヴェルグの職人はすぐに武器を製作した。
注文通り、スローイング・ナイフ数本とカランビット・ナイフ数本。
「ヤスミン、これを持っていろ」
ヴァルトルーデはそう言って、ナイフ群を渡した。
「うわ、なにこれ、おっかない」
ヤスミンは怖じ気づいているが、
「持っているだけでいい、トムテに収納ベストも作ってもらったからこれを着ればいい」
皮製品ならトムテ。
と言うわけで、ナイフが収納できる皮のベストも製作してもらっていた。
若干かさばるだろうが、カーリーが表に出てきた時に使えるように、である。
(ナイフの切っ先がこちらへ向かないといいがな……)
ヴァルトルーデは内心そう思いながら、ヤスミンにベストを着せてやる。
「……」
カーリーは、ヤスミンの内側でそれを見聞きしていた。
こちらの世界へ来てからというもの、会う人、会う人、皆が良くしてくれる。
元の世界では、ヤスミンはゴミのような扱いしか受けなかった。
殴る蹴るはまだ良い方で、ひどいと鈍器や刃物で傷つけられる。
銃が出てくるのも珍しくはない。
常に死と隣り合わせだった。
しかし、フロストランドに来て、平穏というものを知った。
これがずっと続けばいい。
願わくば、ヤスミンがヤスミンとして生きられるように。
カーリーのような歪みから作られる人格がいなくても良くなるように。
カーリーの願いは自分が本来の人格、ヤスミンに還ることだった。
*
「今日は、おかしな客がいたよ」
カット・イヤーが言った。
おかしな客とは、妙に独り言の多い客のことだった。
「独り言がクセになってんだろ」
エーリクは取り合わない。
彼自身、気がついたら何事かつぶやいている事も多い。
ほとんどが仕事についてであるが、無意識に声に出ている。
「まあ、そうなんだろうけど、なんか気になったんだよねぇー」
カット・イヤーは、なぜかこだわっている。
「それより、お前、昨日もらった給料使い切ってないよな?」
「…う、うん、あるよ、まだ。ナンダヨ、1日デツカイキルワケナイダロー」
段々と棒読みになってくる、カット・イヤーである。
*
「珪石が手に入りそうだ」
ヴァルトルーデがホクホク顔で会議室へ入ってくる。
ゴブリン族との交渉を経て、購入する手はずが整ってきたのだった。
「ケイセキ?」
クレアが聞いた。
「シリコンをつくるのに必要なものだ」
ヴァルトルーデが答える。
「半導体だっけ?」
「そう、これからの技術開発には電子回路が不可欠になる」
ヴァルトルーデは力説する。
「電子制御か」
「うん、自律機械の第一歩だ」
「石英も購入しないといけませんよ?」
マグダレナが会話に割り込んでくる。
「石英だと?」
「石英ガラスは耐熱性、耐食性に優れてますから。絶縁体としても優秀です」
「なるほどな」
ヴァルトルーデはうなずいた。




